反復帰論は復帰論と同じ穴のむじな

 沖縄タイムス2007年5月27日掲載

   雑誌「EDGE」編集長 中里効さん
    「問われる復帰世代の責任 境界性の意識を持つ沖縄」に対する批判 

 仲里効氏は復帰運動は戦前からの皇民化教育の連続性としての再教育であると批判して反復帰論を唱えた。復帰運動が隠していた「集団自殺」や自衛隊の沖縄配備問題を問い返した。その意義は大きいと仲里氏は言う。仲里氏の反復帰論は復帰運動が始まった頃からあったわけではない。復帰が確定的になり現実的になった祖国復帰がばら色的な祖国復帰ではないことに気づいてから祖国復帰の矛盾として反復帰論は出てきたのだ。
 祖国復帰運動は沖縄が祖国復帰すれば平和憲法の下の沖縄になり核も軍事基地もない平和な沖縄になると宣伝していた。でも強大なアメリカ軍基地があり、ベトナム戦争の最中であり、中国・ソ連とアメリカとの緊迫した対立の国際状況で祖国復帰運動家の主張が実現するとは大多数の沖縄の人々は信じていなかった。それでも復帰運動を支持したのは日本に復帰すれば生活が向上するという確信があったからである。沖縄は独立するには領土は小さい。そして資源は無であるし土は赤土で農業には向いていない。沖縄が独立すれば貧困国になると信じている人が圧倒的に多い。貧困脱出の願望が祖国復帰運動を支えたのである。
 沖縄の祖国復帰に反対したのが保守政党であった。彼らはアメリカの施政権の元で企業を起こした。沖縄の企業は日本と切り離されたので沖縄人によって独自に発展した。復帰すれば戦前のように本土企業によって地元企業が経営困難になるという危惧があったので沖縄の企業家と縁が深い保守政党は祖国復帰に反対した。しかし、圧倒的な沖縄の人々の復帰支持に負けて保守政党も祖国復帰に賛成するようになる。
 反復帰論は復帰に根本から反対しているわけではない。復帰を前提とした反復帰である。そのような論理が果たして思想的な意味は大きいだろうか。
 
 仲里氏は教職員を中心とした復帰運動は戦前の皇民化教育の再生といっているがそれは間違いである。戦後の沖縄の教育は天皇制国家を批判し民主教育をやっている。戦前の皇民化教育と戦後教育は異なる。戦後教育を受けた私はそれを体験している。共通語励行による方言札、君が代斉唱、日の丸運動は戦後沖縄教育の特徴である。その点は戦前の教育と同じである。戦前の教育と違うのは教育勅語や天皇崇拝の教育はなかったことである。共通語励行による方言札、君が代斉唱、日の丸運動は皇民化教育ではない。それは沖縄は日本であるという教育である。「沖縄は日本である」という教育が戦前と戦後に共通する教育である。戦後の共通語励行・君が代・日の丸の三点セットの運動の根底にあるのは生活が向上するには沖縄が日本の一員になるしかないという日本従属論である。それは公務員や教員に根強く、彼らが主流となって復帰運動が推進されたのは彼らにとってメリットが大きかったからである。
 復帰運動への批判はそれを理解した上でやらないと根本的な批判にはならない。日本政府とアメリカ政府の合意で沖縄が復帰すると決まった時に沖縄の復帰運動は「本土並み」復帰運動
にその内容は変わった。それは復帰運動運動が沖縄の国際的な存在としての現実を無視して祖国復帰イコールアメリカ軍基地の撤去だと決め付けた復帰論であったからだ。平和憲法が沖縄に適用されればアメリカ軍は撤去しなければならないという憲法崇拝主義が復帰運動には内在していた。その理論は復帰が現実となった時にもろくも崩れた。復帰運動が国際情勢を無視した復帰すれば本土並みの社会になるという自分勝手な理論であったがために復帰運動が希求した夢は実現しなかった。それは当然である。
 復帰運動の根本思想は復帰すればアメリカ軍基地は撤去されて本土と同じ社会になることであった。しかし、それは日米政府に完全に否定された。だから復帰反対運動に転換したかというとそれではない。「本土並み」復帰を主張しただけで復帰そのものには反対しなかった。なぜか、それは復帰運動を推進の主流である公務員の待遇だけは「本土並み」になるという保障があったからであり、沖縄の人々も本土復帰すれば生活が向上するという確信があった。つまり、平和は第二希望であったのである。
復帰運動には表と裏の思想があったということである。表の思想は支持者を得るための大義名分にした平和主義である。裏は公務員の生活向上である。
「反復帰論」は表の復帰運動に対する批判である。表は仮称であり表が否定されても復帰論そのものは否定されていない。反復帰論と「本土並み」返還は同じである。反復帰は復帰反対ではない。平和主義の立場から復帰論に固執しているのが版復帰論である。復帰してもアメリカ軍は駐留し、復帰運動や日本政府が沖縄戦の反省がないことへ反発している。反復帰論はじつは復帰運動の範疇である。沖縄が望んだ復帰は現実の国際政治を無視した沖縄の一方的な希望を主張したものであった。そんな復帰が実現するはずはない。反復帰は復帰運動の甘さを批判しているだけである。

日本復帰は復帰運動の圧力で実現したかというと残念ながら日本復帰はアメリカのベトナム戦争の失敗に経済危機と領土は拡大したい日本政府の思惑が一致した結果である。元々アメリカは沖縄を領地にする気はなかったから沖縄の日本復帰は時間の問題であったのだ。

「反復帰論の思想自体は復帰が実現したら解消するようなものではなかった。」のは当然である。バラ色が充満した非現実的な祖国復帰論は現実に裏切られるのは当然だし、冷徹な政治論が欠落した祖国復帰論を「復帰の喰ぇーぬくさー」とか「反復帰論」で批判しても根本的な批判にはならない。厳しい言い方をすれば復帰論と反復帰論は「同じ穴のむじな」である。



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