安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
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沖縄最終日、普天間基地を見る

2010-06-07 23:28:00 | その他社会・時事
3日間の沖縄滞在も今日が最終日。今日は、最近政治問題化している普天間基地をぜひ見ておきたいと現地案内人にお願いし、案内してもらう。「県内移設」反対運動の盛り上がりは報道で知ってはいるが、どんなところか確認しておかなければ話にならない。

サムネイルでご覧いただいている写真。その写真奥にある巨大な飛行場が普天間基地だ。滑走路は2500mはあるだろうか。半端な地方空港よりよほど大きい。これだけの規模を持つ施設が米軍の戦争のためだけに使われているのだ。無駄と害悪のスケールが大きすぎ、めまいがする。

「米軍基地がなくなると、基地従業員らが失業する」などとして、基地反対運動から離脱した労働組合もあるらしいが、案内人によると、基地従業員は8000人、基地の経済効果は沖縄経済の5%に過ぎないという(ただし補助金を除く)。8千人程度の雇用なら、基地を全面閉鎖しても新たな産業を作って吸収できるだろう。なにしろ、これだけ広大な土地が戻ってくれば、やりたくてもできなかったことがなんでもやれるようになる。リゾート、観光などの開発をやりたい業者はいくらでもいるだろう。

沖縄出身の山内徳信参議院議員(社民党)が読谷村長時代、地元の基地を閉鎖して新たな産業を創出したら、2万人近い雇用が生まれたという話を聞いたことがある。読谷村だけでこの調子なのだから、沖縄全体の基地を閉鎖し返還させたら、いったいどれだけの雇用が新たに生まれるだろうか。

案内人によれば、米軍基地に土地を提供している地主の中には、国から最大で年間数十億もの地代収入を得ている人もいるそうだ。少ない人でも、年間300万程度の地代収入があるらしい。ワーキングプアと言われる人の年収より多い額である。非正規雇用で働いても働いても200万円の収入しか得られない若者がこんな話を聞いたら暴動が起きかねない。

こうして、働きもしない地主が不労所得を得て堕落する一方、多くの土地を持たない県民はあくせく働いても全国最低の賃金と全国最悪の失業率にあえいでいる。そして“The more you have,the more you want.”(人間は持てば持つほど、ますます強欲になる)という英語の諺のとおり、一度不労所得の味を覚えた地主たちは、決して基地返還になど応じようとしないのだ。

基地による補助金で沖縄経済は潤っているなどと主張している人がいたら、絶対に違うと私は言いたい。実際には、潤っているのは一部土建業者と「堕落した地主」だけだ。こうした構造を打破するためにも、基地経済を解体する必要がある。それは、自民党政権を打倒した新政権の最も緊急かつ主要な仕事でなければならないはずだ。

午後からは、バスを乗り継いで県南部に移動。県立平和祈念資料館を見た。ここは、資料館よりも、沖縄戦の全戦没者の名を記した平和の礎(いしじ)のほうが有名だろう。いつまでもいつまでも続く石碑は、そのまま地上戦の悲惨さを示している。

足下に転がる焼けこげた死体の上をさまよい、壕から壕へと逃げまどう。目の前でのたうち回りながら兵士がバタバタと死んでいく。ようやく逃げ込んだ壕の中で、住民たちは投降することも許されず、日本軍から与えられた手榴弾で我が子に手をかけ、自分も死んでいく…。沖縄住民が、そんな生き地獄の地上戦を経験し、生き延びてきた重い事実に衝撃を受けた。沖縄住民が、基地の押しつけや歴史教科書の改ざんと命をかけて闘う理由が多少なりとも理解できたように思った。「地上戦」と言葉でいうのは簡単だが、「辺野古」現行案に回帰して恥じない政治屋たちは、この惨劇をどう感じ、考えるのか。少しでも人間としての感覚があるなら、この惨劇を生きてきた人々の上に新たな基地を作るなど、そもそも人間としてあり得ないはずだ。

こうして、私の初の沖縄訪問は終わった。海で泳ぐという目標は果たせなかったが、それ以外のほとんどの目標は果たした。しかし、北海道と並んで超1級の観光地である沖縄を堪能するには、最低でも1週間は欲しいところだ。3日では全然物足りない。未乗車の鉄道はないけれど、ぜひまた来たいと思っている。

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