安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
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六ヶ所村ピースサイクル行動におけるメッセージ

2019-08-19 23:25:45 | 原発問題/一般
青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設に反対する行動として、1986年から始まった六カ所ピースサイクル行動。全国各地を自転車で回りながら核燃サイクル反対を訴える行動も今年で34年目に入った。

当ブログ管理人に、行動主催者からメッセージの依頼が来るようになったのは、福島原発事故が起きて以降だ。福島県で被災したという事情もあり、以降、毎年、六ヶ所ピースメッセージとして思いを伝えてきた。今年、当ブログ管理人が寄せたメッセージをご紹介する。

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六ヶ所ピースメッセージ

六ヶ所村村長 戸田 衛 様
青森県知事 三村 申吾 様
日本原燃株式会社 社長 増田 尚宏 様

 福島第1原発事故から約8年半が経過しました。経産省出身の首相補佐官らに支配された安倍政権は、今なお原発推進路線を続けており、これまでに9基を再稼働させました。しかし、使用済み核燃料の処理の見通しは依然として立っていません。各原発敷地内の使用済み核燃料プールが間もなくいっぱいになり、これ以上の貯蔵が不可能になることから、国は、ここに来て乾式キャスクによる使用済み燃料保管に切り替えようとしています。しかし、使用済み核燃料の最終処理については、その場所も方法も確立していないことに変わりなく、乾式キャスク方式に切り替えたとしても処理が行き詰まっていることに変わりありません。それにもかかわらず、9基もの原発が再稼働したため、今後も使用済み核燃料は増え続けるのです。

 六ヶ所村にある日本原燃の再処理施設も、1993年に着工以来、稼働の予定はすでに24回も延期されています。核燃料サイクルの要だった高速増殖炉「もんじゅ」も廃止になり、後継とされる新型炉「ASTRID」もフランス政府の撤退で頓挫しています。どの面から見ても、核のゴミ政策が成功する見通しはありません。

 政府・原子力関係者は、放射性廃棄物の処理については「時代が進めばいずれ誰かが方法を見つけてくれるだろう」という、あいまいで無責任な態度で推進し続けてきました。福島第1原発事故は、この無責任の結末を示すものであり、多くの人々が故郷を追われいまだに元の生活を取り戻すことも再建することもできない中で、このままさらに無責任な原子力政策を続けることは許されません。

 私は、福島第1原発事故当時、福島県西郷村で事故を体験したもののひとりとして、関係者が直ちにこの無責任に終止符を打ち、原子力推進から撤退へと勇気ある決断を下されるよう強く求めます。

 <なお、日本原燃・増田社長宛のメッセージのみ、最後の一文(「私は・・強く求めます。」の部分)を以下の通り一部変えています。>

 増田社長は、福島第1原発事故当時、福島第2原発所長として収束作業に当たられてきました。福島第1原発と同様の事態を防いでいただいたことには、元県民のひとりとして感謝していますが、同時に現場の第一線で原子力政策の無責任さも痛感されたことと思います。私は、福島第1原発事故当時、福島県西郷村で事故を体験したもののひとりとして、増田社長がご自身の貴重な経験を、未来のない再処理技術のためではなく、原子力からの撤退のために活かしていただけるよう望みます。

2019年8月18日

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