「琉球処分」は正しい歴史認識か

小説「琉球処分」の作者である大城立裕氏が「県知事選を終えて」という評論を新聞に掲載した。
大城氏は「1879(明治12)年に、日本政府が国防のために琉球王国を併合することを企て、琉球側の抵抗を武力で排して、琉球王朝を沖縄県にした」ことを琉球処分と呼んでいる。

そして、日本政府は沖縄県民を日本人に仕立てるために「同化」政策をとり、社会生活ではヤマト人による差別が横行したと述べている。

琉球王朝を沖縄県にしたというのは廃藩置県のことであり、明治政府が九州から北海道まで日本全国で実施した大改革のことであり、廃藩置県は封建社会から近代社会に転換する第一歩の日本の変革だった。

廃藩置県についてネットから引用して簡単に説明すると

廃藩置県(はいはんちけん)とは明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。

廃藩置県は平安時代後期以来続いてきた特定の領主がその領地・所領を支配するという土地支配のあり方を根本的に否定・変革するものであり、「明治維新における最大の改革」であったと言えるものであった。

既に江戸時代中期頃から各藩ともに深刻な財政難を抱えており、大坂などの有力商人からいわゆる「大名貸」を受けたり領民から御用金を徴収するなどして辛うじて凌いでいた。各藩とも藩政改革を推進してその打開を図ったが黒船来航以来の政治的緊張によって多額の財政出費を余儀なくされて、廃藩置県を前に自ら領土の返上を申し出る藩主(藩知事)さえ出てくる状況であった。


ということだが、紆余曲折があり、廃藩置県がスムーズに行われたわけではない。

廃藩置県については教科書でも習ったし、幕末の坂本竜馬の活躍は今年のNHK大河ドラマにもなった。明治維新は日本の夜明けであるというのが常識なのだ。

ところが沖縄では明治維新による日本の近代化を琉球処分として位置づけ否定的に考えているのだ。それでいいのだろうか。沖縄には四民平等の思想、民主主義の思想は育っていないのか。

明治政府は身分制度を廃して、四民平等にした。沖縄も琉球王朝時代の武士の特権を廃して四民平等になった。それは沖縄の民にとって喜ばしいことではないのか。

大城氏は、日本政府は沖縄県民を日本人に仕立てるために「同化」政策をとったというが、この「同化」というのは明治政府による日本全体の近代化への改革であったのであり、沖縄も全国と同じように変革をしたのであって、特別に沖縄が「同化」されたのではない。

琉球処分とは、琉球王朝の廃止、武士の武器携帯の禁止、ちょんまげの禁止、武士の特権の廃止、四民平等、国内移動の自由などのことである。それを琉球処分と呼ぶのに私は大反対だ。


琉球処分で被害をこうむるのは支配階級の武士であり、農民や庶民は武士支配から開放されて自由になったのだ。

廃藩置県を琉球処分と認識したのは沖縄の支配階級であった。廃藩置県を琉球処分と認識する大城氏には民主主義思想が欠落しているといえる。

福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず」という歴史的名言も大城立裕氏には耳障りかもしれない。
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