米国統治時代から米国が民主主義であることを知っていた

米国統治時代から米国が民主主義であることを知っていた

 「基地のない平和沖縄」という反戦平和の思想に高校生の時から反対だった。いや、中学生の時からだ。沖縄の平和を維持するためには米軍基地は必要であると考えていた。「沖縄に内なる民主主義はあるか」に掲載した。
琉大生の反戦・平和主義に反発する
一九六五年、高校二年生の時に読谷飛行場でパラシュート降下訓練のジープに少女が圧殺される事故が起こった。圧殺事故への抗議集会が喜名小学校であり、読谷高校生であった私は他の生徒と一緒に抗議集会に参加した。
集会が終わると多くの人がバス停留所に集まったので、バスに乗るのにかなりの時間を待たなければならなかった。私はバスに乗らないで歩いて帰ることにした。多くの人がぞろぞろと喜名から嘉手納方向に1号線(現在の国道58号線)を歩いていたが、私の隣を歩いていた琉大生が私に話しかけてきた。彼と私は討論になった。学生は平和憲法の話をやり平和のために日本は軍隊を持つべきではないといい、沖縄の米軍基地は撤去するべきであると話した。
私たちが歩いている1号線の左側には嘉手納弾薬庫の丘が黒く横たわり、正面には嘉手納飛行場の明かりが煌々と輝いていた。嘉手納弾薬庫には核爆弾が貯蔵されているという噂は子どもの頃から聞いていた。第三次世界大戦が起こったら核爆弾を貯蔵している沖縄は真っ先に攻撃されて沖縄の人間は一瞬のうちにみんな死んでしまうという話は何度も聞かされた。もし、明日第三次世界大戦が起こるとしたら死ぬ前になにをしたいかなどと子ども同士で話し合ったこともあった。
だから、私は子どもの頃から戦争には敏感になっていた。中学生の時にキューバ危機があった。ソ連がキューバにミサイル基地を造ろうとしたのに対してケネディ大統領はもしキューバにミサイル基地をつくるならソ連と戦争するのも辞さないと宣言し、ミサイル基地をつくろうとソ連の輸送船がキューバに向かった時、ケネディ大統領の命令で核爆弾を積んだ多くの爆撃機が飛び立ち、ソ連と一触触発の事態になった。このニュースを聞いた時、私はいよいよ第三次世界大戦が始まるかも知れないとびくびくした。幸いなことにキューバ危機は回避され、世界大戦に発展することはなかった。キューバ危機の回避は勇気あるケネディ大統領のお陰だと思った私にとってケネディ大統領はヒーローだった。
高校生のときはベトナム戦争が激しくなっている時期であった。毎日嘉手納飛行場からB52重爆撃機がベトナムへ飛び立ち爆弾を落として帰ってきた。エンジン調整の爆音は一晩中続いた。テレビの音も話し声も聞こえないくらいに爆音はひどかった。あの頃が嘉手納飛行場の爆音が一番ひどい時期であった。
毎日ベトナム戦争の悲惨な状況が報道されていた。しかし、私は沖縄の米軍基地を撤去してほしいという考えはなかった。むしろ、米軍基地をすべて撤去すれば、他の国が沖縄を攻めてくるかもしれないという恐怖のほうが強かった。
私は、アメリカ軍がベトナム戦争に敗北した時、南ベトナムを占領した北ベトナムやベトコンはアメリカ軍基地がある沖縄を攻撃するかどうかについて考えたこともある。
アメリカがベトナム戦争でなかなか勝てないのは核兵器を使わないからである。もし、アメリカが戦争に勝利することだけを目的にして北ベトナムやベトコンの居る場所に核爆弾を落とせばアメリカが勝利するのは簡単である。しかし、アメリカは核爆弾を使わなかった。アメリカは南ベトナムを守るのが目的であり、なにがんでもベトナム戦争に勝つのだという考えがアメリカにはなかったからだ。それに核爆弾を使えばアメリカは世界から非難されただろう。アメリカは核爆弾を使うわけにはいかなかった。
南ベトナムを支配した北ベトナムとベトコンが沖縄を攻撃した時にアメリカ軍はどうしただろうか。その時は、ベトナムに核爆弾を投下してベトナムを廃墟にしてしまうことも辞さなかっただろう。そのことを知っている北ベトナムやベトコンが沖縄を攻撃するのはありえないというのが私の考えだった。アメリカ軍が沖縄に駐留している間はベトコンだけでなくどの国も沖縄を攻撃することはないと私は考えていた。

私は、「命どぅ宝」と「物喰ゆすどぅ我が主」の格言への反発や子どもの頃から戦争に対して敏感になっていたから、琉大生の憲法9条の平和論や米軍基地の撤去論に納得できなかった。自衛隊を廃止し、米軍が撤去した日本・沖縄は戦いに弱い国になる。弱い国が他の国に侵略された歴史は数多くあった。米軍基地がなくなれば平和で豊かになるという考えは非現実的であると高校生の私は考えていた。日本が無防備になれば日本を植民地にしようと侵略してくる国は絶対あるはずである。どこかの軍隊が侵略してくれば武器を持たない日本・沖縄は簡単に占領されてしまう。沖縄の人々は抵抗することもなく奴隷にされてしまうだろう。
私は琉大生の話に反発した。内心では、「お前のようなきれいごとを言っても冷酷な世界には通用しない」と思いながら、「外国が攻撃したら日本・沖縄はどうすればいいのか」と私は琉大生に質問した。話の腰を折られた琉大生は一瞬言葉に詰まったが、軍隊がいなくても大丈夫であると色々説明をした。琉大生の話した内容は記憶に残っていないが彼の説明に私は納得できなかったことを覚えている。軍隊がいなければ敵に支配されるのは明らかであり、単純明快な理屈である。琉大生の説明に納得しない私は、「外国が攻めてきたらどうするのか」という質問をしつこく繰り返した。
私のしつこい質問に困り果てた琉大生は人民軍を結成して敵と戦うと言った。私は人民軍も軍隊ではないかと琉大生に言うと、彼は自衛隊やアメリカ軍は軍隊であるが人民軍は軍隊ではないと言った。
琉大生は、自衛隊やアメリカ軍は国家がつくった軍隊であり支配者の利益のための軍隊である。しかし、人民軍は人民がつくる軍隊であり人民のための軍隊であるから自衛隊やアメリカ軍とは違うというような説明をしたと思う。学生は中国の人民解放軍をイメージして話したのだろう。
民主主義国家の軍隊はシビリアンコントロールされているから人民軍と同じであるという考えが私にはあったが、高校生の私は筋道をたてて説明することはできなかった。琉大生と私は話がかみ合わないまま終わった。

 敵が攻めてきたら自分たちを守るために戦うのは当然である。沖縄戦の時、民間人が日本軍と一緒に戦ったのを私は当然の行為だと思った。中学生が鉄血勤皇隊として勇敢に戦ったのを私は賞賛するほうだった。戦後生まれの私は軍国主義少年ではない。天皇のために戦う考えはなかった。しかし、敵が沖縄を攻めてきたら家族、親戚、仲間や沖縄の人々を守るために戦うのは当然であると考えていた。占領されれば奴隷になる。奴隷にならないためには戦うしかない。そのように私は考えていた。
 「命どぅ宝」の思想は命が惜しいから侵略してきた敵軍と戦わないで降伏し、敵の奴隷になる思想である。沖縄の「命どぅ宝」と「物食ゆすどぅ我が主」の格言は奴隷の精神である。二つの格言は沖縄の農民の奴隷精神の表れだと考えるようになった私はふたつの格言を誇らしげに話す教師にむかついた。
     沖縄に内なる民主主義はあるか
少女の死によって米軍は読谷飛行場でのパラシュート訓練を止めた。

沖縄が米国の植民地ではないこと、米国が帝国主義ではなく民主主義国家であることを米国が統治していた沖縄で育ちながら分かった。
米国はベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争と多くの戦争をし、支配していった。だから、帝国主義と見られてきたが、私は米国が民主主義のために戦争をしていると理解していた。米国が民主主義のために戦っていることが分かった戦争がウクライナ戦争である。ウクライナの自由と民主主義を守る戦いに米国は莫大な支援金と武器を援助している。民主主義の台湾を独裁中国の侵攻から守ろうとしている。
米国は武器で民主主義を守ろうとしている。高校生の時に知った米国の民主主義は今も健在である。民主主義が拡大していくことを望む。
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