市営球場の駐車場傍らで、山芋の蔦が黄葉していた。伝い上る細い木もなく、植え込みの中で這っていた。
なんの変哲もない平凡な被写体だったが、黄葉に魅せられてシャッターを切った。
腰ふらつきの手持ち撮影。見事にピンがボケた。
長男でありながら、私は若いうちに家を出た。
親や家族との諍いがあったわけではない。勤めの都合でやむをえなかった。
したがって、次弟が家を継ぐ羽目になった。
気むずかしい両親を看取り、現在も実家を守ってくれている。
弟と義妹(弟の妻)は、ともに小中学校の教員をしていたが、数年前に退職した。
教員をしていた経歴のせいか、二人とも地域の中にすっぽり入りきっていて、弟は福祉関係の手伝いもしているようだ。
義妹はいつころからか俳句の道に入り、すでに句集を上梓している。
親が他界した前後、私たち兄弟の間にも、さざ波を感じたこともあった。
しかし、ともに戦後の苦しい環境を乗り越えてきた仲良し兄弟だったので、仲違いをすることもなく、一層気遣い合う関係が作れている。
弟夫婦は元教員だったせいか、植物や昆虫類に関する知識も豊富だ。またそのような友人も多いらしい。
私にとっては頼りになるシンクタンクだ。
ほかに妹と弟がいる。
それぞれ年齢相応の体調のようだが、春秋の彼岸やお盆には実家に集まり、昔話に花を咲かせている。気むずかしく疎ましく思っていた親も、今になれば酒の肴には恰好だ。
私にとって、掛け替えのない弟や妹たちだ。幾つになっても、弟や妹は可愛いものだ。
しかし、彼らが私をどのように感じているか、私は知らない。