波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

2022年のお城締めは浜松城で♪

2022-12-31 01:21:14 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記の最後で予告した通り、今回私はと一緒に浜松城を訪れます。 来年の大河ドラマ「どうする家康」の放送に備えて、その模擬天守は大がかりな化粧直しがおこなわれ、ようやくその工事が終わりました。 浜松城はそのドラマの舞台となり、大河ドラマ館もオープンするので、来年は全国からの訪問客で賑わい、今までのように気軽に手軽には行けないようになると思われます。 それは(隣の)地元民としては喜ばしいことなのですけど、その前に訪れておくことにしました。 いや、年末に浜松城を訪問するのは数年続いていて、私たちの恒例行事になりつつあるのですけど。

………ということで、やって来ましたよ 浜松城……… ではなく、今回はその近くにある元城町東照宮のほうを先に訪れることにしました。 ちなみにこの日は12月25日。今年最後の日曜日で、クリスマスでもあります。

まずはこちらではお約束となっている、波と狛による生き狛犬をやっておきましょう。 わかりづらいかも知れませんけど、彼女らの口が阿吽になっていますよ

境内の入口付近にある手水舎の上のほうをよく見てみると、日光の眠り猫を意識したような猫の像があるのですよ それに気付かない方がかなりいるので、「志村、うえ~ 」と教えてあげたい。

さらにその奥には、徳川家康木下藤吉郎の頃の豊臣秀吉の銅像があります。 東照宮の位置は浜松城の前進となる引馬城があったところで、彼らにとっては出世の足掛かりとなった場所でもあります。 そういうこともあって、元城町東照宮は出世のパワースポットとして崇められているそうです。 のちに家康は、その引馬城を取り込む形で浜松城を築いたので、引馬城があったところは浜松城の一部でもあるのですよ。

その社殿に、私は来年も健康で安らかに過ごせることを願っておきました。 こちらでの参拝を済ませたら………

いよいよ浜松城に向かいますよ ここからでも新装なった模擬天守が見えるのですけど、風が強くて波と狛の姿がちょっと異様になっておられる。

やはり、ご当地キャラの出世大名家康くん出世法師直虎ちゃんの浜松城での定期登場はハズせませんよね また、彼らと一緒に浜松徳川武将隊もやって来ることになっています。 模擬天守が改修されている間は、場所を変えておこなわれていたみたいですけど、今は工事の足場などは取り払われているので、従来の天守曲輪に戻ってくることになるでしょう。

そうしたら、石段を上ってそちらを目指しますよ さらに向こうに見える天守門を潜ったら………

模擬天守がまばゆく……… いえ、まだなっていません。 こちらは昨年の画像で、今の姿と比べられるように入れておきました。 その建物は令和の改修を経て………

このようになったのですよ 1層目の下見板張り風の壁は黒光りしていて、破風などを飾っている金具は一新し、輝いています。 さらに最上階の回廊に大きな変化があったのが、おわかりでしょうか? 昭和33年(1958年)に建てられてからずっとあった転落防止用の網が取り除かれ、スッキリさっぱりしたのですよ そのぶん、そこからの展望もより開放的になっていると思われます。

その土台となる天守台の石垣には、ハートの形をした石が埋め込まれているので、興味のある方は探してみてください。

模擬天守は日の光を受けて、輝いていました。 そういえば、そろそろ家康くんや浜松徳川武将隊が定期登場する13時になるのに、その気配を感じません。 今回は彼らと逢うのを楽しみにしていたのに、今年はもう仕事を終えてしまったのでしょうか?

構成の都合で、話を1時間ほど後までワープさせていただきます。 せっかくなので、私は波と狛を車の中で待たせておいて、模擬天守に入館することにしました。 その1階はこのようになっています。 展示の内容はほとんど変わってないのですけど、年に1度は見ておきたいですね。

その展示物のうち、若い頃の徳川家康が着用した金陀美具足(のレプリカ)、その具足を身に付けた松潤家康の「どうする家康」のポスター、出陣前の血気盛んなリアル徳川家康像を並べてみました 甲冑姿の松潤家康、カッコいいです。

模擬天守の最上階の外側には高欄が巡っていて、強風を受けながらも高い所からの眺めを臨むことができます。 またこの場所からは、より壁の白さを感じることもできました。 あと、転落防止用の補助の手すりが新たに設けられていたのですけど、あまりに自然過ぎて私はこの時点では最上階を覆っていた網がなくなっていたことに気付いていませんでした。

それはさておき、二の丸跡元城小学校があったところには大河ドラマ館が建設され、さらにその広場には葵の紋がデザインされていました。 ちなみにその手前に見える瓦葺きの建物は天守門で………

模擬天守との共通券で入れるので、こちらも欠かさずに見学しておきました。 地元の天竜の木材で復元され、その構造は一見の価値があります。

大河ドラマ館はまだオープン前で、その敷地にも入れないのですけど、準備は着々と進んでいるみたいです。 「どうする家康」の放送が始まる来年の1月8日には、こちらに松本潤さんたちを招いて出陣式をおこなうことになっているのですけど、大騒ぎになりそうです。

そのあと、私は浜松城公園内にあるスターバックスでコーヒーを飲んで、一息入れました。 今年も残すところあとわずか。 皆さまにとっても、新しい年は………

って、危うくワープしたまま今回の、いや、今年の波狛日記を締めるところでした。 ということで、13時に天守曲輪で私がモヤモヤしているところまで話を戻します。

家康くんや武将隊の皆さんに喜んでもらうために波と狛にサンタの衣装を着せたのに、彼らはなかなか姿を現しませんでした。 私たちが本丸跡のほうを探しに行ったら………

一部の武将隊が、グリーティングをしていました。 徳川家康本多忠勝酒井忠次に、新たに瀬名姫(のちの築山殿)が加わっていました。 そんな彼らは波と狛のことを「また来てくれて、ありがとう」と歓迎してくれました。 「今回(のグリーティング)は、ここだけですか?」と聞いたら「これからいつもの場所に行きます」というので………

そちらでも記念撮影をしてもらいました しかも、私もしっかりちゃっかり入っていますし。 そんな私たちに、皆さんも「大出世 」という掛け声をお願いします。 そういえば、今回はやけに人数が少ない、いや、少数精鋭なのですけど、家康くんや直虎ちゃんはお休みなのでしょうか? ………と思っていたら、「(彼らは)芝生広場のほうにいる」という情報が それならば、今すぐそちらに駆けつけなければ

確かにその場にいましたよ まさにグリーティングや記念撮影を終えるところで、私たちはギリギリ滑り込むことができました。 ゆるキャラ以外のメンバーは、井伊直政井伊直虎榊原康政ってトコでしょうか? そんな彼らも波と狛のことを覚えていて、暖かく迎え入れてくれました。

家康くんたちが帰る前に手を振っている絵を、最後の画像に使わせてもらいます。 2022年は23時間を切ってしまいました。 先述したように来年に入ったら、大河ドラマ「どうする家康」の放送が始まります。 それにあやかり、私たちは今まで以上に徳川家康に関する名所旧跡を巡って、ドラマの追体験をする所存にございます。 もちろん、それ以外の分野にも挑戦していきたいです。 さらに波&狛とともに、たくさんの方たちと交流できることも願っています。 では、皆さんもよいお年をお迎えくださいませ。


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2022年のクリスマスに関連した話

2022-12-28 00:48:33 | 年間行事

メリークリスマス!白黒茶々です。

今年はすでにクリスマスを通過し、「よいお年を」という挨拶が飛び交うようになりましたけど、今回は白黒茶々家の今年のクリスマス近辺にあったことをお話します。

………ということで、まずはクリスマスの形から入ってみました サンタの衣装を身に付けているのことを強いて呼ぶと、なみたくロース小股クロース……… って、またしてもスマホ変換してみたのですけど、なみたくロースはなんとなく美味しそうな響きですね。 それよりも、小股クロースって何?誰?
いやその前に、それより先におこなわれた、白黒茶々家では年末の恒例行事にもなっている、紅白歌合戦……… ではなく、ファミリーカラオケ大会の様子をお伝えします。

………ということで、やって来ましたよ 県境を跨いだ豊橋市にあるじゃらおけ屋に。 この日は12月15日の木曜日。私たちにとってこちらのお店は、昨年のカラオケ大会以来なので、1年ぶりとなります。 週のど真ん中の夜ということもあって、空いていますね。 もちろん部屋のほうも選び放題で、時間制限ナシのフリータイムとドリンク飲み放題のフリードリンクにしました。 そうしたら曲をバンバン予約して、歌いまくりましょう

トップバッターというか、トップシンガーはたつぴがやりました。 その彼が最初に用意してきた曲は、なんとAimerさん「残響賛歌」 紅白歌合戦でも歌われるのですけど、いきなり難易度の高いものを見事に歌いきりました。 さらにその後には、今年ブレークし流行語にも入った「きつねダンス」の原曲となる、イルヴィス「The Fox」まで披露して。 手が余っていた私と箔母さんは、わかるところだけ「きつねダンス」しました。 ところで「What does the fox say ?(きつねは何て鳴くんだい?)」ご存知の方はいらっしゃるでしょうか?

一方の私は、サザンオールスターズ「愛はスローにちょっとずつ」で歌い出しました。 私はサザンや桑田佳祐さんの曲が好きで、歌いやすいこともあって、いつもそれらから始めるようにしています。 その様子を写したものはないのですけど、勢いづいた私はCreepy Nuts「のびしろ」緑黄色社会「Mela!」などにも挑戦しました。

今回、箔母さんは聴くほうに徹することにしたみたいですね。 その間に、彼女はお気に入りの柚子ジンジャーを4杯もおかわりしていました。

そうしているうちに、私たちがいる部屋にカラオケ食が運ばれてきました。ちなみに今回私が注文したのは、海鮮焼きそばのセット。 御飯と味噌汁、サラダ、ミニアイスが付いて、昨年よりは値上がりしたのですけど、680円のお得価格でした。 ただし、今回は実質2人で歌っていて、すぐに順番が回ってくるので、小刻みに食べなければなりません。

そうしているうちに、履歴が増えていきました。 ちなみにB'z「いつかのメリークリスマス」は箔母さんのリクエストで、毎年歌っています。 そうそうリクエストといえば、私はカラオケに行く前にたつぴにウタAdoさん)の「ウタカタララバイ」を「歌えるものなら歌ってみなさい 」とでも言わんばかりに薦めておきました。 それは映画「ONE PIECE」の「フィルム RED」の劇中歌で、テンポが激しいうえに音域も広く、ウタの曲の中では激ムズなものでした。 ところが、たつぴは猛練習をして、そいつをカンペキに歌いきったのです
今回はみんなして翌日に仕事が控えていることもあって、日付けを跨いだ0時半頃に余力を残して切り上げました。 とはいっても4時間近くも滞在し、たつぴは28曲。 私は26曲ぐらい歌ったことになります。 鬼が抱腹絶倒するかも知れませんけど、今から来年の開催を楽しみにしています。

続いては、クリスマスの話題となります。 白黒茶々家では、クリスマスの晩餐はイブイブこと12月23日の夜からおこなわれています。 昨年は、モスチキンはお店が混んでいて買えなかったのですけど、今年はネットで予約し、キャッスレスのシステムを経て無事に確保することができました。 やはり外はカリカリ、肉は柔らかジューシーで、2年ぶりに美味しくいただくことができました。

クリスマスの肉祭りはその翌日のイブの夜も続きました。 こちらは、まるまる1羽のガストローストチキンとなります。 冷凍のものを前もって買っておいたのですけど、下準備がしっかりとされていて、骨が簡単に外れるほど柔らかかったです。 しかも中まで味が染みていて、こちらも美味しかったです。 やはり「チキンを切り分けるのは、世帯主の仕事」ということで、昨年に続いて今回も私がやりましたよ。

イブのディナーは、これだけではありません 白黒茶々家では、ホールのケーキを2日かけて食べるのが定番となっているのですよ。 今回も昨年までと同じY社のものにしたのですけど……… なんか、飾りというかケーキの上の付属品が年々簡素化しているような。 それでも、ケーキはスポンジ生地と生クリームが命で、そのあたりはずっと変わらなくてよかったです。
そんなクリスマスの朝に目を覚ましたら、私の枕元に包装された箱が置かれていたではありませんか 私の寝床にサンタさんが立ったのは子供のとき以来なのでン十年ぶりとなるのですけど、その正体は箔母さんでしょうか? いや、彼女のところにもプレゼントがあるので、自動的にたつぴということになります。 今年から社会人となった彼は、粋なことをしますね それよりも、プレゼントの中身は何なのでしょうか? 私は欲しいものを口にした覚えはないのですけど、果たして……… ビリッ、バリッ

………宇随天元(のフィギュア)ですか。 彼は「鬼滅の刃」に出てくる剣士で、音柱。今年放送された「遊郭編」では、大活躍しました。 欲しいかどうかというより、UFOキャッチャーで獲ってきたってトコでしょうか? ちなみに箔母さんのほうは、「名探偵コナン」で彼女が推している降谷零風見裕也のパズルでした。

さらにその日の昼には、波サンタと狛サンタは家を飛び出して、浜松城公園に姿を現しました。 なぜこちらに来たのかというと……… それは今年最後の更新となる、次回の日記で明かします。



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牛久保駅舎に導かれて

2022-12-24 00:32:38 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

話は少し前にさかのぼりますけど、今年の9月の新聞にこのような記事が載りました。

豊川市にあるJR飯田線の牛久保駅の駅舎が、老朽化により来年の春に取り壊されることになったとのことです。 その建物は昭和18年(1943年)に完成し、戦時中はその市内にあった軍需工場の豊川海軍工廠の工員が通うのにも利用されていたそうです。 築80年にもなる木造の駅舎には歴史と風格があり、古い建物が好きな私はとても気になりました。 解体を免れられないのなら、せめて写真などの記録や私の記憶に残しておきたいですね。
………ということで12月18日の日曜日に、私は朝からを連れて線路ではなく道路を通って牛久保駅に向かいました。 とはいっても、その前に………

その近くにある牛久保城……… ではなく、お城を模したような喫茶シロさんに寄っていきました。 こちらでの目的は、もちろんモーニングですよ こちら方面に行くのなら、モーニングを食べられるお店はないのか? と、前もって入念に調べていったら、こちらのお店が見つかりました。 9時ちょっと前なのですけど、駐車場は混んでいて、ギリギリ1台止められる状態でした。

外観だけではなく、店内も昭和のレトロ感が漂っていました。 そこは昭和に生まれたであろう常連と思われるお客で賑わっていました。 そういう私も、昭和生まれなのですけど。

席に就いたら、メニューを選びましょう。 とはいっても、すでに心に決めてきたものがあるのですけど。 それから間もなくして………

コーヒーに続いて、モーニングセットが運ばれてきましたよ シロさんで朝にドリンク類を注文すると、これらのメニューが付いてくるのですよ 種類は1つだけで、厚切りの半トーストにはあらかじめバターが塗られているのですけど、イチゴジャムが添えられています。 また、コーヒーのミルクはピッチャーに入れられていて、砂糖もポット入り。 そのあたりも昔ながらの昭和的なのですけど、ついコーヒーに入れ過ぎてしまうので、注意が必要です。
そのお店はどこか懐かしく、初めてでも居心地がよかったです。 もちろん、モーニングも美味しかったですよ 喫茶シロさんで朝の活力を注入した私は、駐車場の車の中で出番を待っている波と狛を伴って………

今回のメインともいうべき、牛久保駅の前にまでやって来ました。 建て替えの際の通路を確保するためでしょうか? 北側の庇やトイレ、東側のホームの屋根などはすでに取り払われていました。

それでも、駅舎の立派な佇まいを見ることができました。

ちなみにその内部は、このようになっています。 私たちの他にも、この駅舎が失くなるを惜しんで写真を撮りに来た方がいくらかいました。 そんな牛久保駅舎を見終わったら………

せっかくなので、その付近を散策していくことにしましょう 牛久保駅の周辺には、私が気になる歴史スポットがいくつか散在しているのですよ ということで、私たちはまずその近くにある、牛久保城跡に行きました。 あ、先ほど喫茶シロさんのことをその名前で言いかけたのは私のギャグなので、あまり気にしないでください。

それはさておき、牛久保城は享禄2年(1529年)に牧野成勝が最初に築いたと云われています。
今川氏の拠点となっていたのですけど、桶狭間の戦いの翌年の永禄4年(1561年)に、徳川家康軍の奇襲を受けました。 その際、お城は持ちこたえたのですけど、家康が自立を目指して今川家に立ち向かうという意思表示をした、最初の場となりました。

元禄13年(1700年)に廃城となり、現在はお城の遺構はほとんど残ってないのですけど、この付近には「城跡」や「大手」、「城下」といった地名が伝わっています。

次に私たちは、牛久保城跡の北のほうにある大聖寺さんに向かいました。 Google Earthのストリートビューにはコンクリートブロックの山門が写っているのですけど………

私たちが訪れた時には、このようになっていました。 スッキリさっぱりしたというか……… さすがに車では通れないと思って、裏側まで回したというのに。 やはり構造的に危ないので、撤去されたのでしょうか?

そのお寺は小ぢんまりとしていました。(失礼っ )大聖寺は永享11年(1439年)に一色刑部時家が一色城を築いた際に、城郭の一角に堂宇を造営したのが始まりとされます。 文明9年(1477)に時家が家臣である波田野全慶に討たれると、境内に彼の墓が建てられました。

実はこのお寺の見どころは、奥のほうにあるのですよ ということで、今からそこに向かいます。

その途中で、猫のミケちゃん(仮名)と行き逢いました。 そんな彼女に、猫が好きな波は大興奮 しかし、猫は波のことを嫌うのですよね。 ………なんて言っているうちに、波は私の手からリードを振り切り、ミケちゃんに迫っていったのです 逃げるミケちゃんを追いかける波。 さらに波を追いかける私。 そんな私に引っ張られて、走らされる狛。

ハアハア……… 大聖寺さんの核心に迫る寸前に取り乱してしまいましたけど、私たちが目指していたのは、こちらの「胴塚」とも呼ばれている今川義元公墓所でした。

義元は永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで、織田信長軍の奇襲を受けて敗死。 家臣達が首のない遺体を背負って駿河へ帰る途中にひとまずこの地に葬り、手水鉢を置いて墓印としました。 永禄6年(1563年)、義元のあとを継いだ今川氏真は、義元の3回忌を大聖寺で行い、改めて墓碑を建立して寺領を安堵しています。 そんな今川義元公の胴塚をお詣りしたら………

さらに私たちは、長谷寺(ちょうこくじ)さんを訪れました。 こちらのお寺には何があるのかというと……… って、すでに看板に出ていますよね。 はい、山本勘助のお墓にございます。

静かな境内を、奥のほうまで進んでいったら………

お目当てのお墓がありました。 山本勘助は武田信玄の軍師を務めていたのですけど、永禄4年(1561年)の4回目の川中島の戦いで討死。 彼と親交があった長谷寺の念宗和尚がその死を悼み、遺髪を納めてこのお墓を建立しました。 信玄に仕えるまで、勘助は全国を転々としたのですけど、その前にはこの牛久保に住んでいたそうです。 長谷寺から近いといえなくもないところの街角には………

山本勘助の養父だった大林勘左衛門貞次屋敷跡があります。 勘助は明応9年(1500年)に八名郡賀茂村(現在の豊橋市)で生まれ、15歳の時に貞次の養子となりました。 しかし、26歳になって武者修行の旅に出て、9年後に戻ってきたら、貞次には実子が生まれていたのです。 居場所を失った勘助は貞次と親子の縁を切り、関東に旅立ちました。 そちらのほうで、武田信玄と出逢ったというワケです。
そんな屋敷跡のすぐ近くの、かつてその敷地だったのかも知れない寺町公園には………

このようなインパクトありありの猫のトイレが 親子の縁を巡っての愛憎劇が起こった地が、なんかユルくなってしまいました。 いや、もしかしたら今川義元の胴塚の手前で波が追いかけたミケちゃんは、この猫トイレの化身だったのかも知れません。 まったくその可能性がないとは言えないので、私は先程の波の狼藉を謝っておきました。
牛久保地区の散策は以上で終わりなのですけど、私が思っていたよりも見応えがありました。 ただし、道幅が狭いところが多いのに加えて車を止めておけるところが少ないので、歩いて巡ることをオススメします。


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キャンプ場を独り占め♪

2022-12-21 01:20:34 | キャンプ

こんばんは、白黒茶々です。

大変お待たせしました。 ようやく私たちのキャンプネタの続きが整いました。 私のほうも、強風に吹かれながらのテントの設営に悪戦苦闘している状態のまま日記をまたぐことになって大変でしたけど。 とにかく、1時間近く頑張ってもにっちもさっちもいかなかったので、池の畔での設営は断念することにしました。 そのあと、前回も利用した果樹園のほうのフリーサイトで仕切り直したら………

おおっ、ペグがスムーズに地面に刺さっていくではありませんか その後の作業も順調に進み、無事に設営することができました。 今回も、先月渚園キャンプ場でやったのと同じように、ワンタッチ式のドーム型のテントを2つ並べるツインドームのスタイルにしました。 時刻は14時近くになっていたのですけど………

ちょっと遅めのお昼ご飯を食べることにしましょう。 朝はビュッフェで食べ過ぎてしまったので、この時間でもちょうどよかったです。 ちなみに、今回持ってきたのは北海道限定の即席麺で、ウチの最後の1コとなるやきそば弁当でした。 そのソースは甘くて優しい味で、オマケで付いてくる中華スープとの相性もバッチリですよ

腹ごしらえが済んだら、食後の運動を兼ねてヒュッゲ湖西市民キャンプ場内を散歩しつつ、最近変化のあったところを紹介いたします。 いきなりトイレで申し訳ないのですけど、男子用のほうは小便器が今までは1つだけだったのが3つに増設されていました。

さらに、防災倉庫が新たに設けられていました。 キャンプのノウハウは防災活動や避難所生活に生かすことができるので、災害があった際には大いに役立つでしょう。 その中には、非常食や貸出し用のテントなどが収められるそうです。 ちなみにその場所は、私たちが利用したことがあるオートペットサイトがあったところとなります。

居場所の確保と食事が済んだら、漫画を読んだりしてゆったりまったりとした時間を過ごすことにしましょう。 ちなみに今回キャンプ読書用に持ってきたのは、瀬戸口みづき先生「めんつゆひとり飯」の1巻。 瀬戸口先生といえば、静岡県のローカルネタを題材とした「ローカル女子の遠吠え」が有名(?)ですけど、その内容は静岡市や県全体に及んでいます。 一方の「めんつゆ………」は、主人公の面堂終太郎……… ではなくて、面堂露がけっこう可愛くて。 彼女はズボラな女子なのですけど、まわりの人々とのエピソードを交えながら、万能調味料ともいうべきめんつゆを使った料理を編み出していきます。 その漫画を読んだり昼寝をしたりしていたら、日が暮れてきました。

同じキャンプ場の中で、オーナーの滝本さんは知り合いたちとバーベキューをやっていました。 私がテントまでキャンプの代金を取りに行っている間、手伝いに来ていた彼の息子さんのリードを預けることになりました。 そうしたら「波ちゃんはずっと、パパさんが行った方向を見ていた」と言うではありませんか なんて愛いやつなのでしょうか ところが「狛君はボクに擦り寄っていた」とのことでした。 ま、まあ、誰にでも愛想がいいのは結構なことですし。 個性がハッキリと出たのですけど、両者とも違う意味で可愛かったです。

日が暮れる頃にバーベキュー団体が帰ったら、キャンプ場には私たちだけとなりました。 冬場は空いているとは聞いていたのですけど、まさか貸し切り状態になるなんて これはある意味この上ない贅沢な体験となりますよ。 この時季は17時台でもかなり暗くなるのですけど、そのような中で波と狛にご飯を食べさせたら………

私のぶんの支度に取り掛かりますよ ちなみに今回のメニューは、ヒロシさん「ぼっちキャンプ」で作ったものを参考にしました。 レトルトカレーに別途調理した具を加えるのですけど、ヒロシさんが肉や野菜を炒めていたのに対して、私はさらにそれらを、コンソメを溶かしたスープで煮ました。 その行程を加えれば、よりレトルトカレーに具が馴染むというのですけど、果たして………

ちょっと手こずったのですけど、なんとか今回のキャンプ飯を完成させることができました メインのカレーライスは、ブロック肉をそのまま入れ、御飯も大盛りにしたおかげでかなりの量となってしまいました。 気になる味のほうは? はむっ う~む……… 美味しいと言えなくもないのですけど、コンソメの風味がちょっと自己主張しているような。 シャビシャビになるのを避けたかったので、なるべく煮詰めたのですけど、そのぶんコンソメのコクが濃くなってしまいました。やはり、コンソメを抜くかよっぽど薄くしなければならないみたいです。 ボリューミーでもある晩ご飯はなんとか食べ切ったのですけど、別バラとして用意してあった生クリームどら焼きまでは手を付けることができませんでした。

夜空には、丸い月が浮かんでいました。 その頃には、私たちが独占しているキャンプ場はすっかり静まり返って……… とはいかず、先程から野鳥というより怪鳥の鳴き声が聴こえています。 また、線路に近く、列車が行き交う光景もヒュッゲ湖西ならではですし。 翌朝は早くから行動しなければならないので、私たちは終電が通る前には消灯しました。

日が改まった月曜日の朝とはいっても、私が3時半頃に起きたらさすがにまだ真っ暗でした。 するとそこに、宇宙戦艦か銀河鉄道のような寝台特急のサンライズ出雲・瀬戸が通過していきました。 そのあと私は身支度をして、朝ご飯にしました。今回は米食で、おにぎりモーニングやおかゆモーニングがあるのなら、お茶漬けモーニングがあってもいいのでは ということで、初めてやってみました 結果は、これもまたアリか、と。 箔母さんたつぴはお茶漬けのりにお茶を注ぐのですけど、私は「もともとお茶漬けのりには味が付いているから」とお湯だけを注ぐようにしています。 皆さまはどちら派でしょうか?

「まわりが明るくなったら、朝散歩に行こう」と思っていたのですけど、いくら待っても暗いままでした。 寒さはまだ優しいほうなのですけど、冬のキャンプとはこういうことだったのですね。 とはいっても、5時台に朝散歩を済ませないと私の出勤時間に間に合わないので、今までのような絵を撮れなくてもやむを得ません 私たちは暗い中、散歩に出ていきました。

ヒュッゲ湖西の散歩コースとしてすっかり定着している、明治時代に造られたミニトンネルの茶屋松拱渠(きょうきょ) こちらは照明がないこともあって、不気味さを増していました。

私たちにとっては南の折り返し点となる妙立寺さんも、漆黒の闇の中にありますね。 それでも、参拝はしておきます。

立派な本堂が見えないのは、ちょっと勿体ないですね。 それと、以前に訪れた際に聴こえてきた和尚さんの読経も、この日はありませんでした。

ヒュッゲ湖西からは、始発列車を見ることができました。 それにしても、まだ夜行列車と区別がつきません。 そいつを見送ったら………

波と狛にも朝ご飯をあげましょう。 この頃には、少しずつ明るくなってきていました。そうしたら、キャンプ道具をまとめつつ、アレができるようになるまで待つことにしましょう。 ここでいうアレとは………

私たちのキャンプではお約束となっている「キャンプに行ってきました 」写真の撮影のことでした これが済んだら、大急ぎで撤収しますよ それから26分後には………

こうなりました。 正真正銘の私たちにとって今年のキャンプは、これにて終了 いろいろとありましたけど、楽しむことができました。 そのあとは自宅に戻ってキャンプ道具の片付けと身支度をして、私はいつも通りに出勤していきました。



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今年最後の紅葉狩りと○○ャン△

2022-12-17 00:29:29 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

波狛日記もいよいよ12月に突入しました。 とはいっても、今回は冬らしいネタではなく、まずは私たちにとっては今年最後になると思われる、紅葉狩りの話をさせていただきます。 その紅葉の名所は他より葉っぱが色づくのが少し遅れていて、12月の初旬でも紅葉狩りをすることができるのですよ 私たちはここ数年続けてそこを訪れていて、恒例行事として定着しています。 しかし、年々知名度と人気が上がっているので、その混雑を避けるために、開門したらすぐぐらいに訪れるようにしたいです。 そうしたら、その前に………

私たちは、鷲津駅前にあるホテルくれたけイン浜名湖さんに寄っていきました。 こちらでの目的は、もちろんモーニングですよ 実は昨年も来たのですけど、またこちらのモーニングを食べたくなりました。 こちらのホテルは宿泊客だけではなく、一般の客でも900円で朝食バイキングを利用することができるのですよ さらにインスタでホテルのフォロワーになると、100円割り引きしてもらえるときたもんだ

………ということで、さっそく盛ってきました ビュッフェの全種類を乗せ、ミニシラス丼やパンも付けたら、かなりの量になりましたよ。 あと、コーヒーやオレンジジュース、ミルクといったドリンク類もおかわり自由なので、ハズせませんでした。 これらを平らげたら、お腹いっぱいになったのですけど………

あさりの炊き込み御飯と朝カレーはどうしても食べておきたかったので、少しだけ入れてきました。 もちろん、それらは美味しくて満足できる味でしたよ。 お腹も心も満たされた私は、駐車場の車の中で待機していてもらっていたとともに………

静岡県と愛知県との県境の近くにある、豊橋市雲谷の普門寺さんに向かいました。 こちらのお寺は「豊橋のもみじ寺」として売り込んでいて、12月4日のその日までもみじ祭りをやっていました。 そうしたら、仁王門を通り過ぎて………

お寺の参道を突き進んでいきますよ

普門寺さんは船形山の麓にある、高野山真言宗のお寺です。 神亀4年(727年)に行基によって開山されたと云われ、1300年もの歴史があります。

そうしたら、毎回写真を撮っているところを抑えてから………

山の中腹の、薬師堂本堂が並んでいるところに行きました。 このあたりはお堂と紅葉がマッチしていて、私はけっこう気に入っています。

その本堂の前でも撮っておきましょう 光の差し具合で、狛が幽体化しかけているところはお気になさらず。
※そんなこと言ったら、かえって意識してしまうのでは!?(編集部指摘)

山門のまわりも、紅葉が密集していますね。 それらを仰ぎながら歩いていったら………

最初に通った仁王門のところに至りました。 その門と裏側の紅葉が重なる風景は美しく「名残もみじ」と呼ばれています。 ここまで普門寺さんの紅葉を見ていって気付かれた方もいらっしゃると思いますけど、全体的に紅葉は遅れていました。 11月は暖かい日が続いていたので、ただでさえ色づきが遅いところが、より遅くなってしまったみたいです。 それでも、部分的には赤くなっているところもあって、グラデーションを見ることができたので、それもまたよかったのでは。 あと、香嵐渓でやるのを忘れていた………

紅葉狩りのお約束とも言うべき、紅葉の葉っぱのせをやっておきました。 まずは油断しまくっている狛ちゃから

波ちゃもスキだらけのところに、ちょこんと 普門寺さんでの取材というか、ミッションは以上で終わりなのですけど、私たちにはまだ時間と余力と勢いがあるので………

今度は豊橋市内でも多米町にある、赤岩山赤岩寺さんに向かいました。 立派な仁王門が聳えるこちらのお寺は、神亀3年(726年)に行基によって創建されたと云われています。 普門寺さんの1年先ということになりますね。 私は以前からこちらのお寺の紅葉はどうなっているのか気になっていたので、今回初めてこの時季に訪れてみました。

仁王門から参道をぐいぐいと進んでいった最深部には、小さいながらも立派で深みのある本堂が構えられています。 そのまわりには、いちおう紅葉がありますね。

その向かって左側には、国指定重要文化財の愛染明王座像が安置されていた、愛染堂があります。 その片側にも、少しばかりの紅葉が。

赤岩山の登山道の入口のあたりは、紅葉が集中していますね。 ただし、こちらは時季相応となっていて、葉っぱが散り始めていました。

あと、何かのお堂のところでも撮っておきましょう。 赤岩寺さんは紅葉の名所にはなっていないのですけど、そこそこ堪能することができました。 それに、見物客がほとんどいなくて、静かな空気の中で散策できたのも、よかったですね。 これにて私たちの紅葉狩りの豪華(?)2本立ては終わりなのですけど、時刻はまだ10時台。 それならば、さらなる散策の地に向かうのかと思いきや、私は地元のスーパーで食材の買い出しをしました。

さらに、次の目的地の前に設けられている資源回収ステーションに、家から持ってきた新聞紙の束を出しておきました。 スヌーピーのぬいぐるみが謎なのですけど、皆さまはここが何処なのかおわかりでしょうか?

そうです ヒュッゲ湖西市民キャンプ場……… といいつつも、これだけの情報だけで言い当てられる方がいらっしゃるのか、正直言って不安になっていました。 とにかく、今からこちらで犬キャン△をやるのですよ
キャンプにオフシーズンはないのですけど、私は焚き火の道具や暖房器具を揃えていないこともあって、冬の寒い中でのキャンプは避けていました。それでも、キャンプしたい欲はまだ残っていて、12月の第1週あたりならそれほど寒さは厳しくないかも。 ………ということで、延長戦というかアンコールというか、私にとっては史上最多となる、今年8度目のキャンプをすることにしました。 ちなみに今回予約したのは、ヒュッゲ湖西さんのフリーサイト 今までに利用したことがある緑豊かな果樹園エリアだけではなく、釣り堀がある池端エリアも使えるようになっていたので、私は今回初めて後者を選びました。 そちらはロケーションがいいのはもちろんのこと、駐車場やトイレなどの共有設備にも近いので、私は以前から狙っていました。

ところが、キャンプの難敵ともいうべき強風に見舞われて、設営がうまくいきませんでした。 このような時は、ペグという小さな杭を打ち込みながらやればいいのですけど、地面が固くて私の細いペグは刺さらなくて曲がってしまいました。 さらに、開いたテントやその下に敷くグランドシートも風で飛ばされてしまいましたし。 1時間近く粘ったのですけど、設営まで到達できませんでした。 正真正銘の今年最後のキャンプとなるので、綺麗に締めたい と、思っていたのに。テントが張れたら、その中でお昼ご飯を食べるつもりでいたのに~ 今回の犬キャン△はどうなるのでしょうか? 皆さまには申し訳ないのですけど、このモヤモヤした状態のまま、次回に続けさせていただきます。


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「もっと!DOG !フェス!」で今年のワンコイベント締め

2022-12-14 00:26:55 | ワンコイベントの類

こんばんは、白黒茶々です。

世の中はすっかり冬モードに入り、ほとんどの方はクリスマスや年越しの準備に取り掛かっているところだと思いますけど、もう1つだけ秋の話題にお付き合いくださいませ。 私の地元の隣の浜松市では、11月の最後の日曜日となる27日に「もっと!DOG !フェス!(以降はモドフェスと略させていただきます)」というワンコイベントがありました。

その会場となる石人の星公園は、イベントの開始時間にもなると駐車場に入れないほど混むので、早めに行ってそのスペースを確保しておきたいです。 10月に同じところであったわんわん秋祭りの際にもやったのですけど………

私は、その近くといえなくもないところにある快活CLUBで、時間調整も兼ねてモーニングを食べていきました。 今回はその外観を撮るのを忘れてしまいましたけど、こちらでは6時~10時半に来店すると、利用料だけでトーストが食べ放題となるのですよ そいつに常におかわり自由のドリンク類やソフトクリームを組み合わせれば、トーストを頬張りながらコーンポタージュ、2口目はソフトクリーム、3口目はコーヒーと、……… というように、味の幅は広がります。 お腹も心も満たされ、少々漫画も読んでいった私は、車の中で待たせていたとともにモドフェスの会場(の駐車場)に向かいました。 そこが開放された8時半からあまり経っていなかったのですけど………

すでに遠方から来たスピッツ仲間が集まっていました。 さらにその群れの中には………

初対面の子もいましたよ 私とはインスタで繋がっている犬舎の子なのですけど、名前を聞いてメモしておいたハズなのに見つかりません。 とにかく、可愛かったのですよ

それから、やよっちさん家はすっかり大所帯となっていました。 そうしたら、モドフェスが始まるまでまだ時間があるので………

前回と同じように公園の一角にテントを張って、休憩スペースの陣屋としました。 その中で新聞を読んだりお茶を飲んだりしているうちに………

モドフェスの開始時間となり、その会場はワンコ連れで賑わってきました。 私たちは、ワンコ関連の露店を巡りつつ………

会場内に設けられていたフォトスポットで写真を撮ったりしました。 こちらの背後はつい立てだけですけど………

2ヶ所目はちょっとグレードアップ。 それよりも、土台のスペースがワンコ1頭ぶんか小型犬ぐらいしかなかったのですけど、波と狛には一緒に乗ってもらいました。 撮影が終わるまで、どうか落ちないで~

3ヶ所目は特設ではなく、常設ですね。 巨石に人型がくり貫かれているのですけど、皆さまの中に逆立ちしているところにハマってみようというツワモノはいらっしゃるでしょうか?

あと、クリスマスをモチーフにしたフォトスポットもありました。 こちらは人気があって、私たちはこの写真を撮るために行列に並びましたよ。

その会場には、犬猫の保護団体のLeaLea(レアレア)さんのブースもありました。 そこには………

いろいろな事情で、新たな飼い主との出逢いを待っている子がいました。 そんな彼らに、幸せが訪れることを願っています。

そのLeaLeaさん出身のスピッツのロウ君が、今回も来ていましたよ 彼は人懐っこく、飼い主さんととても幸せそうにしていました。

また、久しぶりにグレートピレニーズの小梅君いちごちゃんとも逢うことができました。 こちらの家は春にのんちゃんを亡くしたのですけど、最近になって同じピレニーズで里子となっていた子を迎え入れることになったそうです。

会場をウロウロしていたら、わんわん秋祭り以来のハッピー君ピース君兄弟や………

リアちゃんルルちゃんたちとも行き逢うことができました。

さらに、ひまわりちゃん空君とも逢いました。 スピッツのひまわりちゃんは以前ハマ&ワンさんでご一緒したことがあるのですけど、ご無沙汰している間に新たな家族としてポメラニアンの空君を迎え入れていました。 その空君はだんだんと大きくなり、毛も白くなってスピッツ化しつつあるみたいです。 さらに、彼女らのママさんによると、静岡市のハッピーちゃんがこちらに向かっているというではありませんか

………なんて言っていたら、本ワンが現れましたよ 私たちが彼女と逢うのは、3年以上もぶりとなります。 そうしたら久しぶりの再会を記念して、みんなで集合記念を撮りましょう

ちょうどそこに通りかかったれん君こん君も巻き込んで、賑やかで楽しい絵を撮ることができました。 その際には、ハッピーちゃんがセンターを飾っていたのですね。

記念撮影には入っていなかったのですけど、れん君&こん君ん家の子のさん君も居合わせていました。 彼はやよっちさん家のムースちゃんキッズのうちの1頭で、先ほどのルルちゃんのきょうだい犬でもあります。 前回から1ヶ月ほど経たら、サル期ではなくなりつつありました。
私たちにとっては、今年のワンコイベントはこのモドフェスが最後となります。以降は他のスピッツと逢う機会はなかなかないので、こちらでご一緒した子たちがラストスピッツ(略してラスピ)となるのかも知れません。 そうしたら、来年の初スピは誰なのでしょうか?今から楽しみにしています。



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「どうする家康」のルーツで聖地の松平郷

2022-12-10 00:49:58 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

先月の香嵐渓での紅葉狩りから始まった名所旧跡の探訪シリーズを、私が長々と語っている間に、季節は冬になっていました。 今年の秋は暖かい日が多くて、白黒茶々家は11月はストーブなしでも乗り切ることができました。 ところが、12月に入った途端に季節の辻褄を合わせるかのように、急激に寒くなりました。 それでも、冬は私の好きなスキーのシーズンでもあり、おでんやシチューがより美味しくなるのですよね。
ちょっと話が横道に逸れてしまいましたけど、11月20日の散策レポートは今回で最後となります。その1日を締める場所として、私はとともに豊田市の静かな山あいにある松平郷を訪れたのですけど、その頃には雨が降ってきていました。 ここまでよくもってくれたので、このまま帰路に就こうかとも思っていたのですけど………

私が揺れている間に雨がやんできたので、予定通りにそのあたりを散策することにしました。 松平郷は徳川家康の先祖となる松平氏が発祥した地で、そのことに関連した神社やお寺、史跡などが点在しています。 その頃には、このあたりの紅葉は綺麗に色付いていました。

私たちは最初に、松平東照宮を訪れました。 そのあたりには再び雨が降りだしたので、雨宿りをしながらの参拝となりました。 こちらは松平氏の屋敷があったところで、当初は松平家の屋敷神を祀る八幡宮だったのですけど、のちに徳川家康公を合祀して名称を東照宮に変更。 さらに松平氏の御初代となる松平親氏公も合わせて祀りました。

その東照宮は立派な石垣と水堀に囲まれているのですけど、それらは関ヶ原の戦いのあとに、松平太郎左衛門家9代の尚栄によって築かれました。 そのお堀には、観光客の気を引くほどの見事な鯉が泳いでいました。

さらにその境内には、「産湯の井戸」なるものもあります。 玉垣などによって厳重に囲まれ、神聖な雰囲気が漂うこちらの古井戸は、在原信盛が掘ったと云われています。 松平家は代々この井戸の水を産湯に用いたこともあって、天文11年(1542年)12月26日に岡崎城主で8代目の松平広忠於大の方との間に竹千代(のちの徳川家康)が誕生した際に、広忠は「松平の水をもて」と指示しました。 至急、この井戸の水を竹筒に入れ、早馬で届けたのですけど……… 竹筒の水だけでは産湯には足りないですよね? 岡崎城内にも「東照公産湯の井戸」があることから、足りないぶんは近場の井戸水を継ぎ足したというか、岡崎城のほうに松平郷のものを混ぜたといったほうがいいのかも知れません。 その説明書きには「双方の水をブレンドした」となっていますし。以上、竹千代君(ぎみ)の誕生秘話(?)でした。

松平東照宮をあとにした私たちは、次のチェックポイントに向かいました。 石橋を渡って、両側に石柱が並べられていて、こちらも聖地感がありありでした。 その最深部には………

「松平太郎左衛門親氏像」なる銅像があるのですけど……… 思いっきり胸板や膝を露出しておられる。 これは、文献や肖像画を参照にしたのでしょうか?それとも、製作側のイメージによるものでしょうか? それでも、土着の野武士という感じで、親しみやすさとカッコよさを感じます。

松平親氏公は太平の世を築いた徳川家康の始祖で、親氏没後600年となる平成5年(1993年)に、地域住民と彼を讃える多くの人々の熱い期待に応えて、この像が建立されました。 そうすると「どうする家康」が放送される来年は、没後630年となりますね。

さらに私たちは、室町塀と紅葉が続く坂道を上っていきました。 その突き当たりには………

本松山高月院があります。 こちらの寺院は貞治6年・正平22年(1367年)に、在原信重の援護を受けて寛立上人足助重政)が建立した寂静寺が最初と云われています。 天授3年・永和3年(1377年)に松平親氏が本尊阿弥陀仏をはじめとして、お堂・塔のすべてを寄進してから名前を「高月院」と改め、以降は松平氏の菩提寺となりました。
※その頃は南北朝時代の真っ只中なので、元号が2つあるのですよね。(編集部豆知識)

その後、徳川家康によって寺領100石が与えられ、明治維新まで将軍家から厚い保護を受けてきました。  今日見られる山門本堂は、寛永18年(1641年)に徳川家光によって建てられたと云われています。

その境内は静寂な空気に包まれていて、松平郷の中でもより聖地感が漂っていました。 その本堂の奥の小高いところには………

石壁や扉に囲まれた松平家墓所があります。 ちなみに中央が松平親氏、向かって右側が2代目泰親、左側が4代目親忠の夫人の墓塔とされています。

あと、境内には鐘楼もありました。 誰でも自由に突くことができるみたいなので、私は遠慮なく体験させていただきました。 静かな山あいに響き渡る鐘の音。 もう一突きいきたかったのですけど、ここは遠慮しておいたほうがいいでしょう。
………と、ここまで波と狛を伴ったままグイグイと境内に入ってきてしまったのですけど、このような歴史があって神聖なところにワンコを連れ込んでも大丈夫だったのでしょうか?

………なんて急に心配になったのですけど、門のところにこのような案内がありました。 それだけではなく、独自にYouTubeチャンネルを持っているとは、なんて敷居が低くてポップな寺院なのでしょうか
この日は松平城跡にも行きたかったのですけど、時間の都合で見送ることとなりました。 それでも、松平郷は静かで見どころが点在していて、また訪れたくなりました。 そのあとはラリーカーとすれ違いながら、山側の国道301号線を通って帰りました。


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七州城で逢いましょう。あと、奥殿陣屋も

2022-12-07 01:34:33 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私は波&狛とともに豊田市にある七州城のほうの挙母城に向かっています。 そのお城は豊田の市街地の西側の童子山という小高い丘の上に築かれていて………

見えてきましたね。 皆さまが想像されていたお城に近かったでしょうか? ちなみに私がこちらを訪れるのは13年ぶりで、波と狛にとっては初めてとなります。

まずは挙母城のシンボル的存在ともいうべき、隅櫓(二重櫓)の前で写真を撮っておきましょう。 ちなみにこちらの建物は、昭和53年(1978年)に建てられました。

その土台となる櫓台の石垣は、築城当時からのものです。 挙母城のうちでも3番目となるこちらのお城は、桜城に代わって童子山に築かれ、天明5年(1785年)に完成しました。 2万石の小藩ということもあって簡素な造りだったのですけど、お城からの眺望は優れていて、三河、尾張、美濃、信濃、伊勢、伊賀、近江の7つの国を見渡せたことから「七州城」とも呼ばれていました。ちょっと話が盛られているような気がしますけど、こちらでは洪水の心配もないまま、明治を迎えたそうです。

そうしたら、その城内を散策することにしましょう 私が初めてこちらのお城を訪れた頃には、東側には童子山小学校があって城跡との一体感があったのですけど、現在はその一帯はモダンで広大な豊田市美術館となっています。 それでも、隅櫓の北側は森となっていて、城跡の雰囲気は残っていました。

さらにその北側には、又日亭(ゆうじつてい)という書院があります。 こちらの建物は明治まで寺部城にあったもので、千足町の竜寿院に移された後、現在地に移築されました。 ガッチリと閉められていて中の様子は見られないのですけど、歴史のある建物ということは感じます。
すると、そこで警備員に呼び止められ「美術館が開館している間は、この敷地内に犬を連れ込んではいけないことになっているよ」と言われました。 注意書きのようなものは見当たらなかったのですけど、そういうことになっているのなら仕方がありません。 私たちはそこからより近いところから退出しました。

前回の日記のラストでも触れたのですけど、近くに住んでいてこのあたりをテリトリー(散歩コース)にしているワンコと、これから逢うことになっていました。 隅櫓の前あたりにいれば見つけやすいのですけど、そこからちょっと遠いところに出てきてしまいました。
以前お逢いした際に「こちら(豊田市)方面に来ることがあったら、お声をかけてください」と仰っていたので、遠慮なくお願いしたのですけど、今回私たちは雨に翻弄されたこともあって、前日の急な申し出となってしまいました。 それでも、都合をつけて来てくださることになりました。 私たちが隅櫓のところに戻ってきてから間もなくして………

ママさん豆兄君に連れられて、姿を現しました パソコンやスマホの前の皆さんも、拍手でお迎えくださいませ。

こちらの子は、ポメシュナのルナちゃんです。 私たちとはインスタで繋がっていて、今年の5月末に渚園のドッグランで初めて逢いました。 あれから半年ほど経ったのですけど、波と狛のことは覚えていてくれたでしょうか? 最初はちょっと警戒気味でしたけど、すぐに馴染んでくれました。 ママさんによると「馴れない子には、犬パンチを喰らわすこともある」そうですけど、今回はそのような事態にはなりませんでした。 そこには、ルナちゃんの犬パンチを見てみたいという私もいたのですけど。 それはさておき、白ふわ3頭の再会を記念して………

挙母城の隅櫓をバックにして、記念撮影をしましょう 距離感も近くて、いい感じで揃ってくれました。 そのあと、私たちは一緒に近くの枝下緑道を散歩したり………

落葉のじゅうたんの上で写真を撮ったりしたのですけど………

ルナちゃんが「だるまさんが転んだ」をやっているみたいにピタッと止まりながらこちらに近づいてきたのが、なんとも。 やっぱり、旅先でお友達のワンコと逢うと、楽しさが倍増しますよね。 ママさん、豆兄君、ルナちゃん、この日はご一緒してくださり、ありがとうございました。
といいつつも、この日の日程では挙母城がゴールではありませんでした。 そのあと、私たちは岡崎市の郊外のほうに向かっていき………

岡崎市奥殿町の雑谷下にある、奥殿陣屋に行き着きました。 陣屋とは、石高の小さな大名や旗本の役所や居所となっていたところで、お城の石垣やお堀のような防御機能は簡略化されています。

奥殿藩は徳川家康の遠戚の大給(おぎゅう)松平氏の藩庁だったところなのですけど………

その敷地内には北欧風ガーデンや………

バラ園が整備されています。

さらに西の駐車場に至る道には、見事な「ジンヤ」という植込みの文字が これを見て、「ドラえもん」コエカタマリンを連想したのは、私だけでしょうか?

その陣屋跡には、鯉のエサやり体験ができる池を中心とした和風の庭園や………

明治以降に竜溪院の庫裏となっていたのを、昭和60年(1985年)に再び現在地に移築した書院があります。 ちなみにその後方に見える建物は、金鳳亭にございます。 そちらでは季節の食事も提供していて、秋は松茸ごはんと麦とろご飯のセットとなっていました。

また書院は内部を見学できるので、入っていきました。 こちらでは庭を眺めながら抹茶を味わうことができて………

さらに、イス席も用意されていました。

あと、敷地内には資料展示室も設けられていて、いずれの施設も無料で見学できるようになっていました。 ちなみにこちらの人物は奥殿藩主の8代目、大給松平氏としては11代目となる松平乗謨(大給恒)であります。 乗謨は幕末に信州の五稜郭こと龍岡城を築いて移り住み、明治以降は日本赤十字社の創設にも尽力しました。 ちなみに私たちは昨年の秋に、その龍岡城に行きました。

奥殿陣屋は色々な要素が盛りだくさんで、私は思っていた以上に楽しむことができました。 今度はこちらをメインに訪れて、食事や抹茶を味わいたいですね。 ちょっと天気が怪しいのですけど、次回の日記ではこの日の最終目的地での様子をお伝えします。



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山頂の足助城と街中の桜城

2022-12-03 01:07:43 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回から、私はとともに香嵐渓のある豊田市の旧足助町に来ています。 朝のうちに紅葉狩りを済ませた私たちは、車に乗り込んで標高301mの真弓山を上っていきました。 曲がりくねった急な坂道の先の山頂には………

足助城というお城があるのですよ ここから先の有料ゾーンは私が1人で入っていくので、波と狛は車の中で休んでいてくださいませ。 ということで、そこからちょっと歩いていくと………

お城の主要部に行き着きます。 山頂部に平坦地の曲輪を設け、その上に木柵や掘立ての小屋を建ててあって、いかにも中世の山城という姿ですね。
足助城の築城年代は不明なのですけど、15世紀以降に足助鈴木氏によって築かれました。 鈴木氏は岡崎の松平氏との間で従属離反を繰り返したのですけど、永禄7年(1564年)以降は完全に松平氏の味方となり、高天神城の戦いなどで武功を挙げました。 そして5代目の鈴木康重が、天正18年(1590年)の徳川家康の関東移封に従ったことによって廃城となりました。

そうしたら、順路に従って足助城内を巡っていくことにしましょう。 現在地は案内図の右下の「①堀切」の手前あたりで、通路を歩いて「②南の丸腰曲輪1」や「③南の丸腰曲輪2」などを経て、「⑥西の丸」に向かいます。 その曲輪跡は現在は………

このようになっています。 細長く伸びた曲輪は木柵で囲まれていて、本丸寄りの大きな岩盤の上には西物見台が復元されています。 2層の掘立て柱の建物で、茅葺きの屋根は最近葺き替えられたみたいですね。

さらに私は「⑧本丸腰曲輪3」を通って、「⑨南の丸」に行き着きました。 こちらには原始的というか、簡素で野外的なカマド小屋が再現されているのですけど………

掘立てで板葺きの2棟も設けられていました。 それらの入口は開け広げられていたので………

もちろん上がり込んで、その内部を見学してきましたよ 囲炉裏があって、こちらでも煮炊きができますね。 南の丸は、台所の役割を担っていたみたいです。 そして、私はいよいよ山頂の本丸跡へ。 そこには………

こちらも発掘調査に基づいて、掘立て式で長屋と天守に相当する高櫓が復元されました。 これらは平成元年の「ふるさと創生事業」の資金をもとにして建てられました。 実は私は30年ほど前に、新築されたばかりのこれらの建物を見に来ていたのですよ その後も足助城の復元整備は進められ、今日見られるような姿となりました。

気になるその内部は、このようになっています。 掘立て式とは思えないしっかりとした造りで、復元から年月を重ねて風格も感じます。 「あれ、こんなに急だったっけ?」という階段を上って、2階の窓から外を見たら………

このような絶景が広がっていました。 眼下の足助の町並みはもちろんのこと、遠くの山々も臨むことができますよ。 それに、手前の紅葉が赤く色鮮やかですし。
足助城はいろんな要素が含まれていて、見応えがありました。 私は数十年ぶりに訪れて、改めてその魅力を感じました。 しかし、知名度が低いからでしょうか?訪問客はまばらで、もったいないような気がします。 私たちがその足助城や香嵐渓の界隈から出ていく頃には、あちこちで駐車待ちの車が溢れていたり、渋滞が起きていたりしました。 その様子を尻目にしつつ、次に向かったところは………

豊田市の街中にある、桜城址公園というところでした。 はい、その名前にある通り、こちらはお城の跡にできた公園であります。 すでに後方にそれっぽい石垣が見えるのですけど………

公園のど真ん中には、立派な櫓台の石垣が残っています。 豊田市内には「挙母城」と称するお城が3つあるのですけど、こちらはそのうちの2番目で、一般的には「桜城」と呼ばれています。 ちなみに同市内金谷町に鎌倉時代に築かれた金谷城が、最初の挙母城とされています。

桜城は寛延2年(1749年)に、新たに挙母藩主となった内藤政苗によって築城工事がおこなわれました。 本丸の三重櫓や二重の隅櫓を設け、周囲に400間(720m)の堀を巡らし、総面積は32町(32ha)にも及ぶ計画でした。 しかし、たびたび矢作川の洪水に悩まされ、築城は断念することに。 代わりに1kmほど南西の童子山に3番目となる七州城が築かれ、桜城は造りかけのまま終わってしまいました。

それでも、取り壊されたり新たな挙母城に転用されたりすることもなく、市街地のど真ん中に櫓台の石垣が残っているなんて、スゴいことです。 目に見える桜城の遺構はこの石垣だけですけど、地中にも何かが残っているのかも知れません。 ただし石段のようなものはないので、登ることはできません。 石段を造る前に工事が終わってしまったのでしょうか?それとも、洪水でそこだけ流されたのでしょうか? いや、子供が登っていったら危険なので、撤去されたのかも知れません。
この流れでいくと、次に私たちが向かうところは七州城となります。 車に乗って、そのお城がある方向に走っていったら………

間もなくして、立派なお城が見えてきましたよ もしかして、これが挙母城

残念ながら(?)違います。 ヒントは左下に写っているカニにあるのですけど……… そう、お城を模したこの建物は、札幌かに本家豊田城店でした。お店のHPには「殿様、姫様気分でお過ごし下さい」とあるのがいいですね 嗚呼、私も今すぐカニを食べたい。
話が脱線してしまいましたけど、次回こそ本物の七州城に行きます。 そちらには、スペシャルなゲストをお招きして……… いや、そのあたりはその子のテリトリーで、その中に入り込むことになるので、私たちのほうがゲストになるのかも。 波狛日記には1度登場したことがあるその子は誰なのか?それも次回の日記で発表いたします。


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