国家の第一は民主主義である。美しさとか品格はまやかしの国家論である。新聞に掲載されている論文を中心に批判する。
品格より民主そして自由
いつも政治的な駆け引き
「中国の船が入ってきたら沈めてしまえ」という衝撃的な言葉を最初に持ってくるのは、中国のあくどい行為を和らげるための技術的な表現だ。「中国の船が入ってきたら沈めてしまえ」と言った生徒が本当にいたかどうか疑問である。もし居たとしても中国漁船の巡視船への体当たりを見ればそう思う中学性がいてもおかしくない。中国漁船の巡視船への衝突はひどい行為だった。
「中国漁船の巡視船への体当たり」とは言わないで、中国漁船衝突事件と単なる事故のイメージを与えるような書き方は中国に悪いイメージを持たさないような表現工夫がされている。
中国漁船は日本の領海を守る巡視船に衝突したのである。中国漁船の行為は日本をあざ笑っている行為であり、許せるものではない。
社会科教師の上原邦夫氏は、「衝突事件で中国が悪かったのは事実かも知れない。しかし、『だから尖閣の守りを固めるのは当然』のような話をするのはおかしい」と述べている。中国漁船団は衝突事件が起きる前は、尖閣諸島の領海で日本の漁船を追い出して我が物顔で漁をしていた。中国は尖閣諸島は中国の領土だと主張している。東南アジアの海の支配を広げる戦略が中国にはある。軍艦を改造した巡視船を尖閣諸島の領海に接近する行為を繰り返している。中国の戦艦や潜水艦が八重山近海を頻繁に通っているなどを考慮すれば、政府が尖閣の守りを固めるのは当然だ。いや、今まで尖閣の領海の監視を怠っていたことが間違いだ。
本来なら、日本の領海を守るために南西諸島に自衛隊配備をしているべきであった。そうすれば中国漁船の尖閣諸島領域の占拠はなかっただろうし、巡視船への衝突もなかっただろう。
領土を軍隊が守るのは全ての国がやっている。やらないのがおかしい。復帰前はアメリカ軍が尖閣諸島は守っていた。だから、中国漁船が尖閣諸島の領海に侵入することはなかった。
復帰後に日本が尖閣諸島の領土・領海を守ることを怠ったから尖閣諸島の領海が中国漁船に占拠されたのだ。
平和教育は戦跡がなければできないというのがおかしい。沖縄の教師による平和教育は沖縄戦だけを材料にしている。戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦など多くの戦争があり、アジアだけでも1000万人近くの人が犠牲になっている。平和教育は沖縄戦だけを材料にしなくてもできる。
戦争が起こる原因も時代によって違う。特に第二次大戦とそれ以後の社会主義国家と資本主義国家の対立による戦争は戦争の原因が違う。
上原邦夫教諭は戦争の原因を「武力での解決は『やり返す』という負の連鎖を生む。行き着く先は戦争だ」と述べている。上原邦夫教諭はそんな戦争が日露戦争、日清戦争、太平洋戦争だというのだろうか。もし、日露戦争、日清戦争、太平洋戦争を「武力での解決は『やり返す』という負の連鎖を生む。行き着く先は戦争だ」で説明しているのなら、上原邦夫氏の説明は幼稚であり事実でもない。「武力での解決は『やり返す』という負の連鎖を生む。行き着く先は戦争だ」で過去の戦争を説明するのなら上原邦夫氏は教師の資格がない。
日本が帝国主義を名乗り、植民地を大陸に求めて起こったのが日露、日清戦争であり、太平洋戦争までは植民地の獲得が原因として戦争が起こったのだ。
「国の主張がぶつかったとき、平和的な解決方法として何が一番いいのか考えさせ、教えなければならない」と上原邦夫氏は述べているが、「国の主張がぶつかったとき、平和的な解決方法として何が一番いいのか」を教えるのなら歴史的事実を無視しないで教えてほしいものだ。圧倒的に武力が勝る中国は武力でチベットを支配した。抵抗する人々を武力で弾圧しているからチベットは戦争状態ではない。そんな平和もある。
武力に勝る中国はベトナムやフィリピンの領海を支配した。フィリピンはアメリカと軍事演習をしたり、軍事力を強化しながら中国と交渉をしている。
平和的な解決にも軍事力は必要であり、軍事力があるからといって戦争をするわけではない。
城所さんは、「今は政治的な駆け引きのように見える」と感じているが、教科書問題はずっと政治的な駆け引きだった。今までは沖教祖の天下だったが、沖教祖と対立する自民党系の育鵬社が登場して、沖縄では初めて八重山のように沖教祖対自民党の構図ができた。
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