新報社説は地域エゴ民主主義論だ1





フィリピン軍兵士13人死亡 イスラム勢力と戦闘
 フィリピン南部のバシラン島で18日、同国軍とイスラム武装組織「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)の間で激しい戦闘が起き、国軍兵士13人が死亡、10人が行方不明となった。MILF側も少なくとも3人が死亡。政府とMILFの間で続いている和平交渉に影響する懸念がある。
 国軍によると、同島アルバルカ町の山中で18日早朝、誘拐犯グループを追跡していた国軍部隊が犯人と銃撃戦になった。さらにMILF部隊が戦闘に加わり、国軍側はほかに11人がけがをした。国軍とMILFは停戦しているが、MILFは18日、「国軍が停戦を破り、17日夜から我々の支配地域を砲撃し、戦闘になった」と国軍を非難した。国軍はMILFへの攻撃を否定している。

(マニラ=四倉幹木)



 2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こってから、私の家の近くをアメリカ軍ヘリコプターが低空で飛ぶようになった。一日に数回も飛び、ヘリコプターの騒音でテレビの音が聞こえなくなるほどであった。
 アメリカ軍は9月11日以降嘉手納基地へのテロ襲撃を警戒して、嘉手納基地の近くの民間の上空をヘリコプターを飛ばしてテロを警戒したのだ。沖縄は島である。アメリカ軍による周囲の海の警戒も厳しいからテロリストが沖縄に上陸してテロ行為をするのは不可能に近い。沖縄でテロが発生するとは考えられないが、しかし、アメリカ軍は最悪状態を想定して徹底してテロ行為への警戒をやった。
 北朝鮮に不穏な動きがあると直ぐに最新鋭の偵察機が嘉手納基地にやってくる。最新のジェット戦闘機もやってくる。

 嘉手納基地の様子を観察していると、アメリカ軍は常に最悪事態を想定して行動をしていることがわかる。北朝鮮や中国の些細な動きにも敏感に反応するので、北朝鮮や中国に不穏な動きあると嘉手納基地はジェット機の騒音でうるさくなる。

 一般人から見るとアメリカ軍の動きは異常であるように見えるが、戦争を未然に防ぎ、戦争被害をできるだけゼロにするためには異常と思えるほどの警戒をしなければならないのだ。アメリカ軍の異常な警戒が被害を防いでいるのだということを、2001年9月11日以降のアメリカ嘉手納空軍基地の動きを見て、そう思うようになった。
 現在も時々家の上をヘリコプターが低空飛行することがたびたびある。

 アメリカ軍が沖縄に駐留している理由ははっきりしている。社会主義国家中国、北朝鮮が存在しているせいだ。中国と北朝鮮の脅威がなくなればアメリカ軍の沖縄駐留はなくなる。単純な理屈だ。
 現に中国の脅威が低くなるにつれて沖縄のアメリカ軍は減少している。普天間基地を辺野古に移設して、アメリカ軍の一万人近くの実戦部隊をグアムに移動する計画も中国の脅威が低くなったからである。

 しかし、中国の脅威が低くなったとはいえ、中国は社会主義国家であり、脅威がゼロになったわけではない。尖閣諸島の領海は中国との緊張状態が続いている。
 フィリピン、ベトナムは中国と領海争いをしている。もし、アメリカ軍が東南アジアに駐留していなければフィリピン、ベトナムは中国に領土争いで窮地に追いやられたであろう。
フィリビンではイスラム武装組織との戦闘が続いている。大陸には毛沢東主義武装組織が活動している。東 南アジアの政情は日本以外は安定していない。

 新報社説はこのようなアジア情勢を無視している。もし、沖縄のアメリカ軍や東南アジアのアメリカ軍がいなくなったら、アジアの政情は確実に不安定になる。北朝鮮は韓国を攻撃するだろう。中国は台湾に圧力をかけ、軍事力を利用して日本、フィリピンなどの東南アジアの国々に圧力をかけ、中国の影響力を強引に拡大していくだろう。

 新報社説は民主主義についてうんちくをのべているが、民主主義社会は軍隊と警察の武力によって保護されなくては存在することができない。戦後日本の民主主義はアメリカの軍事力に保護されてきた事実を認識するべきである。もし、アメリカ軍の保護がなければ中国に侵略されチベットと同じ運命を辿っていただろう。

 さて、 新報社説は県知事、県内41市町村の全首長、県議会が辺野古移設に反対し、県民世論の大多数も反対しているのに日米両政府が辺野古移設を進めようとしていることを「擬制」の民主主義国家であると述べている。
 新報社説のいう民主主義国家とは中央政府は県の要望を受け入れなければならないが、県は国の要望を拒否してもいいことを民主主義というようだ。政府は日本全体、日本とアジアの国々との関係、日本と世界の国々との関係を考えて政治を行う。しかし、沖縄県は県の利益だけを考えて政治をする。
 国と県には立場の違いがありそれをお互いに理解しないと民主主義政治はうまくいかない。県はアメリカ軍に関してははアジアの国々や中国、北朝鮮の政治状況を考えるべきである。
 普天間基地の辺野古への移設は日米両政府が日本とアジアの政治事情を考えた上で出した結論である。日米両政府が出した結論を県の多くの意見が反対しているからと簡単にやめるのが民主主義なのか。

 辺野古移設に反対するのなら中国、北朝鮮は安全な国であり、アメリカ軍は必要ないことを説明するべきだ。しかし、新報社説は、県知事、県内41市町村の全首長、県議会、県民世論の大多数は「県外移設」を要求しているから、辺野古移設に反対している。日本国全体のことは無視している。 
 新報社説のいう民主主義なら政府は「県外移設」をしなければならないということになる。まるで政府は県の子分も同然である。

 全国世論調査では、沖縄内移設への賛成は50%近くあり、「県外移設』への賛成はわずか11%である。それでも「県外移設」を要求するのなら国よりも県の主張を優先しろと政府に要求することになる。それも新報社説流の民主主義なのであろうか。県内意見だけを重視するのは民主主義ではなく県のエゴではないだろうか。

 辺野古区民は条件つきで普天間移設に賛成している。辺野古区の民意は辺野古移設である。新報社説は政府が沖縄の民意を踏み潰していると述べているが、新報社説は辺野古区の民意を踏み潰している。

 新報社説は「擬制」民主主義だと政府を非難しているが、政府は「辺野古移設」を主張しているが、まだ実行には移していない。政府は県民の意見を無視して強引に辺野古移設を実行しているわけではない。
県や名護市長などに辺野古移設に同意してもらおうと政府の要人が来県して面談し、説得をしている状態だ。政府は民主的な手続きで辺野古移設を実現しようとしているのであり、県と国の意見が違ったときに県の意見に従わないことを「擬制」の民主主義国家であるというのは間違っている。


                つづく
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