新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

額紫陽花二題

2008年07月21日 07時23分05秒 | 写真俳句・エッセー

 幼なじみとも言えるK君が、久しぶりに上京してきたのは、7月7日であった。

 K君は現在も、私たちの郷里である茨城県北部で、会社経営をしている現職社長だ。

 久闊を温めるのは久しぶりのこと、昵懇の料亭に無理に頼んで、昼の席を設けてもらった。

 その席上で、同じ旧友T君の急逝を知った。急性心不全だったそうだ。

 T君はかなり以前、郷里からは少し離れた都市に移り住んでいた。したがって私たちとは、日常の交流はなくなっていた。

 小学校、中学校を通しての親友は4人だった。その中の一人H君が数年前に他界し、今度はT君を失うこととなった。

 日頃は頻繁に連絡し合っておらず、K君がT君の急逝を知ったのは、葬儀の前日だったそうだ。

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こまごまと聞くべきは聞きがくの花

「どうして報せてくれなかったのか?」

 私の胸中にそんな思いが湧かないでもなかったが、聞いてみれば、それもやむをえないことだった。

 本人が亡くなった後は、残された遺族の問題なのだ。私の耳に入らなかったとは言え、咎め立てはできない。

 いつのまに、縁が薄くなっていたようだった。やはり淋しい。

     こまごまと聞くべきは聞きがくの花   鵯 一平

 k君と酌み交わしている部屋から、綺麗な庭が一望できた。額紫陽花がしめやかとすら言える風情で咲いている。

    H君、T君、K君と私の4人は、小学校、中学校を通しての友人だった。

 特に、T君を除く3人は、ずっと同じクラスであった。

 H君と私は高校も同じだった。T君、K君はそれぞれ異なる高校を卒業した。

 H君、T君と私は大学まで進み、K君は家業の会社を継ぐため、ずっと家に残っていた。

 H君が肝臓ガンで亡くなったのは数年前。H君は痛恨の68歳。

 また一人、T君を失うこととなった。73歳である。

 男性の平均寿命が78~79歳と言われているではないか。

 少しばかり早すぎないか。

 育ち盛りの食糧不足が問題だったのだろうか。

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また一人友の訃聞くやがくの花

 郷里のお盆は月遅れの8月。

 わが家の仏壇にも孫の母親が戻ってくる。したがって、郷里への盆参りは日帰りだ。T君の家まで行けるかどうか、今は思案中。

   また一人友の訃聞くやがくの花   鵯 一平

 がくの花は額紫陽花のこと。

 この花、どんなことでも聞いてくれそうな雰囲気を持っていて、私は好きだ。

 今日もまたボヤキ長広舌となってしまいました。

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朝曇り

2008年07月20日 05時31分24秒 | 写真俳句・エッセー

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ほころびて日の覗きたる朝曇り

 朝焼けを期待して、裏磐梯へ出かけた。

 日の出の時刻になっても、まだ雨が降っていた。

 それでもじっと粘っていた。あの朝焼けの感動を期待してのこと。

 厚い雲が日の出をさえぎったまま、時間が空しく過ぎて行った。

 日が高くなれば、たとえ雲が切れても、もう空は焼けてくれない。

 単に、太陽が顔を出すだけで終わってしまうのだ。

 厚い雲に切れ間ができて、光りがすーっとさしてきた。

 やはり、空は焼けなかった。

 しかしこんなこともまた、珍しいことではなかった。

    ほころびて日の覗きたる朝曇り   鵯 一平

 2004年7月の裏磐梯 。

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爆撃を受けた夜

2008年07月19日 07時14分05秒 | コラム・エッセー

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 写真は露草(ツユクサ)。

 私はこの草花を、ホタルグサと呼んでいた。

 弟や妹たちは、もともと露草と呼んでいたと言い張るので、調べてみた。やはり蛍草という呼び名もあった。内々ほっとしている。

 夏から咲き始めるのだが、「露」に対する文学的な概念から、俳句では秋の季語としている。 今日の記事とは関係ない。

 私の生まれ在所(茨城県北茨城市)が、米軍の焼夷弾爆撃を受けたのは、64年前の今日、昭和20年7月19日の深夜であった。

 前々日の17日、日立市が艦砲射撃を受けてから、私たちの夜はトンネル生活となっていた。

 もはや防空壕を信頼できなかった。

 わが家の防空壕は、家に隣接している畑に造られていた。うっすらとした記憶では、父が誰かの応援を得て、手作りで造ったものだ。国民学校5年生の私が見ても、チャチなものであった。

 艦砲射撃や空襲を考えれば、避難先は山のトンネルしかなかった。

 そのトンネルは、石炭を輸送するためだけに使う鉄道線路用だった。避難用に使用できたのだから、機関車は走っていなかったのだろう。

 7月19日の夜も、家族揃って山のトンネルへ行った。父、母、弟、妹、私の5人。

 もちろんわが家だけではなく、顔見知りの家々がトンネル内に、場所を確保していた。

 時々水滴が落ちていて、湿った匂いがしていた。

 宵の口、いつものように「警戒警報」が発令された。それっ、直ちにトンネルへ。

「敵B29爆撃機○○機は、鹿島灘より侵入し△△方面へ北上中」などと、ラジオが叫んでいるはずだが、トンネルの中では知るよしもない。携帯ラジオなどはなかった。

 やがて敵機が近づくにつれ、「空襲警報」が発令される。運よくB29がさらに北上していけば、「空襲警報」が解除されことになるのだ。

 その夜も、「空襲警報」が解除された。これも誰かの情報だ。

「おい、起きろ、起きろ!」 

 突然、父に起こされた。「起きろ!真上にB29がきている!」

 確かにトンネル内に、轟音が響き渡っていた。B29が飛んでいる音だ。

「町が燃えてるぞ!」 誰かが叫んだ。

 3歳の妹を背負って、私もトンネルの入り口付近へいってみた。

 B29の轟音が響いていた。神社の森のずっと上を、海へ向かって飛ぶ機影を見た。

 パラパラと散っている光の粉も見た。(このあたり、記憶なのか誰かの話だったのか?)

 町の方角の空は、赤く染まっていた。

 機影がまったく見えなくなったころ、父が家の様子を見にでかけた。

「ウチも燃えているよ。もうダメだな」 父が帰ってきての言葉だった。

 空が白み始めるや、各家族が家へ戻り始めた。

「ウチは燃えなかったよ!」 早く様子見に戻っていた父の話だった。「川のこっちはみんな燃えなかったよ。学校も大丈夫だった」と、父の声は弾んでいた。

 わが家は燃えずに残っていた。

 あとで聞いた話では、91戸が全焼し、死者は2名。

 死者が少なかったのは、トンネル生活が効を奏したのだろうか。

 しかしその日から、狭いわが家で、3家族の同居生活が始まった。

 焼け出されたNさん一家とSさん一家が、同じ屋根の下で住むこととなった。

 親たちの見事な対応であった。

 私が味わった苦労など、苦労とは言えない。もっと悲惨な目に遭われた人たちが沢山いた。

 日が経つにつれ、戦争の不条理や戦禍の悲惨さを知ることとなった。

 戦地での戦い、沖縄の悲劇、広島や長崎の原子爆弾、大都市に対する無差別空爆に比べれば、小さな町の小さな被害だったかもしれない。

 だが私にとっては、やはりまごうかたなき「私の戦争」であった。

 その日から一ヶ月弱で、終戦を迎えることとなった。

 長い苛酷な戦争を経ての今の平和だ。絶対に守り抜かなければならない。

 しかし、誇りを捨て、他国にすがりついているだけで、真の平和は得られないと思う。

 興奮のあまり、くどくどと長く書きすぎてしまいました。

 お読み頂きありがとうございました。書き足りなかった部分は後日とします。

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朝焼けや

2008年07月18日 06時28分04秒 | 写真俳句・エッセー

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朝焼けや追はれし恋の旅の果て

 追われながら旅を重ね、もう幾日経ったろうか。

 道ならぬ恋とは言え、いかにも侘びしい。

 長かった梅雨も、どうやら明けかかっているようだ。

 旅荘の窓から、朝焼けの空が見えた。

 湖面も薄赤く映えているが、なぜか不吉な胸騒ぎを感じてしまう。

 また雨が降ってくるのだろうか。 

    朝焼けや追はれし恋の旅の果て   鵯 一平

 いかにも通俗的。今の私に、そんなことはありえない。

 とは言え、旅先で迎える夏の朝焼けには、希望に燃える清々しさは感じない。

 昨夜の寝苦しさが尾を引いていて、逃避行であれば、別離をすら予感させる。

    朝焼けや惑いの糸のまだ解けず   鵯 一平

 こちらのほうが私らしい。

 私はこの歳になっても、睡眠が下手だ。

 鬱々としたまま朝を迎えることもある。

 まして思案投げ首の問題でもあればなおさらだ。

 寝苦しかった夜が明けても、悩みの糸はほぐれるものではない。

 むしろ縺れ込んでしまうことだってある。

 この二句、あなたはどちらの句に一票をくださいますか。

 両方ともダメ?そのようにおっしゃらずに、どちらかを選んでくださいな。

 朝焼けは夏とはかぎらない。しかし、夏の朝焼けは特に荘厳な印象だ。

 朝焼けを夏の季語としている所以。

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理髪店にて

2008年07月17日 07時56分49秒 | 身辺雑記

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 写真はアガパンサス。日本名では紫君子蘭。

 記事とは関係がない。

 昨夕の6時ごろ、近所の理髪店へいった。

 私の調髪は、若い店長夫人が担当してくれている。中学2年生以下3人のママさんだ。

「マスターが運転を止めてくれたんですよ」

 店長夫人が、小声ながらも満面に笑みをたたえながら、耳元で囁いた。

 マスターとは店長夫人にとってはお舅さん、つまり店長の父親だ。

「えっ、あっさりと?」

「いいえ、なんのかんのと言ったんですが、義母の押しが強かったので、やっと諦めてくれたンです」

 店長夫人の義父母はともに77歳。店は息子夫婦にまかせて、いわば楽隠居の身。だが、自動車運転だけは止めようとせず、若夫婦の心配の種だったようだ。はっきりとは言わないのだが、運転技術に問題が出始めていたようだった。

「ただ、そのせいかどうか知らないのですが、このごろめっきり老け込ンじゃって……。主人も、運転をしなくなったせいかなあ、と言ってるンですよ」

 この若夫人、こんどは舅の老け込むことが心配の種だ。

 先日は仕事場で、現職役員のMK君が、

「親父がやっと原付の免許証を返上してくれたンですよ」、と言っていた。

「今になって、それで良かったのかなあと、思いますけどねえ」

 張り合いを取り上げてしまったのではないかと、彼の胸中は複雑のようだ。

 正直のところ、私もそろそろ「返上」を考える時期にさしかかってくる。

 来年9月が免許証更新の時期だ。「紅葉マーク」を貼付する年齢もすぐそこにきている。

 私自身としては、まだまだ運転していたいし、安全運転には自信もある。

 まだまだゴルフも写真撮影にも行きたい。まだ老け込んでもいられない。

 間が良ければ、ひょっとしたら……?などと、不謹慎な心の遊びも楽しんでいる。

 高齢者にとって、自動車の運転は活力保持の象徴みたいなもの。

 調髪してもらいながら、さまざまなことに思いを巡らせた。

「グーグー」という音で、はっと目が覚めた。自分の鼾で驚いたのだ。髭を当たってもらいながら、眠ってしまったようだ。恰好の悪いことこの上ない。

「お疲れのご様子ですね」 

 店長夫人は神妙な顔で言った。

「寝不足気味かもねえ」 私はがっくりしながら答えた。

 美人若夫人の前で、いかにも年寄りらしい醜態を晒してしまった。

 理髪店で鼾をかくようでは、「ひょっとしたら……?」などもはや埒外の話。

 もう少し生きたいなら、活力が必須。老け込んではいられない。

 ゴルフも写真も必要だ。となれば、当然自動車も必需品だ。

 そうそう、ブログも活力の素かもしれない。

 これから仕事場へ。

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