三上智恵さんを批判する3






新発売・沖縄内なる民主主義7 1620円(税込み)A4版
沖縄県民は翁長知事に騙されている
沖縄地方紙のプロパガンダに成り下がった佐藤優
事実を隠蔽する最低ジャーナリスト金平茂紀


本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

三上智恵さんを批判する3
 国と翁長知事の質疑と答弁の問題に入る前に、三上智恵さんの思想を理解するために、三上さんがウメさんの死への思いを書いた文章を取り上げる。

三上 智恵 1月23日
ゴォゴォと吹き付ける冷たい雨
読谷は嵐です

それ以上の暴風雨が
私の体内で荒れ狂ってます

自分自身があまりにバカで
中途半端で口ばっかりで
決断力も思いやりもなく
やるべきことをやってないか
自己嫌悪で消え入りたくなり
この怒りの
持って行き場がありません

今朝、大神島のウメおばあの
訃報に接しました
93歳

木曜日は
大神島の神に仕える女性たちについて
大学で滔々と民俗学の講義をする
自分がいました

ウメさんは93歳、最高齢です
神行事の会計を引き受ける
ニーフネ
屋号スシィに生まれました

ウヤガンに選ばれてから
さらに上のツカサになるときに
大病をして
生死の境を彷徨い
ユタや周囲から
ツカサになったら命が助かると
言われて
開き直ってツカサを引き受けた

ツカサになると
島を離れられない
夫の葬儀にも出られない
孫の運動会にも行けない

沖縄本島のノロも
結婚もできないで
村と神のために生きる
壮絶な人生を送った方が
たくさんいる

この島で神に選ばれた女性として生きること
その壮絶なドラマの一端を
学ばせてもらったウメさん

その一部を学生に
わかったように紹介しながら
私といえば
おばあが亡くなったことも
知らずにいた
島との距離が開いていることに
気づきながら
何もしなかった自分

自分を引き受けてくれた
大神島の
私のおばあである
大浦ヨシ子おばあが
三年前に亡くなった時に
怒涛のような後悔が押し寄せ
まだ聞いてない話が
たくさんあるのに
何より
一緒にいたくて仕方がないのに

映画だ退社だなんだと
自分のことばかりにかまけて
一番大事な人との残された時間を
大切にできずに
あっけなく失ってしまった
その後悔で
ヨシ子おばあより
二つ年上のウメさんにだけは
ちゃんと島に通ってもっと習おう
ちゃんと記録を残そう
このままでは中途半端すぎると
決意したはずだった

90を超えたおばあが
優柔不断な私の行動を
待っていてくれるわけがないことは
わかっていたはずなのに
どれだけ愚か者なのか
どんなに後悔しても
自分の馬鹿さ加減に
怒り狂うしかできない

訃報を読み
全身がこわばった

わかっていたことだ
こうなるんだ
おまえには泣く資格もないぞ
バカじゃないのか
と氷のように呟く内面の声

3時間くらい
泣くこともできなかった

大神島の太陽のような
おばあでした
久貝商店は
取りつくシマのないこの島で
旅人も唯一、身を寄せることのできる場所で
ここでは珍しく
社交的な彼女との会話で
この島が大好きになった人は多い
さだまさしさんも
おばあのファンでした

でも、取材カメラを持って
初めて島に行った時
このおばあが一番怖かった

島の学校が廃校になる
その報道と、ドキュメンタリーを
作ろうと決意し
カメラクルーと
大神にわたるも
1995年当時
テレビカメラなどもって入れる島ではなかった

学校以外、みんながカメラを嫌がり
島の道には誰も歩いていない
島の生活どころか人も撮れない

困り果てた私たちは
定期船がつく港で待つことにした
船がつけば人が降りてくる
さすがにその時には
島の人の姿が撮れるだろう

やがて船は港に入るが
なかにいる7、8人のおばあたちが
降りてこない

私たちがカメラを構えているから?
そうなのかと驚いて
慌ててカメラを下ろして、と
カメラマンにいい

「ごめんなさい!もうカメラ止めましたから安心して降りてください」と
叫びながら走り寄る私にむかって
意を決したように
先頭になって降りてきたのが
ウメおばあだった

「撮るな!帰れ!」
大きく手を振りながら
怒鳴りながら
「お前なんか、帰れ!」
と言われた

後からついて出てきたおばあたちも
悲しそうな
迷惑そうな顔をしていた

私たちは頭を殴られたようになり
カメラ嫌いの島、とは
わかっているけど
ここまでか、、。と
冬の寒い中
どの家にも招待されず、
上がれず
屋根もない港で過ごすしかなかった
久貝商店にも
行きにくくなってしまった

そうやって始まった
大神島での仕事
それでも通い、通い
1年後には
私たちのクルーに
複数のおばあたちが
お弁当を用意してくれるまでになった
真っ先に理解を示してくれたのも
ウメさんだった
撮影クルーと
涙目で
ウメさんの弁当を食べた日のことが忘れられない

ウメさんは電話で
いつも那覇にいる私を叱った

あんたはバカか!
こんな時間まで仕事をばして!
あんたの息子を誰が見るべきか?
旦那さんをばほったらかして
自分のことばかりしてからに。
アホだよ、あんたは
捨てられたらどうするべきか?

野太い声で
何度も同じ説教を聞いた
いつも心配は
家族のことを大事にしてないということ
旦那を大事にすることが
結局はあんたの幸せだよ
ほかになにをするべきか?
という女性の幸せ論だった

そんなシンプルな助言を
今更私にしてくれる人もなく
いつもありがたく聞いた
ちっとも守れなかったけど。

子供十人
孫二十五人、、、

彼女が大神の神さまに
力を借りながら
大神島と島人を
その子孫を守りぬいた
そのことで
尊敬され
みんなに愛された

よく道化の役も引き受けて
みんなを笑わせたおばあ
魚の煮物が絶品だった

なんて尊い人生だろう
なんて気高い女性なんだろう
自然と神と共同体の
結節点として
立派に役割を果たし
大神の祖神なられた

いつか必ず
おばあに学んだことを
記録としてまとめますね
いや、そんないい加減なこと
これ以上言ってはいけないな

おばあのいない島に
向き合う勇気もない
今の私には

外は灰色一色
まだ読谷の海は
荒れ狂っています

 ウメさんへの深い思いを感じさせる文章である。
 三上さんと私は親子のような年齢差であり、三上さんにとってのおばあは時代的には私の母になる。母が生きていれば100歳を超えている。ウメさんより10歳近く私の母が年上である。
 母は戦前の人でありユタを信じていた。私はユタを信じている母に育てられた。私の生活にはユタが存在していたから、私はユタの内側に居たということになる。ユタの内側に居た私はユタが嫌いだったしユタを否定した。三上さんはユタの内側ではなく外に居るからだと思うがユタを尊敬し、ユタの存在を認めている。
 短編小説「六月のスイートコーン」で、私はユタの問題を取り上げた。医学を信用しないでユタを信じているウシと内地嫁である美代との考えの違いによる不幸を描いた。
美代に子供が生まれないのは、祖先へのウガンブスク(祖先への礼拝が足りない)でありナイチャーの美代には祖先の霊への信仰心やユタへの信仰心が足りないせいであるというユタの教えをウシは信じた。そして、家を引き継ぐ子供が欲しいウシは美代に離婚をしてユーベー(妾)になれと言い、息子を子供ができる女性と結婚させようとした。ウシに悩まされた美代は疲労困憊し、離婚して本土に帰る。
美代にはモデルが居る。ユタの多い村に嫁いだ内地嫁が内地の男性と自殺した。私は自殺した女性にあったことはない。自殺した女性の夫が私のコンビニのパートをしていたので夫からその話を聞いた。夫は、自分は「チムダカサン(霊感が強い)人間」と言っていた。彼は妻の死を悲しむことよりも家を守るために早く新しい妻を見つけなければならないと言い、新しい妻を見つけるのに懸命になっていた。古い話ではない。15、6年前の話である。
ユタやおばあの思想は前近代的な封建思想である。三上さんはそのような封建思想を大事にし、学んでいるのである。
「この島で神に選ばれた女性として生きること、その壮絶なドラマの一端を学ばせてもらったウメさん」
 しかし、三上さんはおばあと一緒に居たいと言っているが、それは生活次元で一緒に居たいということではない。生活から離れた取材の場で一緒に居たいといっているのである。三上さんがおばあから学ぼうとしているのは、自分の生活上の人生のためではない。表現するための取材のためである。

「ツカサになると島を離れられない。夫の葬儀にも出られない。孫の運動会にも行けない。沖縄本島のノロも結婚もできないで村と神のために生きる壮絶な人生を送った方がたくさんいる。
この島で神に選ばれた女性として生きること。その壮絶なドラマの一端を学ばせてもらったウメさん」
三上さんが学んだのはユタの壮絶なドラマであって思想ではない。ユタの存在価値は壮絶な人生を送ることにあるのではない。ユタの教えにある。三上さんは「村と神のために生きる」と述べているがユタの教えは本当に村人のためになっているかどうかを冷静に検討する必要がある。ユタは政治も経済も知らない。自然科学も知らない。先祖を崇拝し、不幸は祖先への信心が足りないからという思想だ。現代人であるならユタの教えに疑問を持つのが普通である。しかし、三上さんはユタの思想を問題にしていない。ユタの思想がどのようなものであり、現実の沖縄に適した思想であるかどうかを三上さんは述べていない。

ユタの思想を受け入れているように見えるが本当はユタの思想を受け付けない三上さんがいる。
ウメさんは電話で、いつも家をほったらかしにして(仕事のために)那覇にいる三上さんを女性の幸せ論で叱ったという。ウメさんの「女性の幸せ論」とは家族を大事にし、旦那を大事にすることである。ウメさんの「叱り」に対して、三上さんは、「いつもありがたく聞いた」が「ちっとも守れなかった」という。三上さんはそのように説明しているが、「ちっとも守れなかった」のにどうして「いつもありがたく聞いた」ことになるのか。それはおかしい。ありがたくない「叱り」だったから「ちっとも守れなかった」と考えるのが普通である。三上さんは「いつもありがたく聞いた」と言いながら行動ではウメさんの女性の幸せ論を守らなかったのである。
三上さんの仕事に夫の理解があれば三上さんが不幸ということにはならない。現代は女性の職場進出は普通であり、共稼ぎの夫婦は多い。三上さんはQABのアナウンサーであったし、取材と編集などで仕事はとても激しかっただろう。彼女が仕事に打ち込むことができたのは夫の理解があったからだと思う。だから、「家をほったらかしにして(仕事のために)那覇に」いても必ずしも不幸であったとは言えない。ウメさんの「叱り」を守らなくても三上さんは幸せな生活を送れたのだろう。糸数慶子さんが国会議員になった時、夫は国会議員の夫が新聞社にいたら迷惑をかけるかもしれないと思い退社したという。

戦後の沖縄はウメさんの考える社会ではなくなった。男尊女卑・夫唱婦随の時代から男女平等の時代になったのだ。三上さんは戦後沖縄の男女平等の時代に生きてきた女性であるし、アナウンサーの激務を理解している夫のバックアップがあったから自宅に帰らず那覇で遅くまで仕事することができたのである。思想的に180度違うウメさんの女性論と違う生き方をしている三上さんがウメさんの「叱り」を受け入れることはできるはずがなかった。
もし、「叱り」がウメさんではなくて、三上さんの母親であった場合はどのような反応をしただろうか。ありがたく聞いただろうか。身内である母親のいうことを聞くということは母親の「叱り」を受け入れるということになる。つまりアナウンサーの仕事を辞めるということになる。母親の「叱り」に対しては反論し、三上さんの仕事を理解してくれるように母親を説得していたと思う。
ウメさんの「叱り」をありがたく聞いたというのは嘘である。むしろ聞き流したというのが正確である。なぜ。聞き流すことができたか。理由はウメさんは他人であり、仕事上の取材対象でしかなかったからである。ウメさんが身内であったら「叱り」に反発していただろう。

「なんて尊い人生だろう。なんて気高い女性なんだろう。自然と神と共同体の結節点として立派に役割を果たし大神の祖神なられた」
 これ以上ないほどのユタの賛辞である。三上さんは沖縄の前近代的な思想を受け入れていて、そのような沖縄であることを望んでいるよだ。しかし、三上さんの望む沖縄の内に彼女は生活していない。彼女にとっての沖縄は、「いつか必ずおばあに学んだことを記録としてまとめますね」と述べているように彼女の記録の中に存在する沖縄であるからだ。
 三上さんの見る沖縄はマスコミの仕事をしていた影響が強く、外から見た沖縄である。三上さんには内から見た沖縄がない。
 私は普天間飛行場の辺野古移設に賛成する理由として、辺野古の経済発展をあげていた。過疎化が進んでいる辺野古に米軍の飛行場ができれば経済が復興するからだ。嘉手納町の道の駅は嘉手納飛行場が一望できる場所にあり多くの観光客がやってくる。辺野古でも飛行場が一望できる場所に道の駅をつくったら県内外から多くの見物人がくるだろう。だから道の駅をつくるべきだと主張し、新聞投稿もした。沖縄の内側で生きてきた私は辺野古の経済を発展させて過疎化を防ぐのだという考えがある。沖縄を内から見ればこのような考えも出てくる。
 外からだけ沖縄を見ている三上さんは、生活よりも自然の美しさやユタや文化や伝統を重んじる。辺野古移設に反対するのは辺野古移設は三上さんが大事に思う沖縄を破壊するものであると信じているからである。
 でもそれは本当の沖縄ではない。外から見たねつ造の沖縄である。


2016/02/19 に公開
平成28年2月18日木曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、キャスターの又吉康隆­が「政府が「根本案」の修正要請検討、要請すれば翁長知事に大打撃」、コラムコーナー­”又吉康隆のこれだけは言いたい”では「二大政党は共産党が参加する野党連合より大阪­維新の会のほうが可能性あり」のテーマについて解説いただきます。
※ネット生放送配信:平成28年月2月19日、19:00~
出演:又吉 康隆(沖縄支局担当キャスター)

チャンネル桜





●ボランティア募集●
2月28日正す会報告会&ロバート氏講演 会開催にあたり、現在ボランティアを募集しております。
当日ご協力いただける方は是非下記の連絡先までご連絡下さい。
よろしくお願い致します!
担当(090-2588-5051)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 三上智恵さん... 三上智恵さん... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。