大連立は逆に政治を混乱させる






福島第一原子力発電所の事故について、海外からメディアからの政府と東電への批判が続いている。
「消えた社長」「驚くべき不在」と東電社長の雲隠れを海外メディアは酷評している。しかし、日本のマスコミは東電の社長が姿を現さないことにそれほど注目はしなかった。日本のマスコミは社長は殿様みたいに高所にでんと構えていていて、陣頭指揮を執るのは幹部であるという先入観があるのだろう。東電社長が体調を悪くして数日の間実務から離れていたことが後から判明したときも、日本のマスコミは痛烈に批判しないで、軽く揶揄した程度だった。それはマスコミが東電のような政治と利権が絡んでいる会社では実力よりも政治的な力学で社長になるということを知っているからだろう。マスコミも社長は実力がなくてもやれるのだと思っているのだろう。だから、陣頭指揮を執るのが社長であると認識している外国メディアのような痛烈な批判はしなかったのだ。

海外メディアは菅政権も批判している。しかし、「当初から政府がしっかり対応していれば」とか「(菅直人)首相の存在感が希薄だ」「情報公開に消極的」という批判は菅政権の問題というより、これまでの自民党が築き上げてきた日本政府のあり方の問題だ。

英誌エコノミストは、日本政府と原子力関連産業の関係を「なれあい」と指摘している。さすがイギリスのエコノミストだ。日本の原子力発電の世界は、原発利権に政治家、官僚、商売人などの金の亡者たちが入り混じって、安全よりも金の奪い合いを優先させてきた。だから、実力よりは金の亡者どもにとって都合のいい人間を東電の社長にしたのだ。
東京都は東電の株を数パーセント持っているらしい。配当は年に数億円あるが、その金は特定の部署にだけ回るそうだ。

このような腐敗した東電になったのは自民党の長期政権続いたことが関係している。政権交代ができる二大政党であったなら、ここまで腐敗はしなかったはずだ。

ところが、東日本大災害と福島第一電発事故の対処のために菅首相は大連立を掲げている。他方、民主党の一部の議員と自民党は菅首相の退陣と引き換えに大連立するという動きが出ている。
菅首相の思惑の大連立。菅首相を引き摺り下ろす思惑の大連立。同じ大連立ではあっても、目的が大きくずれるのだから、大連立しようとすればそれぞれのエゴがぶつかり合い、政治がぐちゃぐちゃになる可能性が高い。

今必要なのは誕生したばかりの二大政党を持続することだ。日本の政治をこなすことができる政党は二つあるべきだ。衆院選で圧倒的に勝利した民主党でさえフラフラした政治運営をしている。政権を運営するのは想像以上に難しい。民主党はせめて四年は政権を運営して、国家の裏も表も知り尽くすべきだ。


二人のナイチャーのコラムだ。沖縄の新聞の政治的な趣向に合わせたおべっかコラムとでもいえよう。
ウチナー評論の「沖縄よりも本土に海兵隊を移設した方が適切」という文章は新聞の社説で使った文章だ。
さらっと新聞の社説の文章を取り込んで社説の意見に同調する。うまいね。これがプロのコラミストというものだろうな。

ウチナー評論によると、東京の国会議員、新聞記者、有識者は、辺野古移設が進めやすくなったという意見を述べる人が多くなったらしい。東京のほとんどの国会議員、新聞記者、有識者は辺野古移設に賛成なのだろうか。確か辺野古移設に反対の人間も多かったはずだが。
未曾有の大災害の最中に、国会議員であれば災害援助をどうするかで大変であるし、新聞記者や有識者だって大震災のことに気持ちは集中していて、辺野古移設のことは頭にないと思うが、どうなんだろう。佐藤氏の、だらだらしたロシア云々の話をじっくりと聞いてくれるような暇な国会議員、新聞記者、有識者は本当にいるのだろうか。

「普天間問題は、沖縄の名誉と尊厳を巡る」なんて大仰なことを言われたら、ほとんどの国会議員、新聞記者、有識者は失笑するのでないだろうか。佐藤氏は相手が失笑するのもかまわずに「もっと端的にいうと構造的な沖縄差別を是認・固定化するか、解消するかを巡る象徴的事案なのです」と沖縄の一部の知識人の思想を知らないと理解できないような理論を述べたようだ。

構造的な沖縄差別というのはなんだろう。最近、「差別」という用語を好んで使う識者が増えてきた。沖縄に基地が集中しているのは、中国、ベトナム、北朝鮮との軍事バランスと基地機能の合理性を考えながら日本のアメリカ軍の基地を削減したからであって、「沖縄差別」が原因しているわけではない。元官僚で頭の切れる佐藤氏だから、そんなことは百も承知しているはずだ。それでもすらすらと「もっと端的にいうと構造的な沖縄差別を是認・固定化するか、解消するかを巡る象徴的事案なのです」と言えるのは、沖縄の新聞の思想傾向をすでに分析して熟知しているからだろう。沖縄の微妙な思想を的確に掴んでしまう佐藤氏の頭の切れには敬服する。

でも、「東京はつまらない術策を弄するべきではない」と余りにも見え透いた作り話をするのは感心しない。沖縄からは東京がひとくくりになって見えるが東京に住んでいる人間が東京をひとくくりにするようなことはしない。東京の中の意見はいくつもあり、東京の人は東京を一括りにすることはない。、「東京はつまらない術策を弄するべきではない」の文章は、沖縄人から見た東京のイメージを利用した沖縄人向けの文章だ。

佐藤氏の分かりやすく質の低い説得に、外務省OBは「確かに深刻な問題だ。信用しろと言っても無理だ」と簡単に屈服したという。この外務省OBはよっぽと政治の世界を知らないか、頭の悪い外務省OBなのだろう。


沖縄幻視行の岡留氏も、「普天間飛行場の死活的重要性が証明された」と在沖海兵隊がPR・広報にいそしんでいると沖縄の新聞が一番書いてほしいことをちゃんと書いている。そして、在沖海兵隊がPR・広報にいそしんでいるのは「危険な普天間問題やメア氏暴言の徹底解明から目をそらす政治的プロパガンダであることがミエミエである」と述べている。これには開いた口がふさがらない。

普天間基地の移設問題についてメア氏は辺野古移設がだめなら普天間基地をそのままにすると明言したし、普天間は危険ではないとクリントン長官に報告している。
アメリカ政府は辺野古移設するのを日本政府と締結している。後は日本の内政問題だから日本政府の責任であり、アメリカは静観する姿勢をとっている。メア氏問題は学生たちに話したことであり政治的にはとても軽い問題だ。普天間、メア氏問題と東日本大災害や福島第一原発事故問題とはスケールがあまりにも違いすぎる。質もスケールも桁違いの二つを関連づけることがばかばかしい。

米国が「福島第一原発から80キロ圏外に避難を指示している」ことを、岡留氏二枚舌のご都合主義としているのは意味不明だ。米国には避難する範囲の放射線の基準があり、その米軍は基準どおりに行動しただけであって、それを米国お得意のダブルスタンードというのは意味不明だ。これはジャーナリストお得意の尻軽的なこじつけだろうか。
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