新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

好きな言葉

2007年11月01日 06時15分40秒 | 日記・エッセイ・コラム

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 水面の秋色 2002年 裏磐梯れんげ沼

 5年前、裏磐梯のれんげ沼で、岸辺が紅葉している光景に出会った。その紅葉が水面に紅い色を落としていたので、気に入って撮った1枚である。

 70余年も生きてくると、さまざまな事柄にぶち当たるものだ。

 そのたび毎に、なけなしの知恵や勇気で乗り切ったり、周りの人たちに助けられたりして、なんとかここまで生きてきた。威張れるような事跡を残してはいないが、生きてきたことだけは確かだ。

 30年ほども前であろうか、「あーあ、もうダメかなあ」、と思ったことがあった。

 妻と幼い子供2人、路頭に迷わせることも覚悟せざるをえない事態だった。結果として、そうではなかったのだが、私は悪いほうに思い込んでいたのだ。

 その時、偶然にもこの言葉に出会った。他人から見れば、他愛ない言葉かもしれないが、私にとっては、腰からしたあたりにヅシンと衝撃があった。

 それは、「得意澹然、失意泰然という言葉であった。

 この言葉は、中国・明の時代、崔後渠がつくった格言「六然」の中にある。

 ちなみに「六然」は、「処自超然、処人藹然、有事斬然、無事澄然、得意澹然、失意泰然」と続いている。

 「得意の時、喜び過ぎずに淡々と受け止め、失意の時は、泰然自若としていよう」、という意味のようだ。

 しかし私は、「失意の時に泰然自若として過ごすためには、得意の時、有頂天になって喜んではいけないのだ。得意の時こそ、失意の人がいることに思いをいたし、自重すべきではないか」と、勝手に読んでいる。

 いずれにしても、私はこの言葉によって救われた。今でも大切にしている。

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コメント (6)
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