新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

草茂る

2008年07月03日 06時40分58秒 | 写真俳句・エッセー

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戦争の記憶きれぎれ草茂る

 私にとって、戦争の記憶は夏だ。それも、7~8月に凝縮されている。

 私の生まれ育った地域は、茨城県の北部。

 日立市には日立製作所の工場群があった。

 さらにそれから北へ向かったところが、私の生まれ在所だ。

 わが家は、どちらかと言えば海岸地帯。山のほうへ行けば、石炭の鉱山が連なっていた。

 太平洋戦争が始まったのは、昭和16年(1941年)12月8日。

 当時、私は国民学校(今の小学校)1年生だった。頭がよくなかったせいで、当時の記憶は薄い。何かが始まったらしいと記憶している程度だ。

 戦争の記憶が生々しいのは、昭和20年(1945年)の夏からだ。

 鮮やかな記憶は、7月17日の夜から始まった。国民学校5年生の夏休み期間中のことだ。

 その夜は、雨が激しく降っていた。梅雨の末期だったのだろうか。

 いきなりの空襲警報だったので、慌てて防空壕に飛び込んだ。

 やがて、ピカッと閃光。そして腹に響くほどの炸裂音。近くの学校の窓ガラスが、ビリビリビリと鳴った。

 激しい雨の中、閃光を明かりと頼って、山のトンネルへ走った。艦砲射撃を恐れたからだ。

 次の朝になって知ったのだが、やはり艦砲射撃だった。海岸線にまで近寄ってきたアメリカ艦隊が、日立市に向かって砲弾を撃ったのだった。

 その日から、山のトンネル暮らしが、私たちの日課となった。

 しかし、翌々日の夜、町はB29爆撃機による焼夷弾爆撃を受けた。

 町の多くが焼失した。

 幸いわが家は焼けなかった。焼け出された知人2世帯との同居生活が始まった。

 敗戦という形で戦争の終結をみたのは、8月15日の正午だった。

 私の夏には、戦争のことをはじめ、両親のこと、兄弟妹のこと、学校のこと、生活が苦しかったことなどがぎっしりと詰まっている。

 しかし、あれから63年。かなり昔のことだ。

 記憶も薄れてきたなあ。

       戦争の記憶きれぎれ草茂る   鵯 一平

 艦砲射撃や焼夷弾爆撃については、いずれ書かなければならない。

 夏になると、毎年のように思っている。

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コメント (20)
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