「琉球処分」作家大城l立裕氏批判





「琉球処分」は明治政府の近代化推進である廃藩置県のことであり、明治政府が全国でいっせいに実施したことの沖縄版である。明治政府の沖縄の近代化に抵抗した王朝の姿を描いたのが大城立裕の小説・琉球処分である。小説・琉球処分に描かれているのは明治政府の役人と沖縄の支配者である琉球王朝の駆け引きであり、支配者同士の物語である。沖縄の農民や庶民からの視点は全然考えていない小説である。

明治政府は大日本帝国憲法を制定して、法の下での平等を目指して身分制度を廃止し、武士の特権をなくし、廃藩置県を実行し、日本の近代化を進めた。武士の特権を奪われた武士たちは明治政府に反発し、
佐賀の乱、秋月の乱、神風連の乱、思案橋事件などを起こした。
反乱を起こしたのは無給になったことに反発した下級武士たちであり、意外にも殿様はあっさりと廃藩置県を受け入れている。その理由はほとんどの藩は莫大な借金を抱えていて経済が危機に瀕していたからだ。
琉球王朝も他の藩と同じように莫大な借金を抱えていて、廃藩置県は琉球王朝の借金を明治政府が肩代わりするのが条件にもなっていた。

廃藩置県を琉球処分と解釈して非難するということは日本の近代化に反対して武士階級の支配社会である琉球王朝を肯定することである。
福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず}の民主主義思想を否定し、琉球王を崇めて「天は武士の上に王をつくり、武士の下に農民をつくった」という思想を肯定することである。

小説琉球処分はヤマトであまり読まれていないことに大城氏は不満のようだが、坂本竜馬たちが活躍した幕末思想を否定するような王朝支配肯定の小説琉球処分をヤマトの人間が好んで読むはずがない。

沖縄の人たちのほとんどが琉球処分に反発したかといえばそうではない。琉球処分に反発したのは身分が高く財産のある武士階級であり、沖縄の全体から見れば少数派である。彼らは頑固党を結成したが、下級士族が中心となって、開化党を結成し琉球処分を積極的に支持し、 明治政府に協力した人たちも多くいたし、琉球王朝に苦しめられてきた宮古、八重山も琉球処分に賛成している。彼らのような存在が沖縄の近代化を急速に進化させたのだろう。

大城氏は普天間問題を第二の琉球処分と呼ぶのにふさわしいと述べているが、とんでもない話だ。明治の琉球処分は王朝支配の身分制度社会から四民平等の近代国家へと沖縄の社会を根本から変革させていった。それに比べて、普天間問題は普天間基地を辺野古に移設するのを反対し、県外・国外に移設させる運動であり、運動は大きく広がっているが、沖縄の社会を変革するようなものではない。

共通しているのは明治の反琉球処分運動も現在の反琉球処分運動も民主主義思想を根としていないことだ。


普天間問題を訴える集会で、普天間第二小学校の近くをヘリコブターが飛んでいる映像を見せて集会に参加した人たちを驚かせているという。私ならもう一回驚かすことができる。
「普天間第二小学校は、ベトナム戦争が激しかった1969年に、アメリカ軍が普天間基地の危険地域として設定して黙認耕作地にしてあった場所を宜野湾市はアメリカ軍に開放させて、その場所につくった小学校である」といえば、参加した人たちは再び驚くだろうな。
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