安倍内閣の時であった。
小池前防衛大臣と守屋前防衛事務次官との間で、人事がらみのもめ事があった。
何が発端で、どのような経緯をたどり、なぜ永田町や霞ヶ関を騒がせる結果となったのか、詳しい内容を知りたいとは思わない。
しかし、総勢20万人をこえる自衛官の頂点に立つべき2人が、単に事務次官人事をめぐり騒動を起こしている防衛力の状況には、失望と不信を抱かざるをえない。
月刊誌「現代」の11月号で、守屋前次官は、「役所にとって、人事がきわめて重要であることは言うまでもありません」と述べている。
その理由として、防衛省・自衛隊の志気が、この人事によって大いに左右されるからという理由を言い立てていた。
確かに人事は重要だ。重要なだけにタイミングを計る必要がある。必要性を感じたら、間髪を入れず実行することもある。しかし一方では、木から実が熟して落ちるタイミングを見極めることも高度な戦略だ。
100パーセントの合意を得るなど、所詮は無理なのだから。デメリットを極小化するタイミングを計ることで緩和するしかないのだ。
官庁においても会社にあっても、昇進制度がある。防衛省においても昇任試験があると聞いている。その運用に不公正があったのでは、まさに志気に影響がでるだろうが、トップ自身の人事なのだ。密かに対応して、天下に醜態をさらけ出さなくてよかったではないか。
国防上のトップにある大臣と事務次官が、単に官僚トップの人事で大騒ぎをしていて、果たしてそれでいいのか。もめ事が表面化することのほうが、志気の低下に繋がるのではなかろうか。
中途で政権を投げ出した総理もいたが、人事で大騒ぎをしている大臣や次官に対し、無性にハラが立った。このような政治家や官僚に、国の防衛を委ねていて大丈夫なのだろうか。
どのような高官の人事でも、人事はやはり人事だ。いかなる理由を並べようとも、一旦緩急ある国防問題に勝るものではない。
コップの中の嵐にもなっていない。さざ波だ。
大臣も大臣だが、官僚も官僚だ。いかなる不当な人事があったとしても、志気に影響を及ばさない対応をするのが、事務次官の務めではないのか。
やはり「戦後レジーム」の大いなる一つである官僚体制から、早急に「脱却」しなければ、日本の将来は危ない。
自らの人事を捉え、「27万人の志気にかかわる」と言い放つている高級官僚に対し、呆れ果てて、怒りをすら忘れそうだ。
組織に人事はつきものだ。上手な手だてだって知っているはずなのだ。過去の因縁をすて、自分の立場を二に次ぎとし、大きな組織を生かすのが官僚だったのではなかったのか。
過日わが家の「猫の額」で見た蛾である。名前はホタルガ。