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力を誇示するための体刑から、罪人に規律を教え込むための監禁へ

2012-08-15 17:38:17 | 読書ノート
ダニエル・V.ボツマン『血塗られた慈悲、笞打つ帝国:江戸から明治へ、刑罰はいかに権力を変えたのか?』小林朋則訳, インターシフト, 2009.

  江戸時代から明治にかけての刑罰や囚人施設の変化を検討しながら、日本の「近代化」の様相を探るという歴史書。江戸時代の刑罰は幕府の権力を誇示するために行われており、死罪になった者の死体の一部を晒す一方、恩赦も頻繁に行って寛大な幕府というイメージも与えようとしたという。一方で、明治の監獄は現代に通じる矯正施設である。この変化を理解するべく、当時の刑罰や収監施設の実態、運用状況を検証し、かつ当時の政府関係者や知識人の議論を追うという内容である。

  本書によれば、江戸時代は体刑中心だったが、明治になると犯罪者を施設に収容して労働させるという形に変化した。背景には、「日本の刑罰は野蛮」として自国民の安全を理由に日本での治外法権を手にした西洋列強の圧力がある。この不平等条約を解消するために、明治政府は当時の水準で「洗練された」刑罰制度を整えて、近代国家であることを示そうとした。その試みは成功するのだが、劣悪な囚人労働や、植民地における体刑という別の野蛮さ──これは欧州諸国がそうしていたのを真似たもの──を生み出すことになった。以上の議論の展開は、あまり抵抗なく納得させられる。加えて、様々な細かい指摘や面白い。

  例えば、個人的には学校の日本史で習う「寛政の改革」や「天保の改革」やらのイメージが今一つつかめなかったのだが、この本ではその一部を理解できる。貧困や飢饉のため農村の生産力が落ち、浮浪者が都市に大量流入したために治安が不安定になった。幕府は対策として人足寄場という収容施設を作り、浮浪者を捕まえて街に出ないようにし、そこで労働させたという。ただし著者によれば、これは近代的な監獄とは異なった発想のもとで作られたもので、犯罪者を懲戒する目的のものではなく、刑を受けた後の身寄りのない犯罪者や、浮浪者を野に放たないよう収容する予防的施設であったとのことである。

  他にも、簡単な言及のみで詳しく書かれていないものの、日本における活版印刷技術が、明治時代に拡張された「近代的」な石川島の監獄での中心的な労働だったという指摘(p258)も興味深い。個人的には、木版印刷が軌道にのっていたはずの江戸の出版業が、どのような経緯で活版印刷術を採り入れていったのか、十分明らかにされていないと考えてきた。著者の指摘からは、読み書きができる教養のある階級出身の収監者(おそらく政治犯?)がそこで活版印刷術を学習し、出獄後に安価な労働力として出版社に採用されてそれを普及させた、という勝手な想像をしてしまうのだがどうだろうか。

  西洋中心主義に陥らず、かといって日本礼賛にも偏らない、公平で冷徹な視点が貫徹している点も優れている。イェール大学にあるプロフィール1)によれば、著者はパプアニューギニア生まれのオーストラリア育ち、高校時代に大阪を訪れてアジア史に興味を持ち、以降オーストラリア、日本、アメリカとあちこち移動しながら研究を進めてきたとのこと。こういう経歴を持つと、複数の文化の論理を理解できるようになるのだろう。

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1)Daniel Botsman / Yale University http://www.yale.edu/history/faculty/botsman.html
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