花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

またまた 閑話休題 大協石油のこと

2022年06月20日 | レモン色の町

下総人さんから、大協石油について ご指摘をいただきました。正確無比の情報を誇る(?)当ブログにおきましては 心強い指導者でゴザイマス。感謝!

ところで 昨日のブログで 昭和32年に大協石油が浜町の東洋紡績跡地に竣工したと記しました。それでは昭和29年の大火災は何だったのか?あれはまぼろしか?否 四日市幼稚園の前から呆然と眺めていた真っ黒で大きな煙は何だったのか?そこで 市制80周年発行の“四日市のあゆみ”とWeb“大協石油株式会社 沿革”を調べてみました。

昭和14年9月 新潟県下の製油業者8社が合同して新会社 大協石油株式会社を資本金125万円で設立 本社を東京に設立した

昭和16年 大協石油四日市製油所 大協町に設立。

昭和16年・太平洋戦争始まる

昭和18年7月 大協石油四日市製油所が完成

昭和26年9月 大協石油トッピング装置(原油を分類する装置)完成

昭和29年10月 大協石油の原油タンクが爆発し 大火災となる

昭和32年9月 大協石油陸上油槽所 浜町旧東洋紡跡地に竣工

大協石油四日市製油所は 戦後の産物かと思っておりました。古いですね。そして会社設立4年後に四日市に工場を竣工させています。大協石油(現 コスモ石油)にとっていかに重要な地だったのかが伺い知れます。爆発事故は残念でしたが 四日市の誇れる産業であります。

ということで昭和33年の漫画界は サボらせていただきました。


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3 コメント

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大協石油の火災 (磯のすー)
2022-06-20 21:37:11
いつも楽しみに拝見しております。
大協石油の大火災は、私が通学していた納屋小学校の
窓からも間近に見え、恐ろしかったです。
同級生に大協石油の工場長の息子さん(仲良しでした)が居て、担任の先生に呼ばれて直ぐに帰宅したこと等、忘れられない記憶です。
引き続いてよろしくお願いいたします。
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大火災の記憶 (阿智胡地亭辛好)
2022-06-20 23:27:53
納屋小学校の窓からドラム缶が空高くいくつもいくつも飛んだのを見た記憶があります・・。そんなことが本当にあったのかどうか??
蔵町の社宅には火災の熱気が流れてきました。長期出張で父親が不在だったので信州の伯父が心配して駆けつけてきました。京都奈良の修学旅行はこの火災のせいで延期になりました。
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大協石油の火災 (タケオです)
2022-06-21 09:52:00
私は当時6歳でしたが、周りの人の狼狽ぶりが記憶にあります。
日本が半分飛んでいくとか、何をしても消えない火の勢いに、心細く思っていました。
最後は、アメリカが薬品で鎮火して さすがにアメリカさんはすごい!と感心したものです。
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