goo blog サービス終了のお知らせ 

ひろの東本西走!?

読書、音楽、映画、建築、まち歩き、ランニング、山歩き、サッカー、グルメ? など好きなことがいっぱい!

映画「アバター」

2010-03-31 23:03:38 | 映画

「アバター」(3D)
★★★★☆’:80~85点

ようやく今年度最大の話題作「アバター」(3D)を妻と観てきました。
まずは凄い作品で、3時間近くをたっぷり楽しみました。「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督がよくぞまたこんな映画を作ったもんだ。CGや3Dに注目が集まるのは当然ですが、ドラマ部分(特にラブ・ストーリーとしての)も丁寧に作られていたのは評価できます。

Avatar1

殆どが惑星パンドラ上での物語であるため場面や状況に大きな変化が無く、主人公ジェイクがナヴィの戦士として訓練を積むシーンなども若干、冗長かなと思い始めていたら、”イクラン”の棲み家である空に浮かぶ山々(ハレルヤ・マウンテン)を目指すあたりから高度感・浮遊感がグッと増し、一気に引き込まれた。

ここからのめくるめくような高度感、飛翔感、スピード感、迫力がもの凄く、3Dの効果も高度感などに最もよく現れている気がした。ここだけでも映画館で観る価値は十分にあり。また、自然が作る造形美や映像美も秀逸で、”ストーン・アーチ”の崩れかけた美しさを見よ!

ネットで少し検索すると、宮崎駿アニメとの共通性について語っている人が多かった。確かに ”ハレルヤ・マウンテン”などはまさに「天空の城ラピュタ」の世界であるし、アンオブタニウムと飛行石との共通性にもすぐに気付く。”ハレルヤ・マウンテン”は他のジブリ作品の「耳をすませば」にも出てくる高度感・浮遊感と同じだと思った。また、森の神(?)の神秘性や不思議な力は「風の谷のナウシカ」と似ている。「もののけ姫」のことを書いている人もいるようだ。

SFとして「スター・ウォーズ」などとの共通性は当たり前だろうが、全体的な造形美は「ロード・オブ・ザ・リング」を彷彿とさせ、獣たちに襲われ、逃げ、戦うシーンは「ジュラシック・パーク」である。そして、怪鳥(?)を操るシーンには上橋菜穂子のファンタジー小説でアニメにもなった「獣の奏者」が重なる。

また私は、ホーム・ツリーや森を焼き尽くすシーンは「地獄の黙示録」だと思った。ここはかなり残虐で哀切なシーンである。

と書いていると、様々なエッセンスの集大成のような映画にも思えてきたのであるが、各種の設定がジェームズ・キャメロンのオリジナルなのか、いろんなクリエイターや先人の影響を受けてのものなのかよく分からなくなってきた。ただ、それらプラス、アバター(分身----人間とナヴィのDNAを組み合わせて生み出した)という希有な設定を一つの映画の中で描ききったことは凄いのひとこと。ストーリーは大体想像がつくし、悪役がやや類型的とはいえるが、悪役もあそこまでダイ・ハードあるいはターミネーター的なのは面白かった。

森の神(?)との精神交流というか、電気的手段による意思伝達などについては、もう少し深く描いてほしかったところである。また、終盤、ナヴィの人々が全員手をつないで祈るシーンは、もうちょっと別の描き方でも良かったかなという気もした。

総合感銘度では大スペクタクル&パニック映画に”海の上のロミオとジュリエット”という大ロマンスをうまくミックスし、主題歌や音楽も印象的だった「タイタニック」の方を上に評価します。「アバター」も凄かったし面白かったのですが、見終わって数日経つと、心に残るものが少ないかなあ。まあ、私にとってはそういうタイプの映画だったということでしょう。ですが、あの高度感、飛翔感などは映画史上に残るものとして最高評価です。

それにしても、CGでここまでの映画を作られてしまうと、日本映画などではちょっと太刀打ちできそうもなく、宮崎駿のように素晴らしい志とイマジネーション+アニメで対抗するしかないのか?

◎参考ブログ:

   shimoさんの”ランシモ”
   アイリスさんの”To be continued.”


映画「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」

2010-01-16 23:55:00 | 映画

映画「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」
★★★★☆’:85点

Nodame1

正月休みの最終日に映画「のだめ・・・」を観ました!

原作のコミックスは読んでいませんし、テレビドラマのときも物語の途中くらいから見ただけです。ですが、ドラマでも「上野樹里=まさに”のだめ”ちゃん!」の不思議な魅力にはまり、音楽シーンの多さを楽しんでいました。映画では大好きなヨーロッパの美しい街が多数出てくるとのことから、洋風建築ファン&クラシック音楽(プチ)ファンとして大いなる期待を抱いて出かけました。

そして・・・映画では、次から次へと現れるウィーンやパリの美しい街並みと建物の数々にうっとりし(いきなりウィーンのベルヴェデーレ宮殿が出てきてビックリ!ここは大のお気に入りなのです)、楽友協会・黄金のホールは2年前に現地を訪れてはいますが、あらためてその華やかさと美しさにため息をつきました。そこでベートーヴェン:交響曲第7番を指揮する千秋先輩も格好良かったですね。 千秋先輩の指揮ぶりも進歩したような?

音楽のシーンも中にはメロディを聞いても曲名が分からないものが幾つかありましたが、予想以上にクラシックの名曲の数々が出てきて&その扱いも本格的で、これにもビックリ。後から分かったのですが、演奏シーンでは秋にザ・シンフォニーホールでコンサートを聴いたチェコのブルノ・フィルが協力したそうで、これも嬉しかったですね。終盤の序曲「1812年」では映画館が破裂しそうなど迫力のサウンドで、素晴らしかったです。もちろん、静かに奏でるシーンも申し分なく、邦画では最高の音楽映画になっていたのではないでしょうか。これだけの音楽映画は、やはり映画館の大空間と最高の音響システムでないと魅力は1/5くらいになってしまいますね。音楽が好きな人やクラシック音楽ファンにとっては特にご機嫌になる映画だといえるでしょう。ましてやヨーロッパの街や建物が好きな人にとっては感涙ものなのです。

さて、建築や音楽のことばかり書いてきましたが、のだめちゃんの不思議な魅力も満開ですし、アニメチックな笑いのシーンもてんこ盛りで文句無しの面白さでした。千秋と「ボレロ」での共演が決まったのだめがパリの街を花吹雪をまき散らしながら歓喜のパレードをするシーンは、ベートーヴェンの「歓喜の歌」も効果的ですし、そのパリという舞台や極彩色の色合いなどからヒロ・ヤマガタの版画を思い出しました。カラフル&ビューティフルで楽しさもいっぱい!

上野樹里=のだめちゃんは、全身これ音楽&音楽の申し子で(女神か?)、可愛らしくてコケティッシュで、天真爛漫。しかし、繊細でもあり、超明るいかと思えばどよーんと落ち込んだりと、千秋以外には(?)理解不能な不思議な不思議な魅力が満ちあふれていました。

そして終盤、バッハのPf協1番を弾き振りし、ピアノについても卓越した腕前を披露した千秋。その華やかな成功とピアノの面でも自分よりずっと先に行ってしまった千秋を見て、感動しながらも「先輩ずるいです・・・」と涙にくれるのだめ。これは切なかったですね。。。 でも、後編では再び輝いてくれるはずです。また、 年末のスペシャル・ドラマでは、これも2年前に旅行したプラハの美しい街が現れましたし、後編でもプラハなどのシーンがいっぱい出てくるのかな?早くも後編への期待絶大!です。

マルレ・オーケストラのメンバーは、千秋のハードな練習にブツブツ言いながら&フラフラになりながらもプロとしての自覚と意地を少しずつ取り戻す。夜、タクシーの運転手をしながら、多くの子供達がギャーギャーと家の中を走り回る中、妻に早くやめろとののしられながら、あるいは橋の下でブラスセクションメンバーが集まって、彼らなりに必死に練習するシーンは良かったです。ただ、このシーンはもう少し長く、深く描いても良かったかなとも思いました。

と微少な注文はつけましたが、のだめ映画版は景色などの映像面&音楽シーンの迫力と美しさの面で映画の持つパワーを見事に生かし、原作の持つ魅力を存分に引き出していたのではないでしょうか。

◎参考ブログ
   そらさんの”日だまりで読書”

また、映画に登場する名曲の数々はナクソス公式ブログ第3番「調子の悪い鍛冶屋」の”映画「のだめカンタービレ 最終楽章前編」登場曲リスト♪”から曲名をコピーさせて頂きました。ありがとうございました。☆:私が良いと思った曲、★:特に良いと思った曲

  ☆ベートーヴェン: 交響曲第7番 - 第1楽章
  ★チャイコフスキー: バレエ音楽「くるみ割り人形」 - 小序曲
    チャイコフスキー: バレエ音楽「白鳥の湖」 - 情景(第2幕)
  ☆ベートーヴェン: 交響曲第9番「合唱」 - 第4楽章
  ☆ラヴェル: ボレロ
    デュカス: 交響詩「魔法使いの弟子」
    シューマン: 交響曲第1番「春」
  ★グリーグ: 「ペールギュント」組曲 - ソルヴェイグの歌
  ★モーツァルト: ピアノ・ソナタ第11番 - 第3楽章「トルコ行進曲」
 
     弾き終わったときに思わずのだめが発した「はあ~っ!」といった
     喜びの声(? ため息?)と表情が最高!
 
    ショパン: ワルツ第6番「小犬のワルツ」 変ニ長調 Op.64-1
    ショパン: 革命のエチュード ハ短調 Op.10-12
  ★ドヴォルザーク: チェロ協奏曲ロ短調 Op.104 - 第1楽章
  ★モーツァルト: オーボエ協奏曲 ハ長調 K314 - 第1楽章
  
     美しいメロディに美しいオーボエの音色。

    サラサーテ: ツィゴイネルワイゼン
    グリーグ: ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調 Op.45 - 第2楽章
  ★ベートーヴェン: 交響曲第9番「合唱」 - 第2楽章
  ★チャイコフスキー: 祝典序曲「1812年」

     ど迫力で、かつて聴いたフェドセーエフ/モスクワ放送響の
     コンサートでの感動が甦りました。
     マルレ・オケ再生のシーンとしても感動的でした。
 
  ★J.S.バッハ: ピアノ協奏曲第1番 - 第1楽章

     この曲がこんなに魅力的なことを初めて知りました(汗)。

  ☆チャイコフスキー: 交響曲第6番「悲愴」
    ベートーヴェン: 交響曲第5番「運命」 - 第4楽章
    ハイドン: 弦楽四重奏曲第77番「皇帝」 -
           第2楽章「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」
  ★マーラー: 交響曲第5番 - 第4楽章

     終盤にこの曲を持ってきましたか!
     「ベニスに死す」でも素晴らしい使われ方でしたね。

    ガーシュウィン: ラプソディー・イン・ブルー
    ショパン: ピアノ協奏曲第1番 - 第1楽章

映画「沈まぬ太陽」

2009-11-06 23:30:35 | 映画

Sizumanutaiyou1_2

映画「沈まぬ太陽」
★★★★:80点

先日、夫婦で映画「沈まぬ太陽」を観てきました。細かく見れば/言えば、色々とアラもあるし、注文をつけたいこともありますが、航空会社の協力が得られない中、山崎豊子の骨太の原作をよくぞ映画化したものだと思います。

【注:以下、大きくネタバレあり】

123便の御巣鷹山墜落事故の前後のシーンは、やはり涙なしでは見ることができなかった。搭乗前の家族や乗務員の心のふれあい、異常が発生し大きくローリングする機体の中でスチュワーデスたちが懸命に客席の間を移動して安心させようとする姿、機長たちの必死の操縦と「パワー!パワー!」という絶叫、そして、レーダーから消えた機影・・・。墜落現場の惨状、救出にあたる自衛隊員たちが生存者を見つけようと呼びかける声、かすかに動く指先・・・。現地へと急ぐバス車中の家族の姿、体育館に並べられた数百の柩、その間を最愛の肉親を捜してさまよい歩く人々、大きく乱れた字で家族への最後の想いを綴った父親の手帳を読み上げる息子・・・。絶句である。

NAL35周年の華やかな祝賀パーティのシーンと事故のシーンの対比が非常に印象的。また、家族を失った人々の悲しみと、その一方で責任逃れや社内抗争のために汲々とする経営トップの人間たちの浅はかさ、補償金のことのみを伝える世話係などには、こみ上げる怒りと共にあまりの無神経さにぞーっとする思いも。一応、フィクションであるとしているが、モデルの航空機会社は明白であり、綿密な取材で定評のある山崎豊子原作は、ほぼ正しい姿を描いていたのだろう。経営の危機に瀕している現在の状況を見ても、会社の体質などに問題を抱えたままだったことがうかがえる。山崎豊子はそれらも見通していたのかもしれない。

さて、演技に関しては、何事に対しても真摯であり、熱い心も持つ恩地・渡辺謙はまさにハマリ役。恩地元その人のような入魂の演技だった。行天・三浦友和は映画を観る前はどうかな?とも思ったが、上昇志向・権力志向が強く、邪魔な人間を蹴落としながら次第に昔の彼とは異なった人間になっていく、その嫌らしい感じが良く出ていた。組合書記長の八木・香川照之は相変わらず抜群のうまさ。その表情などには凄みすら感じる。女優陣では、三井美樹役の松雪泰子もまずまずでしたが、恩地の妻りつ子・鈴木京香が貫禄ありでgood.

ネットなどで不満点などが色々挙げられており、それはその通りだと思う。

 ・飛行機のシーンのCGのつたなさ、違和感
   ----これは航空会社の協力が得られなかったこともあり、やむなしか
 ・時間軸の分かりにくさ(現在と過去のシーンの行き来で)
 ・経営トップや政治家を演じる役者の貫禄不足、凄み不足
   ----現在、TVで放映されているドラマ「不毛地帯」の出演者とミックス
     すると、なかなか良さそうにも思ったが。
 ・説明不足と思えるシーンの多さ
   ----為替問題の幕引きの背景、八木はいつから・どのようにして
     行天の手先となったのか、恩地はいつ・どういった形で日本に
     戻ってきたのか
 ・国会(委員会)のシーンなどでの人の少なさなど、全体的に原作が持つ
  熱気やエネルギー、重厚さ・凄まじさ・壮大さなどがそれほど感じられず

                                     などなど

と言いながら、山崎豊子の原作を映画で/映像で見ることができたのは非常に良かったと思う(当然のことながらオープンロケ・セットであった御巣鷹山の事故現場の映像も含めて)。御巣鷹山墜落事故そのものをもっと長く、より鋭くあるいは感動的に描くことも可能であっただろうが、これらをあまりリアルに長く映像で見せる/見るのはちょっとつらいし、問題ありかもしれない。

1通のテレックスでカラチ→テヘラン→ナイロビといった僻地へ次々とたらい回しされる報復人事の凄まじさ、非常さ。あれだけ理不尽なことをされても会社を辞めない恩地が不思議でもあったが、日本で不当な扱いを受けている八木や沢泉といった組合の後輩たちのことを考えてのことだったのか?このあたりは、原作ではもう少し丁寧に描かれていた気がする。ラスト近く、行天が地検特捜部の事情聴取を受けることになるシーンは、行天に天罰がくだったかのような荒涼とした味わいあり。

山崎豊子の初期の作品は未読なのですが、「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」、そして「沈まぬ太陽」といった社会派とも言える作品群が持つエネルギーと底力の何とまあ凄いこと。これらの原作を未読の方はぜひ読破してください。


劔岳 点の記(映画)

2009-07-16 01:08:06 | 映画

劔岳 点の記(映画)
★★★★’:75~80点

Tsurugidake1
~写真は、映画の公式サイトより~

日曜日の夜、レイトショーで話題の映画「劔岳 点の記」を観てきました。新田次郎の原作を読んだのは20年以上も前なので、細部はすっかり忘れていたものの、劔岳の美しさと険しさ、山の怖さ(天候の急変、雪崩、強烈な風雨 etc.)、山での測量の大変さ、地図の空白部を埋めるためと言いながらも初登頂の名誉にのみこだわる陸軍上層部のエゴなどがよく描かれていたと思います。

剱岳は私の最も好きな山の1つです。眺めて良し、登って良しの名山で、現在でも容易にはたどりつけない奥深さとゴツゴツした岩が魅力ですね。映画では雲海、岩峰、裏劔(?)の池越しの眺めなどが限りなく美しかったです。四季のうつろいも見事。柴崎たちが測量をしている間、案内人たちがのーんびりとタバコをふかしたり昼寝をしたりしているシーンも何となく好きでした。

それにしても、殆ど山の中ばかりの淡々とした静かな(ところどころ厳しい自然のシーンはありますが)映画をよくぞ作ったものですね。私のような山好きにとってはこたえられないシーンばかりなのですが、そうでない人にとってはどうだったのでしょうか?人間ドラマ部分が実に丁寧に作られていたので、誰もが楽しめる映画になっていたのかな?

さて、俳優と演技について。宇治長次郎を演じた香川照之は完全にその人になりきったかのような素晴らしい演技でした。山に生きる長次郎は山を愛し、山を敬い、山に対する洞察力やカンも優れている。皆から信頼され、統率力もあるが、あくまでも謙虚で人柄も良し。どんなに厳しい状況でも測量部の人間の安全第一を考えている。演技と言うよりも、まるで長次郎その人に同化してしまったかのような感じでしょうか。凄い役者さんです。浅野忠信演じる柴崎も、誠実な人柄と口数は少ないが決して仕事をおろそかにしない責任感と意志の強さなども感じさせてgood!先輩・古田役で柴崎を励まし、良き理解者として様々な助言をする役所広司は頼もしさと清々しさが印象的。柴崎の新妻役の宮崎あおいは可憐で美しく、小澤征悦の軍服姿は凛々しくて立派でした。生田信役の松田龍平は最初ちょっとどうかなとも思ったのですが、どんどん良くなっていきました。その他、脇の人たちも素晴らしかったです。

***************** ストーリー(Cinema Scape より)*******************

新田次郎の同名小説を数多くの撮影を手がけた木村大作が映画化。明治39年、日露戦争に勝利した陸軍参謀本部は国防の要となる日本地図で唯一の空白地、前人未到の劔岳を測量せよと測量官柴崎浅野忠信に命じた。秋、柴崎は現地の案内人・長次郎香川照之と周辺の下見に行くが山頂への登り口さえ見つけられずに帰還、登頂は困難と報告書を提出。折りしも日本山岳会の小島仲村トオルも欧州から最新の機材を持ち込み劔岳初登頂を目指していた。陸軍参謀本部は「民間人の遊びに負けることはあいならぬ。軍の威信にかけて劔岳初登頂を果たせ」と厳命。そして明治40年春、柴崎・長次郎らの測量隊は劔岳山頂へむかう。

**************************************************************************
Tsurugidake3

柴崎たちは単に登頂することだけが目的ではなく、27ケ所に三角点を埋めてやぐらを組み立て、測量しなければならず、それ故に半年もかかる大仕事である。つまり、夏の登りやすい時期だけ行動すれば良いのではなく、春~秋(初冬)という長い期間の活動となる。従って、その間には雪があったり激しい風雨があったりと壮絶さが伴うことになる。自分たちで背負う測量の器具などは長くて重そうだし、我々が真夏によく整備された登山ルートを登るのとは全くの別物であることを改めて認識しました。そして、山岳会の動きが気になりながらも、本来の自分たちの仕事を一切手抜きせずきちんとやり遂げようとする柴崎たちに、職業人&専門家としての意地とプライドを見た気がします。また、全体的に明治人のダンディズムのようなものなども感じました。

登頂の瞬間は映画ではあえて描かれずでした。これは登頂が真の目的ではないとの意図か?ただ、映画的にはちょっと拍子抜けの感が否めません。ですが、登頂の直前に長次郎が柴崎に先頭を譲ろうとした姿は、その表情と言葉に人柄が表れていてとても良かったです。日本山岳会(小島烏水たち)との関係はほぼ原作通りと思われるものの、ラスト近くの手旗信号による祝福メッセージとその返礼は映画オリジナルでした。映像的には良かったし感動的だとも思いますが、ここは原作通りに、電報による祝福の方がしみじみとした味わいがあったように感じました。

ロケ地についての予備知識は全くなかったものの、電車のシーンなどでは「おっ、このカーブの感じは明治村かな?」と思ったら、実際にその通りだったようですね。今回はパンフを買わなかったのでロケ地のことはよく分からないのですが、軍の建物などはセットだったのでしょうか?なかなか良い佇まいだったので、ひょっとして江田島?かとも思ったのですが。また、音楽にはヴィヴァルディの「四季」やバロックの曲などのクラシック音楽が使われ、これも良かったです。

新田次郎の山岳小説では「孤高の人」や「八甲田山 死の彷徨」、「聖職の碑」などの方が好きでしたが、この映画は素晴らしかったですね。

ちょっと季節はずれですが、1992年の手作り年賀状(byプリントごっこ&色鉛筆)はデザインが劔岳でした。おそらく1991年の夏に2度目の劔岳登山に行ったものと思われ、それを記念して年賀状に用いたようです。空白部は何となく白い雲海があるようにも感じられ、これはこれで結構自分で気に入っています。

Tsurugidakenenga1992

◎参考ブログ:

   shimoさんの”ランシモ”


映画「グラン・トリノ」

2009-06-10 23:43:13 | 映画

1グラン・トリノ
★★★★’:75点

世間での評判がもの凄く良く、期待していた映画「グラン・トリノ」。しかし、うーーーん、微妙な評価となってしまった。後から色々考えて80点以上をつけたい気持ちもあるものの、ここは鑑賞直後の率直な感想を重視した。

監督・主演のクリント・イーストウッドは良かったが、個人的にはちょうど1週間前に観た「スラムドッグ$ミリオネア」の場面転換の早さ、ぞくぞくするような不思議な熱気、めくるめく映像の方により鮮烈な印象を受けた。

また、イーストウッド監督作品では、より分かりやすく感じた「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」「硫黄島からの手紙」の方を上に置く。ただし、これはあくまでも好みの問題であろう。

【注:以下、映画の内容に触れています】

最愛の妻を亡くしたウォルト・コワルスキー(イーストウッド)。自分の思い通りに育たなかった息子や孫たちからは嫌われ、愛想をつかされる。いつも苦虫を噛みつぶしたような顔で、時々低い声で唸る偏屈じいさんぶりは見事。時々パブで旧友と語らう程度で隣人と交わることもなく、殆ど毎日を家の前のテラスで1日中新聞を読んだりビールを飲んだりして過ごしている。この孤独感というか寂寥感は味わいがあった。そして、ひょんなことから、それまで様々な偏見を持ち毛嫌いしていた隣家(アジア系移民であるモン族)の姉弟と心の交流が始まる。モン族の人たちの親族が助けてもらったことに対する感謝の仕方(次々と花や食べ物を主人公の家に運んでくる)などはとても面白かった。そして、この隣家の姉・スーがとても素晴らしく、頑ななウォルトの心が少しずつほぐれてくる経緯も説得力あり。 

スーの弟のラオ。ウォルトは彼に車の洗車や向かいの荒れ果てた家の補修をさせ、男の会話を教え、建設現場の仕事を世話してやる。内にこもりがちで好きな女の子に声もかけられなかったラオの心も少しずつ外向きに明るくなっていく。また、それを通じてウォルトも少しずつ変化していく。この教育物語をもっと感動的にすることも可能であったとは思うが、イーストウッドはそのような描き方をしなかった。また、深刻な病に冒された主人公の窮地をラオが救うといったようなストーリーにもできたはずだが(私はきっとそうなると思いこんでいた)、そのようにもしなかった。ありきたりの感動物語にしなかったその手腕は凄いと思う。

ラオに何度もちょっかいをだす悪ガキども。いったんは、ウォルトが彼らの一人を叩きのめして一件落着に思われたが・・・。自分の軽率な暴力的行為が新たな悲劇を生んでしまったことで、ウォルトはあっと驚く戦いを挑む。この彼の考え方の変貌が最大のポイントなのだろう。

何かあればすぐに銃を手にする主人公。悪ガキたちの何人かを撃って征伐することも可能であっただろう。しかし、それではスーやラオたちがまた狙われるという繰り返しになる。それを避けた、そして、スーたちに殺し・殺されることが永遠に続くようなことは決して考えるな、するなということを自分の命をかけて教えたということか。その非戦の戦いが胸をうつ。ただ、私はそのことが理解できておらず、ウォルトが銃弾に倒れたシーンでは「えっ?」と思ってしまい、彼の死には唖然としてしまった。そして、やっと彼の戦い方と教えに気付いたのだった。

ラウがもうちょっと男として成長する姿が描かれると思っていたが、そこまでに至らず。また、愛車グラン・トリノの車自体の魅力についても、もっと丁寧に詳細に描いても良かったのでは?という気がした。考えてみると、採点の低さは、私の想像と実際の映画が色々と異なっていたこと、イーストウッドの描き方・考え方が私自身の感性とちょっとフィットしなかったということによるのかもしれない。いや、それよりもここは私の見方の浅さ・甘さなのだろう。微妙な評価となったが、凄い映画である。

◎参考ブログ:

   アイリスさんの”To be continued.”