なぜ人を殺してはいけないのですか?
数年前、一人の中学生が質問をした。
大人社会が絶句し、答えらしい答えは出なかった。
一昨日の早朝、中学3年生の15歳少女が、文化包丁で父親を刺殺した。
未成年の親殺しというショッキングな出来事に、さすがの識者たちもコメントしにくそう。
取り調べは、当局の手によって、慎重に行われているのだろうが、どのような結果が出るのか、世間の耳目を集めている。
少女の心の裏側に、何が潜んでいたのだろうか。
なぜ人を殺してはいけないのか?
たび重なる加害事件や自殺に対し、なぜいけないことなのか、端的な回答はなされていないように思えてならない。
ただひたすら、「いのちを大切にしましょう」という言葉を、空疎に重ねているだけだ。
その言葉を否定することはできない。そのつもりもない。
しかし、「なぜ殺してはいけないのか」の答えにはなっていない。
蠅や蚊は殺していいが、鳩や白鳥を殺してはいけない。
牛の肉を食べてもいいが、鯨を獲ってはいけない。
こんな歳まで生きてきた私なのに、端的な言葉で説明できないこのもどかしさ。
信仰心が薄いからなのだろうか。
「決して人は殺しません」と、人は神や仏の前でそんな誓いをした。
だから殺してはいけないのか。
ほかの大人たちは、十分に納得しているのだろうか。
私は自分のいのちがいとおしい。妻や子や孫がいとおしい。
根源は、人間の生命に対するいとおしさなのではないだろうか。
「なぜいとおしく思わなくてはいけないのですか?」 その答えを、私は持っていない。
ひどく幼稚なことを言っている自分が情けない。
今生のいのちいとほし滴れる 鵯 一平
「滴り(したたり)」は夏の季語。
崖や岩の裂け目から滴り落ちている水滴のことで、涼感を誘うことから夏の季語としている。時を刻むように、ぽたりぽたりと落ちている滴りもある。
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