波と狛のつれづれ日記

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今川義元の汚名返上なるか!?

2019-03-23 01:54:59 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
2019年の今年は、今川義元の生誕500年ということで、彼の顕彰事業がおこなわれつつあります。 そんな義元公にあやかって………



ウチにいる狛川義元公を白塗りにし、さらにまろ眉も描いてみました。 ところで皆さんは、義元公に対してどのようなイメージや情報をお持ちでしょうか?「白塗りの顔にまろ眉やお歯黒をやっていて、公家気どり」とか「足が短すぎて馬に乗れなかったから、輿で桶狭間に行った」とか「その桶狭間では、2万5千もの大軍を率いながらも、わずか2千の織田信長軍に討ち取られるなんて、油断しすぎ」とか、……… 凡将または愚将などとも呼ばれ、評価は散々なものが多いみたいです。
そうしたら、彼の最新の肖像画は出るでしょうか?



う~む……… いちおう「海道一の弓取り」という誉め言葉は付いているのですけど、出で立ちがあんまりです。 いきなりどん底に落ちてしまいましたけど、今回は今川義元のゆかりの地を訪れながら彼の生涯を追っていき、さらに最新の歴史家や落語家が出した彼への評価にも触れさせていただきます。 あと、彼に関してのゆるキャラ事情なども。



………ということで、私は今川義元が生まれ育ち、拠点としていた静岡市にやって来ました その駅前には、義元のもとで人質生活を送った竹千代(のちの徳川家康)の像が設置されていますね。さらに2020年までには、この近くに今川義元公の銅像が設置されるそうです。 とはいっても、私が取材に行ったのは、金箔瓦や発掘現場や静岡おでんを目当てに駿府城を訪れた、1月13日のことでしたけど。

今川義元は、永正16年(1519年)に今川氏親の5男として生まれました。 ちなみに母は寿桂尼で、幼名は芳菊丸といいました。すでに長男の氏輝が跡継ぎの有力な候補に決まっていたこともあって、芳菊丸は4歳で仏門に出されることに。 彼は駿河国富士郡瀬古・善得寺の太原雪斎のもとに預けられ、栴岳承芳(せんがくしょうほう)と名を改めました。しかし、その後は雪斎とともに寺を転々としていったそうです。
のちに彼は、長兄の氏輝に呼ばれて駿河に戻ったのですけど、天文5年(1536年)に氏輝は急死。 彼に継承権がめぐり、還俗して今川義元と名乗りました。



静岡駅から12分ほど歩いていったら、駿府城が見えてきました。 このお城は、徳川家康今川館があったとされる地に築いたとされていて………



昭和58年(1983年)に県立美術館を建設するためにそのお城があった駿府公園(当時の呼び名)内を掘ったら、今川館と思われる中世の城館址が発見されたのです。



一緒に陶器の破片なども出てきたみたいです。 結局、調査後にその遺構は埋め戻され、美術館は他の場所に建設されました。駿府城の天守台周辺の発掘プロジェクトの最終年となる2019年度は、今川館の推定地を再調査することになっているのですけど、そこで今川氏の歴史に関わるような重大な発見があるといいですね。



静岡県庁の別館の21階の富士山展望ロビーからは、眼下の駿府城公園や静岡市内を一望するだけではなく、北西の方向に臨済寺を臨むこともできます。 ちょっと遠いのですけど、今からそちらに向かって歩いていきながら、今川義元の話の続きをさせていただきます。
義元は、家督を継いだ翌年の天文6年(1537年)に、甲斐の武田信虎の娘(定恵院)を正室に迎え入れ、武田氏と甲駿同盟を結びました。 しかしその結果、相模の北条氏と対立することに。



静岡県庁から徒歩18分ほどで、静岡浅間神社に到達。こちらも今川氏にゆかりがあり、義元のもとで竹千代が元服し、松平次郎三郎元信(まだ徳川家康の名前から程遠い )を名乗ったところでもあるのですよ。
義元は戦国大名との戦いや駆け引きだけでなく、内政にも力を入れていました。 天文22年(1553年)には、今川仮名目録に21条を新たに追加。それは時代の変化に対応できる法の整備というだけではなく、今川領国内の秩序維持は足利将軍家ではなく、今川氏が独自におこなうと宣言したことを意味しています。 さらに京文化を駿府に運び込んだり、金山の開発や商業の発展にも貢献しました。
浅間神社から、さらに20分ほど歩いていったら………



臨済寺にたどり着きましたよ
正面に立派な山門を構えているこちらのお寺は、今川氏の菩提寺でもあります。 前身は先述の善得寺で、天文5年(1536年)に義元はお寺の名前を臨済寺と改め、大休宗休を開山として招き入れ、その年に急逝した氏輝を同寺に葬りました。その次の住職として就いたのが、雪斎なのですよ。彼は竹千代の教育をする一方で、今川氏の軍師としても活躍しました。



こちらのお寺は修行僧の専門道場となっていることもあって、建造物や庭園内は非公開となっています。 それでも、境内の一部は自由に散策できるので、今回はその範囲内を廻らせていただきます。 ちなみに、私の目の前にある大きな新仏殿は、平成9年(1997年)の建立であります。



本堂(大方丈)に続く石段と塀の佇まいからは、厳かさと歴史の重みを感じます。
落ち着いたところで、再び義元の話に戻らせていただきます。 彼は、天文23年(1554年)には嫡男の氏真北条氏康の娘(早川殿)を縁組みし、武田氏に北条氏を加えた甲相駿三国同盟を結成 その頃には、武田氏や北条氏と渡り合えるほどの勢力があったのですよね。



入母屋造りで柿葺きの屋根を持つ本堂(大方丈)は江戸時代前期の建築で、国の重要文化財に指定されています。



その臨済寺は、春と秋の2日間に特別公開が行われ、その際にはお寺が所蔵している義元公の木製坐像も見ることができます。こちらの像は、顔が引き締まっていて、凛々しいですね。
三国同盟の翌年の天文24年(1555年)の第二次川中島の戦いでは、義元は武田晴信(のちの信玄)長尾景虎(のちの上杉謙信)の仲裁に入って、両者の間に和睦を結ばせたりもしました。



臨済寺の境内には、義元公生誕500年に間に合うように、昨年の平成30年(2018年)に今川神廟が再建されました。 こちらは義元の廟所(胴塚)であります。
永禄3年(1560年)5月に義元は、2万5千の大軍を率いて、西に進んでいきました。 その目的は、最近までは上洛とされてきたのですけど、尾張の織田信長を征伐しようとしていたというのが有力です。現在の名古屋市緑区大高近辺にあった織田方の諸砦を次々と落としていき、今川軍は桶狭間で休憩していました。 その地形や天候、敵軍の情報なども味方につけていた信長は、わずか2千の兵で今川軍を奇襲し、義元は討ち取られてしまいました。 享年42歳。
その際には、確かに馬ではなくて輿に乗っていたのですけど、これは今川氏が足利将軍家の血を引く名門で、輿に乗ることを特別に許されていたからでした。なので、決して足が短かったとか乗馬がヘタだったというワケではありません。信長との格の違いを見せつけたかったという気持ちがあったのかも知れませんけど、それがかえって仇となってしまいました。

それから、白塗りまろ眉お歯黒の出で立ちは彼のオリジナルではなく、当時の他の戦国武将も、化粧をして戦に向かっていたそうです。 それに近い話として、信長は自分を窮地に追い詰めた浅井久政長政親子と朝倉義景を、見せしめのために髑髏(ドクロ)の盃にして、そのことが後世になって顰蹙(ひんしゅく)を買ったのですけど……… やはり当時の戦国武将の間では、同じようなことがおこなわれていたそうです。 いずれにしても、なんて原始的で野蛮で大人げない行為なのでしょうか

歴史家で今川義元の研究を進めている小和田哲男氏は、「桶狭間の敗戦だけで、義元が築いてきた業績や人格まで否定されるのは忍びない。彼の正しい知識を身に付け、静岡で誇れる人物だということを理解してもらいたい」と仰っていました。



それから、静岡市出身で今川義元ファンで落語家の春風亭昇太さんは、大河ドラマ「おんな城主 直虎」の義元役のオファーがあった際に「彼が今までのような凡将や愚将の役どころだったら、受けない」と言ったそうです。 多くの歴史は勝者側によって綴られるので、必ずしも正しいとは限りません。なので、定説を鵜呑みにしないで、あらゆる角度から検証していきたいですね。 それにしても春風亭義元は、凄みがありますよ。
今川氏は氏真の代に戦国大名としては終わったのですけど、彼は天寿を全うし、子孫は徳川家に仕えて細々と存続していきました。



そんな今川義元ですけど、桶狭間の戦いがあった豊明市では、ご当地キャラとして「のぶながくん」と「よしもとくん」なるものが作られました。激しい対立の歴史に反して、こちらの両雄はいつも一緒で、大の仲良し。



その一方で、義元の出身地の静岡市では、非公認キャラながらも「今川さん」が誕生ました。 その隣には、小和田氏も写っていますね。 こちらは桶狭間で敗れた悔しさから、まぶたからこぼれる涙を有しているのですよ。さらに、その今川さんは………



生誕500年の今年に入ってから、甲冑バージョンのものも作られました。 こちらもいい味を出していますね。 さらに調子に乗って「氏真くん」とか「寿桂尼ちゃん」とかいうゆるキャラが生み出されたら、見たいような見たくないような……… とにかく、今川さんの今後の行方からも、目が離せません。


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