刑務所に入っていた丈二(赤木圭一郎)が久しぶりに四日市へ帰って来た。大津組の辰吉は、親分(菅井一郎)の身代わりに刑務所入りしていたとは知らずに、丈二を組事務所へ案内する。
高砂町から相生橋を渡り、北へ折れると事務所だ。ところが妙なことに、その向こうを電車が走る。
この映像を観たとき、三重軌道の阿瀬知川駅付近でロケをされたものと判断した。明治・大正の頃、終点四日市駅へ入った三重軌道は、そこから南へ折れて阿瀬知川へ延びていた。ここで船と連絡していたのだ。
昭和43年マップ
現在の この位置になる
ロケハンの中に 四日市に詳しい御仁がいたことになる。その人はこう言った「四日市なら ぜひここでロケしてください!」。
現在である。港中学校跡は、温水プールになっている。左上に阿瀬知川駅がありました。嘗て関西鉄道の工場があったのは、住友電装のあたりでしょうか。」
映画のロケが行われた昭和34年9月、近鉄はもうこの場所こ走っておらりません。電車のように見えたのは、旧国鉄のディーゼルカーだったのでは?
ところで、この写真を見ると、道路が舗装してありません。
舗装道路が当たり前の現在、改めて見ると違和感を感じます。
そういえば、当時この近くに住んでいた私の家の前の車道はコンクリートなのに、当時珍しかった歩道は土でした。
隔世の感がありますね。
昭和35年当時、未舗装の道はあらゆるところにありました。
下総人さん前の舗装道路は、昌栄町と千歳町の港を結ぶ、主要幹線道路だったに違いありません。
調べてみたら、千歳町を起点、鈴鹿市白子町を終点とする延長17km強の県道6号線でした。コンクリート舗装してあって当然かも知れませんね。この頃(昭和30年頃)は、まだアスファルト舗装なんて無かったように記憶しています。
昭和30年代、辻さんが諏訪神社前 国道の舗装工事の写真を撮ってみえますが、細い板で囲った地面にセメントを流していたようです。写真は、ブログにて掲載いたします。ありがとうございました。