花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

昭和の食と商店街 近鉄ストア

2017年09月27日 | レモン色の町

第23回 近鉄ストア

近畿日本鉄道は、大阪線と名古屋線との狭軌(線路の巾)の違いから中川駅での乗り換えが必要であり、スピードアップが悲願とされていました。その一手段として、国鉄(JR)四日市駅から急カーブで入る諏訪駅間の廃線化が決まりました。昭和20年後半のことです。工事は着々と進められ昭和31年9月23日、海山道駅~鹿化川分岐、鹿化川分岐~川原町駅間の短絡工事が完成、国鉄四日市駅を経由せず直線化されました。また、線路幅の統一化は、伊勢湾台風がきっかけとなり予定より早く終了しました。

撮影:辻俊文氏

辻さんの記録では、昭和32年4月、近鉄四日市駅が開業となっています。諏訪駅が閉鎖されてからの半年間は駅の業務のみが行われ、“近鉄ストア”は工事中だったのでしょうか?完成と同時にすごい人が押し寄せました。

改札口の様子

中央に改札口、向かって左が“乗車券売場”と“近鉄観光案内所”、右側には“近鉄ストア”があります。中央改札口から階段を降りると近鉄線と湯の山線ホームへ上る階段がそれぞれついており、突き当りが西口になっていた記憶があります。西口を出ると、正面の鈴鹿山脈を背景に工業高校と天理教が建つ荒涼とした風景が広がっていました。駅建物の左に外付けの登り階段があり屋上へ出るのですが、電光掲示板を見たさに勝手に上がり注意されました。昭和48年四日市駅が高架化されるまでこの駅は親しまれてきたのです。

近鉄ストア1階内部

近鉄ストアの1階は食品が中心だったようです。当時は珍しかったエスカレーターで2階へ上がると、衣料品、雑貨、玩具などのケースがコの字状にならんでいました。台風接近の日、玩具ブロック欲しさに長い時間迷っていた記憶があります。近鉄ストアの二階から中央通りを見渡すことができました。噴水を背に立つ青年の像、植えられたばかりの細い楠の木が並びます。

お子様ランチ、イメージ

建物に向かって左端に食堂があり、姉に連れられてお子様ランチを食べに行きました。これで名古屋へ行かなくても食べることが出来るようになりました。

昭和40年7月15日の駅前中央通り 右から 百五銀行駅前支店、近鉄百貨店、近鉄四日市駅。噴水の向こうに青年の像が見える


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