「臨時制限区域」は正しくは「侵入禁止区域」である


「翁長知事・県議会は撤回せよ謝罪せよ」
「一九七一Mの死」
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「臨時制限区域」は正しくは「侵入禁止区域」である

 防衛局はトンブロックを設置した後に、大型フロートを設置した。大型フロートには「米国海兵隊施設・区域」と書かれている。フロートは「米国海兵隊施設・区域」を示すものであり、フロートは陸上の金網と同じである。
 フロートを超えるということは金網を超えることと同じ行為であり違法行為である。
フロート内は「米国海兵隊施設」であるから県は入ることができない。だから、フロート内の調査は米軍の許可がないとできない。県は調査ができるように米軍にフロート内に入る許可を申請している。

県水産課は「(破壊が)どのような内容だったのか県として知る必要がある」とし、既に外務省を通じて米側に求めている米軍臨時制限水域内での立ち入り調査を認めるよう、近日中に再度求めることを明らかにした。
                                     「琉球新報」
 県が立ち入り調査をするために米側に要求しているのを書いてある記事であるが、この記事の中には妙な文言がある。「米軍臨時制限水域内」である。辺野古の埋め立て予定地を示す図では外側のフロートを「臨時制限区域」と書いてある。今までは「フロート」と書いていたが、「フロート」と書くわけにはいかなくなった。というのは県がフロート内に自由に入ることができないことが判明したからだ、沖縄二紙は県がサンゴを調査をするためにフロートに入るには米軍の許可が必要であることを記事にしなければならなくなった。フロートは単なるフロートではなく「米国海兵隊施設・区域」を示すフロートであることが明らかになった。だから、フロートから「臨時制限区域」に変えたのである。「臨時制限区域」とは意味不明の言葉である。

 大型フロートには「「米国海兵隊施設・区域」と書いてある。であれは「米軍臨時制限区」ではなく「米国海兵隊施設・区域」と書くべきである。フロート内は元々「米国海兵隊施設」であったのだから、「臨時」という言葉は適切ではない。「制限」はなにを制限しているのか意味不明である。大型フロートに「米国海兵隊施設」と書いてあるのはフロート内は「米国海兵隊施設目区域」であるから進入してはいけないと警告するためである。つまり、進入禁止の印がフロートなのだ。だから、「臨時制限区域」ではなく「進入禁止区域」と書くべきだ。
 「進入禁止区域」と書いた方がフロートの設置目的が理解しやすい。なぜ沖縄二紙やマスコミは「侵入禁止区域」ではなく意味不明の「臨時制限区域」と書くか、それは記事を見れば分かる。

「出て行け 犯罪者」 海保がカヌー市民に暴言 辺野古新基地
 【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う新基地建設に向けた作業が進む大浦湾で15日、カヌーで抗議行動をする市民に対し、海上保安庁の特殊警備救難艇「あるたいる」に乗った職員が「(臨時制限区域内から)出て行け、犯罪者」と発言した。市民や関係者らは「普段から思っていることが口に出たものだ」などと怒りの声を上げた。

 カヌー隊は同日午後、15艇で辺野古沖の長島付近の同制限区域付近で抗議行動を展開した。海保のゴムボートとの間でにらみ合いが続く中、一人の海上保安官が「犯罪者」と発言すると、市民は一斉に反発した。
 抗議船の船長仲宗根和成さん(36)は「あるたいる」に近づき、説明を求めたが、別の海上保安官が抗議船に乗り込み、沖合まで移動させた。その後、市民は行動を続けたが、カヌー5艇が次々と拘束され、辺野古の浜で解放された。
 行動後、仲宗根さんは「抗議自体を犯罪扱いされたら人権を批判されるようなものだ。われわれは作業への抗議をしたいだけだ。強権的な発言は許されない」と話した。カヌーチーム「辺野古ぶるー」を率いる佐々木弘文さん(39)は「反対すれば犯罪者ということか。普段から思っていることが出た発言だ」と批判した。
 第11管区海上保安本部は取材に対し「制限区域内に入る前に『入ると犯罪になる』といつも通りの指導をした。『犯罪者、出て行け』という発言は確認されていない」と説明した。
                             「琉球新報」2015年4月16日
新報は「職員が『(臨時制限区域内から)出て行け、犯罪者』と発言した」と書いている。職員が理不尽な発言をしているように思えるが、意味不明の「臨時制限区域内」ではなく「侵入禁止区域内」を使えば印象が違ってくる。「職員が『進入禁止区域内から出て行け、犯罪者』と発言した」となる。犯罪者というのはひどい言い方とはと思うが、侵入区域内に入るのは違法行為であるからフロートを越えた者は犯罪者である。ひどい発言ではあるが間違ってはいないことが分かる。
 意味不明の「臨時制限区域内」では違法行為であるかそれとも違法行為でないかがはっきりしない。はっきりさせないのが琉球新報の狙いであるのだ。抗議船やカヌー隊の違法行為をぼかす目的で「臨時制限区域」を使っているのである。
 
 海保は進入禁止のフロート内に入った違法行為の抗議船やカヌーを拘束してフロートの外に出している。海保が取り締まるか否かの基準はフロート内かフロート外かである。フロート内なら取り締まるしフロート外だったら取り締まらない。ただ、フロートに最接近してフロートに入る可能性がある場合は警告をする。それだけのことである。海保は当然のことをしているだけだ。

 「抗議船の船長仲宗根和成さん(36)は『あるたいる』に近づき、説明を求めた」とあるが、仲宗根船長はフロートを越えて「あるたいる」に近づいたのだろう。だから、拘束され沖合に移動させられたのだ。
 「カヌー5艇が次々と拘束され、辺野古の浜で解放された」と書いてあるがカヌー5艇は進入禁止区域内に入ったから拘束されたのだ。

仲宗根氏は「抗議自体を犯罪扱いされたら人権を批判されるようなものだ。われわれは作業への抗議をしたいだけだ。強権的な発言は許されない」と話したというが、海保は抗議自体を犯罪扱いしていない。進入禁止区域内に入った者を取り締まっている。また、犯罪行為をさせないためにフロートに接近した者に警告をしている。それは当然である。作業への抗議をしたいだけならフロートの外からやればいい。仲宗根氏は「抗議」を理由にフロート内に侵入するから悪いのである。

新報は抗議船やカヌー隊の違法行為を隠蔽するために進入禁止区域を示すフロートを単なるフロートと書き、最近は臨時制限区域と書いている。辺野古埋め立て反対派、名護市議会議員、沖縄二紙、本土マスコミキャスターなどは進入禁止区域を「フロート」「臨時制限区域」などと、「進入禁止区域」ではないような表見をして、堂々と「進入禁止区域」に侵入している。彼らは辺野古の海を無法地帯にしている。


サンゴ保護は血の惨劇を起こす
 沖縄二紙の辺野古報道で中核派や革マル派の文字を見たことがない。過激派という文字も見たことはない。辺野古報道では運動している人は市民とか住民と呼んでいる。
 辺野古の海では進入禁止のフロートを乗り越えて進入する船やカヌーが後を絶たない。海保が厳重に警戒しているフロートを飛び越えたり、海保と堂々と渡り合う彼らは一般市民ではない。一般市民がそんなことはできない。彼らの多くは左翼活動家である。いわゆる過激派である。過激派といっても一つの組織ではない。辺野古の海で活動している組織は共産党、革マル派、中核派の三つの組織である。三つの組織は実は仲が悪い。しかし、反米主義、社会主義革命を目指していることは同じであるから、活動する場所は同じである。
 革マル派、中核派、共産党について説明する。
 革マル派と中核派は革命的共産主義同盟という組織であったが仲たがいをして二つに分かれる。革命的共産主義同盟は実は共産党から離れたので、革マル派と中核派は共産党の子供と言えるし、二派は兄弟とも言える。革命的共産主義同盟が共産党から離れたのはソ連によるハンガリー弾圧が原因だった。

1956年に社会主義国家だったハンガリーで労働者たちが権利を主張して立ち上がった。蜂起は全国に広がり、ハンガリー政府では押さえきれなくなった。すると、ソビエト軍がハンガリーに侵攻して労働者の蜂起を弾圧した。
労働者の味方であるはずのソ連がハンガリーの労働者を弾圧したことに疑問をもった日本共産党員の一部がスターリン批判をやった。彼らはソ連寄りの日本共産党から脱退して革命的共産主義同盟を結成した。しかし、革命的共産主義同盟は中核派と革マル派に分裂する。兄弟の近親憎悪は強く、内ゲバが激しくなり中核派と革マル派は殺し合いをするようになる。なんと80人近くが内ゲバで殺されたのである。
共産党、中核派、革マル派は対立関係にあるが、他方三者は共産主義であり社会主義国家を目指している。資本主義を否定し、議会制民主主義を否定し、反米主義であり、日米安保廃棄を主張している。そのことでは共通している。
三者には違いがある。

中核派
 中核派のブログより

攻勢につぐ攻勢をかけて、プロレタリア革命の勝利と共産主義社会の創造へと大進撃していこう。この過程でプロレタリアートの巨万の軍勢をつくりだそう。

 いま辺野古現地において執拗にたたかわれている労働者・人民の闘いが反安保の巨大な火柱となって燃え広がることを、米日両権力者は、心底から恐れている。
いまこそわれわれは、辺野古現地での「海底ボーリング調査阻止・埋め立て阻止」の闘いを、全人民の総決起で反戦・反安保の巨大な闘いとして爆発させるのでなければならない。
 九月九日に、わが県学連の学生を先頭とするカヌー隊と海上行動隊は、ボーリング調査を阻止すべくいっせいに決起した。七月の闘争開始いらい最大規模の七十名にのぼる労働者・学生・市民の部隊は、次々とフロートを飛び越えスパット台船に進撃する。海上保安庁の高速艇による弾圧をはね返しフロート内を縦横無尽に駆けめぐる。そして、ついに海上阻止団はスパット台船によじ登り、「ボーリング調査阻止!」の断固たる決意を日米両権力者どもにつきつけたのだ。
 わが革命的左翼を先頭にした辺野古の海・陸における闘いは、沖縄全県の労働者・学生・人民の圧倒的共感を呼び起こしている。
 すべての労働者・学生諸君! いまこそわれわれは、日共指導部による「反安保」なき「米軍基地の縮小・撤去」請願運動をのりこえ、海底ボーリング調査阻止・辺野古埋め立て阻止の闘いを反戦・反安保闘争として爆発させるべくたたかいぬこう。
九月二十日に辺野古現地でとりくまれようとしている第二弾の「県民大行動」の戦闘的高揚をかちとろう!

 中核派のブログを読むと辺野古は戦場のようになり、海保の弾圧を跳ね除けて中核派が大活躍しているように見える。しかし、中核派のメンバーは少ないだろう。
中核派は革命一直線である。すべての運動が革命へ発展するものであると考えて運動をしている。
日共指導部とは共産党のことである。革命一直線の中核派から見れば共産党は日和見主義で軟弱であるのだ。だから、「日共指導部による「反安保」なき「米軍基地の縮小・撤去」請願運動をのりこえ」て革命一直線の闘争を繰り広げようとしている。

革マル派
革マル派のスローガンである。

帝国主義打倒!  
スターリン主義打倒!
万国の労働者団結せよ!
統一地方選に没入する日共を弾劾し反戦反安保の火柱を!

革マル派は二段階革命論者である。今は革命を起こす時期ではない。革命を起こすための準備段階である。労働運動や大衆運動を展開しながら革命のための同志を増やしていき、その延長線上に革命を起こす。革マルは議会制度を否定している。


共産党
 共産党も革マル派と同じ二段階革命論者であるが、革マル派との違いは選挙を認めているかいないかである。社会主義革命は実力で国家を倒す暴力革命しかないというのが定説であった。共産党も暴力革命目指していて暴力革命派が多数を占めていた。暴力革命論の中心的な人物が沖縄出身の徳田球一であった。彼は参議院議員であったが、暴力革命を目指している理由でGHQによって公職の場から追放される。徳田球一は中国に亡命して、中国から暴力革命を指導していたが失敗した。暴力革命の失敗と徳田球一の病死によって暴力革命派は衰退し、選挙を認める柔軟路線の宮本顕治氏の穏健派の勢力が強くなった。

 革マル派は共産党が選挙を認めたことを嫌った。だから、
「統一地方選に没入する日共を弾劾し反戦反安保の火柱を!」
のスローガンを掲げているのだ。
 共産党は暴力革命を捨てたのではない。選挙と暴力革命の両方から革命を実現しようとしている。


辺野古の海のカヌー隊は中核派、革マル派に共産党の三者の野合集団であると考えられる。
 彼らの目的は実力でボーリング調査を阻止することである。彼らは日本政府、米政府を認めていない。敵視している。だから日本の法律も認めていない。彼らにとって立ち入り禁止を示すフロートは目取真氏がブログで書いているように法的な存在ではなく単なる障害物でしかない。障害物を超え、オイルフェンスも超えてボーリング調査を阻止するのが彼らの目的である。
 だから、翁長知事が彼らの違法行為を止めることはできない。革新つながりがあるから批判することもできない。むしろ、海保の取り締まりを過剰警備だと非難して彼らを擁護している。県知事たるものが暴力革命を目指している連中を擁護しているのである。

31日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先となる名護市辺野古で抗議活動中に警察官の職務を妨害したとして、自称同市為又(びいまた)の自営業、仲宗根和成容疑者(35)を沖縄県警は公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕したが、彼は「僕は、日米両政府が敵です」と発言している。
「僕は、日米両政府が敵です。海上保安庁ではありません。ただ、目の前のことを無視することはできないですから。現実問題、目の前のことを一日一日積み重ねて『お前らがやっていることはおかしいんだよ』っていうことを教えながら、最終的には、相手は日米両政府ですね。基地建設を止めてくれというのが一番の目標です」
 仲宗根氏は日米両政府を敵だと言っている。日米両政府は北朝鮮や中国のような独裁国家ではない。議会制民主主義国家である。国民の選挙で選ばれた政治家が国会、政府を運営しているのであり、政府は国民の代表者である。そんな日米両政府を敵視するということは仲宗根氏が議会制民主主義を認めていないからである。彼も暴力革命を目指している中核派や革マル派と同類の人物なのであろう。

実力行使で妨害する集団が存在する限り、進入制限区域を設定して、フロートを設置し、海保が取り締まるのはどうしても必要である。
 フロートは埋め立て作業には必要ない。それは那覇第二滑走路埋立地を見れば分かる。フロートは本来必要ないのだが、日米政府を敵視して、埋め立てに反対している中核派、革マル派、共産党が船やカヌーでボーリング調査の妨害活動をする限り必要である。
 フロートを固定するためのトンブロック設置の原因は辺野古埋め立て反対派の妨害活動が原因である。サンゴ保護を訴えるなら反対派に臨時制限区域に侵入しないで、ボーリング調査を妨害しないことを要求するのが筋というものである。
 辺野古埋め立て反対派が法律を守り、作業を妨害しなければトンブロックを設置する必要はないからサンゴを傷つけることはない。サンゴ破壊で非難するべきはカヌー隊である。

 ところが沖縄二紙は臨時制限区域に侵入したスヌー隊を取り締まった海保に過剰警備だと非難したのである。沖縄二紙は違法行為を平気でやっているカヌー隊を弁護したのである。暴力革命論者の中核派、革マル派、共産党の味方になっているのが沖縄二紙である。

沖縄二紙が驚くべきことを隠蔽していることがもう一つある。辺野古の海で活動している抗議船やカヌー隊の様子を沖縄二紙は連日報道をやっているが、中核派、革マル派の名前が出たことは一度もない。保守の間ではカヌー隊に中核派、革マル派が紛れているらしいと言う噂はある。しかし、中核派や革マル派に詳しくないから保守の人たちにとっては正体は謎でありまるで中核派や革マル派は地下組織であり、正体を隠しているように見える。

実は中核派と革マル派は地下組織ではないし正体を隠すようなことはしていない。むしろ県民大会などの集会では大きな旗を振り自派の存在をアピールしている。両派は多くの本を出版しているし、ブログで組織の主張を繰り返している。中核派と革マル派は市民にアピールし自分たちの存在と主張が多くの市民に知られる運動をしている。それなのに彼らの存在は秘密結社のように感じるのは、沖縄二紙が彼らの正体を隠しているからである。
私たちが中核や革マルについて知らないのは沖縄二紙が隠蔽して両派の主張や行動を報道しないからである。彼ら自身は目立ちたがり屋であるし、旗を振り、チラシを配り、演説をしている。ブログを調べれば彼らの正体はすぐわかる。沖縄二紙も彼らが革マル派、中核派の過激派であることを知っている。しかし、彼らを市民と呼ぶのである。理由は革マル派、中核派の実名を出すと辺野古移設反対運動に大きなマイナスだからである。

辺野古新基地:抗議船に海保船衝突 船損傷 拘束の男性(過激派男性)怪我
 【名護】新基地建設に向けた作業が進む名護市辺野古沖で27日、建設に反対する市民(過激派)らの抗議船1隻が、海上保安庁のゴムボートに衝突され、船体の一部が損壊した。衝突の際に船長(過激派船長)は右手をけがした。
 一方、台船によじ登ろうとした男性(過激派男性)が、拘束された海保のゴムボートの上で羽交い締めにあうなどして、両手に打撲などを負った。
 市民(過激派)らの抗議船2隻が午後2時すぎ、フロート内(進入禁止区域内)に入り、うち1隻がスパット台船に近づいた。市民らによると、海保のゴムボートが少なくとも3回、船に衝突。右側部に約70センチのひびのほか、左後部にも一部ひびが入った。船長(過激派船長)は「船を壊すなんて許せない。もし人がそこにいたら大けがをしていたはずだ」と憤った。
「沖縄タイムス」2015年4月28日
記事の中の、男性を過激派男性、市民を過激派、船長を過激派船長、フロート内を進入禁止区域内に書き換えたら、過激派だから海保も乱暴にならざるを得ないと思うだろうし、海保の警戒を突破してオイルフェンスに侵入しスパット台船に余事の防露とした行為が過激な行動であると思うようになるだろう。
辺野古で過激派が暗躍していることを知れば県民の辺野古移設反対の熱は冷めるだろう。
そのことを恐れているから沖縄二紙は過激派も市民と呼んでいるのである。

 
革命より民主化運動に固執した私

 全体主義体制を敷いた共産党政権が崩壊した後、チェコスロバキアはチェコとスロバキアに分かれる。その時は流血はなく、1992年の総選挙後、チェコではヴァーツラフ・クラウス率いる市民民主党が、スロバキアではヴラジミール・メチアルの民主スロヴァキア運動が第一党となったが、連邦解消をめぐっては政界内で議論が繰り返された。結果、クラウスとメチアルのトップ会談を経て、1993年1月1日午前0時にチェコ共和国とスロバキア共和国による連邦制は解消された。
チェコとスロバキアは平和的に分離したことから、民主化時の「ビロード革命」にちなんで「ビロード離婚と呼ばれることがある。

チェコスロバキアの民主化運動(「プラハの春」)は1968年の「二千語宣言」から始まったが、フランスの民主化運動は1966年に始まって1968年に終結した。。それをフランスの五月革命と呼んだ。
五月革命は日本の学生運動にも影響を与えた。
民主化運動を始めた学生たちは民主化の意義を親に話し、親を説得して、親の支持を得た。それが五月革命の成功の原点であると革マルの幹部は話し、私たちもフランスの学生のように家族を説得して家族闘争をやるように指示した。
「一九七一Mの死」は家族闘争に悩んでいるM=町田宗秀に相談されたことを描いている。

フランスの五月革命のように大学の自治や民主化を目指した運動であったなら、私は家族の理解を得るために喜んで話していただろう。しかし、琉球大学の学生運動は五月革命のような民主化運動とは性格が異なっていた。
琉球大学の学生運動はアメリカ軍事基地撤去、ベトナム戦争反対などを掲げていたが、反戦平和運動の域に止まるものではなかった。沖縄最大の大衆運動である祖国復帰運動を批判し、民主主義国家であるアメリカを帝国主義呼ばわりし、ソ連をスターリン官僚主義と批判して反帝国主義反スターリン主義を掲げた学生運動であった。本土の学生運動と系列化していった琉球大学の学生運動は急速に過激になっていった。ヘルメットを被ってジクザグデモをやり、ゲバ棒で機動隊と衝突したり、火炎瓶を投げたりした。
琉球大学の学生運動を、古い沖縄の因習を信じている私の親が理解し、納得し、応援するのは不可能であった。民主主義社会を目指した運動であったなら私は熱心に両親を説得していたはずである。しかし、民主主義国家アメリカを帝国主義呼ばわりし、将来のプロレタリア革命を目指している琉球大学の学生運動を家族に理解させるのは不可能であった。上からの指示であったが、私は「家族闘争」はやらないことに決めた。
それに、大統領や国会議員だけでなく州知事や地方の首長、議員までが市民の選挙で選ばれるアメリカや日本の民主主義国家で労働者階級が政治の実権を握るために暴力革命を起こすというのはむしろ社会が後退するのではないかという疑問が私にはあった。国民の代表である大統領や議員が国民の一部である労働者階級の暴力によって滅ぼされるのはおかしい。プロレタリア革命の後は国民の選挙が行われないとすれば民主主義国家での暴力革命は目指してはいけないのではないかと私は疑問に思っていた。民主主義とプロレタリア革命の狭間で私自身が悩める若者であったから家族闘争どころではなかった。
         「一九七一Mの死」
高校生の時、絶対的な権力を持たないグーチョキパー的な三権分立を習った時、私は感動した。議会制民主主義と三権分立が一番いい政治だと高校生の時に思うようになったが、それ以来私の考えが変わったことはない。
人間は本質的に利己的であり自分の幸せや欲望を達成するために生きているのだと子供の頃から思っていた。例えばノーベル平和賞をもらったシュバイツァー博士がアフリカで人道支援としての医療活動をしたことについても、それが彼の幸せだったからであって彼の欲望がそうさせたのだと思い、先生のいう自己犠牲の精神からアフリカに行ったのではないと思っていた。まあ、ひねくれた少年であったが、基本的にはこの考えはずっとある。

共産党一党独裁が理想国家だと言われていたが、共産主義であろうと一党独裁なら政府を牛耳っている連中の欲望のための政治が行われていくだろうから、国民を弾圧するだろうと私は単純に考えていた。私の予想を実際に指摘していたのが革マルの反スターリン主義だった。
ハンガリーで労働者が待遇改善を求めて蜂起した時にロシアが軍隊を派遣して弾圧した。労働者のための国家であるはずのロシアが労働者を弾圧したことを批判しているのが革マルであった。私はロシアがハンガリーを弾圧したことを知った時、これは起こるべくして起こったのであり当然のことだと思っていた。驚きよりもやっぱりなという感じだった。共産党などと党名はかっこよくしているが裏では政治家同士の醜い利権争いが繰り広げられているだろうとしか私は思わなかった。

革マル派は過激な学生運動をしているから大学を暴力的に支配していると思う人は多いかもしれない。しかし、それは違う。琉大での革マルは徹底して民主的に自治運営をしていた。選挙によって革マル派の立候補者が自治会長になったし、自治運営は学科委員長会議の賛成多数で運営した。
全学ストは学生投票をやり、過半数に達したから行った。今では考えられないがあの時に学生総会が成立したことがある。自治会規約というのがあり、学生総会が成立する条件は銘記してあった。はっきりとは覚えていないが三分の一以上の学生が集合することだったと思う。
体育館一杯に学生たちは集まり、複数の学生が人数を数えた結果、総会は成立した。革マルは琉大の自治は民主的な運営をやったので私は参加した。もし、民主的な運営をしなかったら私は革マルに参加しなかっただろう。

フランスの五月革命の意義、
事件の発端は1966年に起こったストラスブール大学の学生運動で、教授独占の位階体制に対する民主化要求からはじまった。革マルが家族闘争の模範としたのがストラスブール大学の学生運動であった。

ストラスブール大学の民主化運動はナンテールに波及し、1968年3月22日にはベトナム戦争反対を唱える国民委員会5人の検挙に反対する学生運動に発展、ソルボンヌ(パリ大学)の学生の自治と民主化の運動に継承された。アナーキストのダニエル・コーン=ベンディットと統一社会党のジャック・ソヴァジョ、毛沢東主義者のアラン・ジェスマル、トロツキストのアラン・クリヴィンネが指導し、フランス全体の労働者も同趣旨から民主化に賛同し、運動は拡大した。その頃から民主化運動の枠を超えて政治運動に転換していったのだろう。
ベトナム戦争反対は民主化運動ではない。しかし、国民委員会5人の検挙は表現の自由への弾圧であり、彼らの逮捕に反対する運動は民主化運動である。
5月2日から3日にかけて、カルチエ・ラタンを含むパリ中心部で大規模な学生デモがおこなわれた。5月21日にはベトナム戦争、プラハの春事件等の国境を越えた国家権力の抑圧に反対し、自由と平等と自治を掲げた約1千万人の労働者・学生がパリでゼネストを行った。これに対して、機動隊がこの参加者を殴打したため、抗議した民衆によって工場はストライキに突入し、フランスの交通システムはすべて麻痺状態に陥った。「中央委員会」は間接的に援助、各大学もストライキに突入し、このゼネストは第二次世界大戦以来の政府の危機をもたらした。
運動は民主化を越えた反政府運動へと発展していった。

シャルル・ド・ゴール大統領は、軍隊を出動させて鎮圧に動くと共に、国民議会を解散し、総選挙を行って圧勝した。この事実は注目すべきだ。つまりフランス国民は民主化運動には賛成したが、民主化運動に乗じたアナーキーやトロッキストたちの反政府運動=革命運動には反対したのである。
五月革命によって、労働者の団結権、特に高等教育機関の位階制度の見直しと民主化、大学の学生による自治権の承認、大学の主体は学生にあることを法的に確定し、教育制度の民主化が大幅に拡大された。民主化運動の勝利である。

自由奔放なヘチマ


ヘチマがシークワーサーの木にするすると登って行った。成長の速いヘチマはシークワーサーの枝から枝へ伝っていった。ヘチマの傍若無人な振る舞いに自由奔放を感じて痛快である。台風が沖縄本島を直撃すると言うのでヘチマは吹き飛ばされてしまうだろうと心配していたが、本島を掠ったのでほっとした。

 コンクリートの壁を駆け上ったのもヘチマであった。つた類の野菜はゴーヤー、キューリ、モーイ、シブイ(冬瓜)なども植えているが、ヘチマが一番自由奔放である。
 黄色い花の上に萎んだ花が見えるが、実の先の花である。シークワーサーの木にヘチマの実がなるというわけだ。楽しみだ。
 去年までヘチマの栽培は失敗続きであった。だいだい色の虫に葉が虫に食いつくされて枯れた。植えた後は面倒を見ないで放置していたからだが、今年は虫を退治している。だから、被害が少なくなり、シークワーサーの木にも這い上がってきたのだ。
 今年はヘチマが食べれるなあ。
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