国家の第一は民主主義である。美しさとか品格はまやかしの国家論である。新聞に掲載されている論文を中心に批判する。
品格より民主そして自由
八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その4


書店発売のお知らせとお詫び
発売日
A4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)は2月3日(火曜日)、県内書店で発売します。
お詫び
「かみつく」から「沖縄民主主義4」に改名しましたが、勝手ながら、さらに普及版としてA4版「沖縄内なる民主主義4」にしました。
狼魔人日記でネット発売
書店ではA4版「沖縄内なる民主主義」(600円税抜)のみの発売ですが、狼魔人日記ではA5版の「沖縄民主主義4」も600円で発売します。ご了承お願いします。

新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中
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八重山、普天間、辺野古、名護市長選に共通するもの・その4
野嵩ゲート前のゾンビたち
野嵩ゲートに向かう道路では道路に飛び出した老活動家たちが、米兵の車に「NO OSPLAY」プラカードを翳し、「ノーオスプレイ」ヤンキーゴーホーム」などの罵声を浴びせる。見て分かるように歩道ではなく車道に飛び出し、二車線道路の内側を占領して二車線道路は一車線になっている。朝の通勤時間の時にやっているから車は大渋滞している。米兵だけでなく沖縄県民も迷惑をこうむっている。
しかし、彼らは平気なのだ。
野嵩ゲート前の国道の朝である。プラカードを翳した人たちが車道を開き回っている。
「こちらは宜野湾警察署です。みなさん。車道に入らないでください。朝の通勤時間です。車が渋滞しています。車道に入らないでください」
スピーカーから繰り返し繰り返し流れているがなんの効果もない。左側の車道は車が走っていない。原因は下の写真である。写真では分かりにくいが、前の白い車の前に多くの人達が集まっていて車の進行を停めている。
警察は彼らを排除することができなくて、彼らの危険を避けるために交通整理をしている。道交法を違反しているのはプラカードを掲げている人たちなのだが、彼らを警察は保護している状態である。道路中央に出ての米兵の車への抗議行動を警察は許可しているのに等しい。


ビデオを撮っているのは普天間飛行場勤務の米兵である。彼の車にもプラカードを掲げた人がやってきて助手席にプラカードを翳した。
一瞬プラカードを掲げている人の顔が写った。
老人である。疲れた顔で元気がない。無表情で無言。まるでゾンビである。

彼らのほとんどは老人である。動きは鈍い。警官に歩道に押し返しされては再びぞろぞろと車道に出て米兵の車に押し寄せる様子は映画のゾンビと同じである。車の前にやって来る彼らは車に轢かれるのも平気な動きである。これもゾンビに似ている。
撮影者の車にもぞろぞろとやってきてプラカードを翳す。なにも言わない。無表情でプラカードを翳すだけである。


渋滞が解け、車のスピードを上げても平気に車の前に出てくる。本当にゾンビだ。

堂々と交通違反をしている反米主義者たち。それを徹底して取り締まる気がない警察。考えられないことだが、これが沖縄の現実なのだ。
別のビデオでは運転席までやって来て怒鳴る活動家を撮っている。

4月5日には、この連中のプラカードで視界を塞がれたアメリカ人の車が追突事故を起こしました。
運転者が女性であろうとも、彼らは容赦はしません。
子連れであった場合には、子供にまで罵声を浴びせ続けます。
この動画では威嚇後、ゲラゲラと笑いあうおぞましい音声まで記録されています。
このような行為を沖縄メディアは、「非暴力の市民による平和運動」と喧伝しているのです。
「ブログ光と影」より
沖縄二紙やテレビなどのマスコミはこの事実を報道しない。彼らの被害にあっている米兵が抗議の意味を含めてユーチューブに載せているからこの事実が分かる。ほとんどの県民はこの事実を知らない。
米兵に対するこのような行為に政治的な価値があるのだろうか。疑問である。彼らもまた一市民である。彼らが普天間飛行場建設や辺野古移設、オスプレイ配備を決めたわけではないし決定する権利もない。決めたのは米国と日本の政治家である。米兵は軍の命令で普天間飛行場に勤務しているだけだ。
彼らに抗議してもなんの効果もない。このような非人道的な行為は米兵に軽蔑されるだけだ。

普天間飛行場の金網に赤いリボンを張り付けるのは違反行為である。金網を汚している行為が市民の賛同を得るとは思えない。自画自賛でしかない行為である。
風船アドバルーン揚げはテロ行為だ
オスプレイ阻止普天間基地ゲート占拠」行動は三〇日も引き続いて行われている。普天間基地には、開かずのゲートもあるが、昨夜そこも抑え、五つのゲートすべてが封鎖される事態となった。長い沖縄の基地反対闘争でも初めての事態。
ここは沖縄です。日本ではありません。
必ずここでゲートを守り抜いて、明日この場所からオスプレイが来るんだったら迎えうちましょう。風船でも凧でも鉄砲でも矢でも打ち上げて、オスプレイの飛来を阻止しようではありませんか。
オスプレイ配備反対集会より

バルーン風船を揚げるヒントになったのは、たこ揚げをしている時に、普天間飛行場から飛び立った飛行機がたこを避けて方向を変えたのを見たからだという。それをヒントに、バルーン風船を揚げれば普天間飛行場から飛び立った飛行機を威嚇することができると思い立った。バルーン風船揚げは、屋良氏が述べているように「普天間飛行場の機能をマヒさせる」のを目的にしていて、普天間飛行場から飛び立った飛行機を威嚇するために揚げるのである。最悪の場合は目の前に突然現れたバルーン風船に驚いた操縦士がハンドルを切り過ぎて墜落する可能性がある。
なぜこのような危険な行為ができるのか、屋良氏は次のように説明している。
普天間が航空法で定める飛行場ではないため、航空法は適用されていません。本来、航空法により飛行場周辺は高さ規制があり、決められた高さ以上の建物を建てたり、バルーンのようなものを揚げたりして航空の妨げになるような行為をすれば罰則の対象となります。
ところが航空法が適用されると、航空機に爆発物を載せることや、住民に迷惑をかける低空飛行、無許可の編隊飛行、パラシュート降下などをおこなえなくなります。これでは米軍は身動きがとれません。そのため航空法の規制を外した特例法を定めたわけです。
「誤解だらけの沖縄・米軍基地」
米軍基地は航空法を適用すると軍事基地としての機能を発揮することができないので、航空法とは違う航空法特例法をつくった。だからバルーンを揚げても取り締まることができない法律になってしまった。沖縄国際大の井端教授は航空法特例法の盲点をついてバルーン揚げを実行したのである。
見事な法律の盲点をついたバルーン揚げである。法律に精通している大学教授だからこそ見つけた法律の盲点である。
私はバルーン揚げに大反対である。人間として許せない。航空法ではバルーンのようなものを揚げることを禁じている。民間飛行場の飛行機も米軍基地の飛行機も空を飛ぶ同じ飛行機である。飛行機は常に墜落の危機がある。墜落すれば被害が大きい。被害の大きさは民間の飛行機であろうとも軍用の飛行機であろうとも同じである。
航空法がバルーン揚げを禁じているのは墜落の危険性をなくすためである。バルーン揚げは最悪の場合飛行機が墜落するから禁じているのである。特例法では禁止していないといっても、航空法で禁じているということは、同じ飛行機なのだから、決められた高さ以上の建物を建てたり、バルーンのようなものを揚げたりするのは米軍の飛行場でも危険であるということである。
航空法では犯罪行為であるのに、特例法では罰することができないのを逆手にとってバルーン風船を揚げるのは、脱法ハーブを売る行為と同じ性質の犯罪行為である。罰せられなくても人間の倫理としてやるべきではない行為である。
バルーンを規制する法律がないことを調べ上げた井端教授はさすが学問を究めている人だと感心するが、井端教授には人間としての倫理がないのかと疑ってしまう。バルーン揚げは危険な行為だから航空法では禁じている。飛行場の危険性は民間飛行場であろうと米軍の飛行場であろうと同じである。普天間飛行場でのバルーン揚げもやってはいけない危険行為である。危険行為と知りながら実行したということはテロ行為に等しい。バルーン風船揚げは「敵をやっつける」目的で行動するテロリストと同じ精神の行為なのだ。
普天間飛行場は、民主主義国家である米国と日本の国民に選ばれた代表が存在を認めているものである。井端教授は国民に選ばれた人間ではない。国民の代表者ではない井端教授が普天間飛行場撤去を主張するのはいいが、普天間飛行場をマヒさせる権利はない。それは犯罪行為である。
民主主義国家の一員としての自覚があれば、人間としての良心があれば、米軍の飛行場であろうとバルーン風船揚げはやらないはずである。しかし、井端教授は特例法の盲点を見つけて普天間飛行場でバルーン風船揚げをやった。井端氏は最高学府の教授である。その教授が脱法ハーブと同じ行為をしたのだ。学生を巻き込んでバルーン風船揚げをやる井端教授は、法律の脱法方法を研究して、罰せられない犯罪をやるように学生に教えているようなものである。民主主義も法の精神もあったものじゃない。
最高学府の教育者でありながら人間としての倫理に欠けている井端教授を擁する大学側は、米軍の「米連邦に違反している」という主張に対して「連邦法を持ち出すなら、普天間そのものが違法な飛行場」と反論した。大学側の反論に米軍は反論できなかった。しかし、「隊員と住民の安全を脅かす行為だ」という米軍の主張に対して大学側は反論をやっていない。大学側は無視している。大学側は、たとえ「隊員と住民の安全を脅かす行為」であっても「普天間そのものが違法な飛行場」であるし、航空法特例法に違反していないのだから、バルーン揚げをしてもいいという考えである。極端にいうと飛行機が墜落して隊員だけでなく宜野湾市民が死んでも構わないというのが大学側の思想である。
大学側は「普天間そのものが違法な飛行場」と主張しているが、普天間飛行場を違法な飛行場にしたのは米軍ではない。沖縄国際大学のほうである。
バルーン風船揚げはテロ行為
二〇一一年四月には市民団体がバルーン作戦を実施しました。色とりどりの大きな風船が普天間周辺の七か所で揚がりました。あわてた米軍は沖縄防衛局になんとかするよう対応を求めましたが、やはり打つ手はありませんでした。
防衛局の職員が現場に駆けつけ、風船を揚げる市民らに「下ろしてください」と頼みますが、市民団体は「なぜですか」と問い返すだけでいいのです。警察官もやってきましたが何をするわけでもありません。
北沢俊美防衛相は市民団体の風船作戦について国会答弁で、「もし航空機に(風船が)接触したりして運航に害を与えたら、一般論として刑法の威力業務妨害が適用されるだろう」と警告しました。北沢防衛相の発言が正しいのなら、宜野湾市民は凧揚げさえも禁止されることになります。そんなバカな話はありません。
「誤解だらけの沖縄・米軍基地」
宜野湾市内で普天間飛行場の周囲以外で凧揚げができるところはたくさんある。普天間飛行場の周囲で凧揚げを禁止することが、「宜野湾市民は凧揚げさえも禁止される」というのはこじつけだ。飛行機事故が起こる可能性がある場所でわざわざ凧揚げをするほうが許されない行為である。
「もし航空機に(風船が)接触したりして運航に害を与えたら、一般論として刑法の威力業務妨害が適用されるだろう」という北沢俊美防衛相の発言に「そんなバカな話はありません」という屋良氏は普通の神経の持ち主ではない。飛行機の事故は死に繋がる。飛行機の運航に危害を与える可能性のある行為は絶対にやってはいけない。それが常識だ。
航空機に(風船が)接触したりして運航に危害を与えても罪にはならないし、どんどん風船をあげて、普天間飛行場の飛行機の航行をマヒさせようという考えのほうがおかしい。そんなバカな話はない。
ところが、屋良氏は最悪の場合飛行機が墜落するかもしれないバルーン風船揚げを推奨しているのである。正気の人間とは思えない。バルーン風船揚げは大衆運動と呼べるものではない。テロだ。
大衆運動は理不尽な政府のやり方に対して、集会や宣伝活動をやって賛同者を増やし、その圧力で政府の方針を変えていくものである。県民大会が大衆運動を結実させていく最高の方法である。県民大会に実質二万人から三万人を結集させれば政府への圧力になる。普天間飛行場移設、嘉手納飛行場以南の軍用地返還の政府方針は二万人余の県民大会の圧力が功を奏したからである。
しかし、バルーン風船揚げは大衆運動とは性質が違う。普天間飛行場の撤去を目指して県民に訴え、県民の結集を目指した運動ではない。バルーン風船を普天間飛行場から飛び立った飛行機の高さまで上げ、飛行機の航行を邪魔する目的の行動である。屋良氏も「じつは風船で普天間飛行場の機能をマヒさせることが可能なのです」とバルーン風船揚げの目的を述べている。バルーン揚げは普天間飛行場への直接攻撃である。それはテロ行為であって大衆運動ではない。
井端教授の考え出したアドバルーン風船揚げを率先してやっているのが革新勢力である。普天間飛行場があるために宜野湾市民の命が危険だと主張している革新勢力が法律に違反していないから飛行機を墜落させてしまうかもしれない危険なアドバルーン風船揚げをする。
革新勢力は宜野湾市民の生命を大事にする気はない。革新勢力のイデオロギーは反米主義であり、普天間飛行場の撤去・閉鎖が目的である。宜野湾市民の生命の安全は本当は二の次である。その証拠に宜野湾市民の生命の危険を及ぼすアドバルーン風船揚げをやったのだ。これからもやる積りだ。
辺野古テントを撤去しない稲嶺市長
テントの右側は港である。テントは辺野古区民が港に散歩する海岸歩道の上につくってある。


テントには辺野古区民ではない政治活動家が不定期に居る。また、活動家たちが集会などをするから、辺野古区民はテントに近寄ることができない。朝夕の散歩も港に行くのにも海岸の道路を通ることができない。よそ者に辺野古の海岸を占拠された状態である。
辺野古区民はテント撤去を多数決で決め、稲嶺名護市長にテントを撤去してくれるように申し入れたが、稲嶺市長は「表現の自由」を理由に辺野古区民の願いをはね返した。考えられないことである。
公共の場所にテントを建てるのは違法行為である。それにその場所は辺野古区民の生活が優先する場所である。違法な場所、辺野古区民の反対があるにも拘わらず「表現の自由」を理由に撤去しない稲嶺名護市長は非民主主義的な政治家である。
稲嶺市長がテントを許可をしているのは辺野古移設反対の政治活動家のテントであるからである。
オスプレイ配備反対の革新勢力が野嵩ゲートを暴力的に封鎖した時も「警官は暴力をふるうな。表現の自由を弾圧するな」とマイクで何度も主張していた。進入禁止区域であるゲートに侵入し、しかも暴力的にゲートを封鎖するという違法行為をしていながら、警察に表現の自由を守るように主張したのである。犯罪行為をしながらしかも、日本の憲法が適用されない治外法権の場所でかれらは日本国憲法が保障している表見の自由を主張したのだ。狂っているとしか思えない。
彼らには反米主義・反保守主義の岩のように固いイデオロギーがあるのだ。それは稲嶺市長も同じである。
テントは違法な設置であり、辺野古区民も反対したのに稲嶺市長は撤去しないのである。それは民主主義を逸脱した反米・反保守主義のイデオロギーの塊だからである。
八重山教科書問題、普天間ゲート封鎖、アドバルーン風船揚げ、辺野古テントに共通するのは革新勢力の反米・反保守主義の社会主義を根としたイデオロギーである。
彼らの根底には日本の法律を遵守する精神はない。 もし、彼らの勢力が強くて警察権力を上回るなら彼らは暴力革命を実行するだろう。
普天間ゲート封鎖は彼らが違法行為でもなんでもやることを証明した。
竹富町が東京書籍版を育鵬社版にすることは絶対にない。育鵬社版を使用しないのは反保守主義イデオロギーであるからだ。
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沖縄舞踊の革命児たち・花やから
沖縄舞踊の革命児たち
彼女たちは「踊り」を超えて演じている
ミルクムナリは最初に四人の太鼓打ちが入場する。最初に驚くのは彼女たちがバチをくるくるっと回転させて打つことだ。

太鼓をたたく瞬間はバチをしっかりと掴んでいないと太鼓のはじっこを打ったりバチを飛ばしたりする。くるくるとバチを回転させて打つのは至難の業である。それを少女たちは難なくこなし、しかしも退場する最後まで叩き続けるのだ。

それだけではない。旗持ちと一緒に飛び上がっている。

四人の太鼓打ちの次に登場するのが二人の闘士である。登場がすごい。走って来て飛び上がり、蹴るのである。沖縄舞踊でこのような登場はない。

写真をみれば舞踊というより空手の演武のようである。


しかし、彼女たちの動きはリズム的であり、ミルクムナリのリズムと歌にぴったりと合わせている。やっぱり踊りである。
次に登場するのが二人の旗持ちである。激しい動きである。


本当に闘っているように激しく旗をぶつけている。

空中高く飛び上がっている。

太鼓打ち、闘士、旗持ちそれぞれの踊りはすごいし、次々に展開していくのもすばらしい。
普通、踊りは力を押さえて、安定した速さでやわらかい動きを基本としている。しかし、彼女たちの踊りは、空手の演武のように早く、渾身の力を出している。

このような舞踊は沖縄舞踊だけでなく日本舞踊にもないのではないか。
彼女たちの踊りはそれだけではない。沖縄舞踊は無表情で踊るが彼女たちは演劇のように感情を顔に出している。






後ろの踊り手の形相はすごい。
ミルクムナリ1
ミルクムナリを紹介している時はひ弱そうな女の子である。しかし、太鼓打ちとして登場すると凛々しく変身する。
ミルクムナリ2
花やからのミルクムナリは沖縄舞踊の常識を壊している。しかし、それが観客の目をくぎ付けにするような素晴らしい舞踊を誕生させている。
なぜ、彼女たちは演劇と同じくらいの表情をすることができるのだろう。
その謎はFNS九州8曲共同制作「家族の歌」で放映された「琉舞に挑戦!5歳の娘」という花やからに入団するまでの玉木弥弥ちゃんのドキュメントで分かる。
ややちゃんの普通の顔である。陽気な子である。


踊りを練習をする時は口元をぎゅっと閉め真剣な顔をしている。無表情であり普通の舞踊練習風景だ。他の子どももややちゃんと同じた。
ややちゃんがちゃんと踊れたら舞台に出すと「花やから」を主催している大城秀子先生に言われるが、舞台にでれるようになるには声を出して楽しく踊れるようにならなければいけない注意する。

声を出して返事できないややちゃんである。しかし、ややちゃんの目を見てほしい。大城先生の注意を真剣に聞いていることがわかる。

お母さんと屋上で練習しているややちゃん。お母さんは大城先生に指摘されたややちゃんの欠点を直そうと厳しく教える。ややちゃんはお母さんを睨む。怒ったお母さんが「練習を止めるか」というとややちゃんは首を横に振る。
そして、踊っている途中から声が出て「花やから」を歌いながら踊る。

道場でも声を出しながら歌えるようになる。

思いっきり歌いながら踊る。これが他の沖縄舞踊と違うところである。

「花やから」歌を歌っている時と歌っていない時の表情がこんなにも違うのだ。

歌詞には意味がある。くり返し何度も歌っていると歌詞の内容が理解できるようになる。それだけではない。歌詞が心の中に浸透していき心で踊り、表情にも出てくる。
「花やから」は徹底して歌わせ、歌詞の内容を演劇のように表現する訓練をしているのだ。その訓練がミルクムナリのような踊りをつくり上げている。
感情を殺して踊るのではなく。感情を思いっきり出して踊る。それが「花やから」である。それは沖縄舞踊の革命である。
彼女たちは「踊り」を超えて演じている
ミルクムナリは最初に四人の太鼓打ちが入場する。最初に驚くのは彼女たちがバチをくるくるっと回転させて打つことだ。

太鼓をたたく瞬間はバチをしっかりと掴んでいないと太鼓のはじっこを打ったりバチを飛ばしたりする。くるくるとバチを回転させて打つのは至難の業である。それを少女たちは難なくこなし、しかしも退場する最後まで叩き続けるのだ。

それだけではない。旗持ちと一緒に飛び上がっている。

四人の太鼓打ちの次に登場するのが二人の闘士である。登場がすごい。走って来て飛び上がり、蹴るのである。沖縄舞踊でこのような登場はない。

写真をみれば舞踊というより空手の演武のようである。


しかし、彼女たちの動きはリズム的であり、ミルクムナリのリズムと歌にぴったりと合わせている。やっぱり踊りである。
次に登場するのが二人の旗持ちである。激しい動きである。


本当に闘っているように激しく旗をぶつけている。

空中高く飛び上がっている。

太鼓打ち、闘士、旗持ちそれぞれの踊りはすごいし、次々に展開していくのもすばらしい。
普通、踊りは力を押さえて、安定した速さでやわらかい動きを基本としている。しかし、彼女たちの踊りは、空手の演武のように早く、渾身の力を出している。

このような舞踊は沖縄舞踊だけでなく日本舞踊にもないのではないか。
彼女たちの踊りはそれだけではない。沖縄舞踊は無表情で踊るが彼女たちは演劇のように感情を顔に出している。






後ろの踊り手の形相はすごい。
ミルクムナリ1
ミルクムナリを紹介している時はひ弱そうな女の子である。しかし、太鼓打ちとして登場すると凛々しく変身する。
ミルクムナリ2
花やからのミルクムナリは沖縄舞踊の常識を壊している。しかし、それが観客の目をくぎ付けにするような素晴らしい舞踊を誕生させている。
なぜ、彼女たちは演劇と同じくらいの表情をすることができるのだろう。
その謎はFNS九州8曲共同制作「家族の歌」で放映された「琉舞に挑戦!5歳の娘」という花やからに入団するまでの玉木弥弥ちゃんのドキュメントで分かる。
ややちゃんの普通の顔である。陽気な子である。



踊りを練習をする時は口元をぎゅっと閉め真剣な顔をしている。無表情であり普通の舞踊練習風景だ。他の子どももややちゃんと同じた。
ややちゃんがちゃんと踊れたら舞台に出すと「花やから」を主催している大城秀子先生に言われるが、舞台にでれるようになるには声を出して楽しく踊れるようにならなければいけない注意する。

声を出して返事できないややちゃんである。しかし、ややちゃんの目を見てほしい。大城先生の注意を真剣に聞いていることがわかる。

お母さんと屋上で練習しているややちゃん。お母さんは大城先生に指摘されたややちゃんの欠点を直そうと厳しく教える。ややちゃんはお母さんを睨む。怒ったお母さんが「練習を止めるか」というとややちゃんは首を横に振る。
そして、踊っている途中から声が出て「花やから」を歌いながら踊る。

道場でも声を出しながら歌えるようになる。

思いっきり歌いながら踊る。これが他の沖縄舞踊と違うところである。

「花やから」歌を歌っている時と歌っていない時の表情がこんなにも違うのだ。

歌詞には意味がある。くり返し何度も歌っていると歌詞の内容が理解できるようになる。それだけではない。歌詞が心の中に浸透していき心で踊り、表情にも出てくる。
「花やから」は徹底して歌わせ、歌詞の内容を演劇のように表現する訓練をしているのだ。その訓練がミルクムナリのような踊りをつくり上げている。
感情を殺して踊るのではなく。感情を思いっきり出して踊る。それが「花やから」である。それは沖縄舞踊の革命である。
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沖縄舞踊の革命児たち
沖縄舞踊の革命児たち
私が舞踊集団「花やから」を知ったのはユーチューブで「琉踊に挑戦五歳の娘」を見てからだ。市場の店の前で踊る玉城弥弥を見て、沖縄踊りのDNAを感じた。弥弥ちゃんは歩き始めた頃からラジオから沖縄民謡が流れると踊っていたという。二歳七か月で花やからの公演を見、花やからのビデオを一カ月間見続け、二歳八か月に花やからに入門したという。
琉舞に挑戦! 5歳の娘 Part 1
琉舞に挑戦! 5歳の娘 Part 2
琉舞に挑戦! 5歳の娘 Part 3
「琉踊に挑戦五歳の娘」では弥弥ちゃんが舞台に立つまでを放映しているが、先生の話を真剣に聞き、ちゃんと理解していることが表情で分かる。母親との練習でも、無言ではあるが踊りの練習を続けたいという意思を表示をしている。声の出なかった弥弥ちゃんが声を出し、生き生きと踊った。
4つのミルクムナリの映像を紹介する。
最初の映像は2006年11月 中野サンプラザ大ホール
「琉球國祭り太鼓 東京支部10周年記念公演」の映像である。
歌手の日出克が歌い、琉球舞団 昇龍祭太鼓が参加している。
映像は2008年にアップされ、アクセス数は506,127 である。
二番目の映像は2010/04/14にアップロードした日琉球舞団 昇龍祭太鼓の映像である。
2010年のアップである。アクセス数は109,422である。
三番目の映像は舞踊のプロがパーランクを叩きながら踊っている。ミルクムナリの模範的な踊り方を紹介している。
2008年にアップしている。アクセス数は176,921である。
四番目が「花やから」の映像である。
2009年にアップしている。アクセス数は57,280である。
「琉球國祭り太鼓 東京支部10周年記念公演」
日琉球舞団 昇龍祭太鼓
パーランクを叩きながら模範の踊りをやっている
花やから
花やからは踊りの組み立て、踊り方、表情が他の踊りと全然違う。今までの沖縄の舞踊にはなかった。
花やからは沖縄舞踊に革命を起こしている。
「花やから」の踊りを見ている内にそう確信を持つようになった。
私が舞踊集団「花やから」を知ったのはユーチューブで「琉踊に挑戦五歳の娘」を見てからだ。市場の店の前で踊る玉城弥弥を見て、沖縄踊りのDNAを感じた。弥弥ちゃんは歩き始めた頃からラジオから沖縄民謡が流れると踊っていたという。二歳七か月で花やからの公演を見、花やからのビデオを一カ月間見続け、二歳八か月に花やからに入門したという。
琉舞に挑戦! 5歳の娘 Part 1
琉舞に挑戦! 5歳の娘 Part 2
琉舞に挑戦! 5歳の娘 Part 3
「琉踊に挑戦五歳の娘」では弥弥ちゃんが舞台に立つまでを放映しているが、先生の話を真剣に聞き、ちゃんと理解していることが表情で分かる。母親との練習でも、無言ではあるが踊りの練習を続けたいという意思を表示をしている。声の出なかった弥弥ちゃんが声を出し、生き生きと踊った。
4つのミルクムナリの映像を紹介する。
最初の映像は2006年11月 中野サンプラザ大ホール
「琉球國祭り太鼓 東京支部10周年記念公演」の映像である。
歌手の日出克が歌い、琉球舞団 昇龍祭太鼓が参加している。
映像は2008年にアップされ、アクセス数は506,127 である。
二番目の映像は2010/04/14にアップロードした日琉球舞団 昇龍祭太鼓の映像である。
2010年のアップである。アクセス数は109,422である。
三番目の映像は舞踊のプロがパーランクを叩きながら踊っている。ミルクムナリの模範的な踊り方を紹介している。
2008年にアップしている。アクセス数は176,921である。
四番目が「花やから」の映像である。
2009年にアップしている。アクセス数は57,280である。
「琉球國祭り太鼓 東京支部10周年記念公演」
日琉球舞団 昇龍祭太鼓
パーランクを叩きながら模範の踊りをやっている
花やから
花やからは踊りの組み立て、踊り方、表情が他の踊りと全然違う。今までの沖縄の舞踊にはなかった。
花やからは沖縄舞踊に革命を起こしている。
「花やから」の踊りを見ている内にそう確信を持つようになった。
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新聞はなにげなく大嘘をつく
遅まきながら、新年おめでとございます。
今年もおもしろい年になりそうです。

「かみつく」を改名「沖縄 民主主義4」
定価1000円(税抜)
12月県内書店で発売予定
狼魔人日記で先行発売

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「かみつく」を改名して「沖縄 民主主義」にした。


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新聞はなにげなく大嘘をつく

辺野古飛行場予定地は左端の金網から一キロ以上離れた場所にある。辺野古飛行場は写真の景色をちっとも邪魔しない。基地が建設されると浜は消えると書いて、写真の浜辺が消えるように思わしているが。写真の浜辺は軍用地ではない。この浜が埋められるはずはない。「基地が建設されると浜が消える」というのは写真の場所ではない。浜が消えるのは写真の場所から遠く一キロ以上離れている飛行場建設予定地のことである。
読者は写真の浜が埋められて消えると思ってしまう。これは辺野古飛行場の移設場所を知らない人を騙す書き方である。新聞はなにげなくこのような大嘘をつき読者を騙すのである。この書き方は新聞の得意技だ。
キャンプシュワブは左端に見える金網の向こう側であるから、基地内に十メートルのコンクリート壁がつくられたとしても写真の景観を損なうということはない。辺野古飛行場から遠く離れた場所で撮ったこの景色はずっと変わらない。
沖縄タイムスは多くの戦争体験者の体験談を掲載し、戦争は悲惨であり、二度と戦争をしてはならないと反戦平和を訴える。
しかし、沖縄戦体験者には大きな欠点がある。彼らは自分の戦争体験だけしか知らない。戦争全体のことを知らない。非常に狭い視野で戦争を見ている。
戦争は沖縄戦だけではない。沖縄戦のような負け戦だけではない。勝ち戦もある。戦前の日本は領土を拡大するために大陸を侵略していった。大陸や南方に侵略して現地の人々を支配した。そして、多くの日本国民を移住させて農業をさせた。
貧しい沖縄の多くの県民が南方や大陸に移住して農業をやったが、その土地は日本軍が現地の人たちから奪った土地だった。日本軍が勝っていた時は沖縄の人々は日本軍の侵略の恩恵を得ていた。現地の土地を奪って自分たちに与えてくれた日本軍に感謝していた。日本軍によって追い出された大陸や南方の農民たちの悲惨さを沖縄の人たちは知らない。知ろうともしない。沖縄は戦争加害者でもあったのに、自分たちは戦争被害者だと思っている。沖縄戦の負け戦を体験した島袋さんの戦争体験は個人的な体験の域を出ていない。戦争は体験だけでは理解できない。
自分の戦争体験しか知らない島袋さんは戦後の沖縄のことについて自分の体験だけしか知らない。糸満出身の島袋さんは米軍のお陰で繁栄した辺野古に移り住み、夫はキャンプシュワブ建設現場で働き、島袋さんもシュワブ内で働いた。戦前の沖縄は貧しかった。米軍が駐留して基地関係の仕事が増え、戦前に比べて飛躍的に沖縄の経済はよくなった。そのことに対しての感謝の気持ちが島袋さんにはない。沖縄の貧しさを救ってくれた米軍に感謝の気持ちがない島袋さんは恩知らずだと私は思う。
島袋さんは「沖縄を、人殺しの島にしないで」と言っている。米軍をひどく侮辱している言葉である。
米軍は人殺しをするために沖縄に駐留しているのではない。中国、北朝鮮、北ベトナムがアジアの弱小国に侵略して人殺しをさせないために駐留しているのだ。
一九五〇年六月二五日に発生した朝鮮戦争はなんの予告もなく北朝鮮が南朝鮮に侵略して始まった。米軍は侵略してきた北朝鮮を追い返し、南北の国境線を守るために戦った。ベトナム戦争も同じだった。社会主義国家だった北ベトナムは南ベトナムも社会主義国家にしようと侵略した。米軍は南ベトナムを守るために侵略してきた北ベトナム軍やベトコンと戦った。朝鮮戦争では米軍が北朝鮮軍を追い返した。だから現在は北朝鮮と韓国に分かれている。しかし、ベトナムは北ベトナムが勝利したので南ベトナムは北ベトナムに支配されて、社会主義国家になっている。
朝鮮戦争やベトナム戦争で分かるように米軍は人殺しをするために沖縄に駐留しているのではない。社会主義国家の侵略を防ぐために駐留している。侵略を防ぐためには戦わなければならない。もし、侵略者と戦って勝利しないとチベットやウイグルのように植民地にされ惨めな生活を強いられる。米軍が沖縄に駐留していたから、戦後六十八年間、沖縄は社会主義国家に侵略されず平和でいられたのだ。
島袋さんは米兵から「戦争はビジネスだ」と聞いたという。戦地に派遣されると給料を多くもらうから、島袋さんは「金儲け」と「人殺し」が繋がると言う。そして、「沖縄にある米軍基地がベトナムの人を殺したんじゃないのか」と思い、脳裏に忘れかかった沖縄戦の記憶がよみがえるという。
島袋さんの話はひどい話。南ベトナムが共産党独裁国家北ベトナムに侵略されないように戦い、死んでいった若き米兵たちを侮辱している。確かに沖縄にある米軍基地がベトナムの人を殺している。しかし、ベトナムの人といっても彼らは南ベトナムを滅ぼして北ベトナムの支配下に置こうとしたベトコンと北ベトナム軍である。ベトコンと北ベトナムは多くのベトナム人を殺害している。北ベトナム兵やベトコンによる南ベトナム人の殺害を食い止めるために米軍は南ベトナムで戦ったのだ。島袋さんは自分が体験した沖縄戦とベトナム戦争を重ね合わせて米軍がベトナムの一般人を殺害したと思い込んである。米軍が戦った相手はベトコンと北ベトナム軍であって、ベトナムの一般の人たちではない。
自分の沖縄戦体験だけで戦争を見ている島袋さんは敵兵であった米兵が死ぬことには平気なようだ。沖縄戦では敵であり、沖縄の人々を殺害した米兵であったが、戦争が終わり、戦後の島袋さんは軍で働いた。多くの米兵や彼らの家族を見てきた島袋さんは彼らが普通の人間であることを感じたはずである。それとも、島袋さんは沖縄戦のトラウマが強く米兵は普通の人間にはみえなかったのだろうか。ウチナーンチュだけが赤い血が通流れている、米兵にはウチナーンチュとは違う白い血が流れている人間だと思っているのだろうか。島袋さんには米兵が赤い血が流れているか人間には見えないのだろう。米兵は死ぬのが平気で「戦争はビジネス」だと考えていると島袋さんは本当に信じているのだろうか。
島袋さん。米兵もウチナーンチュと同じ赤い血が流れている。自由を求め、恋を求め、幸福を求めている普通の人間だ。米兵の誰もが長生きしようと願っている。死にたくないと思っている。
戦争に行けば死ぬかも知れない。戦争に行くことは死を覚悟することである。死ぬかも知れない戦争に若き米兵は「金儲け」のために平気で行くというのか。米兵はお金のためなら平気で死ぬというのか。米兵は普通の人間ではないというのか。それはおかしい。
基地内で働いて辺野古に住んでいた島袋さんなら知っているはずだ。明日、ベトナムに行かなければならなくなった若い米兵は、「死ぬかも知れない自分にお金は必要ない」とありったけのお金を沖縄で使ったことを。浴びるほど酒を飲んだことを。沖縄のベトナム戦争景気はそのような死を覚悟した若い米兵たちの金に支えられていたことを。
ベトナム戦争を体験した多くの若者が精神障害者になった。精神障害がひどくなったある若者は大学の建物の屋上から無差別殺人をして射殺された。
ベトナムでは戦場ではなく街や村で一般人の中に紛れたベトコンに襲われたり、子どもに襲われたりもした。そのためにベトナム人みんなが敵だと思い込むような精神障害に陥った米兵がベトンム人を大量殺害した悲劇も起こった。
米兵は殺人マシーンではない。普通の人間だ。本当に島袋さんは米兵から「戦争はビジネスだ」と聞いたのか。その米兵の精神状態どのような状態だったのか。自暴自棄になっていなかったか。冗談で言ったのか。私は「金儲け」と「人殺し」が繋がるという島袋さんの考えに違和感がある。米兵を人間として見ていない島袋さんに失望する。
戦争は殺し合いである。人間の悲劇である、惨劇である。戦争はしないほうがいい。しかし、あの時代は共産勢力の侵略を防ぐのが米国の使命だった。そのためには戦争をしなければならなかった。ベトナム戦争は北ベトナムの侵略から南ベトナムを守るための戦争だった。守るための戦争さえ否定するということは共産勢力の侵略を肯定することであり、植民地にされることを認めることだ。
米軍は韓国を守るために、南ベトナムを守るために戦争をしたのだ。守るための戦争さえ「戦争は人殺し」という理由で否定していいのだろうか。島袋さんは沖縄が中国に侵略されて植民地になってもいいと言うのか。
島袋さんには人権意識はないのだろうか。
今年もおもしろい年になりそうです。

「かみつく」を改名「沖縄 民主主義4」
定価1000円(税抜)
12月県内書店で発売予定
狼魔人日記で先行発売

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「かみつく」を改名して「沖縄 民主主義」にした。


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新聞はなにげなく大嘘をつく

辺野古飛行場予定地は左端の金網から一キロ以上離れた場所にある。辺野古飛行場は写真の景色をちっとも邪魔しない。基地が建設されると浜は消えると書いて、写真の浜辺が消えるように思わしているが。写真の浜辺は軍用地ではない。この浜が埋められるはずはない。「基地が建設されると浜が消える」というのは写真の場所ではない。浜が消えるのは写真の場所から遠く一キロ以上離れている飛行場建設予定地のことである。
読者は写真の浜が埋められて消えると思ってしまう。これは辺野古飛行場の移設場所を知らない人を騙す書き方である。新聞はなにげなくこのような大嘘をつき読者を騙すのである。この書き方は新聞の得意技だ。
キャンプシュワブは左端に見える金網の向こう側であるから、基地内に十メートルのコンクリート壁がつくられたとしても写真の景観を損なうということはない。辺野古飛行場から遠く離れた場所で撮ったこの景色はずっと変わらない。

沖縄タイムスは多くの戦争体験者の体験談を掲載し、戦争は悲惨であり、二度と戦争をしてはならないと反戦平和を訴える。
しかし、沖縄戦体験者には大きな欠点がある。彼らは自分の戦争体験だけしか知らない。戦争全体のことを知らない。非常に狭い視野で戦争を見ている。
戦争は沖縄戦だけではない。沖縄戦のような負け戦だけではない。勝ち戦もある。戦前の日本は領土を拡大するために大陸を侵略していった。大陸や南方に侵略して現地の人々を支配した。そして、多くの日本国民を移住させて農業をさせた。
貧しい沖縄の多くの県民が南方や大陸に移住して農業をやったが、その土地は日本軍が現地の人たちから奪った土地だった。日本軍が勝っていた時は沖縄の人々は日本軍の侵略の恩恵を得ていた。現地の土地を奪って自分たちに与えてくれた日本軍に感謝していた。日本軍によって追い出された大陸や南方の農民たちの悲惨さを沖縄の人たちは知らない。知ろうともしない。沖縄は戦争加害者でもあったのに、自分たちは戦争被害者だと思っている。沖縄戦の負け戦を体験した島袋さんの戦争体験は個人的な体験の域を出ていない。戦争は体験だけでは理解できない。
自分の戦争体験しか知らない島袋さんは戦後の沖縄のことについて自分の体験だけしか知らない。糸満出身の島袋さんは米軍のお陰で繁栄した辺野古に移り住み、夫はキャンプシュワブ建設現場で働き、島袋さんもシュワブ内で働いた。戦前の沖縄は貧しかった。米軍が駐留して基地関係の仕事が増え、戦前に比べて飛躍的に沖縄の経済はよくなった。そのことに対しての感謝の気持ちが島袋さんにはない。沖縄の貧しさを救ってくれた米軍に感謝の気持ちがない島袋さんは恩知らずだと私は思う。
島袋さんは「沖縄を、人殺しの島にしないで」と言っている。米軍をひどく侮辱している言葉である。
米軍は人殺しをするために沖縄に駐留しているのではない。中国、北朝鮮、北ベトナムがアジアの弱小国に侵略して人殺しをさせないために駐留しているのだ。
一九五〇年六月二五日に発生した朝鮮戦争はなんの予告もなく北朝鮮が南朝鮮に侵略して始まった。米軍は侵略してきた北朝鮮を追い返し、南北の国境線を守るために戦った。ベトナム戦争も同じだった。社会主義国家だった北ベトナムは南ベトナムも社会主義国家にしようと侵略した。米軍は南ベトナムを守るために侵略してきた北ベトナム軍やベトコンと戦った。朝鮮戦争では米軍が北朝鮮軍を追い返した。だから現在は北朝鮮と韓国に分かれている。しかし、ベトナムは北ベトナムが勝利したので南ベトナムは北ベトナムに支配されて、社会主義国家になっている。
朝鮮戦争やベトナム戦争で分かるように米軍は人殺しをするために沖縄に駐留しているのではない。社会主義国家の侵略を防ぐために駐留している。侵略を防ぐためには戦わなければならない。もし、侵略者と戦って勝利しないとチベットやウイグルのように植民地にされ惨めな生活を強いられる。米軍が沖縄に駐留していたから、戦後六十八年間、沖縄は社会主義国家に侵略されず平和でいられたのだ。
島袋さんは米兵から「戦争はビジネスだ」と聞いたという。戦地に派遣されると給料を多くもらうから、島袋さんは「金儲け」と「人殺し」が繋がると言う。そして、「沖縄にある米軍基地がベトナムの人を殺したんじゃないのか」と思い、脳裏に忘れかかった沖縄戦の記憶がよみがえるという。
島袋さんの話はひどい話。南ベトナムが共産党独裁国家北ベトナムに侵略されないように戦い、死んでいった若き米兵たちを侮辱している。確かに沖縄にある米軍基地がベトナムの人を殺している。しかし、ベトナムの人といっても彼らは南ベトナムを滅ぼして北ベトナムの支配下に置こうとしたベトコンと北ベトナム軍である。ベトコンと北ベトナムは多くのベトナム人を殺害している。北ベトナム兵やベトコンによる南ベトナム人の殺害を食い止めるために米軍は南ベトナムで戦ったのだ。島袋さんは自分が体験した沖縄戦とベトナム戦争を重ね合わせて米軍がベトナムの一般人を殺害したと思い込んである。米軍が戦った相手はベトコンと北ベトナム軍であって、ベトナムの一般の人たちではない。
自分の沖縄戦体験だけで戦争を見ている島袋さんは敵兵であった米兵が死ぬことには平気なようだ。沖縄戦では敵であり、沖縄の人々を殺害した米兵であったが、戦争が終わり、戦後の島袋さんは軍で働いた。多くの米兵や彼らの家族を見てきた島袋さんは彼らが普通の人間であることを感じたはずである。それとも、島袋さんは沖縄戦のトラウマが強く米兵は普通の人間にはみえなかったのだろうか。ウチナーンチュだけが赤い血が通流れている、米兵にはウチナーンチュとは違う白い血が流れている人間だと思っているのだろうか。島袋さんには米兵が赤い血が流れているか人間には見えないのだろう。米兵は死ぬのが平気で「戦争はビジネス」だと考えていると島袋さんは本当に信じているのだろうか。
島袋さん。米兵もウチナーンチュと同じ赤い血が流れている。自由を求め、恋を求め、幸福を求めている普通の人間だ。米兵の誰もが長生きしようと願っている。死にたくないと思っている。
戦争に行けば死ぬかも知れない。戦争に行くことは死を覚悟することである。死ぬかも知れない戦争に若き米兵は「金儲け」のために平気で行くというのか。米兵はお金のためなら平気で死ぬというのか。米兵は普通の人間ではないというのか。それはおかしい。
基地内で働いて辺野古に住んでいた島袋さんなら知っているはずだ。明日、ベトナムに行かなければならなくなった若い米兵は、「死ぬかも知れない自分にお金は必要ない」とありったけのお金を沖縄で使ったことを。浴びるほど酒を飲んだことを。沖縄のベトナム戦争景気はそのような死を覚悟した若い米兵たちの金に支えられていたことを。
ベトナム戦争を体験した多くの若者が精神障害者になった。精神障害がひどくなったある若者は大学の建物の屋上から無差別殺人をして射殺された。
ベトナムでは戦場ではなく街や村で一般人の中に紛れたベトコンに襲われたり、子どもに襲われたりもした。そのためにベトナム人みんなが敵だと思い込むような精神障害に陥った米兵がベトンム人を大量殺害した悲劇も起こった。
米兵は殺人マシーンではない。普通の人間だ。本当に島袋さんは米兵から「戦争はビジネスだ」と聞いたのか。その米兵の精神状態どのような状態だったのか。自暴自棄になっていなかったか。冗談で言ったのか。私は「金儲け」と「人殺し」が繋がるという島袋さんの考えに違和感がある。米兵を人間として見ていない島袋さんに失望する。
戦争は殺し合いである。人間の悲劇である、惨劇である。戦争はしないほうがいい。しかし、あの時代は共産勢力の侵略を防ぐのが米国の使命だった。そのためには戦争をしなければならなかった。ベトナム戦争は北ベトナムの侵略から南ベトナムを守るための戦争だった。守るための戦争さえ否定するということは共産勢力の侵略を肯定することであり、植民地にされることを認めることだ。
米軍は韓国を守るために、南ベトナムを守るために戦争をしたのだ。守るための戦争さえ「戦争は人殺し」という理由で否定していいのだろうか。島袋さんは沖縄が中国に侵略されて植民地になってもいいと言うのか。
島袋さんには人権意識はないのだろうか。
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県民代表ではないのだから、県民県民というな私たちと言え

「かみつく」を改名「沖縄 民主主義4」
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高校生の頃、私は「沖縄を返せ」という歌にが違和感があつた。私たちは沖縄に住んでいるのになぜ「沖縄を返せ」と歌うのか。沖縄はすでにあるじゃないか。沖縄に住んでいるのに「沖縄を返せ」はおかしいと私は思っていた。
1.
固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が血と汗もて 守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
沖縄を返せ (返せ) 沖縄を返せ
戦後の沖縄は日本であって日本ではないような米軍の統治下に置かれていた。周囲には白人や黒人、フィリピン人がいたから子供は「民族」というイメージが湧かなかった。「民族」というものに親しみも湧かなかったし、自分は日本民族なのかどうかを考えたこともなかった。
私たちは日本語を使っているし、歌、映画、本など日本文化に親しんでいたし、体格なども本土の人たちと大きな違いはなかったから私は日本人であるという意識は強かった。しかし、純粋な日本民族なのかと言えば、そうであるようなそうではないような中途半端な気持ちになった。それに日本民族にはこだわりたくなかった。なぜこだわりたくなかったかと言えば、私の周囲にはハーフの子どもが居たし彼らとは友だちだったからだ。私が日本民族という自覚を持てば、ハーフの友だちを日本民族ではないと言わざるを得ない。彼らを差別することになる。だから、そんな風に考えるのが私は嫌だったのかも知れない。私は日本人という意識はあったが日本民族という意識を持つことには抵抗があった。
嘉手納飛行場の近くに住んでいたから、子どもの頃からアメリカ兵を見ていた。アメリカ兵には白人も黒人も居た。なぜ、肌の白い人や黒い人がいるのだろうと子供の私には不思議だった。肌が黒いのは黒い血が流れているからかも知れないと思っていた。
小学校の五年生の時、砂辺松一という素晴らしい先生が、「私たちも、白人も黒人もみんな赤い血が流れている。みんな同じ人間なのだ」と話した。私は砂辺先生の話に驚いた。「みんな赤い血が流れている」「みんな同じ人間なのだ」という砂辺先生の言葉が私の脳裏にこびりついた。このことも私が「民族」に興味が湧かなかった原因だと思う。だから、「沖縄を返せ」の「民族の怒りに燃える島」の民族の詞に私は抵抗感があった。
ハーフの人も同じ沖縄人だから沖縄の人権を取り戻す闘いなら一緒に闘うことができる。しかし、日本民族の権利を取り戻すということになるとハーフの人は参加できなくなる。だから、「民族の怒りに燃える島」と言う詞は沖縄の日本民族の闘いにはなるが、沖縄に住んでいるすべての人間の闘いにはならない。その歌詞は沖縄に住んでいるハーフや外国から移住してきた人たちを差別している詞であるという考えが私にはあった。
「我等と我等の祖先が血と汗もて 守り育てた 沖縄よ」の歌詞にも高校生の頃の私は反発していた。
高校生になると沖縄の歴史を知るようになる。また、父母から戦前の生活の様子を聞いて戦前が非常に貧困であったことを知ることができる。
一六〇九年に薩摩に侵略された沖縄は薩摩の植民地になった。植民地にされたということは惨めなことである。長い間植民地であった沖縄を「血と汗で守り育てた」とはどういうことなのか。虐げられた惨めな沖縄を一生懸命守ってきた祖先であるなら、否定するべき祖先である。私たちの祖先は植民地支配されていることに抵抗しないで生きてきたのだ。そんな祖先が守り育てた沖縄なら放棄して新しい沖縄をつくったほうがいい。昔の沖縄に返るべきではない。
祖先が守ってきた自由のない祖先崇拝の古い風習を私は嫌いだった。
「我等のものだ沖縄は」の歌詞は私を戸惑わせた。私は映画が好きでよく映画を見た。外国の映画は「自由」を勝ち取るために支配者と闘う映画が多かった。自由のために闘う。弾圧されている人民を「解放」する。そんな映画が多かった。私も「自由」「解放」のために闘うのに憧れた。ところが沖縄の抵抗運動の歌は「我等のものだ沖縄は」である。沖縄を物のように扱い、沖縄の所有意識丸出しである。抵抗運動のテーマは沖縄に住む人々の自由、解放であって沖縄という土地を所有することではない。所有を目指すということは独立すればいいだけであり、それでは琉球王国のように差別社会も認めてしまう。肝心なことは「沖縄」を我々のものにすることではなく、「沖縄に住む人々の自由」を我々のものにすることだ。
「沖縄を返せ」は沖縄の歴史、祖先を美化し、古い沖縄に返るというイメージが私にはあり、その歌は嫌いだった。「沖縄」に住んでいるのに「沖縄を返せ」という詞にも違和感があった。
私の違和感の原因を知ったのは最近である。「沖縄を返せ」は沖縄人がつくった歌ではなかった。
「沖縄を返せ 創作第一位に 九州のうたごえで発表」
「”第四回九州のうたごえ”は去る九月二二、二三日の両日大分市教育会館と体育館で盛大にくり展げられた。会場は遠く沖縄代表、奄美大島の仲間たちを交え約七千の人で埋められた。
二十二日前夜祭では、各団体から出された創作曲の審査会が行われ、福岡高裁支部創作”沖縄を返せ”が十九の出品作の中で見事第一位を獲得し、満場の拍手を浴びた。」
日本のうたごえ一九五六年十二月一〜三日に全司法が参加。「仲間達」と「沖縄を返せ」を発表(全司法新聞第180号19561105)
「沖縄を返せ」は一九五〇年代に本土の裁判所に努める労働者がつくった歌だったのである。
沖縄を返せというの本土の人間が沖縄は日本だから、日本に帰せという意味だろう。なぜ「我等のものだ沖縄は」ていう歌詞ができたかというと、その時の沖縄の政治状況に関係している。
▼全司法新聞1956****「沖縄を見殺すな!各地に国民大会開催」
「プライス勧告が発表されて以来沖縄全島はもとより日本全国がアメリカの処置に対し限りない憤りを感じ、はげしい抵抗を行っている。沖縄では六月二十日中部地区与那城村を皮切りに全島四十五市町村が一せいに”四原則貫徹””領土権死守”の住民大会が行なわれ、六月廿七日代表四名が入京、これを迎え問題は折柄の参院選とぶつかり大きな波紋をなげかけた。日本各地においても国民大会がもたれ、七月四日東京日比谷で沖縄問題解決国民総決起大会を開催し国民の静かな抵抗を示している。われわれはこの問題が平和と独立に直接に連なることを充分に認識し、沖縄八十万の島民とともに手を結びあい最後まで斗おうではないか。」
その頃、米軍による土地接収が行われていた。沖縄では土地闘争が激しくなっていた。「我らのものだ沖縄」は米軍に土地が接収されることに反対して、我らのものだ沖縄の土地はと訴えた気持ちを歌詞にしたのだろう。
本土の人間がつくったので本土の人間の気持ちと沖縄の人間の気持ちが入り混じっているために、沖縄の人間がつくった歌だと思っていた私は違和感を感じたのだろう。
歌の成り立ちを知っても、人間ではなく土地にこだわっている「沖縄を返せ」を私は好きになれない。
最近の集会では「沖縄を返せ」を歌うのが定番になっている。
二十九日の琉球新報には「県民は金で転ばぬ」という大きな見出しで、県庁前に集結した反対運動家たちの様子を掲載している。「知事の裏切り 怒!怒!怒 弾劾!」のプラカードを翳している。手書きではなくすべてカラー印刷しているプラカードだ。たった一日でカラー印刷したプラカードができるようになった。印刷技術の発展は目覚ましい。手書きではないからプラカードを翳している人がつくったのではなく、彼はこの集会の主催者から渡されたのだろう。けっこうお金があるんだな。
「県民は金で転ばぬ」の見出しには苦笑してしまう。
この集会に参加しているほとんどの人間は公務員か教員である。彼らは安泰した収入と生活保障が完璧である公務員・教員試験に合格した人たちである。彼らの社会人としての出発がお金のための競争に勝ち抜くことであった。彼等こそお金のために死にもの狂いで頑張った人たちなのだ。お金のために転んだ人たちが「県民は金で転ばぬ」と言うのは滑稽である。
沖縄には金で転ぶ人は一杯いる。辺野古移設は小泉政権時代に交渉が始まったが、日本政府は陸上につくる予定だった。しかし、海を埋め立てないと利益が少ない北部の業者は政府の陸上案に反対し、埋め立てしないと辺野古移設に反対すると言いだした。それで政府は海側に移動することにしたが、北部業者は埋め立て地が少ないと政府案に反発して、海に100メートル近く移動しろと島袋名護市長に要求し、島袋市長は仲井真知事に要求した。だから知事はもっと海側に移動させないと埋め立てを許可しないと政府に脅しをかけたのだ。そのことで仲井真知事と政府が揉めたために、仲井真知事が埋め立てを承認する寸前で民主党政権に代わったて、埋め立てが頓挫しそうになった。
埋め立ては沖縄側が要求したものである。埋め立て賛成が沖縄県民であり反対も沖縄県民なのだから、実は沖縄人同士の対立である。
北部の業者は埋め立てしないと辺野古移設に反対すると言ったくらいにお金の亡者である。北部の業者も県民である。沖縄には「金で転ぶ」県民も居るのだ。
島袋前候補は「辺野古移設なくして北部の経済発展はなし」と宣言した。北部の経済は深刻な状態である。過疎化の進行が止まらない。過疎化を喰いとめ、経済を回復する手段として辺野古移設は大きい。お金に転んで猛勉強をして公務員・教員になった人たちはこれ以上お金に転ぶ必要はない。この人たちは他人(北部の人たち)のお金のことはどうでもいいと考えている人間たちである。要するに自分のことは側に置いといて、自分以外の県民はお金で転ばぬと言っているのだ。辺野古移設は自分の懐には全然関係ないからそう言うのだ。
県庁前に集まった活動家たちは午前十一時に「沖縄を返せ」を大合唱したという。今の時代では「沖縄を返せ」という歌は「公務員である自分たちが沖縄を支配するべきであるのに米軍が自分勝手に土地を使うのは許せない。我々の支配下に沖縄の土地を返せ」という意味になるのではないか。
たった三百人くらいの人間たちであるのに沖縄の支配者の積りでいる彼らは「知事の発言は一四〇万人の県民をばかにしている」と自分たちの主張=県民の主張だと決めつけている。選挙で県民に選ばれたわけでもないのにたった三百人が県民の意思だと思い込んでいる。こういう考えが独裁政権をつくるのだ。
「知事はもう県民の代表ではない」と批判しているが県民の代表は県民が選挙で選ぶのである。次の知事が決まるまでは仲井真氏が県の代表である。あまりにも傲慢な発言をする連中である。
「辺野古に基地ができたら半永久的なものになる。これ以上、沖縄に基地を造らせない」と豊見城市から集会に参加した伊波豊さんは(六十五)は訴えたというが、沖縄に米軍基地があるのは共産党独裁国家中国を抑止するのが目的だ。中国が民主主義国家になり、日本やアジアに侵略する可能性がなくなれば辺野古飛行場の米軍は撤退する。
辺野古飛行場の存続は耐用年数ではなく中国情勢が左右するのだ。なぜ、こんな簡単なことが分からないのだ。
「一四〇万県民はいい正月を迎えられない。公約をほごにする言葉遊びはやめてほしい」と沖縄市の平良留美子さん(四十九)は仲井真知事に憤りをあらわにしたという。
こういう集会に集まる人は自分の考えが県民と同じであると傲慢な妄想を持っている人たちが多い。県民に選ばれたわけでもない。県民世論を調査したわけでもないのに「一四〇万県民は」などと言う。驕っている人間たちの集合体のようだ。
平良さんが言う通り公約をほごにするのはいけないことだ。そんなことはあってはいけない。仲井真知事が「県外移設」を主張していると言いながら「辺野古移設」を容認したことは詭弁であるから「言葉遊び」は的確な指摘だと思う。沖縄自民党政治家の公約は軽い。簡単に公約を右から左に返る。言葉遊びをしている最低の政治家たちだ。
でも、平良さん。もし、仲井真知事が「辺野古移設」を公約にしていて、どたんばで「県外移設」に変更した時、あなたは今度と同じことが言えるかな。もしかすると「よくぞ公約を変更してくれた」と拍手喝采するのではないか。
「一四〇万県民はいい正月を迎えられない」というのは言いすぎではないかな。辺野古移設に喜んでいる県民も多い。それに普天間飛行場が辺野古に移設するのだから県全体から見れば大した変化ではない。普天間問題に興味のない県民も多い。一四〇万県民はいい正月を迎えられないなどというのは「言葉遊び」ではないかな平良さん。
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仲地博沖縄大学副学長を徹底批判

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仲地博沖縄大学副学長を徹底批判

仲地博氏は沖縄大学の副学長である。知識は豊富で客観的な視点から沖縄やアジアの国々の情勢を調査し、それを分析して読者や学生に説いてくれる人間であるべきと私は思うのだが、どうも仲地氏はそういう学者ではないようだ。
「新たな運動を築く一歩」「オール沖縄の経験次に」の見出しを見れば学者というより政治活動家としか思えない。でも、彼は沖大の副学長なのだから学者なのである。さて、沖縄の学者の評論はどののようなものであるだろうか。検討してみよう。
オール沖縄はついえた。
沖縄タイムス・仲地博評論
書き出しがこれである。仲地氏の言うとおり、「オール沖縄」は終わっている。
「オール沖縄」とは「保守も革新もない」などといって翁長那覇市長が音頭をとって保守系と革新系の市町村長や団体を一つにした政治団体だったが、共産党や社民党が保守のほうに歩み寄ることは絶対にないから、翁長市長が率いている沖縄自民党のほうが魂を左傾化して革新系に歩み寄り「オール沖縄」をつくった。普天間飛行場のゲートの前で革新系政治家や活動家と一緒になって「オスプレイ配備反対」「普天間飛行場の撤去・閉鎖などと叫んだものである。
しかし、安保廃棄、米軍基地の日本からの撤去の主張をしている共産党・社民党と保守が同じ部屋で融合するのは不可能だ。部屋の中では分裂していた「オール沖縄」は最初から本当の意味の「オール沖縄」はなかったのだ。
仲地氏はそういう内部事情には無関心のようだ。だから今頃になって「オール沖縄はついえた」などと書くのである。
「オール沖縄」は見かけ倒しの団体であり最初からそんなオールが成り立つことはできなかった。無理やり体裁を取り繕って県民大会をやり、東京まで行ったが、東京では激しいヤジを飛ばされ、「こんな筈ではなかった」と思った保守系市町村長はそうとうなショックを受けた。その時に「オール沖縄はついえた」のだ。今頃になって「オール沖縄はついえた」とは随分呑気なお人だ。
いいお正月を迎える人もいるようだが、多くの県民は心に曇天を迎えた年の暮れに違いない。
沖縄タイムス・仲地博評論
沖縄二紙はでかでかと仲井真知事が「辺野古埋め立て」を商人したことを沖縄の一大事とばかりに報道しているが、私のコンビニの新聞の売れ具合は普通であった。何人かの普通の人に「辺野古埋め立てについて聞いたが、誰一人して興味がない様子であった。多くの県民はそれほど問題にしていないのだ。騒いでいるのは沖縄二紙と共産党・社民党に一部の小さな左翼団体だけだ。
今週の初めに法事があり、兄妹親戚が集まったが、普天間飛行場の話をする人間は一人もいなかった。生活者はいろんな問題を抱えていて、そんな話をする暇なんかないというのが現実なのだ。
普天間飛行場が辺野古に移すくらいで大騒ぎするのがバカバカしいというわけだ。普天間飛行場が固定化しようが県外移設しようが県外移設しようが正直言って私も大した問題ではないと思っている。普天間問題を書きながらそんなことを言うのは無責任だと思う人がいるかもしれないが、でも、普天間飛行場が国外移設や閉鎖をすれば日本の国防にとって大変なことであるが、日本国内にある限り別に問題はない。普天間飛行場の周囲に住んでいる人は自分から望んで住んでいるのだから米軍には責任はない。責任は本人と宜野湾市役所にある。怖いから引っ越しをしたい人には宜野湾市役所が対応しなければならない。
普天間第二小学校など普天間飛行場の周囲にある学校は宜野湾市役所が責任を持って移転するべきである。予算は国にお願いするのもいいだろう。
それをやらないのは宜野湾市役所の怠慢なのだと私は思っている。
普天間飛行場問題は大した問題ではない。戦後ずっと問題されてきたのは嘉手納飛行場であった。普天間飛行場がクローズアップされたのは一九九六年の移設問題が浮上してからだ。嘉手納飛行場の撤去運動は昔からあるが普天間飛行場の撤去運動は私の記憶にはない。基地問題の中でも普天間飛行場が大きく取り上げられたことはなかったのだ。
沖縄の普通の人達は普天間飛行場が「県外移設」であろうが「辺野古移設」であろうが、どっちでもいいのだ。
私が問題にしているのは「県外移設」はできないのに「県外移設」を要求する政治家や政治活動家が居ることだ。彼らが嘘を吹聴したために「県外移設」ができると信じている多くの県民がいることだ。純粋な人であればあるほど「県外移設」ができると信じていて、仲井真知事が辺野古埋め立てを承認したことにひどくショックを受けている。
「県外移設」ができるかどうか自分で調べろと言いたいが、仕事に追われている生活者は自分で調べることができないから、政治家や識者の嘘を信じてしまう。

若い女性の中には泣いている人もいる。この人たちの悲壮感に満ちた顔を見ていると、切なくなるし、かわいそうだなあと思う。それと同時に純真なこの人たちに嘘の情報嘘の理屈を教えてこの人たちの心を騙している政治家や識者に激しい怒りが込み上げてくる。
私たちに突きつけられていたのは「普天間飛行場の固定化」かそれとも「辺野古移設」かの二者択一だった。この厳しい選択に 立ち向かうことを政治家も識者も県民に説明しなければならなかったのに、沖縄にはそのような政治家や識者が一人もいなかった。みんな県民を騙していた。
仲地氏も学者のくせにこの純真な人たちを騙している人間の一人である。
復帰運動は、戦後日本で最も大規模で長く取り組まれた民衆の運動であり、七二年に「復帰」を実現させたが、「祖国」日本は安保条約が重さをなし、地方自治は三割しかない国であった。沖縄は国にからめとられたのであり、運動は最後にうっちゃりを食ったと評価された。しかし、復帰運動は自己決定の運動であり、民衆は、自らの手でつくることができる可能性を実感した。日本の一県になってもなお沖縄が自立を求め続けることができるエネルギーはこの時期に蓄えられたといえる。
沖縄タイムス・仲地博評論
祖国復帰すれば米軍基地がなくなり沖縄の生活が豊かになるというのが祖国復帰運動の売り文句であった。それは日本政府が保障したものではなく祖国復帰運動の指導者が勝手につくった文句だった。
祖国復帰したら全ての米軍基地が撤去されるとは日本政府も米国政府も一言も言わなかった。また、米軍が全て撤去されると戦前のような貧困な沖縄になってしまうと不安を感じていた人たちは多かった。コザ市では米軍関係で働いている人たちが復帰反対のデモをやったこともあった。しかし、祖国復帰運動のように大会やデモを続けることはできなかった。普通の生活者はデモをしたくても生活に追われてデモをすることは困難だったからだ。
それに比べて祖国運動を担っている教師や公務員や学生は組織力も高く大会を開きデモをすることができた。祖国復帰運動を主導し、運動に参加した人たちは、人民党(共産党)、社大党、教員、公務員、学生たちであった。
祖国復帰して米軍基地がなくなれば沖縄は貧しくなる可能性が高いが、確実に給料が上がり生活が豊かになれる人たちがいた。それが教員であり、公務員であった。彼らの給料は二倍近く跳ね上がることは確実であった。彼らは本土の教師や公務員の収入が沖縄の二倍であることをすでに調査済みだった。事実復帰後の教員、公務員の給料は上がり生活は豊かになった。祖国復帰の強烈なエネルギーは教員・公務員の給料アップにあった。祖国復帰運動の本当の目的は達成されたのだ。しかし、このことはずっと伏したままで県民の知るところとはなっていない。
「『祖国』日本は安保条約が重さをなし、地方自治は三割しかない国であった」と仲地氏は述べているがそれは嘘である。
日本政府は県民の生活が本土並みになるために莫大な交付金を沖縄に公布した。大型ダムができ、復帰前は雨が降らなければすぐに断水していたが、現在は半年近く少雨でも断水はしない。道路も拡張し交通が便利になった。水が豊富で交通が便利になったから大きなホテルが建設され、六〇〇万人以上の観光客を迎え入れることができるのだ。ダムもなく道路も小さく曲がりくねっていたら観光立県にはなりえなかった。
うるま市の海を埋め立てて工業団地をつくり本土企業を誘致できるのは政府の尽力がなければ実現しなかった。さとうきびは一トンの売値二万二〇〇〇円のうちの一万六〇〇〇円が政府交付金である。もし政府交付金なければさとうきびの売値はたった八〇〇〇円である。売り値の三分の二が交付金なのだ。
日本政府は沖縄の経済発展、生活の向上に尽力してきたのだ。安保条約というのは日米間の条約であり、日本全体に適用されているものであり、沖縄だけに適用しているものではない。学者でありながらそのくらいも知らないのかと苦笑する。「『祖国』日本は安保条約が重さをなし」は全然違う。
「地方自治は三割しかない国」は当然だろう。国全体の行政は政府がやる。県の行政は県がやる。市町村の行政は市町村がやる。民主主義国家の仕組みはそのようになっている。地方自治体である沖縄県が安保条約や米軍基地を自由に扱うのなら沖縄は地方自治体ではない。独立国家だ。独立国家なら安保条約を破棄することもできるし、米軍基地を撤去することもできる。しかし、その代わり、日本政府からの経済援助は一切受けず、自力で経済を発展させなければならない。沖縄を防衛するのも自力でやらなければならない。
そうなれば経済は戦前の貧困に戻り、琉球王国が簡単に薩摩藩に侵略されたように共産党独裁国家中国に侵略されて植民地になってしまう。
「地方自治は三割しかない国」は民主主義国家では当たり前のことでありそれを否定する仲地氏は学者でありながら民主主義国家について知らないと言える。そして、地方自治体の一つでしかない沖縄についても間違った判断をしている。道州制になれば地方自治の割合はもっと高くなるだろうが、責任も高くなる。経済力のない沖縄は貧乏県になる恐れもある。
「沖縄は国にからめとられたのであり、運動は最後にうっちゃりを食ったと評価された」と仲地氏は述べているが、仲地氏は祖国復帰しても米軍が残ったことを指していると思うが、祖国復帰したら米軍基地はなくなると自分勝手に決めつけたのは祖国復帰運動を主導した政治家たちであり、それが実現しないのは当然であった。一人相撲をして、自分が自分にうっちゃりを食ったという奇妙な相撲をしただけだ。
「日本の一県になってもなお沖縄が自立を求め続けることができるエネルギーはこの時期に蓄えられたといえる」というが、革新系の政治家や識者が沖縄の自立を本気で考えたことは一度もない。自立を本気で考えるなら経済の自立を具体的に考えていかなければならないのに、彼らの口から経済の自立を真剣考えた発言は一度もない。
彼らの「自立」は空文句だ。
一九九五年、当時の大田知事は、軍用地強制使用の手続きを拒否し国と正面から対峙した。県レベルで初の住民投票が行われ、収用委員会、最高裁判所を舞台に平和と自治を求める運動は国民の共感を生んだ。最後は最高裁判所が知事を敗訴させ、国会は軍用地強制使用の特別措置法を制定した。抵抗の手段を奪われ、敗北感が広がったが、この一連の運動を通して県民が得た自信は大きかった。国に盲従する必要はない。地域は地域の主張をしてよいことを民衆は確信したのである。
沖縄タイムス仲地博評論
一坪反戦運動をしていた軍用地主たちは使用延長を拒否してサインをしなかった。一部の地主もサインしなかった。米軍用地使用を延長させるためにサインに反対している地主に代わって知事がサインするのを法律で決めてあったが、大田知事は代用サインを拒否した。知事がサインしなければ米軍基地は機能マヒに陥る危険があった。
大田知事のサイン拒否は米軍基地をマヒさせるが目的であったのである。県レベルで日本国の安全をマヒさせていいと考えていたのが大田知事であった。その大田氏の考えを認めているのが福地氏である。
福地氏は「最後は、最高裁判所が知事を敗訴させ」とまるで最高裁判所が感情的に大田知事を敗訴にしたように述べている。最高裁は大田知事の代理署名拒否は「国益に反する」と判断した。だから、大田知事は敗訴したのである。
もし、地方の知事の判断で米軍や自衛隊の機能をマヒさせることができた場合、日本は国防能力を失ってしまう。だから、国会は大田知事のような人物が知事になっても国防能力を維持することができるために軍用地主強制使用の特別措置法を制定したのだ。
国は大田知事のような国を守る意識が欠落した知事が登場するとは思わなかったから、知事に代理署名を任せたのである。大田知事が法律を守る精神があったら法律通りに代理署名をしていた。しかし、法律を守ることより自分の政治思想を優先したのが大田知事だったのだ。沖縄の政治家や識者に法治主義者がほとんどいない。
福地氏は「抵抗の手段を奪われ、敗北感が広がった」というが、大田氏は日本の法律によって選ばれて沖縄県知事になったのである。知事であるなら法律を守るのは鉄則である。ところが大田元知事は代理署名の法律を破って米軍基地をマヒさせようとしたのだ。知事たるものが法律を破ってまで国に抵抗することは許されない。代理署名を拒否するのは「抵抗の手段」ではない。法を順守すべき大田元知事が法の弱点を利用した違法行為である。
だから、大田元知事は裁判で敗北したのだ。仲地氏は行政法の学者でありながら、大田元知事の違法行為を「国への抵抗」として美化している。仲地氏は行政法を知らない行政法学者であるといえる。沖縄にはびこっている学者面した政治屋の一人である。
仲地氏の言う通り、国に盲従する必要はない。地域は地域の主張をするべきである。しかし、県知事は法律を遵守しなければならない。地域が国防・外交などの国のやるべき仕事を奪うことはできない。私たちは国のやるべき政治と地方のやるべき政治をしっかり認識しなければならない。
大田知事の代理署名拒否問題は「地域は地域の主張をしてよいことを民衆は確信」したのではない。地域が違法な越権行為をやれば裁判で負けることを認識させたのだ。今回の辺野古埋め立て問題で、仲井真知事が埋め立てを拒否すれば、国は裁判に訴えていただろう。そして、大田知事が敗訴したように、仲井真知事も敗訴していた。最高裁判所は大田知事の裁判と同じように「国益に反する」と仲井真知事に敗訴の理由を述べていただろう。
福地氏は大田知事の代理署名拒否運動から地域は地域の主張をしてよいと民衆は確信し、その発展の上に「オール沖縄体制」が生まれたと認識しているが、その指摘は間違っている。「オール沖縄体制」が生まれたのは民主党が大勝したことと、民主党の初代首相となった鳩山元首相が「最低でも県外」を公約したのが原因だ。
沖縄の自民党は民主党の圧勝に恐怖した。これからは民主党時代になるだろうと思った。沖縄の自民党には保守としての政治理念はない。強いて言えば、その時代の政権にすり寄り利権を自分のものにするのが沖縄自民党の政治理念である。
圧勝による民主党の長期政権の可能性と鳩山元首相の「最低でも県外移設」の公約で、沖縄自民党は公約を「辺野古移設」から「県外移設」にあっさりと変更した。三年前の県知事選の時、「県外移設」を公約にしないと落選するからと、「辺野古移設」にこだわり「県外移設」を渋る仲井真知事を強引に説き伏せ「県外移設」を公約にしたのが選対本部長であった翁長那覇市長である。
知事選で圧勝して味をしめた沖縄自民党は、選挙に勝つために民主党や革新の理屈をますます取り入れていくのである。
特に、那覇市長選に勝利したい翁長市長は魂までもが革新系と同じになり、オスプレイ配備反対運動の先頭に立ち、オール沖縄結成をやり、県民大会、東京行動の先頭に立ったのである。
オール沖縄を結成した原因は民主党政権の登場にビビった沖縄自民党が選挙に勝つために保守思想から離れ、革新思想になったからである。
沖縄自民党は、民主党政権下で生き延びようと方向転換をやり、目先の知事選に勝つために「県外移設」を公約にし、那覇市長選に勝つためにオスプレイ配備反対、普天間飛行場の県外移設を公約にして、革新政党に歩み寄ってオール沖縄をつくった。
革新系の政党や団体は反自民党政府である。自民党政府を困らせることならなんでもやる。オール沖縄の目的はオスプレイ配備反対、普天間飛行場の県外移設であり、自民党政府を困らせる運動だからオール沖縄に参加したのである。
オール沖縄を結成した目的は沖縄自民党と革新政党では異なるものであった。オール沖縄は表面だけのものであり、内側は二つに割れていたのである。仲地氏は「新しいオール沖縄の運動が生まれることを祈念したい」と述べているが、本当のオール沖縄はなかったし、オール沖縄が生まれることは二度とないだろう。
「今、県内移設を容認する人々も心のどこかで、なぜ沖縄に、なぜあの海にという気持ちがあるはずだ」と述べた仲地氏は一度も共産党独裁国家の中国のことについて述べていない。尖閣は中国の領土あると主張し、中国の船を何度も尖閣の領海侵入させていることを書いていない。中国が南沙諸島にあるフィリピンの領土を占領したことを書いていない。チベットやウイグル地区を植民地にしていることを書いていない。
沖縄の米軍基地の存在は共産党独裁国家中国の覇権主義、領土拡大主義が原因である。原因を述べないで米軍基地を否定するのは論理の卑怯者である。
県外移設が可能か不可能かを徹底的に追及しないのは学者として怠慢である。
圏外移設は不可能である。地元辺野古が移設に賛成しているが、そんな地域は日本のどこにもない。移設するなら辺野古しかないのが現実である。
辺野古飛行場は軍用地の中につくるから新しく軍用地を接収する必要はない。岬の先端だから周囲は約二三五度が海であるからヘリコプターが陸地に墜落する可能性は限りなくゼロに近い。
辺野古の海の海岸沿いに人家は一軒もない。飛行場に一番近い辺野古区でも一キロ以上離れている。
埋め立て地は辺野古区から遠く離れた場所であり、辺野古海岸の一部である。全部ではない。
もし、埋め立てで辺野古の海が破壊されることを心配している人は安謝の西側、那覇飛行場、豊見城市や糸満市の広大な埋め立て地の海岸を調査したらいい。
沖縄は辺野古飛行場の埋め立て地より何十倍も埋め立てをやっている。その場所を調べたらいい。私が調べた結果は海は破壊されない。サンゴ礁や海藻や魚は無事であっただ。
宜野湾市、浦添市、那覇市、豊見城市、糸満市の歴史は埋め立ての連続だった。そこに住んでいる人が辺野古の埋め立てに反対するのは滑稽である。
海ではなく、陸地の自然を破壊し続けた代表者が那覇市であり、浦添市なのだ。破壊し続けた場所のとても便利な場所に住みながらやんばるの自然を破壊するなというのは自分勝手である。
島袋元立候補者は「辺野古移設なくして北部の経済発展はなし」と名護市民に訴えた。やんばるの過疎化は止まらない。それを食い止める基盤になるのが普天間飛行場の辺野古移設である。
今のところ、辺野古移設以外にやんばるの過疎化を食い止める方法はない。
それが現実だ。
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孤立していく運命の人たち

「かみつく」を改名「沖縄 民主主義4」
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12月県内書店で発売予定
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孤立していく運命の人たち
<沖縄知事>辺野古埋め立て承認…防衛局に文書送付
沖縄県の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事は27日午前、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設に向けた同県名護市辺野古の埋め立て申請を承認し、承認書に公印を押して沖縄防衛局へ送った。文書は午前10時50分に到達。事実上、手続きは完了した。知事は同日午後に記者会見して正式に承認を発表する。知事の承認で、普天間問題は日米両政府の返還合意から17年を経て、移設に向けて動き出すが、地元の名護市長が移設に反対するなど県民の反発は強く、移設が実現するかは不透明だ。
毎日新聞 12月27日(金)11時28分配信
これで辺野古移設が正式に決まった。
普天間飛行場が「県外移設」できる条件は、地元、市町村、県の三者が賛成しなければならない。本土は三者どころか地元も市町村も県も賛成しないだろう。だから、「県外移設」は不可能である。それは小泉首相時代に明らかになっていた。そして、鳩山元首相時代に釘を刺された。
だから日本政府は仕方なく辺野古移設を決めたのだ。辺野古以外に普天間飛行場の移設先はない。
「普天間固定化」かそれとも「辺野古移設」かを私たちは問われていたのだ。
不可能である「県外移設」を主張するのはいたずらに「辺野古移設」の時期を送らせているだけだ。
実現不可能な「県外移設」を主張するのは自分たちの歪んだエゴを通しているだけだ。

県庁のロビーで座り込みをしているエゴの人間たちである。知事は辺野古埋め立てを承認したのだから、座り込みをしても埋め立てがひっくり返されることはない。なんのための座り込みなのだ。座り込みをやって何かが変わるのか。なにも変わらない。


共産党独裁国家中国を見ない。
恐怖政治の北朝鮮を見ない。
アジアの民主主義国家を見ない。
米軍のアジア平和への貢献を見ない。
ただ、ひたすら日米安保に反対し沖縄の米軍基地撤去を目指しているだけの人たち。視野の狭い人たち。
県民に選ばれた知事より自分たちが県民を代表していると錯覚している人たち。沖縄で自分たちが一番偉いと思い込んである人たち。
県庁のロビーも国道も米軍基地ゲートも自分たちの自由だと振る舞う人たち。
「辺野古埋め立てを許さないぞー」とシュプレイコール。
お前たちに「許さない」権利なんかありはしない。どうしてこんなにうぬぼれることができるのか。不思議だ。
「知事は県民を裏切るなー」とシュプレイコール。
知事は県民を裏切っていない。ただ、お前たちほど浅はかではないというだけだ。
日本の法律を平気で破るお前たちには政治に参加する資格はない。沖縄の警察は違法行為をやっているお前たちを見て見ぬふりしているが、大人が平気で違法行為をやるのは恥だ。大きい声では言えないが、「お前たちは沖縄の恥だ」
最後に、とても肝心なことだが。お前たちのエゴは県民に通用しない。
野蛮じみた行為は県民に嫌われ、お前たちの訴えに県民は次第にそっぽを向けていく。
お前たちは孤立していくだけだ。
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あせった新報は「県外移設」不可能を書いてしまっている

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島袋ヨシカズ氏は10月の出馬表明いらい首尾一貫「辺野古誘致なくして北部地域の発展も国の安全もありえない」を主張し、連日街頭に立ち「先人たちの17年間の血と汗の努力を私の代で結実させる」と市民に訴えています。
ここで皆様に改めてお願いいたします。
組織的支援団体がなく、草莽の市民だけの支援で戦ってきた島袋氏の後援会が深刻な資金不足に陥っています。
一部読者の皆様にはカンパご協力を賜りましたが、朝日などサヨク新聞の飛ばし記事や反対派支援者の悪質な嘘作戦により、あたかも島袋氏が出馬断念したかのようなデマがまことしやかに流布しています。
そのデマ作戦が効を奏したのか、ここにきてカンパ金が予想外に少なくなり選挙戦には必需のウグイス嬢のアルバイト代や印刷代にも事欠く状況に陥っています。
現在はボランティアの支援者が自家用車を持ち込みガソリン代などは手弁当で頑張っております。
今まさに勝利までの胸突き八丁の苦しい時期です。
島袋氏ご本人は例え刀折れ矢が尽きても街頭に立って最後の最後まで戦い抜く覚悟で闘志満々です。
私ども応援団も最後まで「辺野古誘致なくして北部地区の振興・発展はない」を合言葉に島袋氏の当選まで頑張る所存ですので、皆さんに是非ともカンパ協力をお願いいたします。
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口座名義: 名護市を豊かにする市民の会
会長 當山正範(トウヤマ セイハン)
島袋ヨシカズ立候補
「辺野古移設なくして北部の経済発展はなし」



あせった新報は「県外移設」不可能を書いてしまっている
仲井真知事が埋め立ての承認が間近に迫ってきて、沖縄紙はなりふり構わない辺野古埋め立て阻止の圧力を強めてきた。しかし、無理やりの辺野古埋め立て阻止キャンペーンで新報はボロを出てしまった。なんと、「県外移設」は不可能であるという内容の記事と仲井真知事の主張は間違っているという記事を載せたのだ。
12月23日の琉球新報に「「ジュゴンの海になぜ」 県外出身名桜大生、辺野古で知る過酷さ」の見出しの記事があり、三人の名護市の名桜大学の県外学生の意見を載せているが、辺野古埋め立てに反対する学生の意見は「県外移設」に反対であることも述べている。
野島美里さん(21)=3年=は「沖縄で起きていることが故郷の宮崎県で起きたら…」と想像する。「県外出身の私でも、きれいな大浦湾が埋め立てられるのは嫌だなと思う。自分の地元で無理矢理、基地が造られることがあったら悲しい」と語った。
琉球新報
野島美里さんは地元である宮崎県に基地が造られることに反対している。彼女は「県外移設」に反対していることになる。
辺野古の根本的な問題は普天間飛行場の移設先をどこにするかである。宮崎県に移設することになったら反対運動が起こることを野島美里さんは暗示している。
鹿児島県出身の脇島田(わきしまだ)有伽さん(21)=3年=は、『普天間は危ないから』と辺野古に移設しても、悲しい思いをする人は必ず出てくる」「おばあちゃんになったとき、孫たちに『沖縄の海は昔、とてもきれいだったんだよ』と言いたくない」と辺野古移設に反対している。
二人の学生の意見を合わせると彼女たちは「辺野古移設」に反対しているだけではなく「県外移設」にも反対していることがわかる。彼女たちの意見では普天間は固定化してしまう。有伽さんは、「普天間は危ないから」と辺野古に移設しても、悲しい思いをする人は必ず出てくると言い、普天間固定化は仕方がないという言い方である。
しかし、琉球新報は普天間固定化を否定している。それなのに「県外移設」反対、「普天間固定化」は止むを得ないという学生の意見まで載せている。
琉球新報は焦っていて、「辺野古移設」反対なら誰でも載せたいのだろう。
焦っている新報は大きなミスを犯した。鳩山政権時代の平野元官房長官からインタビューしたことである。
見出しは「九州『可能性あった』」になっているが、内容は「県外移設」の可能性かなかったことと、仲井真知事の主張が不可能であることを述べている。
新報は、「平野氏の証言は、民主党政権が県外移設の実現可能性を認めながら、時間的制約から作業を中断していたことを示すものだ」と述べているが、
平野氏は、
「期限を切られたら、県外移設結論を導くのは大変厳しいという認識だった。調整事項が多すぎて解決しようがなかった。期限を切らず、もう一年ぐらいあれば少しは(県外の方向に)動いただろう。もっと時間をかけて政権内での議論や日米間の交渉、沖縄との調整をするべきであった」と、
一年あれば少しは県外の方向に動いただろうと述べているのであって「県外移設の実現可能性」を認めているのではない。
平野氏は注目すべき発言をしている。県外移設場所を「少なくとも四〇カ所は検討させた」と発言している。
民主党政権時代に普天間飛行場の移設場所として四〇カ所も検討したのである。「県外移設」を主張している政治家や識者が政府に「県外移設」を検討しろと要求するのは間違っている。政府はもう十分に検討をしたのだ。
具体的に検討したのは例えば九州地区では大村(長崎県)や新田原(宮崎県)、築城(福岡県)、日出生台(大分県)など自衛隊基地や演習地がある所だ。九州は環境もそう悪くなく、技術的な可能性はあると見ていた。ただし複数県にまたがり、受け入れ可能性などいろいろ詰めなければならないことがあった。自衛隊基地は使用時間など使用制限も厳しく、これを崩すのは大変だと思った。移設は埋め立てが前提だったので、地元が合意しないだろうとも考えた。九州地区は地元の合意さえ取れれば残ると思っていたが、(十年五月末の)時間軸などを考えていくと総合的には難しいと判断した。
琉球新報
○ 複数の県にまたがっているということは複数の県の許可が必要になる。一つの県でも難しいのに複数の県ならなお難しい。
○ 埋め立てが前提ということは辺野古と同じである。それでは辺野古と同じ反対運動が起こる。
○ 地元が合意しないだろうと平野氏は判断している。
九州出身の学生二人は辺野古埋め立てに反対している。九州で同じ計画があると二人は反対するだろう。
平野氏の発言は九州への移設は不可能であると述べているようなものである。
新報の「九州『可能性あった』」の見出しは新報の希望を込めた見出しであり、平野氏の発言を表したものではない。平野氏の発言を強引に捻じ曲げている見出しである。
平野氏は、
「民間の空港は滑走路の厚みや長さが足りず(技術的に)全て難しかった」と述べている。
滑走路のある場所に移設したほうが簡単だという仲井真知事の主張は本当は実現不可能であることを平野氏は述べている。
なりふり構わずに辺野古移設に圧力をかけている琉球新報は、「県外移設」は不可能。民間飛行場を利用するのは不可能の記事を掲載してしまったようだ。
ユーチューブ映像
島袋吉和辺野古区演説
兼次エリカ応援演説1
兼次エリカ応援演説2
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金城勉公明党県本部幹事長を斬る その1

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<h>金城勉公明党県本部幹事長を斬る その1
翁長那覇市長に続いて今度は公明党県本部幹事長金城勉氏のインタビューが沖縄タイムスの一面と二面に大々的に掲載された。大見出しは「『県外』知事後押し」である。これは沖縄タイムスの仲井真県知事に対する最大の圧力である。
石破幹事長が、琉球処分官に見えた。沖縄の国会議員をテレビでさらしものにした。胸がかきむしられるような思いだった。
沖縄タイムス・金城勉インタビュー
「琉球処分」とは琉球王国を沖縄県にする手続きのことである。いわゆる廃藩置県を琉球処分と沖縄の政治家や識者は呼んで居る。私が若いころには「琉球処分」と言葉は使われていなかった。
大城立裕氏が一九五九年から六〇年に琉球新報琉球に連載したがその頃は小説の題名であり、一般的な言葉としては使われなかった。一九六八年に小説琉球処分(講談社、)が出版された。私が学生の頃であり琉球処分という小説があることは知っていたが、題名から見て沖縄は被害者だという内容の泣き言の小説と思っていたから興味がなく読まなかった。ほとんどの人がこの小説が出る前は琉球処分を知らなかった。
私は琉球処分は大城立裕氏が書いた創作の世界と思っていた。だから、琉球処分が廃藩置県であるとは長い間知らなかった。
いつの間にか識者や政治家が沖縄県にひどい仕打ちをしているのを琉球処分と同じであると言うようになった。廃藩置県は日本の近代化の始まりであると学校で習ったし、廃藩置県のおかげで沖縄は四民平等の社会になったと教師に教えられたから、私の頭の中では琉球処分と廃藩置県は別のことだと思っていた。琉球処分が廃藩置県であると説明している文章を見たことがなかったから琉球処分とはなんなのか私は分からなかった。新聞に琉球処分の言葉が頻繁に載るので気になってきて、琉球処分を書いている評論を気を付けて読んでいるとある時、琉球処分=廃藩置県であると書いてある文章を見つけた。琉球処分=廃藩置県であると知った時、私は唖然とした。なぜ、廃藩置県が「琉球」の「処分」なのか私は理解できなかった。
廃藩置県は全国で実施されたことである。反対した武士たちが決起して血の惨劇も起きている。沖縄は琉球王朝の抵抗はなく無血で廃藩置県を実現した。沖縄の廃藩置県は穏やかなほうであったと私は考えていた。廃藩置県は沖縄の近代化の始まりである。近代化社会に生きている沖縄の識者に廃藩置県を琉球処分だといって非難している人が居るのは信じられなかった。しかし、信じられないどころか蔓延している。憂鬱な沖縄思想世界である。
小説琉球処分の紹介文
清国と薩摩藩に両属していた琉球―日本が明治の世となったため、薩摩藩の圧制から逃れられる希望を抱いていた。ところが、明治政府の大久保利通卿が断行した台湾出兵など数々の施策は、琉球を完全に清から切り離し日本に組み入れるための布石であった。琉球と日本との不可思議な交渉が始まったのである。
「小説琉球処分」は登場人物たちによって様々に展開していくが、政治的に見れば「琉球処分」は日本全国で行われた廃藩置県の沖縄版である。本土と沖縄が異なっていたのは本土は藩であったが、沖縄は王国だったことである。明治政府は法治主義であったから廃藩置県の法律で王国を一気に県にすることはできなかった。だから、琉球王国を琉球藩にし、それから廃藩置県を行って沖縄県になった。
琉球処分とは琉球王国の支配階級を処分したのである。だから、本当は「琉球王朝処分」である。武士階級の支配から四民平等の社会にしたのが「琉球処分」である。廃藩置県は明治政府の大改革であり日本全体で行われた。琉球だけが特別に処分されたのではない。
しかし、小説では「琉球処分」とは「琉球王朝処分」であり、沖縄を四民平等にした大変革であり近代社会の始まりであったことが書かれていない。琉球処分官と琉球王朝との虚々実々の交渉が描かれている。
琉球王国の身分制度
〇国王
〇大 名
王子(王の次男以下):正一品
按司(かつての地方領主):従一品
親方(士分から取り立てられ者の最高の身分):正従一品
○士 分(役職付き)
親雲上:正三品~従六品
里之子筋目
里之子親雲上:正七品
里之子:正八品
若里之子:従八品
筑登之筋目
筑登之親雲上:従七品
筑登之:正九品
筑登之座敷:従九品
〇士分(役職無し)
無役士・屋取
〇百 姓
田舎百姓・町百姓
琉球王国は国王・大名・士分・百姓の身分制度があり差別社会だった。琉球処分によって身分制度が崩壊し、四民平等の社会になったのである。このことは小説を読んでも分からないことである。民主主義思想を持っている人が分かることである。
管元首相が「小説琉球処分」を読んで沖縄を理解しようとしたのには苦笑するしかない。
薩摩藩の植民地であった琉球王国は農民に過重な税を強いた独裁国家であった。北朝鮮のように恐怖政治を行っていたのが琉球王朝である。その歴史的事実として伝えられているのが平敷屋朝敏の処刑だ。
平敷屋朝敏は稀代の天才作家であった。沖縄で最初に恋愛小説を書いた人であり、吉屋チルーの物語を書いた人である。彼は琉球王朝の圧政を薩摩藩に訴えようとして捕まり処刑された。
朝敏は、一七〇〇年首里に生まれた和文学者で、組踊りの「手水の縁」などの作者として知られるが、尚敬王の時、三司官、察温(具志頭親方文若)一派を批判した文書を琉球政務の監督者であった薩摩藩吏、川西平左衛門の館に投書したため、一七三四年(亨保十九年)六月二十六日、一味十五名とともに安謝港で処刑された。
平敷屋朝敏について詩人比嘉加津夫氏がブログに書いてある。
小説「萬歳」から
琉球歌劇『泊阿嘉』の原型
平敷屋朝敏は、一七〇〇年代に生きた琉球近世の文学者です。何故か王府から仲間十数人とともに処刑されるのですが、日本の文学史のなかでもかなり特殊だとおもいます。組踊で、玉城朝薫は有名ですが、朝敏も「手水の縁」を書き残し、沖縄では有名です。
彼にはそのほかに「若草物語」「苔のした」「萬歳」「貧家記」という擬古文の小説、エッセイがあります。そのなかから、「万歳」についてふれていきたくおもいます。
繰り返して強調しますが、平敷屋朝敏は沖縄で、男女の恋や愛について、もっとも力をいれて書いていった、最初のすぐれた文学者だといっていいです。恋や愛について歌を詠んだ人はかなりいますけど、それを散文で表現した人で彼の右に出る人はいません。
この世界へのはいりかたも特異ですし、情熱的です。しかも物語のつくりかた、展開のさせかた、表現そのものもかなりの水準をいっています。
「萬歳」を取り上げるのは、この作品が特別にいいという意味からではありません。ほとんど偶然からです。
この偶然のひとつに、たまたまテレビで放映されている沖縄の三大歌劇のひとつである「泊阿嘉」を見たということもあります。見ながら感じたのは「泊阿嘉」の原型は平敷屋朝敏の「萬歳」だなとおもったのです。場面の展開部分で似ているところが随所にある。
まずなによりも恋に悩み、果たされぬ恋ゆえに死んでいくというトーンが似ています。女の家を訪ねる場面で道行く人に、たとえば「泊阿嘉」では漁師に、「萬歳」では草刈りをしている子供に女の家をたずねる場面とことばのやりとりが似ています。
そして何よりも、男の思いの深さを女が、こころならずもことごとくはねつけていき、その橋渡しを乳母らがやっているというのが似ています。
琉球歌劇「泊阿嘉」がつくられ、舞台で演じられ、多くの感動と涙を誘ったのは事実です。しかも、時代を超えてみる人の心を強く引き寄せている。今見ても心うたれるものがあります。私自身、思わず涙を出してしまいました。
その原型といってもいい「萬歳」が、その書かれた当初、一部ではあっても、人々の心を打たなかったはずはないでしょう。おそらく「このようなものをわたしたちは待っていたのだ」という言い知れぬ共感と感動をうえつけたのではないだろうか。
わたしは物語の作り手として平敷屋朝敏は当時、たいへんなカリスマ性を持って迎えられたのではなかろうかとおもいます。
Myaku 脈 比嘉加津夫
二〇〇九・〇一・二六 平敷屋朝敏の文学(上)
平敷屋朝敏の作品は組踊りの「手水の縁」、小説の若草物語」「苔のした」「萬歳」「貧家記」があるが、「苔のした」は吉屋チルーの物語である。琉球王朝時代の貧しい平民は土葬であった。苔のしたとは苔の生えた土の下に眠っている吉屋チルーのことである。吉屋チルーの死を儚んで多くの男性が吉屋チルーの墓の前で琉歌を詠んだという。
吉屋チルーは平敷屋朝敏が生まれる三〇年前に亡くなっている。貧しい農家から八歳のとき、那覇の仲島遊郭へ売られていったチルーは十八歳の時に食を断って自殺する。遊女であった吉屋チルーの記録というものはなかったが、天才歌人チルーの噂を伝え聞いて平敷屋朝敏は恋愛物語を書いたのだろう。
琉球王朝時代に身分の低い吉屋チルーの物語を書いた平敷屋朝敏には沖縄の貧しさをどうにかしたいという気持ちがあったに違いない。
平敷屋朝敏はやむにやまれず琉球王朝の圧政を薩摩藩に訴えようとしたが、捕まって処刑された。
琉球王朝は平敷屋朝敏のように琉球王朝を批判する者はすべて処分したのであろう。琉球王国は張成沢(チャン・ソンテク)氏を処刑した現在の北朝鮮と同じだ。
【ソウル=豊浦潤一】北朝鮮で政権ナンバー2だった張成沢(チャンソンテク)朝鮮労働党行政部長が処刑されたのは、張氏の部下2人が、党行政部の利権を軍に回すようにとの金正恩(キムジョンウン)第1書記の指示を即座に実行しなかったことが契機になったと20日、消息筋が本紙に語った。
金正恩氏はこれに激怒し、2人の処刑を命じ、国防委員会副委員長も務めた張氏らに対する一連の粛清が開始されたという。
部下2人は、同部の李竜河(リリョンハ)第1副部長と張秀吉(チャンスギル)副部長。消息筋によると、2人は金正恩氏の指示に対し、「張成沢部長に報告する」と即答を避けた。激怒した正恩氏は「泥酔状態」で処刑を命じたという。
部下2人は11月下旬に銃殺され、驚いた2人の周辺人物が海外の関係者に電話で処刑を知らせた。韓国政府はこの通話内容を傍受し、関連人物の聞き取りなどから張氏の粛清が避けられないことを察知した。最終的に処刑された張氏勢力は少なくとも8人いたという。
(2013年12月21日10時41分 読売新聞)
琉球王朝は独裁国家であり、国家への批判を一切許さない恐怖政治の国家だったのだ。利権争いも多く、権力争いで首里城は数回炎上している。記録には残っていない理不尽な処刑も多かっただろう。
そんな琉球王国を公明党金城勉県本幹事長は素晴らしい国であったように美化する。
琉球王国を美化する金城幹事長は沖縄を四民平等社会にした「琉球処分」を単なる明治政府の押し付けとして非難する。それだけではない。金城幹事長は日本の政治の基本である政党政治の精神で沖縄の国会議員に警告した石破自民党幹事長を非難している。
石破幹事長は沖縄の国会議員に、「辺野古移設を認めなければ除名する」と警告した。政党政治では政党の公約は統一しなければならない。多少の公約のずれは妥協するとしても沖縄の国会議員は「県外移設」を掲げかつ「辺野古移設」を否定していた。「辺野古移設」を公約にしている自民党本部が妥協できないことを沖縄の国会議員は公約にしていたのだ。相容れない公約を同じ政党で掲げるのは政党政治にあってはならない。
自民党内で「県外移設」と「辺野古移設」に割れて統一できない場合は「県外移設」を主張するのはあり得るが、自民党全体は「辺野古移設」の公約で統一しているのであり、沖縄だけが「辺野古移設」拒否「県外移設」賛成であった。自民党本部と沖縄県連の公約は真っ向から対立していた。そのような公約を認めれば政党政治の破綻である。
金城勉幹事長が政党政治に徹していれば石破幹事長の行為を認めていたはずである。石破幹事長を非難している金城幹事長は政党政治を理解していない。
公明党は与党である。自民党と「辺野古移設」については合意している。金城幹事長は石破幹事長が沖縄の国会議員に「辺野古移設」に転換しなければ除名すると警告したことを非難しているが、石破幹事長非難は公明党本部非難でもある。公明党本部を裏切っているのに金城幹事長は意に介さない。金城幹事長は政党政治を破綻させている。
そんな金城幹事長は県民の意識も平気で捻じ曲げる。
県民の思いを考えた時に、八割前後の県民に「これ以上の基地負担は耐えられない」「ぜひ県外移設を実行してほしい」という民意が明らかにある。そういう県民の思いも織り込みながら今回の提言書にまとめた。
沖縄タイムス・金城勉インタビュー
金城幹事長は県民の八割は「県外移設」を求めていると話している。過去の世論調査で「県外移設」が八割になったことは一度もない。今年の沖縄タイムスの世論調査を掲載する。
国外移設・・・三七・二%
県外移設・・・三三・四%
閉鎖・・・一五・四%
県内移設・・・一二・六%
過去の県民意識もだいたいこの割合であり、大きく変動したことはない。「県外移設」を望む県民はずっと三〇%台であった。八割前後の県民が「県外移設」を要求しているというのは金城幹事長のでっち上げである。県民の要求を自分の都合のいいように捻じ曲げるから県民の八割は「県外移設」を求めているなどと言えるのだ。
金城幹事長の「これ以上の基地負担は耐えられない」という発言は米軍基地が増え続けてきた印象を与える。しかし、それは事実と違う。一九五〇から六〇年代は増加していったが、一九八〇年代から現在までは減り続けている
ベトナム戦争時の一九七〇年代は沖縄に十二万人の米兵が駐留していた。ベトナム戦争が終わり、東南アジアの紛争が縮小していくにつれて沖縄の米兵は減り、今では二万人余になっている。米兵は十万人も減少している。実に八〇%以上のげんしょうである。米兵だけでなく米軍基地も次々と返還されてきた。
読谷飛行場、ハンビータウン、美浜、泡瀬ゴルフ場、嘉手納弾薬庫の一部、トリイステーションの一部、恩納通信所、那覇新都心などが返還されてきた。
沖縄の米軍基地は返還され続けているのであり、新たに軍用地が接収されたことはない。そして、嘉手納飛行場以南の米軍基地を返還すると日米政府は宣言した。今後も米軍基地は返還されていくことは確実である。
沖縄の米軍基地負担はずっと減り続けている。基地負担が増えたということはない。基地負担は減り続けているのに「これ以上の基地負担は耐えられない」はおかしい。これは実際の県民の声ではない。金城幹事長の現実を無視した声である。
県外移設希望はずっと三〇%台である。「ぜひ県外移設を実行してほしい」というのは三〇数%の民意であって県民全体どころか過半数の民意でもない。新聞の県民世論の統計でそれがはっきり示されている。世論さえ無視する金城幹事長である。
もし、本当に危険性の除去を考え、固定化はいかんと考えるのであれば、まず飛行場での訓練をやめ、危険性を除去した上で、どこに移したほうがいいのかという議論すべきだ。それをしないで、固定化論や危険の除去を訴えるのは、まったくつじつまが合わない。
沖縄タイムス・金城勉インタビュー
アジア情勢を無視し、軍隊の役目を無視した発言である。
国の防衛は政府に責任がある。沖縄県にはない。日本は米国と日米同盟を結んで自衛隊と米軍が日本の防衛をしている。テロ・侵略は国民の命が危険になるし、経済に深刻な影響を及ぼす。だから自衛隊・米軍はテロや侵略を防ぐために四六時中警戒しなければならない。
普天間飛行場はテロや侵略や自然災害にいつでも対応できる状態でなければならない。そのためにはパイロットの訓練は毎日繰り返さなければならない。生死をかけるのだからどんなに訓練してもそれでいいとは言えない。それなのに金城幹事長は、「本当に危険性の除去を考え、固定化はいかんと考えるのであれば、まず飛行場での訓練をやめ」たほうがいいというのだ。訓練をしないでどうしてテロや侵略や自然災害に対応することができるだろうか。
戦後六十八年間沖縄はテロも紛争もなかった。それは米軍が沖縄を防衛していたからである。平和を維持するためには毎日の厳しい訓練が必要である。「本当に危険性の除去を考え、固定化はいかんと考えるのであれば」と金城幹事長はいうが米軍基地以上の危険はテロや紛争であり、長期間訓練を止めればばテロや紛争の危険性が起こる可能性が高くなる。そのことを金城幹事長は考えないようだ。沖縄は戦後ずつと平和だった。金城幹事長は平和ボケしているから訓練を止めろというのだ。
米軍が沖縄に駐留していなければ沖縄は中国に侵略されていただろうといっても金城幹事長は信じないだろうな。それどころか米軍が居なかったら、沖縄は独立国家になって、昔の琉球王国のように中国とは親しい関係になり貿易をしていただろうと思うかも知れない。しかし、今の中国は清王朝ではない。共産党独裁国家である。弱い国には侵略して植民地にする国家である。
昨日、中国新疆ウイグル自治区で警官隊と武装グループの衝突があり警官二人を含む十六人が死亡した。最近天安門広場での自爆テロもあった。チベット自治区では若い僧侶の焼身自殺が後を絶たない。その原因は共産党独裁国家中国が植民地支配をしてウイグル族やチベット族を差別しているからだ。
ベトナム、フィリピンの領土への侵略も中国はやった。尖閣諸島は中国の領土だと主張し中国船が領海侵入を繰り返している。
戦後から現在までの中国を見れば、沖縄が軍事力の弱い琉球王国であったら中国の植民地になっていたであろうことは容易に予想できる。
仲井真知事、翁長市長、自民党沖縄県連、そして公明党は、三〇%台しかない「県外移設」を県民総意だと断言している。三〇%を一〇〇%にするのは県民の要求を無視し平気で事実を歪曲する独裁者のようなものである。
そもそも、民主主義思想には「総意」はない。反対する者は必ずいるから一〇〇%賛成はないという考えが民主主義の基本的な考えだ。だから、議論をし、議論を尽くした後に多数決で決めるというのが民主主義である。
三〇%台の過半数にも満たない「県外移設」を「県民総意」にねつ造する沖縄の政治家たちに民主主義社会はつくれない。彼らは琉球王国のよう独裁国家をつくるだろう。私は独裁国家に住みたくない。民主主義国家に住みたい。沖縄が独立国ではなく民主主義国家日本の地方自治体であってよかったと私は思う。
五〇年代は特にそうだが、多くの米軍基地が本土にあったのが、その地域で反対運動が起きて移動することがあり、そういう意味では政府も米軍も地域住民に配慮して米軍基地の整理、縮小、撤退という形で大幅に削減されてきた。しかし、沖縄だけは逆に強化されてきた歴史がある。
沖縄タイムス・金城勉インタビュー
左翼学者の理屈をそのまま鵜呑みにしている金城幹事長である。情けない・・・。
日本と米国は戦争したのだ。日本は米国に戦争を仕掛けた軍国主義国家だった。戦勝国の米国が日本の軍隊を解体し、日本の政治を軍国主義から民主主義に変革するために多くの軍隊を駐留させたのは当然のことだ。
日本が軍隊を解体し、民主主義国家の道を歩き始めれば米軍が日本に駐留する必要はない。日本本土は自衛隊が増えるにしたがっての米軍を縮小するのは当然である。反対運動があったから基地を縮小したのではない。日本が民主主義国家になり自衛隊が増強されて米軍の駐留が必要なくなったから縮小したのだ。
本土の米軍を縮小したのは駐留する必要がなかったからであって反対運動のせいではない。
なぜ、沖縄に米軍が集中したか。それは中国が共産党独裁国家になったからである。
共産党独裁国家中国はウイグルやチベットに侵略して植民地にした。北朝鮮は南朝鮮に侵略したし、北ベトナムは南ベトナムに侵略した。武力で他国に侵略するのが社会主義国家であった。
資本主義国家米国にとって共産主義勢力は仇敵であり、共産主義が拡大するのを米国は抑止しようとした。沖縄の米軍基地を強化したのは共産主義勢力の拡大を抑止する戦略拠点にするためであった。米軍はベトナム戦争で負け、カンボジアでも負けた。六〇年から七〇年代は共産主義勢力が拡大していった時代だった。韓国、日本、フィリピン、台湾などの国々が共産主義勢力に侵略されるのを抑止するために米軍は韓国、沖縄、フィリピンに米軍を駐留させた。米軍は陸だけでなく海上には原子力空母艦隊、海底には原子力潜水艦を配置した。
ベトナム戦争、カンボジア内戦が終結し、東南アジアでの戦争・紛争が減っていくに従って沖縄の米兵は減り、米軍基地も縮小していった。金城幹事長は「沖縄だけは逆に強化されてきた歴史がある」と述べているが、本土の米軍の縮小は日本軍の解体、日本の独立と民主化が原因であり、沖縄が強化されたのはアジアの共産主義勢力の台頭が原因である。ベトナム戦争をピークにアジアの紛争や戦争は下火になっていったので沖縄の米軍基地は縮小していった。それが歴史的事実である。
「常に沖縄はハンディを押し付けられてきた」
「海兵隊はもともと本土に駐留していたものが一九五〇年代に沖縄に移駐してきた。米施政権下の沖縄は、押し付けるのに都合がよい場所だったのでは」
という金城幹事長の考えは適切ではない。
米国は日本を含めアジア全体を見ながら対アジア戦略を実行してきた。アジア戦略の一環として沖縄を直接統治し本土の海兵隊を沖縄に移動した。それは「押し付ける」という感情的なものではなく冷徹な軍事戦略のもとに海兵隊の移動があった。冷徹な軍事戦略によって沖縄の米軍駐留はあったのだから、私たちは冷静な目で沖縄の米軍を見るべきである。「ハンディを押し付けられてきた」「米施政権下の沖縄は、押し付けるのに都合がよい場所だったのでは」などと感情的に見たら本質を見誤る。米軍が見つめていたのは中国、北朝鮮、ベトナム、カンボジアなどの共産主義勢力であった。アジアの共産主義勢力の情勢に応じて沖縄の米軍は増えたり減ったりしていった。
アジアの共産主義勢力との戦争の可能性が低くなるに従って、沖縄の米軍駐留を減らしていったというのが事実であり本当だ。
金城幹事長は米軍基地の沖縄集中があたかも県民を差別し苦しめてきたと述べているがそれは違う。
金城幹事長は米軍増加=苦渋の押しつけだと主張している。沖縄の人たちは米軍によって苦渋の生活を送っているというのだが、私は嘉手納飛行場の近くに住んでいるが米軍による苦渋の生活を強いられた体験はない。そんな人を見たこともない。
嘉手納飛行場の東側にある嘉手納道の駅一帯は、戦闘機の騒音が激しく「苦渋の生活」を強いられているといえる。しかし、そのような場所は限られている。それにその場所に新しい家が増えている。本当に苦渋だったら家が増えるはずがない。苦渋ではないから新しい家が増えているはずである。金城幹事長の言う苦渋とはどういうものだろうか。
有名な普天間飛行場の写真である。

飛行場の周囲に住宅が密集していて、写真を見た瞬間にぞっとする。「世界一危険な飛行場」と言われているゆえんだ。私が普天間飛行場の上空写真を見たのは十年ほど前だが、写真を見て恐怖が走った。まさかこんなに住宅が密集しているとは思わなかった。
普天間飛行場の周囲に住宅が密集していることで革新系の政治家や沖縄新聞などは米軍を非難したが、私は住宅をつくったのは沖縄県民なのだから米軍非難は間違っているとブログで反論した。しかし、そのうちに普天間飛行場の周辺に住んでいた知人や商売をしていた知人がいて、何度も普天間飛行場の周辺に行ったことを思い出した。知人のなかには普天間飛行場の側に建売住宅を買ったのもいた。
政治問題から離れて、知人たちのことを思い出すと、人間は幸せを求めて生きていることに気づいた。幸せの形は人それぞれ違うが、基本は仕事であり家庭であり、住宅である。一戸建て住宅を買うのは幸せを求めているからである。
普天間飛行場の周辺は人々が幸せになれる場所がたくさんあるから密集地になったのだと言える。普天間飛行場の周辺は苦渋や不幸の場所ではない。幸せの場所なのだ。嘉手納飛行場に比べて普天間飛行場は静かなほうであり、騒音被害は少ない。
戦後人口増加率が高いのは那覇市ではなく宜野湾市である。宜野湾市には幸せになれる場所が多かったということになる。
普天間飛行場の写真を見ただけで、周囲に住む人たちが苦渋の生活をしていると考えるの間違いである。
金城幹事長が言うように米軍基地が県民に苦渋を押し付けるのなら、沖縄は苦渋の島である。人は苦渋ではなく幸せを求めて生きている。沖縄が苦渋の島なら人々は沖縄から離れていくだろう。
事実戦前の沖縄は苦渋の島だった。多くの人々が苦渋の島沖縄から出て本土や海外に移住していった。一九九〇年から五年ごとに世界のウチナーンチュ大会を開いて多くの海外のウチナーンチュがやってくるが、多くの海外移住者が居るということは皮肉ではあるが沖縄が貧しく苦渋の島だったからである。
戦後直後は海外移住者が居たが次第に少なくなり、一九七〇年代後半からは逆に海外に住んでいるウチナーンチュが沖縄に移住するようになった。学習塾をやっている時、ブラジルから移住してきた子供に日本語教育を頼まれた経験がある。
金城幹事長は米軍が駐留していることが沖縄の人々に苦渋を押し付けているというが、苦渋の島であるはずの沖縄の人口は終戦直後は六十万人にも足りなかったが米軍統治時代の二十七年間で一〇〇万人近くなった。四十万人近く人口が増えたのである。
人口が飛躍的に増加したのは戦後の沖縄は戦前の沖縄より苦渋は少なくなり幸せになれる場所が増えたということである。なぜ幸せになれる場所が増えたか。
戦前と戦後の大きな違いは米軍が駐留しているかしていないかである。戦後に人口が増えた原因は米軍の駐留以外には考えられない。
もし、米軍が駐留しないで戦前と同じ沖縄であったら人口は戦前の半分の三十万人くらいであっただろう。奄美大島は戦前の沖縄と同じようにさとうきび栽培などの農業中心であるが、人口は戦前に比べて半減している。農業中心の沖縄であったら奄美大島と同じ歴史を沖縄もたどっていただろう。
米軍が駐留したから沖縄の人口は増え続けたのだ。米軍が苦渋を強いたという金城幹事長の考えは間違っている。米軍が沖縄に「苦渋」を押し付けたというのは金城幹事長が沖縄の現実を無視しているからだ。
祖国復帰をしていない米軍が駐留している「苦渋の島沖縄」に祖国復帰をした奄美大島の多くの人たちが移住した。なぜ、「苦渋の島沖縄」に移住したのだ。金城幹事長はその歴史的事実を説明できるだろうか。
米軍は沖縄の人たちに苦渋を強いたのではない。自由で平等な社会を与えた。琉球大学を設立して優秀な人材を生み出し、琉球が自立できる社会になるように指導した。琉球政府を創立し、沖縄を三権分立の社会にした。
社会主義国家との冷戦が続く中、米国は沖縄を統治し、軍事を優先していたが、それが沖縄社会を弾圧し苦しめることにはならなかった。むしろ、米軍は沖縄を民主主義社会にする努力をした。民事・刑事法を米国の法律を参考に作成し、社会の仕組みをつくった。琉球銀行をつくり、戦前は尚氏のような大地主しか企業を起こすことができなかったが、一般の人でも企業を起こせるようにした。キャラウェイ高等弁務官は賄賂が当たり前の沖縄の「常識」を禁止し、琉球銀行の幹部を首にしたことがある。
加害者が米兵であれば米軍の法廷で裁く。加害者が沖縄人であれば沖縄の法廷で裁く法律もつくった。
一九七一年に起こった有名なコザ騒動では、捜査はすべて琉球警察がやり琉球の法廷で裁いた。米軍側は一切口出ししなかったという。
車を焼かれた米兵が沖縄人に復讐をしないために米民政府が車を弁償した。そのことを沖縄の新聞はほとんど報道しない。
琉球政府の主席を米民政府が任命したのは沖縄の政治家がまだ民主主義的な政治運営には未熟だったからだ。もし、米民政府が関わらないで、沖縄の政治家だけで政治をやっていたらどうなっていただろうか。今でも琉球処分に反感を持ち独裁国家の琉球王国を美化する政治家が多いのだから、沖縄は独裁国家になり北朝鮮に似た社会になっていただろう。
米民政府が統治していたから沖縄は特権階級のいない平等な社会になった。それに米軍の仕事があった。仕事が多かったから奄美大島から多くの人たちが移住して沖縄の人口は飛躍的に増えたのだ。もし、米軍基地があるために沖縄中が危険であり、米兵の婦女暴行・事件・事故が頻繁に起こり、米軍のやりたい放題の島であったなら人口は激減していたはずである。そうではなかったから沖縄の人口は増えたのである。
米軍基地のある沖縄は人口が増え続け戦前の六十万人から百四十万人以上になった。米軍基地のない奄美大島の人口は半減し過疎化が進んでいる。有名な奄美民謡の若い後継者も少なくなり、奄美民謡消滅の危機だという。もし、沖縄に米軍基地がなかったら沖縄も奄美大島と同じ過疎化の道を辿っていただろう。事実、沖縄でも奄美大島と同じように農業中心の北部や離島は過疎化がすすんでいる。
政治も経済も米軍統治時代から現在まで沖縄の近代化は発展してきた。近代化されなかったのは沖縄の政治家、学者、識者たちの思想である。
ユーチューブ映像
島袋吉和辺野古区演説
兼次エリカ応援演説1
兼次エリカ応援演説2
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朝日よ、毎日よ、そこまでやるのか。島袋候補選挙妨害

「かみつく」を改名「沖縄 民主主義4」
定価1000円(税抜)
12月県内書店で発売予定
狼魔人日記で先行発売

新発売・「かみつく3」は県内書店で発売中
クリックすると本の紹介画面へ
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狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp
「かみつく」を改名して「沖縄 民主主義」にした。


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ヒジャイ掲示板
■ご協力のお願い■
■辺野古を抱える名護市長選挙に臨む決意■
私たちは島袋ヨシカズ氏を支える「名護市を豊かにする市民の会」です。
島袋ヨシカズ氏は17年間、国防に不可欠なのは普天間基地の辺野古移設だと訴えてきましたが、4年前の市長選挙に惜敗したことで普天間移設に遅れを生じています。
今回の選挙では島袋氏に是非当選してもらい辺野古移設にケリをつけてもらうべく頑張っています。
そのためにも皆さんに是非とも資金的協力をお願いいたします。
名護市を豊かにする市民の会
会長 當山 正範
お振込先のご案内
銀行名; 琉球銀行 大宮支店
口座番号: 普通預金 566745
口座名義: 名護市を豊かにする市民の会
会長 當山正範(トウヤマ セイハン)
島袋ヨシカズ立候補
「辺野古移設なくして北部の経済発展はなし」



朝日よ、毎日よ、そこまでやるのか。島袋候補選挙妨害
名護市長選、辺野古容認派で保守系一本化も
2013年12月16日02時04分
朝日新聞
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来年1月の沖縄県名護市長選に立候補を表明している島袋吉和・前市長(67)が、同市辺野古の埋め立て申請を仲井真弘多知事が承認することを条件に、保守系候補の一本化に応じて立候補を取りやめる可能性があることがわかった。島袋氏は近く上京し、自民党幹部と会談する予定だ。
同市長選には、3人が立候補の意向を表明。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設について島袋氏が「推進」とするのに対し、自民県議の末松文信氏(65)は「容認」としている。「反対」を掲げる現職の稲嶺進氏(68)を相手に、保守系候補の一本化が焦点になっている。
島袋氏は先週末に会談した県経済団体会議議長の国場幸一氏から、「一本化した方がごたごたはなくなる。知事も心配している」と言われたという。国場氏によると今月上旬、仲井真知事と2人で会い、市長選の一本化について話したという。
島袋氏は15日、朝日新聞の取材に「知事が(埋め立て承認の)印鑑を押し、末松氏が移設を明確に掲げるならば、(一本化を)考えなければならない」と話した。
朝日新聞
選挙:沖縄・名護市長選 保守系、候補一本化も 島袋氏「条件付き、交渉応じる」
毎日新聞 2013年12月16日 西部夕刊
来年1月の沖縄県名護市長選に出馬表明している前市長の島袋吉和氏(67)が16日午前、毎日新聞の取材に応じ、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設推進方針の明確化を条件として、保守系候補の一本化交渉に応じる考えがあることを明らかにした。
市長選には他に移設容認派が推す自民党県議の末松文信氏(65)と、移設反対の現職、稲嶺進氏(68)が立候補を表明。保守系の分裂回避に向けて自民党本部などが島袋氏に対して末松氏への一本化を打診している。
島袋氏は辺野古への移設推進を主張。末松氏は、移設に向けた同市辺野古沿岸部の埋め立て申請を仲井真弘多(なかいまひろかず)知事が承認すれば「自分も容認する」というスタンスを取っている。
島袋氏は取材に対し「知事が埋め立て申請を認めて、末松氏が移設推進の立場をはっきりさせれば、一本化の交渉には応じる考えはある」と語った。ただ後援会との今後の話し合い次第では「応じない場合もある」としている。島袋氏が今週内に上京し自民党幹部と協議するとの情報もある。【井本義親】
朝日新聞が島袋氏を取材したことはでっち上げであった。
島袋氏本人の言葉として書いてあるから全ての人が信じただろう。私は半信半疑ではあったが、そういうことも在り得るなと思って、島袋氏の情報に注目していたら、それが根も葉もないことであることが「狼魔人日記」に載っていた。
■ご協力のお願い■
島袋ヨシカズ氏は10月の出馬表明いらい首尾一貫「辺野古誘致なくして北部地域の発展も国の安全もありえない」を主張し、連日街頭に立ち「先人たちの17年間の血と汗の努力を私の代で結実させる」と市民に訴えています。
ここで皆様に改めてお願いいたします。
組織的支援団体がなく、草莽の市民だけの支援で戦ってきた島袋氏の後援会が深刻な資金不足に陥っています。
一部読者の皆様にはカンパご協力を賜りましたが、朝日などサヨク新聞の飛ばし記事や反対派支援者の悪質な嘘作戦により、あたかも島袋氏が出馬断念したかのようなデマがまことしやかに流布しています。
そのデマ作戦が効を奏したのか、ここにきてカンパ金が予想外に少なくなり選挙戦には必需のウグイス嬢のアルバイト代や印刷代にも事欠く状況に陥っています。
現在はボランティアの支援者が自家用車を持ち込みガソリン代などは手弁当で頑張っております。
今まさに勝利までの胸突き八丁の苦しい時期です。
島袋氏ご本人は例え刀折れ矢が尽きても街頭に立って最後の最後まで戦い抜く覚悟で闘志満々です。
私ども応援団も最後まで「辺野古誘致なくして北部地区の振興・発展はない」を合言葉に島袋氏の当選まで頑張る所存ですので、皆さんに是非ともカンパ協力をお願いいたします。
名護市を豊かにする市民の会
会長 當山 正範
お振込先のご案内
銀行名; 琉球銀行 大宮支店
口座番号: 普通預金 566745
口座名義: 名護市を豊かにする市民の会
会長 當山正範(トウヤマ セイハン)
朝日新聞の狙いは選挙資金が少なくカンパに頼っている島袋候補の選挙資金集めの妨害だったのだ。現在、名護市長選では島袋候補が末松候補を一歩も二歩もリードしているようである。そこで稲嶺候補の強敵となりそうな島袋候補を貶めて稲嶺候補を有利にするために嘘の記事をでっち上げたのである。
新聞社がそこまでやるのか。信じられないことである。
ユーチューブ映像
島袋吉和辺野古区演説
兼次エリカ応援演説1
兼次エリカ応援演説2
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