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民主政体の維持のために「より小さな悪」にも手を染めよというリベラル思想

2012-08-20 10:43:01 | 読書ノート
マイケル・イグナティエフ『許される悪はあるのか?:テロの時代の政治と倫理』添谷育志 , 金田耕一訳, 風行社, 2011.

  テロ対策に伴う一時的な人権停止を許容するという議論であり、同時に民主制にダメージを与えない程度の権利停止はどの程度にすべきかを考察する内容でもある。著者はカナダの哲学者で、国会議員になっただけでなく、自由党の党首も務めたこともある人物である(ただし、選挙に敗れて政治活動を引退し、今は大学の先生をやっているとのこと)。この本では、リベラルとしての目標を追求ながら、過剰な理想主義にも陥らないよう、綱わたりのような思考をやってのけている。

  著者の中心的な主張は、テロ被害を受けるという「より大きな悪」を抑えるという目的のために、テロ計画やテロリストを洗い出すための一時的な人権侵害的な捜査──身体を傷つけない拷問など──は許容されるべきだ、ということである。それは、民主制を守るための「より小さな悪」というわけである。ただ、民主国家側の政治家や官僚が人権侵害に慣れてしまい、腐敗しないよう、予防線を張っておく議論も詳細である。

  原著は2004年刊行で、9.11のテロが背景にある。19世紀のロシアに始まるテロ史と分類も参考になる。バスクからパレスチナまで、抑圧された側の集団の状況が改善されたり、または抑圧する側との関係改善を模索し始めるその矢先に、より強硬で原理主義的な一部の集団がテロを行うのは共通しているという。改善の動きを頓挫させて、抑圧された側の集団の分離主義を再び呼び起こすのが彼らの狙いだという。著者は、アルカイダのような、そもそも背景となる社会集団を持たないテロ組織──イスラム民衆の支持を受けていない──は、政治的・外交的に交渉の余地がなく、徹底的に潰すしかないという。したがって、アフガン攻撃は理解できるとのことである。

  上のようにまとめるとまるでネオコンのようだが、民主政体の健全性の維持を目指す態度や、「より小さな悪」がエスカレートしないよう細かく超えてはいけない境界を設定する姿勢はあくまでリベラルである。繊細な議論を展開しており、すっきりわかりやすいとは言えないが、こういう立場もあるということに驚かされる。
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