花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

カンバック!昭和商店街35<中央通りの謎2>

2019年02月16日 | レモン色の町

中央通りが何時できたのか?調べていたら空襲前後の航空写真をWebで見つけた。りーべさんのツイッターから(りーべさん、掲載、心よりお詫び申し上げます)、当時の航空写真はとても貴重だとあった。どうやって手に入れられたのか?昭和20年6月、四日市は空襲を受け、市街地は壊滅的被害を受ける。空襲前と後の区画はほとんど変わってないので、2枚の写真は数年程の開きか?その割には、“空襲後”の写真の方が鮮明である。

空襲前は、東海道沿いに家屋が行儀よくびっしり並んでいる。国道1号線の拡張工事が、三滝川南から諏訪駅あたりまで行われている。国鉄四日市駅東側と南の阿瀬知川まで運河が引かれていて、貨物は此処で船積みされたのだろう。ところで、この頃に中央通りはない。細い道が通っていて、両側の民家も少ない。この道が北側へ拡幅されたのだろう

 空襲前

これが空襲後の写真。当時の中心部(現在の中部、北町、南町、中町)あたりはすっかり民家が焼失している。そのため、鉄道と道路がよくわかる。制度(精度の間違い スンマセン)の良い航空写真は、いつまで見ていても飽きない。

空襲後

結論、中央通りは、戦後の区画整理でつくられた。


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