佐藤優は所詮はエリート官僚


チェコスロバキアの「プラハの春」でソ連軍がチェコスロバキアに侵攻したのは、市民運動がチェコ共産党政府では抑えきれないほどに広がったからだ。もし、ソ連軍がチェコに侵攻しなければチェコは1968年あたりに民主主義国家になっていただろう。

ソ連が侵攻して市民運動を弾圧したのはチェコだけではない。1956年にはポーランドのブタペストにもソ連軍は侵攻して20万人規模まで拡大した市民運動を弾圧している。ソ連は国内外で民主化を求める市民運動を弾圧してきた。

チェコの政権を握っていたのは共産党であり、共産党の独裁政治に反発した市民運動が「プラハの春」であった。佐藤氏が書いてあるようにチェコスロバキアの民主化運動はソ連の戦車によって叩き潰された。

東京・メキシコオリンビックの体操競技で金メダルを取ったチャスラフスカは、「プラハの春」で市民側からの改革への表明であった「二千語宣言」にメキシコオリンピックに参加する前に署名していた。ソ連軍の弾圧で市民運動が頓挫した後、共産党政府はチャスラフスカに署名の撤回を求めた。しかし、チャスラフスカは拒否し続けた。
そのために彼女は公的な場から追放されて、政府から弾圧された。1989年11月、ビロード革命によって共産党体制が崩壊するまで、チャスラフスカは非常に困難な状況に置かれ続けた。
チャスラフスカのように弾圧されながらも多くのチェコの市民たちは粘り強い市民運動を続けたから、1989年に社会主義体制は崩壊し民主主義国家を樹立することができたのだ。

佐藤氏の語るチェコスロバキアは裏で市民を弾圧していたチェコ共産党の表の姿であり、ソ連に対して「ドルジュバ」とか「ドノフ」というスローガンを抱えたのは、「現実的に考えて小国チェコスロバキアは、ソ連と対立したら生き残ることができないと考えた」からではない。チェコスロバキア共産党とソ連共産党は同じ思想であり、チェコスロバキア共産党はソ連のバックアップなしではチェコスロバキアを独裁支配することができなかったから「ドルジュバ」とか「ドノフ」というスローガンが必要だったのだ。弾圧されている市民には「ドルジュバ」とか「ドノフ」というスローガンは必要なかった。

「社会主義共同体の利益を防衛する」の「利益」というのは共産党がチェコスロバキアの政治・経済を支配し、市民を思うままに扱って、政治家や官僚が冨をむさぼることである。そんな「利益」は市民が搾取されることによって生じる「利益」であり、市民とってあってはならない「利益」である。佐藤氏はチェコの国民が生き残る方便として「ドルジュバ」とか「ドノフ」というスローガンが必要たったと述べているが、それはとんでもないことだ。
チャスラフスカのように共産党政府の弾圧に、精神病になる寸前まで陥りながらも不屈の闘いをしてきたチェコ市民に失礼である。

佐藤氏は所詮はエリート官僚の精神にずふずぶである。共産党一党独裁の社会主義国家と市民革命による民主主義国家の根本的な違いには無関心であり、上から目線で世の中を見ている。
ウチナー評論も上から目線で適当に沖縄の事情を分析し、沖縄の新聞の傾向にあわせたコラムを書いている。

チェコスロバキア問題からチェコの小話の話題に移り、最後に「静かにしていた方が日米同盟は強化される」の文章まで、流れるように書いてあるのはさすがだ。佐藤氏の知識の豊富と文章力には感心する。

佐藤氏は「トモダチ作戦」を誇張しないで静かにしていた方が日米同盟は強化されると書いているが、誇張しない方いいと沖縄の新聞も強調していたし、うまく沖縄の新聞に歩調を合わせている。しかし、日米同盟が強化されるのは沖縄の新聞は望んでいない。これは蛇足だ。

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