彼女たちは全員元慰安婦ではない 元妓生である


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彼女たちは全員元慰安婦ではない
元妓生である
 
慰安婦は日本軍が管理していた公娼であり、給料、休日が保証されていた売春婦であった。慰安婦は軍隊とともに移動していた。借金を返済すれぎ止めることもできた。売買される妓生とは違っていた。
元慰安婦を名乗る女性たちは全員元妓生である。元慰安婦ではない。彼女たちは元慰安婦であり性奴隷であったと証言しているが、実は彼女たちの証言そのものが元慰安婦ではなく元妓生であったことを証明している。私たちはこのことに気づくべきである。日韓併合前の韓国は封建国家であり、奴隷制度が存在していた。妓生は性奴隷であった。妓生は主の私有財産であり自由に売買された。妓生は13歳から性奴隷にされていた。これは歴史的事実である。
 
1 金学順(キム・ハクスン)
 1991年に自ら元慰安婦として名乗り出て多くの発言をした女性である。元慰安婦を名乗ったが韓国挺身隊問題対策協議会の調査発表では金学順が慰安婦ではなく妓生であったことを証明している。
金学順は15歳の時(1939年)に妓生巻番に40円で売られたと記してある。彼女は親に売られて妓生になったのである。朝鮮には奴隷制度があり、妓生とは朝鮮社会では性奴隷のことであった。奴隷になると金銭売買され、奴隷世界から抜け出すことはできない。金学順は1941年の17歳の時に養父という名の妓生の主に中国に連れていかれ、中国の業者に売られた。挺隊協は「妓生学校を卒業するが年齢が足りず妓生になれず」と記してあるが、挺隊協のいう妓生とは芸を見せる妓生のことである。日本では芸妓という。芸のうまい妓生は芸を見せる妓生になるが、芸の下手な妓生は性奴隷になる。「年齢が足りず」は嘘である。17歳で芸を見せる妓生になるか性奴隷の妓生になるかが決まるが、金学順は芸がなく性奴隷の妓生になったのである。芸のない金学順は中国で売られて性奴隷にさせられたのである。「年齢が足りず妓生になれず」ではなく芸が下手だから性奴隷の妓生になったのである。

韓国女性が慰安婦になるには韓国で日本軍が指定した楼主に申し込まなければならない。そして、韓国で満州やアジアの日本軍への配置が決まる。目的の場所へ楼主が連れていく。しかし、金学順は養父に中国に連れていかれた。彼女は明らかに慰安婦ではない。中国で性奴隷として売られたのである。
金学順は歩哨の目を盗んできて寝に来た朝鮮人に、無理に頼んで夜中に脱出したというが、慰安所に日本兵ではない朝鮮人が侵入してくるのはあり得ないことである。性奴隷から抜けるには自殺するか逃げ出すかである。中国だから脱出に成功した。韓国内であったら捕まっていただろう。
慰安婦はやめたければ自由に辞めることができる。脱出したのは妓生だったからである。

2金福童(キム・ポクトン)
金福童は14歳に慰安婦させられたと証言している。14歳では慰安婦にはなれない。韓国で慰安婦になるには17歳以上でなければならない。慰安婦になるには両親の承諾や年齢を書いた書類を提出しなければならない。書類を点検するのは軍隊の警察である憲兵である。年齢のごまかしはできない。
性奴隷制度があった朝鮮では妓生は13歳から性奴隷にさせられていた。金福童が14歳で慰安婦にさせられたというが本当は妓生にさせられたのである。日本兵相手だからといって慰安婦と決めつけるのは間違っている。慰安婦募集に応じて書類提出をして慰安所に配置された女性だけが慰安婦である。金福童は日本兵相手の妓生であった。

3李容洙(イ・ヨンス)
1944年に慰安婦として連れてかれて、1947年まで慰安所で働かされて拷問も受けたというが、1945年に日本は敗戦し、戦争は終わった。慰安所もなくなった。戦争が終わっても慰安所にいたというのはあり得ないことである。李容洙は妓生であり、終戦後も妓生売春宿で働かされていたのだ。李容洙は妓生であり慰安婦ではなかったことを白状しているようなものだ。

4金君子(キム・グンシャ)
16歳のとき、ある巡査の家の養女となる。その養父に「お金を稼げる場所があるので行っておいで、稼げなかったら帰ってくればいいから」と言わて、家まで連れにきた朝鮮人二人と一緒に列車に乗って中国の琿春に連れて行かれて慰安婦となった。
慰安婦になるためには自分で警察に申し込み、書類をもらい、書類を楼主に提出する必要がある。楼主は憲兵に書類を提出する。慰安婦に決まったら楼主が慰安婦を集団で日本軍のトラックや船で慰安所に連れていく。
慰安婦にするために楼主が家に来ることはない。金 君子の証言では朝鮮人が連れて行ったというがあり得ないことである。金君子は売られて妓生になったのである。

5ヒョン・ビョンスク
 「朝鮮人業者と契約し慰安所を転々とした慰安婦の証言」でヒョン・ビョンスクは慰安婦であったが売春婦であり性奴隷ではなかっと主張している。
「中国に連れていかれた朝鮮人軍慰安婦2」(韓国挺身隊研究会著、ハンオル、2003)に出てくるヒョン・ビョンスクの証言を取り上げて慰安婦は売春婦であったと主張している。親に売られて売春婦や慰安婦になるケースを取り上げ、慰安婦が売春婦であったことを説明しているが、彼女の証言から分かるのは彼女は妓生であり、慰安婦ではなかったことである。
慰安婦は日本軍が管理している売春婦のことである。民間の売春婦ではない。ところが日本兵を相手にする売春婦を全員慰安婦と考えているのが作者である。それは間違いである。
日本軍が慰安所を設置して日本兵だけを相手にする慰安婦を採用したのは日本兵に性病が蔓延するのを防ぐのが目的だった。性病になった者は兵士として使えないから戦力がダウンしてしまう。日本兵の性病を防ぐために慰安婦は月に一回医者による性病検査をした。性病が判明した慰安婦は休ませた。それに慰安婦は軍隊と一体であり軍隊と一緒に移動した。沖縄戦になる前に大陸から沖縄に日本軍が移動してきたが、朝鮮人慰安婦も一緒に移動してきた。
ヒョン・ビョンスクはお金を稼いで、父と母にあげるために売春婦になろうと決心して、中国から女性を買いに来た男と交渉をした。2年で3000ウォンの契約で彼女は中国に行った。彼女が慰安婦でないことは明白である。慰安婦なら交渉する相手は楼主である。楼主は日本軍と契約している売春業者である。楼主が契約している軍隊は決まっている。だから、韓国でどの軍隊の慰安所に行くかは決まっている。彼女は民間の売春業者と中国に行ったから慰安婦ではない。
ヒョン・ビョンスクは16歳で慰安婦になったと証言している。日本には娼妓取締規則という売春婦の法律があり、日本が統治するようになると韓国にも貸座敷取締規則という法律を制定した。日本は18歳以上、韓国は17歳以上でなければ売春婦になれない法律であった。日本軍が管理する慰安婦は法律順守に徹底していたから17歳未満は慰安婦になれなかった。民間では16歳でも妓生になれた。ヒョン・ビョンスクは慰安婦ではなく妓生になったのである。
慰安婦になるには父母や祖父母のハンコが必要であったと証言しているが、貸座敷取締規則には売春婦になるためには両親の許可がなければならないと制定している。ヒョン・ビョンスクがハンコをもらったのは売春婦になるための手続きであって慰安婦になるための手続きではなかった。
ヒョン・ビョンスクは中国の慰安所を転々としたと証言している。慰安婦は日本軍と一緒に移動するので慰安所を転々とすることはない。ヒョン・ビョンスクの居た慰安所には日本兵だけでなく普通の人も来たと証言している。慰安所は日本兵だけが来る。日本兵以外の人は入れない。ヒョン・ビョンスクが居たのは民間人が経営している売春宿であって慰安所てはなかった。
韓国の売春婦は妓生である。ヒョン・ビョンスクは妓生であった。
 作者はヒョン・ビョンスクは売春婦であって性奴隷ではなかった。だから慰安婦は性奴隷ではなかったと主張しているが、彼女は3000ウォンで自分を売ったと言っている。そして、別の業者に彼女は売られたとも言っている。自分から売ろうが、親に売られようが売られる売春婦を奴隷という。ヒョン・ビョンスクは妓生であり性奴隷だったのだ。

 元慰安婦を名乗る女性たちは自分の口から慰安婦ではなく妓生であった証言しているのである。
 韓国の元慰安婦は一人も名乗り出ていない。報酬があり性奴隷ではなかったからだ。、

 元慰安婦を名乗っている女性たちは全員元妓生である。そのことを見抜くことができない日本の学者やジャーナリストである。
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