「このごろの先輩は、弱気過ぎていませんか。つらい時でも虚勢を張って、元気に頑張ってきたではありませんか。泣き言を言っていたら、本当に病気になってしまいますよ」。
後輩から言われた言葉だ。私を案じての忠告なのだろう。
「そうかなあ、自分に素直になっているだけなんだがなあ」、と私は思っている。
「生老病死」という「苦」が、もともと人間に決められた運命だと、仏教では説いているようだ。私もその考えに違和感はない。
だから、「病気には完治がなく、柔らかく治めるだけなのだ」と、説いている人もいる。「生老病死」をどのように解釈するのか、本当のところ、分かってはいない。
しかし、生まれて老いて、やがて死を迎えることは、自明の理。どのように足掻いてみても、死から逃れることはできない。
「生」から「死」に到る過程で、「老」を重ねながら、時には「病」を得ることもあろう。
例外として、「生老死」の人もいるかもしれないが、「病」を意識する暇がなかっただけなのではなかろうか。例の「PPK」(ピンピンコロリ)にしても、「病」を通過していてのことだ。
私は今、「虚勢」など張らずに、「病」と「死」を柔らかく受け入れようとしている。
後輩から見れば、「弱気になっている」と映っているのだろう。後輩の忠告はありがたく頂くことにしたい。先輩の「泣き言」は聞きたくないのかもしれない。聞き苦しいと感じているとも言える。
しかし私は、「老」を得た今、泣き言を賢く言いながら、得てしまった「病」は柔らかく治め、生活して行こうと思っている。