空襲後の航空写真を見てもらった人から、市役所はどこにあるの?といったご質問をいただいた。大正時代は高等女学院(中部東小学校 現 中央小学校に併設)の西にあった。本町の水谷さんからお借りした地図にも載っている。
昭和6年、市役所は現在の諏訪町へ移転した。戦前の地図と空襲後の地図を比べてみると、半円形の市役所前庭が分かる。被災することはなく残った。
戦前
空襲後
昭和30年頃、未舗装の三滝通から諏訪駅に向かう近鉄線。その向こうに市役所が望める。
昭和5年に着工6年5月に竣工した市役所は、当時の官公庁建物の左右対称と異なり、不対象形を基本としたモダンな建物であったと水谷さんはコメントしている。老朽化の為、平成5年に解体された。昭和30年頃の地図を見ると、新しくできた中央通りに東から市役所、公会堂、税務署、商工会議所、耕地事務所と並ぶ。四日市の中心地を目指していたことが伺える。
旧市役所跡地。ここは、図書館移転の候補地のひとつに挙げられている。