安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

そして除染は利権となり、福島県民は滅亡を選んだ

2011-11-21 23:32:57 | 原発問題/一般
11月7日付の記事「除染は福島を救わない」で当ブログはこのように記した。

『除染が利権かどうかを見極める手っ取り早い方法を当ブログ読者だけにお教えしよう。簡単なことだ。除染事業を「誰が受注するか」を見ればいい。もし受注するのが東京電力の関連会社なら、それは完全な「原子力利権」と思っていい。受注するのが大手ゼネコンなら、それも利権だが、この場合は、利権の分捕り合戦において原子力村が一定の譲歩を強いられたことを意味する。除染が利権でないと断定できるのは、受注者がこのどちらでもない場合に事実上限られる』

さあ、相手側がどう出てくるか、お手並み拝見と思っていたが、「政府、警戒区域除染へ調査開始 福島・大熊町 モデル事業、効果的手法を見極め」との見出しが付いた11月18日付の日本経済新聞はこのように伝えている――『18日は作業の委託を受けた日本原子力研究開発機構と大林組などの作業員約30人が参加した』

当ブログの予想通り、除染事業は大手ゼネコン・大林組が受注し、利権となった。「除染を利権にしてはいけない」と訴えていた東大アイソトープ研究所長の児玉龍彦さんは、今後どのような態度を取るだろうか。

福島県議選を含む、県内の自治体選挙が終わった。4月の統一地方選として実施される予定だったが半年延期されていたものだ。原発立地町である大熊町・双葉町では東電社員の現職が当選した。県議選でも、自民・民主の2大政党では現職から順に当選している。「県議選で新人が台頭、世代交代」(福島民友)という報道は一見もっともらしいが、新人の当選者数が前回の10人から18人に増えたことのみをもってそう報じているに過ぎない。実際には当の福島民友が掲載している結果の通り、現職の引退で減った枠に新人が潜り込めたに過ぎないというのが真相だろう。私の見るところ、結果は惨憺たるもので絶望という言葉しか思い浮かばない。

長年、立地交付金で補助金(=麻薬)漬けにして原発を推進し、安全神話を垂れ流していた民主・自民の現職に投票した連中はどういう頭の構造をしているのかと思ったら、『原発周辺の住民複雑 従来型の「パイプ重視」』(産経)という報道の中にそのヒントが示されている。

「国・県とのパイプ」なんて言葉、私の故郷の九州でももうとっくに死語となった。公共事業予算が腐るほどあった田中角栄の時代ならばともかく、今どき何を考えているのかと思うし、第一、何も決断しない、カネもない、あるのは汚染水を飲み干すような馬鹿げたパフォーマンスだけという中央政府から彼らは一体何を引き出そうと思っているのだろうか。その上、この期に及んで東電社員の現職をすんなり当選させるなんて、投票した人たちには悪いがだんだん頭痛や悪寒がしてきた。ひょっとして彼らは冗談ではなく本当にまだソ連が健在で、今もブレジネフ書記長が「西側資本主義せん滅」を狙って日本に核ミサイルを向けている、とでも思っているのではないか。

今回の選挙は、ある意味、私が最も恐れていたとおりの結果となった。それと同時に、いち早く福島から避難したのがどのような人で、今も福島に残っているのがどのような人かも浮き彫りにした。端的に言えば、自覚的で多少なりとも事態を客観視できる人たちはもうとっくに福島に見切りをつけ、いま福島に残っている人たちは「命優先か経済活動優先か」を天秤にかける水準にすら達していない、「おらが街にいつ道路さ造ってくれるんだべ」というような未開人だということだろう。

今回の選挙結果を見て、福島は終わったと確信した。20年後、この県がもはや日本地図の上に残り続けることはできないだろう。今さらながら思うのは、「どのような国民も自分の頭を越える政府を持つことはできない」という事実だ。放射能汚染食品を、食べたくないと言っている子どもの口にまで無理矢理押し込む佐藤雄平・福島県知事を、当ブログはこれまで徹底的に叩き、批判してきたが、今度の選挙を見て、それは県民の民度の反映なのだということに改めて気付かされた。当ブログは福島県を沈みかけのタイタニック号のようなものだと思っていた。今度の県議選次第では、沈没から脱することができるかもしれないと一縷の希望をかけていたが、それは絶望に変わった。このタイタニック号が沈没を免れることは、もはやできない。

このブログを読んでいる福島県在住の若者・女性に呼びかける。行政に避難命令を出してもらえるというような淡い幻想を持っているなら捨てるべきだ。人間として健康で長生きしたいと思うなら、救命胴衣が残っているうちにこのタイタニックから早く脱出しなければならない。もはやこの県は守る価値すらない。生まれ育った土地への愛着を持ち、去り難いかもしれないが、そうしたセンチメンタリズムに別れを告げるべき時だ。

当ブログ管理人も、これまで福島に残りながら、なんとか子どもたちや女性にとって最善の道がないか模索してきた。しかし、私はもうこの県になんの期待も幻想も抱かない。全身にたっぷり放射能を浴びてでも、生まれ育ったこの町でなければ死ねないという高齢者たちは勝手にすればいい。ただ、若い人、子どもや女性だけでも避難させてやってくれ。それと、汚染がれきや汚染食品の出荷によって他の地域に迷惑はかけるな。それさえ約束してもらえるなら、もう私は何も言わない。

この選挙結果に私の心は折れかけている。私もできるだけ早い段階で福島から避難できるよう今後、全力を尽くすことにする。

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