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表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

衝撃の北勢軽便王国物語!

2018年04月24日 | レモン色の町

映画観賞会が終わり片付け入っていた時、Tさんから書類の束を頂戴した。昨日このぺーパーを見て驚いた。おそらくCTYさんが‟あすなろ鉄道”存続の時に特集で放送されたものか?Tさんありがとうございました。

この写真は大正11年ころの関西鉄道東口の賑わい。港側の当時の正面玄関口。さて西側はどうなっているのだろうか?

これが西側の様子。ホームページ「北勢軽便王国物語」で見ることができる。椙山先生らが当時の様子を語り合っている。この写真は大正5年3月とある。なんと四日市駅に三重軌道(内部・八王子線)と四日市鉄道(湯の山線)が集結しているのだ。室山の三重紡績でつくられた製品は直接四日市駅(現・JR四日市驛)へ運ばれていたのだ。一気に疑問が氷解した。Tさん、ありがとうございました。

そしてもう一つ、次回は『電光石火の男』の謎に迫ります。


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2 コメント

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Unknown (さくらかぜ)
2021-04-05 23:22:09
陸路で運ぶ場合、四日市駅で積替というのは私もそう思います。
海路の場合はどうだったのかを考えてみます。
妄想がありますがご容赦ください。
東口のそばには運河があり、三重・四日市駅から東口に運ぶ必要があります。
私が着目したのは合同線で伸びる阿瀬知川駅です。
いろいろ資料を見ても旅客駅ではなかったようです。
今では考えられませんが、阿瀬知川駅で艀に載せ替えて船に運んだのではと思うのです。
東口そばの運河から艀で運ぶより、2回載せ替えが少なく1回ですみます。
いかがでしょうか?
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阿瀬知川 (タケオです)
2021-04-06 09:47:07
さくらかぜさん ありがとうございました。ピンポン!です。合同駅から阿瀬知川へ引き込み線がありました。今でも阿瀬知川沿いに材木屋さんが残って??いなかったかな??四日市鉄道と三重軌道で運ばれてきた材木は、引き込み線で河口まで運ばれ、運河から船で出荷されていたようです。ピンポン!です。
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