花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

白道寮物語3

2005年10月09日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
浪人時代の1年間お世話になった白道寮に庭には、大きなキンモクセイの木が植わっており、秋になると強いかおりがしていた。
の東に小さな住居が建っていた。寺の雑用をしていた原さん夫婦の家だ。原さん夫婦は、寮の食事の準備や、境内の掃除などが主な仕事だった。まだ若く30代で子供はなかった。原さんは兄とは同期で寮生活を送った人だ。無口な体の大きい人で、画家を目指していると聞いた。けれど、家を覗いたときキャンバスに描きかけの絵が1枚掛かっていただけで、原さんが絵を描いているところを見たことは一度もなかった。それは抽象画だった。
さんは、朝の会食の準備と、夕食を用意してくれた。夕食は台所で個々に食べる。おかずは寮生の希望を結構聞いてくれた。とんカツとか鯵のフライトとか、腹持ちのいいものが喜ばれた。ただ、食用油のせいか、風呂にあまり入らなかったせいか、腫れ物が体のあちこちに出来た。お互いが「蛸の吸出し」を塗り合った。
脇腹に腫れ物の出来たことがあった。夜、食堂ですれ違う小池さんを脅かそうと身を隠したが、腫れ物が痛くて挙げた両手がおろせない。思わず合掌のポーズをとってしまった。オイラに気づいた小池さんはひっくり返るほど驚いた。
の五右衛門風呂は、三日に一度だった。しかも、夜遅くなると白濁の湯が風呂桶の底に、申し訳程度に残っているだけだった。誰かに声をかけて追い炊きをしてもらってもいいのだが、あまり薪を使うと住職に叱られた。
こで、たまには揃って近所の銭湯へ出掛ける。原さんも一緒だ。僧が履く高下駄を鳴らし、徒党を組んで行くので時間が掛かる。道路を渡るとき、度胸試しといって疾走してくる車を止めたりした。今思うと寒気がする。帰には、駅前商店街の屋台でおでんを食べてくる。(但し、お酒は飲まない)2時間ほど掛かって寮に着いた頃は、体がすっかり冷え切ってしまっていた。
口な原さんだったがいい人だった。住職に叱られた寮生をよくかばってくれた。具体的にどうかばってくれたのかは記憶にない。表立って動ける立場ではなかったからだろう。
、時間は超スピードで過ぎている感じがする。けれど、あの白道寮での1年間は、確かにゆっくりと流れていた。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
定番商品? (横ちゃん嫁)
2005-10-10 00:43:39
実家のオカンも何か出来たら直に「吸出し貼っときな」っていつも言うけど、横ちゃんは知らんだよ。
返信する
もち!定番 (武兵衛)
2005-10-10 18:54:05
緑色の臭い匂いの軟膏

小さい頃からお世話になりました

横チャンが知らなんだとは意外

フランスへのお供に

是非ドーゾ
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