自民党と二大政党になるのは立憲民主ではない 維新の会である

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自民党と二大政党になるのは立憲民主ではない 維新の会である


 立憲は旧社会党の左翼や旧自民党の保守などの保守と左翼の混合政党である。混合で議員数を増やして与党になるのが立憲の目的である。だから、共産党、社民、れいわとも連携することを決め野党4党連合を結成した。とにもかくにも議員数を増やして与党になろうとしているのが立憲である。立憲と違うのが維新の会である。
 維新の会は立憲とは逆に維新の政治理念に固執したために他の政党との合流を解消していった。2010年に大阪維新の会を設立する。大阪で市民のための政治改革をして、市民の支持を得ていった。2012年には国会に進出して日本維新の会を設立した。石原慎太郎の太陽の党と合流した。
しかし14年、『みんなの党』から分裂した江田憲司氏らの『結いの党』との合流を巡って、橋下氏と石原氏は対立して分裂。石原氏らは「次世代の党」を結党し、日本維新の会は結いの党と合併し、『維新の党』に名称を変更した。ところが橋下・松井両氏と、民主との連携を深めようとする松野 頼久執行部との間で路線の違いが明確になり、党内分裂に発展した」<center>

橋本氏は2015年に維新の党を脱退しておおさか維新の会を結成した。維新の会は10人に激減したが、橋本氏たち大阪維新の会を結成した議員たちは議席数より政治理念を優先したのである。そして、2016年に日本維新の会に改名した。
 維新の会は大阪で築いた政治理念を大切にして離合集散を繰り返した。その結果、大阪維新の会に落ち着いたのである。国会議員は54人から11人になったが、議員数よりも政治理念にこだわったのが橋下氏たち大阪維新の会のメンバーであった。
 維新の会の政治家たちが議員数の拡大を優先させて、民主党との連携を深めようとする維新の党の松野頼久執行部の路線と同じにすれば現在は立憲民主党に入っていただろう。しかし、松野執行部の路線に反対した維新の会は立憲に入っていない。松野路線に反対したのは正解だった。
維新の党から離脱した橋本氏たちはわずか11人で維新の会を設立した。政治理念を優先した維新の会は2021年の選挙では41人となり4倍に増えたのである。
これからも維新の会の議席が増えていくのは確実である。


日本維新の会は政治資金規正法改正案を衆議院に提出した。
現在の「政策活動費」を見直し、新たに「特定支出」制度を設ける。党勢拡大や政策立案などの経費が計上され、10年後に領収書とともに公開されます。「特定支出」の年間の総額は5000万円、または政党交付金の1%を超えないように制限する。パーティー券の購入者の公開基準を、現在の20万円超から5万円超に引き下げる。公明党と同じである。企業・団体による購入は禁止するという内容である。
維新の会の修正案は自民や他の政党に影響を与えるはずである。


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