国家の第一は民主主義である。美しさとか品格はまやかしの国家論である。新聞に掲載されている論文を中心に批判する。
品格より民主そして自由
ジュゴンを追い出す人たち
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熊が出没する山に登るときは鈴をつけ、鈴を鳴らしながら登るというのは有名な話である。鈴を鳴らすと熊は人間の存在に気づき、鈴の音から遠ざかるという。熊にとって人間は怖い存在であり、人間には近づかないようにしているという。
熊だけではなく、多くの野生動物は人間を恐れ、人間から逃げる。ジュゴンは野生動物だ。ジュゴンが人間を恐れ、人間を避け、人間の居ない場所で棲息しようとするのは当然である。ジュゴンは昔は沖縄の南部に棲息していて、捕獲されて人間に食された記録が残っている。しかし、最近は沖縄の南部でジュゴンが発見されたという情報はなく、北部のほうでジュゴンは発見されている。
恐らく、南部は人口が増えたせいで、人間を恐れるジュゴンは人間のいない海岸を求めて北部で棲息するようになったのであろう。ジュゴンは人間を避けていることを忘れてはならない。
ところが「北限のジュゴンを見守る会チーム・ザン」はジュゴンの生態や餌の海草を観察するという理由で30人もの大勢の人間がジュゴンが生息しているかもしれない海に入ったのである。このような行為は辺野古の海でも何度も繰り返されてきた。
野生動物ジュゴンが一番恐れている人間たちが大挙して海に入り、ジュゴンの餌である海草が生えている場所に土足で踏み込んだらどうなるのか。ジュゴンの人間たちが荒らした餌場を避けるようになる。現実にこのような行為を何度も繰り返されてきた辺野古の海の餌場では、何年もジュゴンがやってきた形跡がない。「北限のジュゴンを見守る会チーム・ザン」の主催者はこの事実を全然考えていない。
辺野古でジュゴンが発見されたのは2005年(平成17年)であり、普天間基地を辺野古沖に移設するために調査したときだ。しかし、その後辺野古沖での調査団と反対派の争いがあり、他方、ジュゴンを保護する会が、ジュゴンの生態や餌の海草を観察するという目的で大勢の人間が辺野古の海に入るようになった。
去年の辺野古の海草調査で海草は繁茂していたがジュゴンが食み後は発見されなかった。一昨年も同じだった。つまり、ジユゴンは最低三年以上は辺野古の海で海草を食していない。はっきり言えば、ジュゴンは辺野古の海には棲んでいない。
辺野古の海からジュゴンが消えた理由として考えられるのは、
1、辺野古沖で、海底調査班と辺野古移設反対派の激しいバトルがあり、海を荒らした。
2、多くの人間がジュゴンの餌場に土足で入った。
の2点である。ジュゴンが発見された後の変化はこの2点だけであるからだ。
ジュゴンを守る会はジュゴンのことを広めようとして、多くの人間をジュゴンの餌場に入れている。ジュゴンのことを知らない素人の人間を餌場に入れるということは、餌場を土足で荒らすようなものだ。
ジュゴンが希少動物であり、生態もほとんど知られていないということは、ジュゴンが神経質な動物であり、人間を非常に恐れていて人間との接触を避けていると推測することができる。
ジュゴンを守る会はジュゴンに対して無神経であり、ジュゴンを守るのではなくジュゴンを追い出す行為を行っている。
「北限のジュゴンを見守る会チーム・ザン」が辺野古の海岸ではなく、嘉陽の海岸でジュゴンの生態や餌の海草の観察するワークショップを開いたのは、辺野古の海ではジュゴンを発見することがなくなり、嘉陽の海でジュゴンが発見されるようになったからである。
ジュゴンを見るために多くの人間が嘉陽の海に行くようになれば、嘉陽の海からもジュゴンは姿を消すだろう。
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