前原代表の決断を認める記事が産経から出た

前原代表の決断を認める記事が産経から出た
 産経新聞に「民進党にけじめをつけた前原誠司氏 彼は『言うだけ番長』だったのか」という記事が載った。書き手は政治部の杉本康士氏である。
 杉本氏は毎日新聞の2日付朝刊に前原代表を「言うだけ番長」だと書いている記事を見つけた。
毎日新聞には、民進党支持団体の連合幹部は前原誠司代表(55)を「言うだけ番長」と呼び、「民進党をズタズタにしただけだ」と憤ったと載っていた。
杉本氏は前原代表が「言うだけ番長」という呼ばれた民主党政権時代にさかのぼる。
産経新聞は民主党政調会長だった前原氏を繰り返し「言うだけ番長」と批判した。平成24年2月に、前原氏は「言うだけ番長」と批判する産経新聞を記者会見から閉め出した。出入り禁止を宣告された本人がその当時政調会長を担当していた杉本氏であった。彼は前原氏に記者会見から閉め出されたのである。
しかし、今も強く杉本氏の記憶に残っているのは「前原許すまじ」という怒りではないという。
出入り禁止された後に杉本氏は政調会長担当から外務省担当になった。そのことを前原氏に話すと、前原氏は「おめでとう」と言い、「ちょっと2人で話せないかな?」と自室に招き入れた。
2人きりの議員会館の部屋で切り出されたのが記者会見の出入り禁止のことだった。前原氏は、
「これはいじめだ。本当につらいんだよ…」
と語ったいう。その時の前原氏が杉本氏には深く印象に残ったのである。
 
 「言うだけ番長」という呼び名は、民主党政権時代に政調会長の前原氏は数々の目玉政策を打ち出したが、ことごとく実現できなかったことからそう呼ばれた。

 前原代表は、東京都の小池百合子知事率いる希望の党への「全員合流」を公言した。9月28日の党両院議員総会では「誰も排除されない」と大見えを切ったが、安全保障関連法の容認などを受け入れ条件とした小池氏側に、多くの民進党左派が排除された。だから、毎日新聞は前原代表を「言うだけ番長」と言ったのである。杉本氏は毎日新聞の「言うだけ番長」に反論した。
 
 「言うだけ番長」と呼ばれていた時に話した前原氏は、興奮した様子はなく、衰弱したような印象を杉本氏は受けた。首相の座を目指す政治家が、こんな心弱いことで大丈夫なのかと、怒りよりも不安を感じたという。
 あの時以上に批判にさらされている前原氏であるが、落ち込んでいる様子はないし、衰弱した印象も受けないと杉本氏は言う。

希望の党への合流に関して前原代表は「私がだまされたという人がいますが、だまされたと思ったことは一度もありません」と言い切っている。そのことについて杉本氏は、前原氏が、安保関連法の容認など現実主義に立脚した外交・安保政策を共通基盤とする二大政党を実現するために、今回の政局を仕掛けたと理解している。
前原氏は民主党政権時代から集団的自衛権の一部行使容認を唱え、下野後の26年6月には集団的自衛権の行使を限定的に認める「安全保障基本法草案」をまとめた。
前原氏の今回の行動は「言い抜け」や「詭弁」を続けてきた民進党にけじめをつける賭けだったと杉本氏は述べている。そして。安保政策をめぐる政界地図を一変させようする前原氏は、「言うだけ番長」と呼ばれた過去とは違った顔を見せていると評している。そして、次の文章で締めくくっている。
「前原氏が希望の党への合流を提案した時点で、小池氏は『希望の党で戦いたい人はどこまで真にリセットできるか』と述べ、安保関連法の廃止方針を覆すことを希望の党の公認条件とする考えを明らかにしていた。それにもかかわらず、民進党両院議員総会は、希望の党への合流方針を満場一致で了承したのだ。

自分の頭で判断せず、後になって災厄が降りかかると指導者を批判する。はるか昔から繰り返された悲喜劇だ。古代ギリシャの民主制国家アテネが無謀な戦争で自滅する過程を描いたツキジデスは、こう書き残している。

『政策に破綻を来たすと、誤っていたのは君たち多勢の判断であったにもかかわらず、己れの誤りを咎(とが)めようとはせず、一時の激情に駆られて決議を行い、提案者一人の誤断にすべての責めを負わせている』

ツキジデスが描いた衆愚の姿が、前原氏を責め立てる民進党出身者と重なるといえば言葉が過ぎるだろうか」

前原代表が希望の党への合流の目的は民進党内で勢いを増し共産党との共闘を進めていたリベラル派の排除して保守派の政党をつくることであった。
そのためには、民進党両院議員総会は、希望の党への合流方針を満場一致で了承させた上で、小池代表が左翼のリベラル派を除外することであった。
希望の党に入党するには安保法案に賛成などの「踏み絵」を小池代表は課したが、それは前原代表も承知していたことであった。安保法案に反対しているという理由で前原代表は希望の党に入党しないで無所属で立候補した。これもリベラル派を徹底して排除するためであった。前原代表の政治生命を賭けたリベラル派排除のための希望の党合流であったのである。

産経新聞が前原代表の行動を認めたことはうれしい。

■安全保障関連法 平成27年9月に成立、28年3月に施行された。米国など「密接な関係のある他国」が攻撃され、「日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由などが根底から覆される明白な危険がある」などの要件を満たした場合、政府は「存立危機事態」を認定し、集団的自衛権を行使できるようになった。
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