花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

衝撃の北勢軽便王国物語 その2

2018年04月27日 | レモン色の町

昨日は、休みだったので映画『電光石火の男』の資料を探しに図書館へ出かけた。図書館の係りの方の対応は大変親切だ。気持ちよくコピーをお願いできた。ふと見ると、鍵の付いた引き出しがある。開けてみると明治44年の四日市市街地図があった。おなじみである。これもコピーを頼もうと取り出すと、その下に大正11年8月の地図があった。大発見の気分だ!

 

そこには、三重軌道と四日市鉄道の二本が、国鉄四日市から西に延びていた。大正11年、伊勢線(のちの近鉄名古屋線)は海山道~四日市間が開通したばかりで、未だ諏訪駅を通っていなかったのか?(4月22日のブログ。Tさんからのコメントに、伊勢鉄道の経過が記きされていました。このあたり、込み入っています。熊沢氏の私鉄疑獄の内容は知りたいところです)

 

線路に沿って東へ自転車で走ってみた。三滝通りを超えたあたりからゆっくり線路道は南へカーブしている。塚本医院前。戦後、ここに踏切があり、線路の南の小屋に踏切番のおじさん‟ふみきりさん“が居たという。小便はとにかく大便なんかはどうしていたのか?臭い謎が深まる。

 

東へと走る。2002年刊行の『四日市今昔写真帖』に載っている昭和初期の絵。右に建つのが立派な山門の善光寺である。その正面に三重軌道と四日市鉄道の合同駅が望める。

まさしく此処の位置からの風景だ。右端に善光寺の本堂が見える。

 

前へ進むと前回掲載のここに至る。合同駅。

 

ハローワークが正面に建ち、このすぐ裏を列車が通る。右に曲がるとJR四日市駅はすぐそばにある。昔の四日市駅は、今より南にあったのだ。


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2 コメント

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Unknown ()
2018-04-27 18:17:59
三重軌道と四日市鉄道が並列して
走る地図は初めて見ました。
写真と地図が合致しましたね。
返信する
軽便鉄道の謎 (タケオです)
2018-04-28 08:03:33
ありがとうございました
Tさんのおかげです。
資料をいただかなければ、ここまで楽しい作業はなかったと思います。
現在の地図と重ね合わせてみようかと考えております。
今後とも、ご指導のほど宜しく
大感謝です
返信する

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