タイムスよ! お前もか




フセイン政権時代
1979年7月17日、バクル大統領が病気を理由に辞任すると発表した為、イラク共和国第5代大統領(兼首相)に就任した。
バアス党内には、バクルの突然の辞任に疑問を呈する者もいたが、同年7月22日、アル=フルド・ホールで開かれた党臨時会議により、党内部でシリアと共謀した背信行為が発覚したとして、サッダーム自ら一人ずつ「裏切り者」の名前を挙げていき、66人の人物が、会場に待機していた総合情報庁の人間によって外へと連れ出され、その日のうちに革命指導評議会メンバーで構成される特別法廷により、55人の人間が有罪を宣告され、22人は「民主的処刑」と呼ばれた方法、仲間の党員の手によって銃殺となった。粛清された人間には、サッダームの大統領就任に反対した、ムヒー・アブドゥル=フセイン・マシュハダーニー革命指導評議会・中央書記局長、サッダームの側近の一人だったアドナーン・アル=ハムダーニー副首相、イラク石油国有化の舵取り役だったムルタダー・ハディーシー元石油相も含まれる。また、この時に党から除名された人物も後になって暗殺や投獄を受けて処刑され、党内の反サッダーム派は一掃された形となった。
1980年4月には、ターリク・アズィーズ外相を狙った暗殺未遂事件が発生し、さらに同外相暗殺未遂事件で死亡したバアス党幹部の葬儀を狙った爆弾テロが起こり、事ここに到ってサッダームは、ムハンマド・バーキル・サドルを逮捕し、実妹と共に処刑した。

1990年8月2日、イラクはクウェートに侵攻した。何万人もの人名が失われた。

国内のシーア派住民とクルド人が政権への反乱を起こした(1991年イラク反政府蜂起)。民衆蜂起はまず南部で拡大し、一気に全国18県中14県が反政府勢力側の手に落ちた。しかし、反政府勢力が期待していたアメリカ軍の支援は無かった。アメリカはイランと同じシーア派勢力の台頭を警戒しており、イラク国民に対してはサッダーム政権を打倒するよう呼びかけたが、自ら動くことは無かった。アメリカが介入しないとみるや、サッダームは温存させてあった精鋭の共和国防衛隊を差し向けて反政府勢力の弾圧に成功する。この際、反政府蜂起参加者に対して、非常に苛烈な報復が行われ、シーア派市民に対する大量虐殺が発生した。政権による弾圧の犠牲者は湾岸戦争の犠牲者を上回る10万人前後と言われている。
南部を反乱を平定すると、政権は北部のクルド人による反乱を抑え込もうと北部に兵を進めた。この時、サッダーム政権による化学兵器まで用いた弾圧の記憶が生々しく残っているクルド人たちは、一斉にトルコ国境を超え、大量の難民が発生し、人道危機が起こった。こうした事態を受けて、米英仏が主導する形でイラク北部に飛行禁止空域を設置する決議が採択され、イラクの航空機の飛行が禁止された。

91年のイラク民衆蜂起時にフセイン政権に虐殺された人々のものとみられる大量の人骨が、 バビロン州ヒッラ郊外の農村から出土している。イラク国民会議(INC)の広報担当者は13日、 遺体の数が1万5000体にのぼったことを明らかにした。 フセイン政権に弾圧・処刑された住民とみられる。

同様な逮捕が日常茶飯事であった事は同じくバクダット市街地を撮影中に「衛星電話を持っていた…?」ことを理由に逮捕され同様にバクダット解放まで投獄されていた日本人カメラマン、遠藤盛章氏の証言からも裏付けられ、彼は「投獄中に同じような政治犯の人達、何人かと話ができたが、フセイン政権の思想弾圧の実態は常軌を逸したすさまじいもの…」とのコメントを(某民放番組の中で)寄せている。




 フセイン独裁国家は周辺国との戦争、反政府勢力の虐殺、政敵の処刑、自由を訴える人々の処刑、投獄と弾圧の限りをやった。
 タイムス社説はフセイン独裁の残虐行為への批判はひとつもしない。フセイン独裁国家のイラク戦争、クェート侵攻の戦争行為に対して反戦平和主義を自認しているにもかかわらず非難をしない。

 タイムス社説はアメリカ軍の戦争だけに目を向け、アメリカ軍だけを非難する反戦平和主義である。「イラク戦争は大儀のない戦争だった。してはならない戦争だった」とフセイン政権を擁護するような発言をしている。なぜタイムス社説は独裁国家を擁護するのか。理由はひとつだ。タイムス社説には民主主義が欠落しているからだ。
 フセンイン独裁国家の下ではイラクの国民は報道の自由、表現の自由もなければ、政治的な自由もなかった。国家を批判すれば処刑されるか投獄をされた。表現の自由を謳歌するマスコミが自由のないフセイン独裁国家を擁護するとは呆れる。

 「攻撃を受けた側は、米国に対し、激しい憎しみを抱くようになる。自縛テロという名の米軍に対する反撃と、米軍による容赦ない掃討作戦が、しばしば民間人を巻き添えにした。報復の連鎖で、世界中に暴力を蔓延した」とタイムス社説は述べている。それは事実ではない。そのような事実の記事をタイムスに掲載されたことはない。タイムス社説を書いている人はタイムス新聞を読まなかったのかと思いたくなる。

 アメリカ軍の攻撃を受けたのはフセイン独裁国家であって市民ではなかった。フセイン率いるバース党員がアメリカ軍に激しい憎しみを持つのは当然である。しかし、バース党員は支配者であったのであり、アメリカ軍の攻撃で殲滅はされても、バース等の憎しみの連鎖が市民に広がることはない。

アメリカ軍に対しての自爆テロはあったが、それよりも宗教対立を原因とする宗派同士のテロ行為は多かった。宗教隊列を鎮める努力をしたのはアメリカである。宗派の武力対立を放棄させ、国民選挙を通じて民主主義国家つくりに努力したのもアメリカである。
 自爆テロはアメリカ軍よりも一般市民が集まる市場や、警察を狙ったテロが多かった。一般市民は報復をしない。報復の連鎖は宗派対立にはあるがそれも静まってきている。
なにを根拠に「報復の連鎖で、世界中に暴力を蔓延した」といえるのか。世界中に暴力は蔓延していない。世界のテロもアフガン・イラク戦争が始まる前よりは減っている。アルカイダの訓練拠点にしていたアフガンのタリバン政権を倒し、アルカイダを弱体化させていった効果である。

 イラクは民主主義国家になり、宗派の武力対立も減った。アメリカ軍が撤退するということはイラクが二度とフセイン政権のような独裁国家にはならないし、テロリストもイラク自身で沈静化できるという確証があるからだ。(まだ15万人のアメリカ兵士が駐留するアフガンはまだ安心できない)

 「米国に強力する以外に日本の選択肢はない」と日本の対米追従を非難しているが詰まらない。
 タイムス社説はイラク戦争被害だけを問題にしているが、イラクはアメリカ軍によって民主主義国家になった。リビアは米英軍を中心とする西側諸国の空爆が市民革命を成功に導いた。外国の力によってでもいいから民主主義国家になれば歓迎するべきである。

 イラク戦争の大きな成果は独裁フセイン政権を倒し、イラクが民主主義国家になったことである。イラク戦争の検証は必要であるが、イラクの民主主義革命にアメリカが大きく貢献したことを無視したのではイラク戦争の本質を見誤る。
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