我々老人は、みな歌川広重と云わずに安藤広重と申します。な~んでか?
二玄社刊 謎解き浮世絵叢書 東海道五十三次より興津(静岡県静岡市清水区)
由井宿を発って興津宿に入る手前には、興津川が流れています。冬は橋渡しですが通常は徒行(かち)渡しでした。
広重の興津
京都へ巡業に向かう二人の力士が興津川を渡る。膳所藩(ぜぜはん)お抱えの力士、関脇の西ノ湖(にしのうみ)は、四枚肩の籠に乗っており。そのあとに前頭七枚目の光電満五郎(こうでんみつごろう)が荷を負った馬で着く。前方に見える初夏の富士山は、頂にわずかに雪を残し雄大な景観を見せていたが、満五郎の心には届いていなかった。
「この先の故郷である近江場所で、はたして勝ち越すことができるだろうか。」30を超えた満五郎は、馬の背に揺られながら大きなため息をついた。7年遅れて関取りになった西ノ海は、満五郎の指導もよかったのか、とんとん拍子で関脇になっている。
西「このように美しい富士の山が見えるとは、なんとまあ縁起の良いこと。近江でも勝負はもらったも同然よなぁ。のう満五郎」
満「まったくでございます」
西「これ、人足衆、もっと富士の山が見えるように、向きを変えんか。気がきかんのう」
満五郎は、もう一つ大きなため息をついた。「西ノ湖には、節度というものを教えておかねばならなかった」幼少のとき両親を亡くした西ノ湖を引き取って育て上げたのは満五郎だった。 そしてこの先、東海道は十七番目の興津宿で、節度をわきまえない西ノ湖は大事件を起こすことになるのです。 つづく
NHK出版 「東海道五十三次」描かれた人々の声を聴く より
アンダーポイントの本美 大さんが描いていただいた「神奈川」が、どうも気に入らないということで、大きく訂正をしていただきました。
修正前
修正後
修正前よりも、宿と海が前面に出ました。宿の裏からは海の景観が望める座敷がありますが、まだまだお客はゼロ!宿のばあさんは客引きに必死です。そこへ たまたま通りかかったひろ助はおばあさんに引っ張られます。「まんだ 泊まるのは 早すぎるってぇ」おばあさんは力づくです。「そういわずに とまってけろ。若けえ子も おるでよ」
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