「国家の品格」批判その1



英国政府の機密文書に「天皇は『日中事変で日英関係が急速に悪化していることに、私は深い懸念を持っている』『かつての良好な日英関係に戻すのを心から願っている』などと明かしたうえで、『どうか、大使も力を貸してほしい』と要請。大使が『良好な日英関係を築く唯一の基盤は、中国を敵ではなく友人とすることです」と応えると、天皇は「その方向に、すべての努力を傾けなければならない』と語った。」ことが記されている。



 この機密文書から分かることは、中国侵略は天皇の意思ではなかったということである。天皇はイギリスとは友好関係になるのを願っていた。中国を敵ではなく友人とすることを天皇は願っていたのだ。
 ところが日本は天皇の願いとは逆に中国征服を狙って中国を侵略した。いったい誰が天皇の願いを踏みにじったのか。言うまでもなくそれは日本軍隊である。日本軍は中国を侵略し、イギリスとは敵対していった。

 「天皇崇拝教育」は誰のための教育だったのか。貴族である天皇は平和主義であり戦争を好んではいなかった。しかし、国民は天皇陛下の名の下に戦争に狩り出されていき、「天皇陛下ばんざい」と叫んで戦場に散っていった。国民と天皇の間に存在する軍部が天皇崇拝の仕掛け人である。




 37年9月24日の英国外務省報告文書では、日本の政治システムを「天皇を取り巻くアドバイザーが(略)日本の政策を決定していく」と分析。そのうえで、天皇の性格を「周囲の人間の操り人形とならないためには強い個性が求められるが、今の天皇はそれを持ち合わせていない」「弟の秩父宮のように自由を与えられず、自分の意見を形成する機会を持てなかった」と記している。


 国民は天皇を崇拝し、天皇のために戦争をしたが、昭和天皇は戦争を望んでいなかった。戦争を望んだのは軍部であったのだ。国民が天皇のために戦っている思ったのは間違いであり、国民が天皇陛下のために戦い死んでいったのは、武士思想の政治家や軍部の策略であったのである。天皇は国民を戦場に狩り出すために利用されたのである。

 武士は領土を支配することによって富を得る。武士の本能とは領土を拡大することである。朝鮮、満州、中国と植民地を拡大していったのは軍部でありそれは武士思想の行動であった。
 「天皇崇拝」「皇民化教育」は国民が尊く思っている天皇を軍部の野望を実現するために利用したのである。明治から戦前までの政治は軍部つまり武士の政治であり、天皇制政治でも貴族政治でもなかった。
 
 それが事実であったことが英国の報告文書にはっきりと出ている。

 安倍首相の「美しい国」の思想は武士思想である。靖国神社は武士思想によって明治に建立されたものであり安倍首相が参拝するのは武士思想の神社を参拝するということである。

 永久戦犯が奉納されたことをきっかけに昭和天皇は参拝しなくなった。現天皇も参拝していない。これは武士思想と貴族思想の違いを明確にしているものである。

 



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