新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

政治風土の貧困

2007年10月21日 17時40分37秒 | 政治・経済

 「テロ特措法」は難しそうだと考え、政府・与党は「新法」で対応しようとした。

 闇雲に「海上給油」を継続させようとの魂胆なのだ。

 そんか肝腎な時。守屋前防衛事務次官のゴルフ疑惑が浮上してきた。

 小池百合子前大臣との間で、自らの人事にからみ、スッタモンダをして、その結果として退官したばかりだ。

 事実のほどは今後の調査に委ねられるのだろうが、夫人同道の接待ゴルフでは、言い訳も立つまい。まして、偽名を使ったとなれば、もはや確信犯だ。

 そのような不祥事を抱えながら、自らの人事に不承知を述べ、大臣と対立したのだから、守屋氏の厚面皮にもあきれたものだ。

 事実がどこまでなのかは知らない。しかし、官僚のトップにとっては、問題を提起されただけで、落第だ。国益を大いに損ねた。

 日本の政治風土は貧困だ。薄っぺらだ。

 優秀な政治家ばかりではないので、官僚依存になっている。つまり、官僚は自分たちのやりたいことを、政治家を使ってやっている。小泉さんがやった「郵政民営化」は例外中の例外だ。
 あれは、アメリカのやりたかったことを、小泉さんがやらされた悪い例だ。

 外交も産業政策も、防衛すらも、官僚のシナリオに従って、政治家が動かされている。

 この悪弊をブチ破るのが選挙なのだが、残念ながら、言い政治家は少ない。

 選挙民が悪いのだろう。「オラガ先生には、道路のカネを持ってきてもらいたい」という類が多すぎる。

 わが政治生命を賭け、国政を糺す意気のある人は、選挙に出られない。

 オラガ先生を選ぶ選挙民が、意識を変えないと、日本は衰退する。

 今は「民主主義」ではなく、「政官主主義」です。
                                                                                                                                                       

Simg_06231    写真は、一昨年に裏磐梯で撮影したもの。

   10月9日に投稿した写真と近傍。

   古い写真を持ち出すようでは、我ながら情けない。

   新しい天地を求めて、撮影旅行をしたいものだ。

   まだまだテーマは幾つも残っている。

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里の秋

2007年10月20日 08時15分00秒 | 身辺雑記

Simg_0661_2 Simg_0012

 今年は暑い夏であった。東北地方ですら、40度を越した日があったという。

 やっと暑さが峠を越すころ、大きな台風がやってきた。台風の経験が少ない関東地方も直撃され、大きな被害を受けた。
 取り入れ直前で水浸しとなった稲や、強風で実が落ちてしまった林檎が、テレビ・新聞で報道された。

 あれだけ暑かった夏は、つい幾日か前だったように思えるのに、里も山も、もう冬支度。

 
 ねじれ現象の衆参両院で、予算委員会の一般質問が終わった。福田内閣は、徹底した低姿勢で過ごしている。

 あれほど攻撃を受けていた「政治とカネ」問題も、ひっそりとなりを潜めた。あの騒ぎはどこへ行ってしまったのか。マスコミも野党も、いっさい触れてこない。むしろ、小沢一郎の固定資産問題が、チロッと顔を出したりする。

「政治とカネ」問題が、キレイになったとは思えない。つまり騒がなくなっただけのこと。
 だとすると、「政治とカネ」は政争の具に過ぎなかったのか。マスコミの話題作りに載せられて、内閣支持率をガンガン落として行った国民の意識もいい加減。

「政治とカネ」はどうでもいいと言っていない。一過性に済ませられないと思っている。
 それだけに、煽るだけ煽ったマスコミの責任や、一時の感情で支持率に変化をもたらした国民のインテリジェンスに疑問が残る。

 国民に喧嘩を売ってはいけないが、低姿勢のままでもいけない。
 必要な政策は、カッチリと進めてもらいたい。 
 

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多少の不満

2007年10月19日 08時00分00秒 | 身辺雑記

Simg_1045_1

 秋の季語で、秋薔薇というのがある。

 四季咲きの薔薇は、5月中旬と10月上旬に開花させる。秋の薔薇は春の薔薇に比べて、やや小振りで色も悪い。

 秋薔薇という季語には、小ぶりで色が悪いという含みがあるのだという。

  秋薔薇や彩を尽くして艶ならず   松根東洋城 (渋柿)

  夏の開花期に間に合わなかったからと言って、「どんなに努力しても、妖艶にはほど遠いものなのだなあ」と、半ば気の毒がって詠っている。

 秋薔薇は確かに小振りだが、季節を曲げてまでして、懸命に咲いたのだ。誉めこそすれ、哀れみをかけた詠い方には、私は不当な差別を感じる。賛成が出来かねるのだ。

 秋薔薇と言えども、懸命に咲いてくれて、綺麗ですよ。

 蜂の営みを、身体全体で支えているなんて、本当に健気。

 「秋薔薇」という季語に、私はしっくり行かない。

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時代に問われている!

2007年10月18日 19時09分34秒 | 社会・世相

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 秋が深まってきた。

 今朝、ずーっと遠ざかっていた鵯の姿を見かけた。やはり、鳴き声はけたたましい。

 午後に撮った芒。今が見頃かも知れたい。

 厭なニュースが続いている。

 リンチ殺人事件、幼児刺殺事件、祖父母殺人事件などなど。

 ワーカホリック、セクハラ……。

 各種社会保障制度の行き詰まり。

 国中が神経症に罹っているようだ。

 過度の市場原理主義によって、共同体が崩壊しはじめたのだ。

 「市場のことは市場にまかせる」とは、原理的には理解できるのだが、狩猟民族には良策であっても、わが農耕民族には相応しくなかったのかもしれない。

 高度成長路線を突っ走ってきた我々の世代に、責任の一端があったのだろうか。

 豊かではなくても、向こう三軒両隣が助け合っていた、戦争下のあの時代が懐かしい。

 崩れかかっている共同体を、何によって再構築するか、時代が我々に問うている。

 

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巡る六分は気の弱り

2007年10月17日 14時47分18秒 | 身辺雑記

Simg_0727

 4年前の紅葉。群馬県内で撮影。
 後輩の女性たちと紅葉狩。彼女たち推奨の場所だったが、見事な紅葉であった。(クリックして頂くと、写真は大きくなります。

 

  風邪で寝込んだりすると、親兄弟や古い友人たちを思い起こしたりする。

 「昔はよかったなあ」、といった感情ではない。懐かしむのとも違う。

 とにかく、フーッと思うのだ。

 ふるさとへ廻る六分は気の弱り

 (全国の66カ所の霊場を巡って修行している修行僧でさえ、ふっと気弱になれば、おのずと足はふるさとへ向いてしまう) 六分とはその修行僧のこと。
 古川柳であろうか、詠み人も時代も私は不勉強。無責任な引用で恐縮です。「気の弱り」に惹かれた次第。


 修行僧の六分さんですら、気弱になれば、つい故郷に足が向いてしまうものだ。
 まして我々凡人であればなおのこと。

 そんな心を詠んだものであろうか。

「そう言えば、アイツともずいぶん長い間、会っていないなあ」。

 そんなことを思ってばかりいるようでは、「気の弱り」と言われそうだ。 

 今日になって、3年前の紅葉を思い起こしたのは、決して「気の弱り」からではない。
 紅葉が待ち遠しいからのこと。
 
 ニュースでは、今年の紅葉は例年より遅いと報じていた。

 寒くなると一気に色づくので、体調を万全に整えて、紅葉前線を待ち受けることにしよう。

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