「うらそえ文藝」で言論封殺が起こった

「うらそえ文芸」で言論封殺が起こった

私は今年からうらそえ文芸の会員になった。
去年、短編小説を掲載し、今年も掲載する予定である。来年も再来年も短編小説を掲載したいと思っている私は、星雅彦編集長のすすめもあって会員になった。
添削をする会合にも二度参加した。

会員になって驚くべき事実を知った。
去年の星雅彦編集長と福地氏の対談が編集員の賛成多数で後半部分がカットされたというのだ。
対談の後半がカットされるというのは考えられないことである。しかし、実際に「うらそえ文芸」で起こったのである。
大城立裕や上原正稔など星編集長の対談は多くの話題を提供し、うらそえ文芸の知名度にも売り上げにも貢献してきた。星さんの遠慮なしの鋭い突っ込みは対談相手を窮地に追い込んだり、反撃を食らったりして、馴れ合いの対談にはない緊張感がある。内容も深い。

対談を半分もカットするのは言語道断である。明らかな言論封殺である。絶対にあってはいけない。ところが去年に実際に起こったのである。

今年も去年と同じように星編集長の対談が半分カットされる恐れが出てきた。いや、このままだとカットされるだろう。四月三十日(水)の編集会議で賛成多数によってカットされることが決まったというのだ。

星編集長から私の小説にクレームがあり、コピーされた原稿を訂正して印刷会社に送った。二日後に、印刷会社から訂正したPDF原稿をメールで送ってきたが、FAXで送ったために写りが悪かったのだろう、ほとんどが訂正されていなかった。
私は印刷した原稿を赤ボールペンで訂正したが、訂正カ所が多く、四月三十日に最後の編集会議があると聞いたので、そこで私の事情を説明し、印刷会社と直接交渉して、もう一度添削したいということを伝えに行った。
メールの添付、PDF、ワード、プリンターについて知っていないと私の言うことは理解できない。丁寧に説明して理解してもらおうと思っていたら、K氏が大遅刻した。まずいことに弁当が出されたので私は食べた。食べながら星編集長の対談の原稿を読んでいた時にK氏が悠然と入ってきた。弁当は編集委員用であるのに私が食べているのにカチンと来たのだろう。
「今日は編集委員会議です。会議が始まったら出て行ってください」とK氏は言った。
 私の説明は一切受け付けなかった。ただ、訂正した原稿を置いて出て行けという態度である。高邁な彼に説明してもしようがない。私はもう一度添削することをあきらめた。
 
 編集会議が始まったので私は対談の原稿を星編集長に返して部屋を出ようとしたら、星編集長は最後まで読んでくれと言った。私は守衛のいる応接間に行き、原稿を読んだ。
 仲程琉大元教授との対談は、一部は戦前の沖縄の近代文学、二部は戦後の沖縄文学についてだった。一部ででてくる文学者はほとんど知らない人物であり、内容的にも面白くなかった。
 二部は戦後の小説家や詩人を肯定的に捉える仲程元教授と否定的に捉える星氏は意見が対立する。星氏は作家たちの現実認識が駄目だといい、集団自決などの話にもなる。
 対談が進むうちに、仲程氏の場合は専門分野ではない知識は沖縄二紙に頼っていることが明らかにされていく。対談は一部二部合わせて40ページにも及び、長時間の対談であった。
 星氏は1932年生まれで現在82歳である。老齢の星氏にとって負担が大きい対談であっただろう。
「余命も少ないし・・・・・・・」
電話で漏らした星氏の言葉である。弱音で言ったのではない。だからこそ悔いが残らないように真剣に対談をやっていくと星氏は言っているのである。命がけの星氏の対談を半分カットするなんて考えられない。
 星氏にやる気を失わせ、編集長を辞退させようとしているとしか考えられない。

 皆さんの抗議をお願いします。

浦添市文化協会事務局

 電話・FAX 〇九八―八七八―四五五三
 
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