慰安婦問題に完全決着をつける3



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慰安婦問題に完全決着をつける3明治以後も日本遊女韓国妓生はは性奴隷だった
 慰安婦問題に完全決着をつける。今までずるずると慰安婦=性奴隷が正当化されてきた原因は封建時代の舞妓、妓生を含んだ遊女たちが性奴隷であったことを解明しなかったことにある。封建時代から調べなければ慰安婦=性奴隷が間違っていることを説明することができない。
慰安婦=性奴隷は間違っていることを日本国民に説明することは重要であるしろ、今まで十分な説明ができていない。
日本で慰安婦=性奴隷を完全に粉砕するつもりだ。

「少女慰安婦像は韓国の恥である」で日本、韓国の封建時代の舞妓、妓生や遊郭などの女性のほとんどは少女の時に買われた性奴隷であったという説明が不足していた。封建時代には性奴隷であったことを説明する必要があるが、それだけでは足りない。封建時代の次の明治時代でも遊郭の女性は性奴隷であったのは歴史的事実である。この説明も足りなかった。
娼妓取締規則が施行されたのは明治三十三年である。つまり三十三年間の日本の社会では封建時代の性奴隷のシステムは容認されていたのである。そして、娼妓取締規則が施行されたが、それが社会に浸透するのには時間がかかった。特に沖縄では娼妓取締規則は全然浸透していなかった。
 子供の頃に母が話したことであるが、戦前は親のいうことを聞かない男の子には「糸満売り」すると脅したそうだ。すると男の子はおとなしくなり親のいうことを聞いたそうである。「糸満売り」とは糸満の漁師に少年を売ることである。売られた少年は漁のやり方を教えられるが、泳ぎを教える時は縄で子供の腹を縛って泳ぐことができなくても海に放り投げたそうだ。少年が海水を飲み死にそうになっても、何度も海に放り逃げたという。だから少年たちは「糸満売り」を怖がった。
女の子は「ジュリ売り」をするぞといったそうだ。ジュリ売りされると遊ぶ自由はなくなり、歌や踊りの厳しい訓練の毎日である。ジュリ売りすると言えば女の子はおとなしくなったそうだ。
ジュリとは遊女をさすことばである。近世から那覇の辻(つじ)(方音チーヂ)や仲島、渡地(わたんじ)は遊廓(ゆうかく)として発展したが、ジュリはそこの遊女をさして使われた。
戦前の沖縄には「糸満売り」「ジュリ売り」があった。
私は二十年ほど前に糸満売りをされたという男性にあった。私の家の前には400坪のほどの荒れ地があった。荒れ地を地主から無料で借りて畑にしたおじさんがいたが、彼は与那国から糸満に売られたと言っていた。

 八歳の時に辻にジュリ売りされた有名な民謡歌手がいる。名前を糸数カメという。彼女は1915年6月26日に生まれ、八歳の時に辻に売られた。大正12年である。糸数カメは戦後は民謡歌手として活躍した。彼女は民謡だけでなく踊りの達人でもあった。

 

辻とは遊郭のことであり、糸数カメは八歳から歌、踊り、三味線の英才教育を受けた。ポスターに「古典芸能を土台に諸芸能を取り組み」と書いてあるが、それは糸数カメだけでなく、全ての辻の少女が古典芸能を土台に諸芸能を取り組んだのである。その中でも糸数カメは優秀だったのだ。だから戦後は民謡歌手として活躍した。
 私が糸数カメを知ったのはユーチューブとグーグルのお陰である。戦前の民謡で軍人節というのがある。若い頃に何度も聞いたが民謡に興味のない私は聞き流していた。軍人節は反戦歌と言われている。しかし、戦前に反戦歌などなかったはずである。軍人節の詞の内容をしりたくなった。ユーチューブでは聞きたい歌を探せるので軍人節を探して聞いた。私の聞いた軍人節は嘉手苅林昌と糸数カメのデュエットだった。

軍人節
作詞・作曲 普久原朝喜
(夫)無蔵と縁結で月読みば僅か 別れらねなゆみ 国の為でむぬ 思切りよ思無蔵よ
○貴女と縁を結んで(の)日々を数えると僅か(しかない) 別れなければなるまい 国の為であるから あきらめよ 愛する貴女よ
(妻)里や軍人ぬ 何んち泣ちみせが 笑て戻いみせる御願さびら 国の為しちいもり
○貴方は軍人になったのです。なぜ泣くのですか。(私はあなたが)笑ってお戻りくださることをお願いします 国の為(に)軍人としてしっかりと働いてきて来てください。
(夫)軍人の務め我ね嬉さあしが 銭金の故に哀りみせる母親や如何がすら
○軍人の務めをするのは誇りであるし、嬉しいのだが、(私が居なくなると生活の)お金のために苦労される母親はどうなるのか(心配だ)。
(妻)例え困難に繋がれて居てんご心配みそな 母の事や思切みそり思里前
○例え困難に縛られていても ご心配なされないで母のことは 思いを切ってください。 あなた。 
(夫)涙ゆい他に云言葉やねさみ さらば明日ぬ日に別れと思ば 此の二人や如何がすらなみ
○涙以外に言葉はない 明日に日には別れなければならないこの二人はどうなるのだろうか。

 糸数カメの歌を聞いた時、彼女の声が他の民謡歌手とは違っているのに気が付いた。民謡歌手は地声で歌うが、彼女の声はオペラ歌手のように鍛え上げた声をしているのだ。糸数カメの声を聞いて頭に浮かんだのが淡谷のり子であった。糸数カメの声は他の民謡歌手と比べて上品な声をしていた。糸数カメに興味を持ちグーグルで調べた。それで糸数カメが八歳の時に辻に売られたことを知った。

 封建時代に存在していた子供の売買は明治時代になってもなくなることはなく続いていたのだ。沖縄では昭和になっても続いていた。その証拠として糸数カメのジュリ売りがある。本土でも娼妓取締規則を守らないで女の子の売買はあっただろうし遊女を性奴隷にしている遊郭は多かったはずである。

 1910年韓国併合があり、日本が韓国を統治するようになった。四民平等と法治主義を韓国にも適用したのが日本政府である。1916年に妓生や酌婦、芸妓などの遊女を奴隷から解放する貸座敷娼妓取締規則を施行したが、それは明治政府が一方的に韓国に押し付けた法律であり法律を守ろうとする韓国人はいなかったはずである。今までの歴史的伝統である性奴隷システムをしっかりと続けていたはずだ。
貸座敷娼妓取締規則を施行してもそれを守る業者は少なかった。それは沖縄も同じだ。日本兵相手の遊郭のほとんどの娼婦は業者に買われた性奴隷だったのだ。慰安婦問題で民間の娼婦のことが出てこい。不思議であるし、そのことが慰安婦が性奴隷ではないことの証明を阻んでいる。
慰安婦は日本軍が管理した娼婦であるが実際は慰安婦より民間の娼婦が多かったはずである。民間の娼婦が出してこないことが慰安婦は性奴隷ではなく売春婦であったことの証明が出ない根本的な原因である。
慰安婦問題で絶対に譲れないのが日本軍が管理していた慰安所だけは貸座敷娼妓取締規則の法律が適用され、慰安婦は職業婦人としての娼婦であったことだ。
唯一慰安婦だけは性奴隷でなかった。ところが日本政府はこの事実を認識することができないようである。政府だけでなく慰安婦は売春婦だと主張する日韓の識者や学者も同じである。
民間の娼婦が性奴隷であり慰安婦は性奴隷ではなかったことを認識していない日本政府は裁判でドジを踏む。
 韓国遺族会裁判(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件)で、裁判所に提出した金学順の略歴を見れば彼女が慰安婦でなかったことは明白であるのに日本政府は「金学順は慰安婦ではなかった」ことを立証し、主張することができなかったのだ。
もし、金学順が慰安婦であったなら、自分の意思で慰安婦になったこと、父母も賛成したことの書類を警察に提出していた。そして、慰安婦としての報酬をもらっていた。慰安婦であったと主張するならば金学順はそのことを認めなければならなかった。認めなければ慰安婦ではなかったということだ。
金学順は妓生に40円で売られている。ということは彼女は妓生になっていた。40で売られた金学順は性奴隷の世界からことは不可能だった。妓生に売られたことで慰安婦ではないことは決まっていた。。
慰安婦ならば韓国で応募して、日本軍が指定した場所に報酬や生活を管理する楼主が連れて行ったはずである。ところが妓生を管理している養父に連れられて中国に行ってから慰安婦になったといっている。慰安婦ならありえないことである。明らかに金学順は慰安婦ではない。性奴隷の妓生である。彼女の居た場所は慰安所ではなく民間の韓国人が経営する遊郭であった。日本兵相手の売春をやったとしても慰安所以外の場所での売春であった。
 金学順が慰安婦ではなかったこと。日本軍は関わっていなかったことを日本政府は立証するべきであったのにしなかった。日本政府自体が慰安婦と妓生などの民間の売春婦を区別することができなかったことがずるずると今日まで慰安婦問題が続き、慰安婦=性奴隷の主張を否定することができていないのである。
 政府たけではない。識者や学者も慰安婦が性奴隷ではないことの証明ができていない。封建社会であった江戸時代や大韓帝国時代の遊女は性奴隷だった。明治政府、韓国併合以後に性奴隷から解放する法律はできたが、民間では封建時代の慣習が続き、遊女の性奴隷が多かった。唯一国家機関である日本軍は法律を守り、遊女を性奴隷から解放した。唯一慰安婦だけは性奴隷ではなかった。

 慰安婦は売春婦だったと主張する日韓の学者たちは慰安婦は売春婦だったと主張するだけである。性奴隷ではなかったという証明はしていない。そもそも彼らは左翼と同じように性奴隷の定義をしていない。
 奴隷とは売買される人間のことである。舞妓も妓生も遊女も売られた少女である。だから彼女たちは奴隷であった。
 奴隷には選択の自由がない。彼女たちは自分の意思で辞めることはできなかった。だから奴隷である。しかし、慰安婦は自分の意思で辞めることができるから奴隷ではない。
 娼妓取締規則は売買を禁止しているし、慰安婦は自分の意思で慰安婦になることを決める。止めることもできる。だから奴隷ではない。
 奴隷には報酬がない。しかし、慰安婦には報酬がある。だから借金を返済するために慰安婦になり、借金を返済した後に慰安婦を辞める女性もいた。
 このような事実を知れば慰安婦が性奴隷ではなかったことが理解できる。性奴隷だったのは封建時代の慣習を続けた民間の娼婦だったのだ。
 元慰安婦を名乗っている女性たちはみんな民間の娼婦であった。日本軍が管理する慰安所の慰安婦ではなかった。
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