なぜうつ病になるのか





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なぜうつ病になるのか


かみつくⅠとⅡを買って読んだと、琉大演劇クラブ時代の後輩Hから電話があった。
彼と最後にあったのは糸満市で学習塾をやっていた頃で、30年以上も前である。Hはある市役所の公務員にだった。

彼とは演劇のことしか話さなかったので、私が評論と小説の本を出したことに驚いたようであった。彼は評論には関心がなく、話し合ったのは小説のことで、私が小説で表現したかったことを的確に指摘し、私の表現の欠点も指摘してくれた。
Hと私は長々と話し合ったが、私が会いたいというと、彼はうつ病であり、会えないと言った。
私は驚いた。
彼は明るく、言いたいことははっきりという人間で、私より4歳下であったがものおじをしないで私の演劇論は間違っていると食って掛かったほどだ。
そんな彼がうつ病になるとは信じられなかった。
彼はうつ病であるために電話を受けることができないので、電話番号を教えることができないと謝った。

うつ病になったのは彼だけではなく、県庁に勤めているIもうつ病にかかっているという。二人とも病気のために早期退職をしたということだ。

かみつくの「1971Mの死」に書いたが、私は大学5年生の時「いちにち」という戯曲を書き、上演した。あの時の演劇クラブ員はたった6人であった。「いちにち」は男、母、商人の三人が登場人物で、スタッフは新入生のHを含めて3人しかいなかった。私は、演出、舞台装置、照明と役者以外のすべてをやった。
うつ病になったのは商人を演じたIだった。

演劇クラブでうつ病になったのは彼らだけではない。先輩のSは不眠症になり、それからうつ病になった。彼は自殺した。
先輩Nは「ショケイ」という手が震えて字が書けない病気になった。彼は大腸癌でなくなった。

Sは県庁に勤めていた。Nは本土の大学で講師をしていた。

H、I、Sの三人は公務員で、Nは大学の講師だったが、Nも公務員のようなものだ。公務員というのはうつ病になりやすいのだろうか。

大学の講師をしていたNは組合活動の責任者になり、そこで色々ごたごたがあって精神的に追い詰められて「ショケイ」になったらしい。彼は理科系人間で、演劇クラブでも照明専門に徹し、演劇の内容には一切かかわらなかった。精神は小学生のようだった。研究だけをやって、人間関係が複雑な組合活動をしていなければ「ショケイ」にはならなかったし、大学を辞めることもなかったと彼は話していた。彼は10年前に大腸癌で亡くなった。

先輩Sはとても物知りでやさしい人間だった。仕事はなんでもこなした。県庁の土木課にいたころは土木については専門家以上に詳しいと豪語していた。八重山勤務の頃は、酒をちびりちびり飲みながら深夜まで仕事をしていた。
本部の海洋博公園に出張した時、本土からやってきた上司と意見が合わないで、それが原因で不眠症になった。多分、このことが精神的な深い傷になったと思う。彼は早期退職したが、7、8年前に自殺した。
彼は酔っぱらうと、演劇クラブ時代が最高の時代だった。その後は地獄だと言っていた。

Sのいうように演劇クラブは自由であった。自分の言いたいこと感じたことを自由に話せた。演劇クラブは酒飲みクラブだと言われたくらいに毎夜酒を飲み語り合った。
自由を満喫したために公務員という不自由な世界の中でうつ病になったのだろうかと思ってしまう。

私は学習塾、レンタルビデオ店、コンビニストアと仕事を変えていった。苦労の連続だったがうつ病とは無縁だった。

精神的に自由になれなくて、精神が縛られて身動きできないためにうつ病になるのだろうか。
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