幼なじみとも言えるK君が、久しぶりに上京してきたのは、7月7日であった。
K君は現在も、私たちの郷里である茨城県北部で、会社経営をしている現職社長だ。
久闊を温めるのは久しぶりのこと、昵懇の料亭に無理に頼んで、昼の席を設けてもらった。
その席上で、同じ旧友T君の急逝を知った。急性心不全だったそうだ。
T君はかなり以前、郷里からは少し離れた都市に移り住んでいた。したがって私たちとは、日常の交流はなくなっていた。
小学校、中学校を通しての親友は4人だった。その中の一人H君が数年前に他界し、今度はT君を失うこととなった。
日頃は頻繁に連絡し合っておらず、K君がT君の急逝を知ったのは、葬儀の前日だったそうだ。
「どうして報せてくれなかったのか?」
私の胸中にそんな思いが湧かないでもなかったが、聞いてみれば、それもやむをえないことだった。
本人が亡くなった後は、残された遺族の問題なのだ。私の耳に入らなかったとは言え、咎め立てはできない。
いつのまに、縁が薄くなっていたようだった。やはり淋しい。
こまごまと聞くべきは聞きがくの花 鵯 一平
k君と酌み交わしている部屋から、綺麗な庭が一望できた。額紫陽花がしめやかとすら言える風情で咲いている。
H君、T君、K君と私の4人は、小学校、中学校を通しての友人だった。
特に、T君を除く3人は、ずっと同じクラスであった。
H君と私は高校も同じだった。T君、K君はそれぞれ異なる高校を卒業した。
H君、T君と私は大学まで進み、K君は家業の会社を継ぐため、ずっと家に残っていた。
H君が肝臓ガンで亡くなったのは数年前。H君は痛恨の68歳。
また一人、T君を失うこととなった。73歳である。
男性の平均寿命が78~79歳と言われているではないか。
少しばかり早すぎないか。
育ち盛りの食糧不足が問題だったのだろうか。
郷里のお盆は月遅れの8月。
わが家の仏壇にも孫の母親が戻ってくる。したがって、郷里への盆参りは日帰りだ。T君の家まで行けるかどうか、今は思案中。
また一人友の訃聞くやがくの花 鵯 一平
がくの花は額紫陽花のこと。
この花、どんなことでも聞いてくれそうな雰囲気を持っていて、私は好きだ。
今日もまたボヤキ長広舌となってしまいました。
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