ウォルター・シャイデル『暴力と不平等の人類史:戦争・革命・崩壊・疫病』鬼澤忍, 塩原通緒訳, 東洋経済新報, 2019.
世界的に見て平等が進展するのは秩序が崩壊したときだけだ、と説く比較歴史学の書。余剰のあるところに富の偏在があるのは通常のことで、経済成長は格差を拡大する。対して、戦争・革命・崩壊・疫病の四現象だけが格差縮小に寄与するという。ただし、その四つうちどれかが起きれば必ず平等に向かうというわけでもなく、さまざまな条件も付随しなければならない。著者はスタンフォード大学の歴史家で、原書はThe great leveler : violence and the history of inequality from the Stone Age to the Twenty-First Century (Princeton Univ Press, 2017.) である。
平等化を促す「戦争」とは一般民衆を大量動員するような戦争のこと。このような戦争においては、累進的な税制度など富裕層から富を取り上げて再分配する政策が受け入れられやすくなる。同時に、戦時統制が富裕層の経済的利潤を抑制し、また攻撃によって資本は破壊される。こうして国内の格差が縮小に向かう。例としては、二十世紀の二つの世界大戦に関わった多くの国々と、古代ギリシアにおけるアテネが挙げられている。そうでない戦争については、敗者から勝者への富の移転によって格差は拡大しただろうと推測されている。
革命については、ロシアと中国の共産主義革命が例とされている。政府に煽られた貧困層は土地所有者を追い出して土地を占拠し、さらにたいして資産を持たない自作農までをも標的としてリンチし、あらゆる資産保有者を逃亡や自殺に追い込む。結果として、家畜を飼っていることすらブルジョワ的で危険だと見なされる程度までに、全員の資産が低下する。革命はこのように富を解消し、平等を達成する。一方でフランス革命の土地の再分配は不徹底で、格差縮小をもたらさなかったという。
国家崩壊については2000年前後のソマリアが挙がっている。収奪的な中央政府がなくなり、地方軍閥が群雄割拠している状態においては、富を少数に集中させるメカニズムが弱まって相対的な格差が縮まるとのことである。ただし、国家崩壊が起こっているのに外国や異民族など他の収奪的な支配者に取って変わられることがない、という事態はまれで、例はそれほど多くない。以上の三つは、富裕層の富が奪われたり、富を集中させる制度が無くなってしまうことによる平等化であった。
四つめの疫病は、これらと異なり、人口の大きな割合が亡くなってしまったため、資本に対する労働の希少性が高まる、という形で格差縮小に向かうというものだ。中世ヨーロッパのペスト禍が例として挙げられている。しかし、支配層は、労働力の価値上昇を抑え込むべく暴力的な方法を採ることがあり、しかもそれが成功することはある(東欧の農奴など)とのことである。
このように、歴史的にみられた大きな格差縮小現象というのは、生活水準の低下(レベリングダウン)による平等か、または大量死を伴った労働力の価値の上昇でしか起こることがない。こうした形以外に、平和的に格差縮小が起こることはないのだろうか。「ない、あったとしても小さな縮小に留まる」というのが答えだ。秩序を保ったまま平和的に再分配をしても、効果的に格差縮小することは難しく、またそのような政策は政権と結びついた支配層によって阻止されるので、実行されることはないとされる。現在の世界情勢を考えると、今後も格差は拡大し続けるだろう、と著者は予想する。
上のような議論を、上位層の富のシェアや推計されたジニ係数など、不平等度を示すデータを使って展開しているところが最近の歴史研究らしい。ただし、データのないケースもかなり多く存在し、そうしたケースでの著者の推論を荒っぽく感じることも多々ある。こうした不備なところは今後の検証待ちとしつつ、仮説を提示することをとりあえず心がけたということなのだろう。
その読後感は憂鬱なものとなること請け合い。「経済成長を求めつつその果実をできるだけ平等に分配することが望ましい」という穏健な理想は破壊される。戦争で丸山眞男をひっぱたきたいと望んだ赤木智弘は正しかった。暴力革命を唱えたマルクスも正しかった。だが、その平等はレベリングダウンか大量死によるものである(正確には、疫病以外の三つケースにおいては再分配が伴うわけで、貧困層にはメリットがある)。多く人はそれを望まないだろう、今のところは。
世界的に見て平等が進展するのは秩序が崩壊したときだけだ、と説く比較歴史学の書。余剰のあるところに富の偏在があるのは通常のことで、経済成長は格差を拡大する。対して、戦争・革命・崩壊・疫病の四現象だけが格差縮小に寄与するという。ただし、その四つうちどれかが起きれば必ず平等に向かうというわけでもなく、さまざまな条件も付随しなければならない。著者はスタンフォード大学の歴史家で、原書はThe great leveler : violence and the history of inequality from the Stone Age to the Twenty-First Century (Princeton Univ Press, 2017.) である。
平等化を促す「戦争」とは一般民衆を大量動員するような戦争のこと。このような戦争においては、累進的な税制度など富裕層から富を取り上げて再分配する政策が受け入れられやすくなる。同時に、戦時統制が富裕層の経済的利潤を抑制し、また攻撃によって資本は破壊される。こうして国内の格差が縮小に向かう。例としては、二十世紀の二つの世界大戦に関わった多くの国々と、古代ギリシアにおけるアテネが挙げられている。そうでない戦争については、敗者から勝者への富の移転によって格差は拡大しただろうと推測されている。
革命については、ロシアと中国の共産主義革命が例とされている。政府に煽られた貧困層は土地所有者を追い出して土地を占拠し、さらにたいして資産を持たない自作農までをも標的としてリンチし、あらゆる資産保有者を逃亡や自殺に追い込む。結果として、家畜を飼っていることすらブルジョワ的で危険だと見なされる程度までに、全員の資産が低下する。革命はこのように富を解消し、平等を達成する。一方でフランス革命の土地の再分配は不徹底で、格差縮小をもたらさなかったという。
国家崩壊については2000年前後のソマリアが挙がっている。収奪的な中央政府がなくなり、地方軍閥が群雄割拠している状態においては、富を少数に集中させるメカニズムが弱まって相対的な格差が縮まるとのことである。ただし、国家崩壊が起こっているのに外国や異民族など他の収奪的な支配者に取って変わられることがない、という事態はまれで、例はそれほど多くない。以上の三つは、富裕層の富が奪われたり、富を集中させる制度が無くなってしまうことによる平等化であった。
四つめの疫病は、これらと異なり、人口の大きな割合が亡くなってしまったため、資本に対する労働の希少性が高まる、という形で格差縮小に向かうというものだ。中世ヨーロッパのペスト禍が例として挙げられている。しかし、支配層は、労働力の価値上昇を抑え込むべく暴力的な方法を採ることがあり、しかもそれが成功することはある(東欧の農奴など)とのことである。
このように、歴史的にみられた大きな格差縮小現象というのは、生活水準の低下(レベリングダウン)による平等か、または大量死を伴った労働力の価値の上昇でしか起こることがない。こうした形以外に、平和的に格差縮小が起こることはないのだろうか。「ない、あったとしても小さな縮小に留まる」というのが答えだ。秩序を保ったまま平和的に再分配をしても、効果的に格差縮小することは難しく、またそのような政策は政権と結びついた支配層によって阻止されるので、実行されることはないとされる。現在の世界情勢を考えると、今後も格差は拡大し続けるだろう、と著者は予想する。
上のような議論を、上位層の富のシェアや推計されたジニ係数など、不平等度を示すデータを使って展開しているところが最近の歴史研究らしい。ただし、データのないケースもかなり多く存在し、そうしたケースでの著者の推論を荒っぽく感じることも多々ある。こうした不備なところは今後の検証待ちとしつつ、仮説を提示することをとりあえず心がけたということなのだろう。
その読後感は憂鬱なものとなること請け合い。「経済成長を求めつつその果実をできるだけ平等に分配することが望ましい」という穏健な理想は破壊される。戦争で丸山眞男をひっぱたきたいと望んだ赤木智弘は正しかった。暴力革命を唱えたマルクスも正しかった。だが、その平等はレベリングダウンか大量死によるものである(正確には、疫病以外の三つケースにおいては再分配が伴うわけで、貧困層にはメリットがある)。多く人はそれを望まないだろう、今のところは。