波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

佐鳴湖畔に集まった白ふわたち(第2回白ふわオフ会その1)

2014-03-29 00:03:57 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
春といえば、オフ会の時季でもありますよね。 昨年白黒茶々地方では、浜名湖ガーデンパークを会場にして第1回白ふわオフ会がおこなわれました。当日は地元スピに加えて、東京都や愛知県からもお仲間が集まり、至福の時間を過ごすことができました。 そうしたら、今年も……… と思ったのですけど、こんなときに限って肝心のガーデンパークが浜名湖花博2014のために入れないときたもんだ まあ、それはそれで楽しめるのですけどね。
さらに昨年幹事を務めてくださったなつみかんさんも、役員のお仕事や娘さんの受験などがあって、超多忙に。 これらのことから、今回の開催は危ぶまれていたのですけど、なつみかんさんから「会場をDog Garden HAMA&WANさん(以下ハマ&ワン)に変更して、3月下旬にやりましょうか?」という提案がありました。そのお店は、一昨年の7月にバニラちゃんのお誕生日会をやったところでもあります。 お店はキレイでドッグランは広く、料理も美味しいので、私は大賛成ですよ そうと決まったら、次は参加者を集めなければ。その後希望者が手を挙げていってくださり、今回のオフ会はだんだんと形になってきました。 あとは晴てくれることを願いつつ、その日が来るのを待つだけです。



またしても前置きが長くなってしまいましたけど、いよいよ第2回白ふわオフ会の日がやって来ました。その日は朝から快晴で、絶好のオフ会日よりとなりました。 そのような中で、私・たつぴ・箔の白黒茶々家の男衆は、集合時間よりちょっと早めにハマ&ワンにたどり着きました。



そうしたら、すでにドッグランのほうに白ふわの姿が見えてきました。 私たちも速攻で手続きを済ませて、今からそちらに向かいますよ



早めに来ていたのは、地元のスピたちでした。左から、フクちゃんバニラちゃんレオン君ってトコです。この段階から、なぜかレオン君はやよっちさんにぷっさらわれていましたけど、どうかお手やわらかに。 では箔、皆さんにご挨拶を………



………と言おうとしたら、またしてもドッグラン内のお手紙の解読(ニオイをくんくん)と、お返事(マーキング)をしまくっていました。 これは彼のお約束なので仕方がないことなのですけど、今回は約30分もそんな状態でした。



箔が席をはずしている間に、改めてその時点で私のまわりにいるお仲間を紹介いたします。 まずは、今回のオフ会の主宰のバニラちゃんです。ちょっとわかりにくいのですけど、この日はおしゃれな首輪をしております。



イスの下に隠れているのは、フクちゃんです。早くも帰りたいモードになっていますけど、もうしばらくお付き合いくださいませ。



長い儀式(?)を一通り終えた箔は、今度はフクちゃんに言い寄っていました。ちなみに彼女をかくまっているのは、影虎さん。昨年に続いて、彼は今回も参加してくださいました。 それから後方の足だけのヤツは、たつぴです。



とかなんとかやっているうちに、うみさん夫婦に連れられて、ネロ君マリアちゃんがやって来ました。地元でお逢いするのは、久しぶりですね。さらに地元勢として、タラ君も加わりました。 彼とは昨秋のわんわん秋まつり以来の再会となります。



さらに、ヴィヴィアル家の6スピもやって来ましたよ 東京から遠路はるばる、お疲れ様です。 お店のほうではお昼の準備ができた頃なので、そろそろ中に移動するようにしましょう。



………と、私たちが席に就こうとしたまさにその時に、シェルティー&スピッツさんご一家が到着しました。 岐阜のご自宅から来られる途中で事故渋滞などに巻き込まれたそうですけど、しっかり間に合いましたよ。



皆様のお手元に、ドリンクは行き届いたでしょうか?では、今回の第2回白ふわオフ会の開催を祝して、かんぱ~い



ちなみに今回のランチは、バイキング形式となっております。 スープにカレー、フライドチキンなどたくさんの料理を取り揃えてあるので、胃袋が許す限りおかわりしまくってくださいませ~



そのようなところに、さらに途中参加のカワイイ子がやって来ました。 それはいったい誰なのか?ちょっと内容が前後しますけど、昼食後にはお店の外でみんな揃って記念撮影をしました。 その中に先述のカワイイ子のヒントというか答えがあります。それでも、その子のことは次回改めて紹介するので、わからなかった方がいたとしても、消化不良な悶々とした思いをしなくても大丈夫ですよ。 こちらのほうにはタラ君は写っていないのですけど、今回は彼を含めた15スピと3シェルティーが集まりました。

それからカワイイ子の正体に加えて、今回のオフ会でおこなわれたコミュニケーションの内容や午後からの様子、料理の盛り付け例などについては、次回レポートさせていただきます。


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滝沢の心霊スポットなどなど

2014-03-26 00:36:43 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私・たつぴ・箔の白黒茶々家の男衆は、マーシャの付き人さんご一家と一緒に浜松市北区の山間部、滝沢地区に来ています。 今回はそこにある旧滝沢小学校で、私がマーシャの付き人さんから怖い話を聞いたところから話を始めさせていただきます。



私たちは次の目的地に向かうために、その学校のグランドを横切っていきました。 前回出てきた二宮尊徳さん、まだ追いかけてこないでくださいよ。



………なんて言っているうちに、鍾乳洞の案内が見えてきました。 そうなんですよ 私たちは今から、旧滝沢小学校の裏にある滝沢鍾乳洞に行くのですよ。 そこからちょっと坂道を上っていったところに………



その鍾乳洞はあります。とはいっても、案内看板ですけど。 そこには、滝沢鍾乳洞は石灰岩系の山に数万年前に侵食によってできたと記されています。また、平成6年(1994年)になってその洞内から縄文時代早期の土器のカケラが出土したことから、そこが洞穴遺跡だということが証明されました。また、内部の温度が安定していることもあって、大正時代には養蚕にも使われたみたいですよ。
それだけではなく、昔村人がこの洞窟に犬を入れてみたら、数日後に長野県の諏訪湖で発見されたという言い伝えもあります。



かなりジラせてしまいましたけど、お待たせしました。滝沢鍾乳洞はこのような佇まいをしております。ちょうど私の手元にワンコがいるので、先ほどの伝承を検証してみたいですね。 箔、今からこの洞窟を潜っていって、故郷の諏訪湖に里帰りしてみないかい?しかし無事にたどり着いたとしても、その頃には泥で汚れてベッケン(別犬)バウワウになっている恐れが。
とにかく、こちらの鍾乳洞は足元が悪くて多少汚れることを覚悟してから入るようなところなので、白ふわのサモエドやスピッツは外に置いてきたほうがいいです。そうしたら、マーシャの付き人さんたちとは交代で探索するようにしましょう。



………と、第1陣の私とマーシャの付き人さんが入ろうとしたところ、なぜか洞内から線香のようなニオイがしてきました。 「私、やっぱりやめとく 」その並々ならぬ雰囲気に彼女は躊躇してしまい、結局白ふわたちと一緒に外で待機することに。このようにして、私・たつぴ・旦那さんの男三人組が洞内探索をすることになりました。



狭い入口から下に続く階段を10mほど降りていったら、光がほとんど届かない漆黒の闇になるのですけど、そこ(底?)には広い空間が広がっています。 また、天井のいたるところから水滴が落ちたりもしています。



さらにそこから数ヵ所、支洞が延びているのですけど、今回はムリのない範囲で進んでみます。 ただし、手や服が岩に当たったら汚れるので、お気を付けくださいませ。

それにしても、洞内をいくら見回してもみても線香らしきものは見当たりませんでした。あれはいったい、何だったのでしょうか?それから、カメラを握りしめていて一度もついてないハズのたつぴの手のひらが、なぜか泥まみれになっていたのです。 さらに、彼が撮ってきた写真に………
「天井の岩の模様が、怒っている人の顔のように見える」
というもあったのですよ。どうかそれが、本当に模様でありますように~



冷暗所を見学したあとは、見晴らしのいいところに行きたいですね てな感じで、私たちは滝沢鍾乳洞からほど近いところにある滝沢展望台を目指しました。 そこに至るまでは、相互通行ができないほどの細い道を延々と上っていきました。標高380mのその地点は、小高い丘というよりは険しい山ですね。
そして、駐車場からほど近いところに、その展望台はありました。 そこには、コンクリートでしっかりと固められた土台の上に、仮設トイレが設置されています。その様式からいって、仮設ではないような気がするのですけど。マーシャの付き人さんによると、以前はその場所に常設型のトイレがあったそうです。しかし、そのトイレで自殺した人がいたみたいで、それ以来そこも心霊スポットになっていたと言うのですよ。 も、もうやめて~



それでも、心霊のことはひとまず忘れて、そこからの眺望を楽しむことにしましょう。 そこは展望台というだけあって見晴らしがよく、新東名高速道路の流れや浜松の町並み、空気が澄んでいれば遠くにアクトタワーや遠州灘までも見ることができます。



やはりここは、その絶景をバックにして、記念撮影をしておきたいですね。 はい皆さん、ご協力ありがとうございました。 そこは視界が開けているのですけど、山の頂上ではないのですよ。せっかくなので、私たちはさらにその上を目指すことにしました。



それから間もなくして、箔の目の前に表れたものは………



二宮尊………
※尊徳さんのことが頭から離れないみたいですけど、まだ明るいうちは襲ってはきませんよ。(編集部注)
………ではなく、風力発電の巨大な風車でした。 こうして真下から見上げてみると、大迫力ですね。



このあたりで、ワンコの給水をやっておきましょうか。 マーシャの付き人さん、箔にも飲ませてくださり、ありがとうございました。 そのあとに順番が回ってきたマーシャちゃんは、すごい格好で飲んでいますね。



それから彼女はひっくり返りました。 なんか、飲んだあとにこうなると、酔っぱらっているようにも見えてしまいますね。とはいっても、彼女にお酒などは飲ませていませんよ。
実際には、刈り取られた草の感触を味わっているのだと思われます。それだけではなく、なんとマーシャちゃんは、その体勢で前足をブンブン振り始めたのですよ 箔の得意技を超えるその動き、恐れ入りました。
今回のスケジュールは以上で終わりなのですけど、そのあと3ワンをドッグランで遊ばせてからお開きにしようという感じで話がまとまりました。ドッグランではワンコの個性だけではなく、お互いの相性や恋愛模様なども垣間見ることができるので、けっこう面白いのですよ。 ということで、私たちが向かったところは………



滝沢から近いといえばまぁ近いところにある、新東名高速道路の浜松サービスエリア(上り)でした。 外からの来客用に設けられたぷらっとパークに車を止めたら………



中に入っていきますよ。 白黒茶々家の男衆は、昨秋にもこちらのドッグランを訪れているのですけど、その際にちょっとイヤなことがあって、それ以来なんとなく足が遠のいていました。それでも今回楽しかったら、その呪縛から解放されるかも知れません。そして、3頭の白ふわたちは柵内で解き放たれました。



フェリシテちゃん、見事な走りっぷりですね。 そのスピードにカメラが付いていけないぐらいです。そうしたら、箔のほうは………



う~む……… いつもの如くすぐには走らないで、先客のワンコのお手紙(マーキングのあと)を解読(ニオイをくんくん)しています。 せっかくこのような開放的な空間に来たのだから、思いっきり走ってくださいよ。



それから15分ほど経ってからでしょうか?ようやく箔が、まわりのワンコの存在に気付き、彼らと行動を共にするようになりました。 しかし、その頃には日が陰ってきたこともあって風が冷たくなり、人間のほうが「そろそろ帰りたい」と言い出すようになりました。

長いようであっという間のように過ぎてしまった、白ふわたちを伴っての洞穴探訪の一日。マーシャの付き人さん、今回はご一緒してくださり、ありがとうございました。 おかげで楽しく充実した一日を過ごすことができました。この地方にはまだそのような洞穴があるので、また機会があったら、ご一緒してくださいませ。



その一週間後には、今度は私たちにはスピッツのほうの白ふわたちに囲まれる機会がありました。 その時の様子については、次回触れさせていただきます。


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白ふわ探険隊、穴の中へ

2014-03-22 00:01:26 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
3月も中旬になると日が長くなり、寒さもやわらぎますよね。 そのような中で、私・たつぴ・箔の白黒茶々家の男衆は、行動を起こすことにしました。草木が生い茂る前のこの時季に、行っておきたいところといったら……… やっぱり古墳の石室や鍾乳洞といった洞穴ですよ そうしたら今回は、同じようにそのようなところが好きで昨年もご一緒してくださった、マーシャの付き人さん夫婦にも声をかけてみることにしましょう。



そして、その当日がやって来ました。その日は朝から晴れていて、絶好の洞穴日和となりました。 白黒茶々家の男衆は、まずは最初の目的地に向かったのですけど、そこに至る道は車1台がようやく通れるような細い山道でした。 ちなみにこちらは、浜松市天竜区青谷の山の中。た、頼むから対向車などは来ないでくれ~ なんてことを願いつつ、私たちはその道をたどっていきました。



そうしたら視界が開けてきて、私たちが目指していたものが見えてきました。 それよりも、言い出しっぺの私が言うのもナンなのですけど、とんでもないところを待ち合わせ場所にしてしまいました。 ちなみに、私たちが最初に行き着いたところというのは………



小堀谷(青谷)鍾乳洞です。 実は私たちは4年半ほど前にもこちらに来たことがあって、今回が2度目となります。 とかなんとか言っているうちに………



マーシャの付き人さんたちがいらっしゃいました。 このようにしてお逢いするのは約1年ぶりなのですけど、その間にサモエドのマーシャちゃんのところに、新たな家族としてフェリシテちゃんが迎え入れられました。 ちなみに右側がマーシャちゃんで、左がフェリシテちゃんです。



私たちにとっては、今回が初めましてのフェリシテちゃん。 彼女はその翌々日の18日が1歳の誕生日で、マーシャちゃんとは異母きょうだい(姉妹?)になるそうです。そんなフェリシテちゃんに、箔は興味津々。さっそくブンブンして、誘っております。 さてメンツがそろったら、まずは………



鍾乳洞(の案内看板)をバックにして、記念撮影をしておきたいですね はい、皆さんいいお顔をくださり、ありがとうございます。



それが済んだら、お待ちかねの洞窟探索といくところなのですけど、こちらの鍾乳洞は見学者が洞内の照明のスイッチを入れて、帰るときに切っていくというシステムになっています。 そうしたら、今度こそ本当にその中に入っていきますよ。



小堀谷(青谷)鍾乳洞は下が舗装されているので、汚れる心配をすることもなく、ワンコと一緒に入ることができます。



ぐいぐいと歩いていったら、フェリシテちゃんとばったり行き逢い、こんにちは~。赤目現象とはいえ、箔が恐ろしい顔になっています。



鍾乳洞自体は小規模なのですけど、内部は広くなっていて天井も高いです。 よく見るとその天井には鋭く伸びた鍾乳石や、漆黒の番人ことコウモリもぶら下がっていました。



それだけではなく、洞内には神像と呼ばれるお地蔵様か観音像のような岩があって、昔から信仰の対象となっているそうです。それにしても、自然の力だけでこのようなものが浮かび上がってくるなんて、スゴいことです。



………と、せっかく盛り上がってきたところなのですけど、鍾乳洞は50mほどのところで上に続いている階段に行き当たって終了。その先に秋吉台のような絶景が広がっていればいいのですけど、何の変てつもない竹やぶに出るだけで、あまりにあっけない結末となっております。 小堀谷(青谷)鍾乳洞はレポートは、以上です。

そこが済んだら、次の目的地に向かいますよ。 そちらはちょっと離れたところにあるので、マーシャちゃんたちは私の車に付いてきてくださいね。そのようにして、私たちが行き着………



いや、あやふやなところがあって、ちょっと迷ってしまいました。 それでも、なんとか案内看板のところまで来ることができましたよ。私たちが目指しているのは、浜松市北区都田にある恩塚山古墳。7世紀前半に小高い丘の上に造られた円墳で、現在は石室の内部が見学できるようになっています。 私が小学生の頃、親に一度だけ連れていってもらったことがあるのですけど、なんとなく覚えています。 あの時は山道を上っていって、古墳のすぐそばまで車で行けたので、ここまで来れたらもう着いたも同然です。

そして今回。古墳に続く道はまっすぐな上り坂だったのですけど、途中から脇に上がる急勾配な細道に別れていました。そこからは車1台通れるかどうかの険しい道になるのですけど、勢いで行ってしまえ
ところがタイヤが滑ってしまい、何回やってみてもダメでした。 そうしたら、その近くに車を止めて、そこから歩いていけば……… といきたいところなのですけど、そのようなスペースはどこにもありません。 だからと言って、道をふさぐような形で止めておくワケにはいきませんし……… 
結局、私たちは今回は恩塚山古墳は泣く泣く断念することにしました。 それにしても、昔のアレは何だったのでしょうか?その時は、あの難所を突破できたのでしょうか?とにかく、マーシャの付き人さんたちには申し訳ないことをしてしまいました。今度その古墳を案内するようなことがあったら、念入りに下調べしてからにします。
気持ちを切り換えて、私たちはその日三つ目の目的地となるところに向かいました。 そして、都田からさらに北の山間部に入っていき、鷲沢風穴を尻目に新東名高速道路を横切り、滝沢というところに行き着きました。



こちらには、旧滝沢小学校があるのですよ。



滝沢小学校は、今から8年前に閉校したのですけど、校舎などの建物は現在でもその地域の施設として使われていることもあって、廃墟感や絶望感みたいなものはあまりありません。



また、学校の入口付近には、二宮尊徳(金次郎)の像がそのままの形で残っています。かつて彼はその場所から、学校に通う児童を見守っていたのでしょうね。



せっかくなのでみんなで、その尊徳さんと一緒に記念撮影をしておきましょう。 ………と、ここまでは普通にコトが進んだのですけど、マーシャの付き人さんがその尊徳さんに関して衝撃的な話をしてきたのです。
「こちらの二宮金次郎さん、夜になると動くというウワサがあるのですよ」
その様子を想像してみたら、「チックとタック」のようなほのぼのとしたものになってしまいました。
※「チックとタック」とは、国語の教科書にも出てきたことがある童話で、柱時計に住んでいる妖精が夜になるとそこを抜け出し、いたずらをするというお話です。(編集部注)
その流れでいくと、二宮さんは勤勉なので、受験生に勉強を教えに行っているのかも知れませんね。 それだけではなく私は、二宮さんが問題を解けなかった受験生を、石製の薪で無表情のまま殴打する姿も想像してしまいました。これは、違う意味で恐ろしい。 いやいや、その手の都市伝説はあちこちにあるので、あまり驚く必要はないでしょう。 ところが、マーシャの付き人さんの話には、まだ続きがあったのです。

「以前にこちら方面に来たことがあって、その際に何枚か写真を撮っていったのですけど、しばらく経ったらカメラのその日のデータだけが消えていたのですよ」
それを聞いて、私はゾッとしました。 さらにこれらの他にも、滝沢地区には心霊スポットがあるそうです。このあたりには、何かがいますよ。これから、霊が集まりやすい鍾乳洞に入るというのに……… 果たして、私たちは無事に帰ってくることができるのでしょうか? 白ふわチームの心霊探索譚は、次回に続きます。


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映画「魔女の宅急便」で黒猫ブーム

2014-03-19 00:15:04 | 映画情報
こんばんは、黒ですニャン。
ついに来ちゃった、黒猫ブーム。



気持ちいいから、もう1回言っちゃお 黒猫ブ~ム~
その黒猫ブームは、コロプラの「魔法使いと黒猫のウィズ」からきているのですけど、映画の「魔女の宅急便」の影響もあるみたいですニャン。 あたいには、こちらの映画の出演依頼は来なかったので、黒猫役がどうなっているのか気になりますね。果たして、あたい以上の黒猫が出ているのでしょうか?




こんばんは、白黒茶々です。
今月に入ってから、映画「魔女の宅急便」が公開されました。 この作品は、角野栄子さんが書かれた同名の児童文学が原作となっています。魔女の娘として生まれた主人公のキキは、13歳になって一人立ちをするところから、その物語は始まります。魔女はその歳になると、見知らぬ町で一年間修行しなければならないというしきたりがあるからです。とはいっても、その際には黒猫のジジをお供にしていますけど。



またその作品は、平成元年(1989年)にはスタジオジブリによってアニメ映画化されたこともあって、さらに有名になりましたよね。 私はジブリ映画のなかでは、特に気に入っています。その「魔女の宅急便」が、今度は実写版で映画になるというのですよ しかも、キキ役には新人俳優の小芝風花ちゃんが大抜擢されたとのこと。



その公開日が近付いたあたりから、風花ちゃんはバラエティー番組などにちょくちょく出るようになりました。 それだけではなく、私が愛読している漫画週刊誌の「ビッグコミック・スピリッツ」の表紙を飾ったり、巻頭のグラビアにも出演するまでに。 確かに、彼女が魔女の黒服を着たら、キキのイメージにぴったりですよ。 これは、映画のほうも観に行かなければなりません



そのような流れで、私はまたしてもユナイテッドシネマ豊橋18にやって来ました。 空いている休日がなかったので、今回は平日に仕事を終わらせてから、直接こちらに行くようにしました。と言いつつも、割引料金のレイトショーも狙っていたのですけど。とにかく、今から中に入っていきますよ。



そうしたら映画館のフロアで、クレヨンのしんちゃんが出迎えてくれました。 私は彼のアニメは観ていないのですけど、映画のほうが春の恒例行事にもなっているということは認識しています。 ちなみに今回の作品は、来月19日から公開されるそうです。そのタイトルは、ずばり「ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」。ある日、ぎっくり腰を治しにマッサージに行ったしんちゃんパパが、ロボットになって帰ってきたことから始まるこの作品。平穏(?)な日常生活に突拍子もないことが起こったらどうなるのか、見ものですね。

とかなんとか言いつつ、私は劇場の中に入っていきました。 平日の夜ということもあって、そちらのほうはガラ空きですね。そのような状況の中で静かに観賞するのもいいのですけど、大勢の観客と一緒に泣き笑いするのもまた、一興かと。
そのうち、「ごはんかいじゅうパップ&オカズかいじゅう だんみつーン」や「ノーモア・映画泥棒」が大画面に映し出され、それらに続いて実写版映画「魔女の宅急便」が始まりました。 気になるその内容は………



最初に断っておきますけど「魔女の宅急便」は、ジブリ映画と実写版映画とは、まったくの別モノとしてご認識くださいませ。 原作は同じなのですけど、それぞれ違うように脚色されているので、私としてはスイッチを切り換えてから観賞することをお勧めします。
例えば、アニメ版のジジがぬいぐるみの身代わりになったり、キキがやっとの思いで届けたのに「私、あまり好きじゃないのよね、ニシンのパイ」と言われてしまうシーンは、実写版にはありません。 それでも、メインキャストや軸となっている話は一緒なので、そのあたりから入っていけば、すんなりと受け入れられると思います。といったトコで、ここからは物語の中身に踏み込ませていただきます。



話は、魔法使いのコキリ(宮沢りえ)と、普通の人間のオキノ(筒井道隆)のもとに、キキが「オギャー 」と生まれるところから始まります。 こちらの両親もイメージ通りで、ナイスキャストです キキが13歳になるまでの過程はさらっと流され、満月の夜に彼女は旅立つことに。黒猫のジジ(声・寿美菜子)と一緒にほうきにまたがり、彼女は飛び立っていきました。



やがて、彼女らはきれいな海に囲まれた小豆島……… をロケ地として使った、コリコの町にたどり着きました。 キキはその町が気に入り、そこを修行の場に決めました。そうしたら、まずは夜が明けるまで寝るところを探さなければ……… そのようにして、彼女らが一泊した場所は、なんと 動物園のカバ舎だったのです。その飼育員のナズル(新井浩文)は魔女のキキを嫌い、モノを投げて追い返してしまいます。



なんとか危機から脱したキキは、今度は高台の上に風車を設けた「ぐーちょきぱん」というパン屋に行き着きました。 そこのおかみのオソノ(尾野真千子)も、ハマり役です。 キキはオソノに気に入られ、風車小屋に住み込んで、お届け屋さんこと魔女の宅急便を始めることに。



オソノさんの夫のパン屋の亭主(山本浩司)は、名前がフクオだということが判明 やはり口数は少ないのですけど、お気に入りの歌手タカミ・カラ(YURI)の歌を歌いながら作業をするなど、アニメ版とは少し違います。



さらにキキは、空を飛ぶことに憧れる少年のとんぼ(広田亮平)とも出逢うのですけど、こちらの第一印象は最低最悪。 また、この作品では彼の弟妹たちも出てきて、いろいろとやらかします。
それでも、しだいに印象は変わっていき、やがて二人はお互いに助け合うようになるのですよ。



そうそう、キキの宅急便のほうは、すみれ(吉田羊)というクリーニング屋の依頼を受けたことをきっかけに好転し、たくさんの仕事が入ってくるようになりました。
しかし、「魔女は呪いを運ぶ」という心ないウワサが広まるようになってから彼女の運気は下がり、魔力も落ちて空からも落ちて、ほうきも折ってしまいました。さらに、ジジとも会話できなくなってしまうなど、踏んだり蹴ったりの事態に。



そのような状況の中で、コリコ動物園の人気者の子カバのマルコが病気になってしまいました。 キキは遠くに住んでいる医師のイシ先生(浅野忠信)のもとにその子カバを運ぶ決心をするのですけど、果たしてうまくいくのかどうか………



私は原作本のほうは読んでいないのですけど、この映画のほうはアニメ版とは違う色付けがされていて、これもまたアリだと思いました。 また、キキが飛行する様子もいい感じです。その高いところから、キキ目線で見る風景も、けっこうグッときますよ。
しかし、さすがに黒猫のジジに生身の猫を使うワケにはいかないので、合成やパペットを使っています。その動きにはところどころCG感が出ているのが、なんとも。 子カバのマルコも、同じです。

そして、この作品の締め括りに流れる主題歌は、ユーミン……… ではなく、倉木麻衣さんの「Wake me up」。こちらは清涼感のある曲で、いい味を出していますよ。

映画「魔女の宅急便」は、現在全国の映画館で公開中です。この作品が気になって仕方がないという方は、お近くの劇場にお駆け込みくださいませ。 「あとでいいや」とか「家でゆっくりと観たい」という方は、DVD化されるか運よくロードショー化されるまで、お待ちくださいませ。




それから、23日の白ふわオフ会のお知らせです。 日程のほうが少々変更されて、12時集合12時30分開宴となりました。特に遠方の方は、ゆっくりと寄り道などしながらお越しくださいませ。


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犀ヶ崖での転落劇

2014-03-15 00:01:47 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
箔日記のネタは詩歌や俳句、武道、天文学など、様々な分野に及んでいるのですけど………
※今のところ、それらの分野には手を出していませんよ。(編集部注)
このあたりで、しばらく触れていなかったネタをやってみようと思います。 そこで「何かリクエストはない?」と、箔母さんに聞いてみたところ、「猫ネタやって~ 」という返事がありました。猫ネタですか……… そういえば、しばらく黒・銀・京の出番がありませんでしたね。 最近の彼女らというと……… ストーブの前やこたつの中で寝てばかりいるような……… いやいや、それでお仕舞いではあんまりなので、ここは現在取材交渉中ということで、またの機会に触れさせていただきます。
そうしたら、今回は久しぶり……… ではないのですけど、歴史ネタをやってみようと思います。 ただし、お城ではないほうなので、カテゴリーは「お出かけ」扱いとさせていただきます。そうしたら皆さん、私がご案内致しますので、ずいずいと付いてきてくださいませ~



そのような流れで、私と箔は浜松城公園にやって来ました。いうまでもなく、こちらは浜松城跡の主要部とその周辺一帯を公園にしたところで、現在は市民の憩いの場となっています。 今からここを起点にして、今回の話の舞台となるところに行かなければならないのですけど………



浜松城のほうでどうしても気になるところがあるので、ちょっと寄り道してもよろしいでしょうか? と言いつつも、すでにそちらのほうに足が向いているのですけど。



その浜松城では、模擬天守のある天守曲輪の正面入口で天守門の復元工事がおこなわれ、今月中には完成する予定です。 2月中旬の取材時の段階では、まわりが工事用の壁で囲まれてはいるものの、外観はすでに仕上がっていました。 そうしたら、さらに近付いてみますね。



浜松城の天守は、江戸時代初期にはすでに失われていたので、こちらの天守門が城内で最も目立っていたと思われます。 いや現在では、模擬天守の前に立ち塞がる形となっていますよ。それでも、かつての姿や工法に則って復元されたので、浜松城では初めてマトモな城郭建築ができたということになります。 また、資材には地元産の天竜杉が使われているので、この門を潜ったら、新築の木の香りがすることでしょう。
………って気付いたら、すっかり浜松城にのめり込んでしまいました。 これから本題に入るので、どうか懲りずにお付き合いくださいませ。



浜松城公園から北西のほうに歩いていくと、レンガで造られた亀山トンネルが見えてきます。



かつて浜松には、奥山線という軽便鉄道が走っていて、こちらのトンネルはその軌道となっていました。 軽便とは、写真に見られるようなミニSLのことで、のちに電化されたのに伴って、ミニ列車に変わったりしました。ちなみにその路線は遠鉄浜松(現在のクリエイト浜松付近)から奥山(奥山高原の麓)まででした。その列車には、私の両親も乗ったことがあるのですけど、交通の主力が自動車に移っていったこともあって、昭和39年(1964年)に廃線となってしまいました。



そうしたら、箔と一緒にその亀山トンネルをくぐっていきます。 それにしても、高さはあるのですけど、横幅はけっこう狭いですね。 このようなところに、よく列車が通っていたなぁ~と思いつつ歩いていったら………



トンネルを抜けたら、そこは雪国……… って、浜松はこの冬は雪は降っていません。 とにかく、出口なのですよ。



そして、このあたりが軽便の広沢駅の跡となります。そこからも遊歩道が続いていて、さらに1キロほど北に向かっていくと………



犀ヶ崖(さいががけ)というところにたどり着きます。実はこちらも、かつて古戦場だったところなのですよ。元亀3年(1573年)、甲斐の武田信玄は西に進撃してきて、浜松城の支城の只来城、二俣城などを次々と落としていき、徳川家康のいる浜松城に迫っていました。その軍勢は、2万7千人とも云われています。しかし、そこを素通りするような経路を取ったので、家康は織田の援軍を加えた1万1千の軍で討って出ることにしました。そのようにして、三方ヶ原の戦いは始まりました。 しかし、徳川軍は完膚なきまで叩きのめされ、家康は命からがら浜松城に逃げ込みました。 地元には、その敗走の途中で彼がお粥をごちそうになったとか、小豆餅を食い逃げしたとか、恐怖のあまり脱糞したとか、様々な伝説があります。



話は現代に戻って、犀ヶ崖は崖というだけあって、現在でもかなり深く切り立った断崖となっております。 ちなみにその高さは13m。しかし家康の時代には、その7倍ほどの深さがあったそうです。



また犀ヶ崖の近くには、敗走中に家康の身代わりとなって討死した、夏目吉信の顕彰碑もあります。 この付近で彼は、迫りくる武田勢の前に立ちふさがり、命を落としたと云われています。



さて、浜松城に戻ってからの家康ですけど、のちの教訓にするために惨敗直後の惨めな姿を絵師に描かせたり、かがり火をガンガン焚いて城門を開け放ち、味方兵を迎え入れたりしました。そのあまりの大胆な行為に、武田軍は「これはワナに違いないから、深入りして攻めたりしないほうがいい」と警戒したそうです。

その武田勢はその後、犀ヶ崖付近に夜営していました。 そのような状況の中で、家康はせめて一矢を報いようと、ある作戦を立てたのです。その秘技とは………
漆黒の闇に沈んだ犀ヶ崖に布をかけて、橋のように見せかけておいてから、武田軍を急襲したのです。 土地勘のない彼らは次々と崖から転落し、多くの死者を出したそうです。このようにして、三方ヶ原の戦いは終わりました。



犀ヶ崖には、「岩角に 鎧くだけて 椿かな」という、江戸時代中期の俳人・大島廖太の句碑も建てられています。 その周辺には椿が群生しているのですけど、その句からは鎧武者が岩にぶつかり、血を流しながら転落していく姿も想像させられます。

その後、浜松に平穏な空気が戻ると思いきや、三方ヶ原の戦いの翌々年あたりから、夜更けになると犀ヶ崖の谷底から人や馬のうめき声が聞こえるようになりました。 それだけではなく、その付近でケガ人が続出したり、イナゴの大群が発生して、農作物に多大な被害をもたらすようになりました。人々は、これらは犀ヶ崖の戦死者のたたりと怖れることに。
「これはイカン 」と家康は、犀ヶ崖の上に戦死者を祀るための宗円堂を建立し、三河から僧侶を招き、七日七晩鉦と太鼓を鳴らして供養しました。そうしたら、たたりは鎮まったそうです。



その念仏躍りが発展したものが、この地方に今に伝わる遠州大念仏です。その遠州大念仏は、初盆の家などによく招かれたりしています。



現在の宗円堂は、大正~昭和初期に再建されたものです。 その建物は昭和57年(1982年)にリフォームされ………



なんということでしょう 内部は三方ヶ原の戦いや遠州大念仏の資料を展示した、犀ヶ崖資料館となったではありませんか。 ちなみに入場料は無料で、さらに管理人のおいちゃんが親切丁寧に説明してくださいました。



またそこには、昨秋の全国ゆるキャラグランプリで優勝を逃し、一時的に「出家大名」となった家康くんも修行に来たみたいです。
宗円堂こと犀ヶ崖資料館は、地元民にも愛されている施設なのですけど、近年になって屋根が歪むなど老朽化が目立つようになってきました。そういうこともあって、今月いっぱいで閉鎖されることになってしまいました。それに加えて、来年には取り壊されるというのですよ。 そのことに対して、市民から「展示施設を残してほしい」という声があがるようになり、市のほうは宗円堂の隣接地に、代替えの施設を建設することにしました。しかし、それにはちょっとした懸念材料が………

新しい犀ヶ崖資料館が完成するのは一年後の予定なのですけど、それでも現在の資料館は今月いっぱいで閉鎖されるというのです。 その間、空白時間が生じるということに。それだけではなく、新資料館は当初は小規模なプレハブ造りにするようなことも言われていたのですよ。その後の計画変更で、多少はグレードアップしてくれるのでしょうか?

そういうこともあって、今回私たちは久しぶりに犀ヶ崖を訪れたのでした。そのときには気付かなかったのですけど、宗円堂の梁には、太平洋戦争中に艦砲射撃で海岸から撃ち込まれた砲弾の傷跡が残っているそうです。その建物を見るのは今回が最後となりそうですけど、その後犀ヶ崖がどのように整備されるか見逃せませんね。 宗円堂の犀ヶ崖資料館は今月いっぱいまで公開されているので、気になる方がいましたら、早いうちにお駆け込みくださいませ。


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津波から 命を守る 命山

2014-03-12 00:34:59 | その他
こんばんは、白黒茶々です。
東日本大震災のあった2011年3月11日から、3年の月日が経ってしまいました。その大震災では津波などでたくさんの犠牲者や行方不明者を出し、私たちの災害に対する意識を、根底から覆しました。まずは、その災害で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。それから、家屋の倒壊や原発事故などで、住み慣れた地域から転出せざるを得なくなった方たちには、お見舞い申し上げます。

今回、私と箔は静岡県袋井市南部、旧浅羽町を訪れました。 この地域は海岸に沿って白州が広がっています。しかし、そのようなところに大きな津波が発生したら、ひとたまりもありません。 そこで………



この地域にも、全国各地で見られるような津波タワーが設けられたりしました。 こちらのタワー、高さと見晴らしを検証してみたかったのですけど、子供の転落事故などが起こらないように配慮されているのでしょうか?入り口は封鎖されていました。 いざというときには、そのカギを持っている人が真っ先に駆け付けるのでしょうか?



その津波タワーから国道150号線を東に行ったところには、大野という集落があります。 また、そのあたりには、木が繁っている小さな山も見られました。 これは、日本一低いことで有名な、大阪の天保山よりも低いかも知れませんね。実はこの山は………



大野の命山(いのちやま)といって、江戸時代中期にその地域の住民を津波から守るために、人工的に造られた高台だったのです。 せっかくなので、登頂してみますね。



………とはいっても、高さが3・7mほどなので、私たちは一瞬で登り詰めてしまいました。 それから、そこには小さな祠がありました。現在はこのような状況なのですけど、築造当時はもっと規模は大きかったのかも知れません。
旧浅羽町にはもう一ヶ所、中新田というところにも命山が現存しています。そちらのほうは江戸時代中期に起こった大地震で周辺が大津波に飲み込まれても、そこに避難した人達は助かったと、過去の記述にあります。 そんな先人の知恵を生かして………



旧浅羽町の湊地区に最近、平成の命山が造られました。 パチンコ屋の跡地に、土とセメントを混ぜたものを盛ったので、かなり丈夫ですよ。 それから、その表面は芝生で覆われております。



それだけではなく、こちらも国道150号線沿いにあるので、わかりやすいですよ。



ということで、こちらにも登ってみます。 この命山は、普段は公園として開放されているので、気軽に登ることができるのですよ。



また、車イスやお年寄り、足の不自由な人のために、山をぐるりと回る形で緩やかなスロープも設置されています。



とかなんとか言っているうちに、私たち、いや、まずは箔が頂上にたどり着きました。 こちらの命山は、海抜2・8mのところに、7・2mの高さで造られました。この地域で想定されている津波の高さが10mほどなので、なんとかクリアしています。



その頂上部は、とにかく広いです



案内板によると、広さは1340㎡あって、1340人も収容できるそうです。



そこからは海は見えないのですけど、こちらの方向へ1・3キロ行ったところに、海岸があるそうです。 また、その日は私たちの他にも、その命山を視察に来たと思われる方が数組、写真を撮ったりしていました。

東日本大震災で、津波の恐ろしさをイヤというほど思い知らされ、海沿いに住むことさえ拒まれるようになりました。その津波対策として、高台に移り住むというのも一つの手段です。しかし、それには莫大な費用がかかり、そのような土地を確保するのも大変なことであります。また、海岸を防潮堤で固めるという手もあるのですけど、それは必ずしも万全とは言えず、美しい海岸の眺めを損なうというリスクも伴います。
そのような中で、命山はかなり有効な方法だと思います。モノがモノだけに広い土地が必要なのですけど、かなり頑丈なので津波が来てもビクともしません。それから、建設費は津波タワーよりはかなり安いみたいですよ。それだけではなく、メンテナンスの手間もほとんどかからず、一度造っておけば半永久的にもつときたもんだ あと、そのネーミングもグッとくると思いませんか? 近くにあったら、何かと安心できる命山。あなたの町にもお一つ、いかがでしょうか?


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「北区 De まつり2014」は雨だった

2014-03-08 00:01:01 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
3月に入ってから、各地で春のイベントが続々と持ちあがるようになりましたね。 そのような中で、浜松市北区にある都田総合公園で、今年も「北区 De まつり」がおこなわれることになりました。



そのイベントは、三遠南信(愛知県東部+静岡県西部+長野県南部)の各地域の名産品の露店が出たり、ご当地キャラが来たり、子供が喜ぶ特大ふわふわ風船が現れたりと、何かと楽しむことができるのですよ。 昨年はそちらのほうで、スピッツのバニラちゃんや、サモエドのマーシャちゃんたちとご一緒したりして、充実した時間を過ごすことができました。 そういうこともあって、今回も白ふわ仲間に声を掛けておきました。ただし、その会瀬は天気に左右されるので、その当日は曇りでも構わないので、どうか雨は降りませんように~



そして「北区 De まつり2014」がおこなわれる、3月2日になりました。その日は、白黒茶々家のある湖西市白すぴ地方でも「愛 Love ウォーク in 白須ぴ」なるイベントがありました。水戸黄門や腰元などに扮した地元の小学生を先頭にして旧宿場町を歩くのですけど、ご覧の通り皆さん傘を持っています。 そうなんですよ、この日は朝から雨の天気となってしまったのですよ。 たつぴのいる白すぴ中学校の音楽部は、「水戸黄門」の主題歌の「あゝ人生に涙あり」などを演奏しながら彼らを迎え入れることになっていたのですけど、こちらは雨で中止となってしまいました。
出番がなくなったたつぴたちには「ウォークイベントの行列に付いていってこい 」という司令が下され、彼らも時代行列に付き合わされることに。 彼の任務が終わり次第、私は彼と一緒に北区 De まつりがおこなわれている都田総合公園に向かうことにしました。 そちらは水捌けが悪く、会場の泥沼化は避けられないのですけど、それでもひょっとしたら私たちが到着する頃までには雨がやんでいるかも知れないので、箔も連れていくことにしましょう。 いや、あとのことはこの際考えないことにして、たとえ雨が降っていたとしても、一緒に会場に突入していきますよ



自宅から車で1時間ほどで、私たちは都田総合公園にたどり着きました。 しかし、その時点でも雨足は少しも衰えていませんでした。 このような状況なので、今年初のお仲間との交流は絶望的となりました。 それでも、私たちはドラゴンクエストの毒の沼か、桶狭間の戦い……… を彷彿させるような泥田の会場に入っていきました。うわわわっ
ところが、その前段階の斜面を降りていくところで、いきなり滑ってしまいましたよ。



とかなんとかしつつも、なんとか麓の広場に到着。そこには、浜松市のご当地キャラで、福市長でもあり、昨秋の全国ゆるキャラグランプリで準優勝した、出世大名家康くんの特大ふわふわ風船が鎮座しておりました。 あのウナギのちょんまげを触れば、出世のご利益があると云われているのですけど……… ちょっと届きそうにありません。



おまつりということもあって、たくさんの露店も出ているのですけど、泥田に阻まれてなかなか近付けません。 そちらは泣く泣く断念するとして………



そして、私たちは中央ステージの前の客席に到着。雨がやみそうにないので、今回は屋根があるこちらのスペースで過ごすことにしましょう。 箔もなるべくおとなしくして……… って言っているそばから、彼は何かに興奮してブンブンしてしまいましたよ まわりには「かわいい~ 」と大ウケだったのですけど、彼の手(前足)に付いた泥が飛び散って、私の服が泥玉模様になってしまいました。 もぉ~~~、ここではブンブン禁止



その頃、ステージでは浜松のご当地アイドルとかいうH&Aが、踊って歌っていました。 その舞台の下では、彼女らの親衛隊と思われるお兄さんたちも踊っていましたし。 しかし、彼女らの出番が終わったら、観衆が続々と帰っていって………



ステージに長野県下條村のご当地ヒーローこと、地域戦隊カッセイカマンが現れた頃には、客席のスペースには余裕が生まれていました。 こちらのカッセイカマンは、私たちが初めてこちらのイベントに来たときから、3年連続で見ています。
※彼らにとっては、北区 De まつりは今回が4回目みたいですよ。(編集部注)
しかし、彼らの舞台は普通の戦隊ヒーローものとは少し違うのですよ。いちおう地域の平和のために戦うのですけど、その舞台の6割以上は、舞台下手前にいる悪役キャラのフキョーダのマイクパフォーマンスが占めています。 とはいっても、その中でクイズなどが出題されたりして、彼にはけっこう楽しませてもらいました。



さらにその次には、浜松市北区の特産品でもある三ヶ日みかんの皮むき競争もありました。 これは1分の制限時間内に、むいたみかんの皮の長さを競うというもので、開始の合図は相手がみかんということもあって「よ~い、むきむき 」というのが、なんとも。 なかには84㎝の記録を樹立した強者もいました。



そして、三遠南信のご当地キャラが舞台に総出演して、今回のイベントを締めることに。今回は悪天候の影響で、個々のグリーティングは叶わなかったのですけど、このような形でも彼らと逢うことができて、本当によかったです。 その内訳を見ていったら、いるわいるわ。頭の上にリンゴを乗っけた長野県飯田市のぽぉ、短足出っ腹のタヌキこと愛知県豊根村のポンタ、それとB級グルメのつけナポリタンをモチーフにした静岡県富士市のナポリンらは、昨年もこちらの会場に来ていましたね。それだけではなく………



袋井市のふっぴーや浜松市の出世大名家康くんに囲まれて、磐田市のしっぺいもいましたよ 彼は北区 De まつりには、今回が初登場ということになります。今春の箔の年賀状(略して箔賀状)では、お世話になりました。 そんなしっぺいですけど、実は私たちが昨年の5月に対面したあとに、リニューアルしていたのですよ。 ちなみに、その時には………



このような姿をしておりました。現在のものと比べると、首が長くて全体的にひょろっとしていて、手(前足)が出ている位置もなんとなく不自然ですね。 それでも、箔母さんは「前のほうが顔つきがしまっていて、カッコよかった」と言っています。



それらのご当地キャラたちはステージの外に出ることはできなかったのですけど、私たちに撮影する時間を与えてくれました。 そこで撮ったのが、この1枚。かろうじてではありますけど、箔がしっぺいや家康くんたちと同じ画面に入ることができました。
あとは、餅まきに参戦するだけですね。そこで私たちは、泥まみれになることも覚悟していたのですけど………



あまりにコンディションが悪かったので、その餅まきは中止に。その代わり、希望者には餅とお菓子の入った袋が配られました。

以前から楽しみにしていた、北区 De まつり。今回は雨に見舞われてかなり行動が制限されてしまいましたけど、それでもそこそこ楽しむことはできました。 そういえば、私たち以外のワンコ連れは、2組ぐらいしかいなかったような。来年は爽やかな青空のもとで、たくさんのお仲間やゆるキャラたちと交流できることを願っています。


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「土竜の唄」の映画館に潜入せよ!

2014-03-05 00:01:20 | 映画情報
こんばんは、白黒茶々です。
この度、「土竜(モグラ)の唄」が映画化されました。 そのタイトルを初めて聞いた時………



「主人公のモグラが、『 ○○のためなら、エンヤコ~ラ………』のような労働歌を歌いながら穴を掘り進めていく話だと思った」と、たつぴは言っていました。また彼は、ヘルメットにサングラス、それに軍手をはめた手にはツルハシを持っているという、いかにも漫画チックなモグラの姿も想像していたみたいです。しかし、小津安次郎監督の名作「秋刀魚の味」にサンマが一切出てこなかったこととや、神奈川県のサンマーメンにサンマが入っていないのと同じように、この作品にはモグラの出番はまったくないのですよ。 そのことをたつぴに伝えたら、「ええ~ そうだったのか………」かなりショックを受けていました。
「そういう白黒茶々さんも、実はとんでもない勘違いをしていたのでは」ですって?いえいえ、今回に限っては、そのようなことはありませんでしたよ。 なぜなら………



私が毎週読んでいる小学館の「週刊ビッグコミックスピリッツ」に、「土竜の唄」の原作の漫画が連載されているからです。 その中で、映画の公開を前にして、特集で原作者の高橋のぼる氏や映画監督の三池崇史氏、それに主人公の生田斗真君の対談などが組まれたりしました。



「土竜の唄」は、当初は「ヤングサンデー」に連載されていたのですけど、その漫画雑誌が廃刊となるのにともなって、その作品は「ビッグコミックスピリッツ」に引っ越してきました。 なので、私は「土竜の唄」は途中から読み始めたのですよ。それでも、おおよそのあらすじは知っています。ヤクザの世界に潜り込んだ主人公こと菊川玲二は、いろんな危機や難題にぶつかるのですけど、それらを破天荒な方法で切り抜ける姿は、とても痛快です。



今この漫画は、沖縄で菊川玲二が数寄矢会会長の轟周宝から親子杯を、日浦匡也が蜂乃巣会の若頭の鰐淵拓馬と兄弟杯を、それぞれ受けるところです。 しかし、日浦の存在を煙たがっている数寄屋会重鎮の舘晶は、部下の毒武潤鬼に日浦を暗殺するように命令します。 毒武は刺客や毒武親衛隊を日浦のもとに放つのですけど、果たして玲二と日浦の運命は………



その「土竜の唄」が映画化されることになり、しかもその脚本をNHK連続テレビ小説「あまちゃん」で社会現象まで巻き起こした宮藤官九郎氏が担当するというではありませんか さらに、菊川玲二役を生田斗真君がやるときたもんだ 私はもちろん、行く行く 観に行きますよ



2月中旬の平日の夜に私は単独で、県境をまたいだ愛知県豊橋市にあるユナイテッドシネマ豊橋18に行きました。 こちらの映画館では、20時以降のレイトショーは曜日に関係なく1000円で観ることができるのですよ。



しかも、シネコン形式をとりながらも、全席自由席。また、その外側には4月26日(よい風呂の日)公開予定の「テルマエ・ロマエⅡ」のパネルが飾られていました。
レイトショーということもあって、客席にはゆったりと座ることができました。………というよりは、ガラ空きでしたよ。 あとは、そこで「土竜の唄・潜入捜査官REIJI」が始まるのを待つだけです。 そんな私の前に、映し出されたその作品は………



物語の主人公は、菊川玲二(生田斗真)。彼は史上最低の成績で警察学校を卒業した、交番勤務の巡査でした。正義感は人一倍強く、気高い心意気を持っているのですけど、月間の始末書の数でもワースト記録を樹立してしまいました。



そのうち、酒見路夫署長(吹越満)からクビを言い渡され、代わりに潜入捜査官になることを命じられます。 いわゆる、土竜(モグラ)です。その目的は、合成麻薬MDMAの密売ルートを暴き、関東一円を地盤とする武闘派暴力団組織・数寄矢会の首領(ドン)こと轟周宝(岩城滉一)を検挙(あ)げること。

しかし、そう簡単にヤクザの組織に潜り込めるハズはありません。 まずは、玲二に潜入捜査官としての素質があるかどうかを見極めなければならないのですけど………



その課程で、この映画の魅せ場ともいうべき、生田君がフリチンで車のボンネットに縛り付けられて走行&洗車機突入のシーンが出てくるのですよ。 ただし、局部はチラシがまとわりついていて見えないので、どうかご安心くださいませ。



さらに玲二にはさまざまな試練が課せられるのですけど、彼はなんとかクリアしていきます。そして、晴れて潜入捜査官として認められることに。 先ほどの吹越さんとともに「あまちゃん」に出演していた皆川猿時さん演じる麻薬取締官・福澄独歩、潜入捜査官養成係の赤桐一美(遠藤憲一)、それとたくさんのスタッフが「 も、も、もぐら、も、も、もぐら、土竜の掟をいまから言うよ、(押忍押忍押忍)………」という宮藤官九郎氏作詞のオリジナル曲「土竜の唄」を歌って、彼を送り出します。



そうしたら次は、玲二がどのようにして数寄矢会に入るのかですよ。彼は闇カジノ「虎ジャガー」に潜り込み、そこで数寄矢会の下部組織・阿湖義組の若頭の、クレージーパピヨンこと日浦匡也(堤真一)と出逢います。まあ、そこでいろいろとあって、玲二は日浦に気に入られ、彼らは義兄弟として契りを交わすことに。



そんな彼らに、関東進出を狙う関西を拠点とする日本最大の暴力団組織、蜂乃巣会の幹部・猫沢一誠(岡村隆史)が襲いかかったり………



阿湖義組の若頭補佐ながらも、数寄矢会や日浦の方針に反してクスリ(MDMA)密売の窓口となり、その鍵を握っている月原旬(山田孝之)が冷酷だったりと。 原作ではこのあたりで北海道を拠点にする蜊蛄(ザリガニ)組の海老塚刃(じん)なる人物が出てくるのですけど、映画のほうは設定が少し変わっています。



それから、猫沢の弟分ながらも、日浦を助ける立場になるクロケンこと黒河剣太(上地雄輔)の存在も、忘れてはいけません。彼は全身豹柄の刺繍をしていて、その特殊メイクには7時間もかかったそうです。



あと、玲二の恋人こと若木純奈(仲里依紗)も、重要な役どころです。彼女は原作のイメージと合っていて、私は「よくぞ探してきた 」と思いました。



この作品はヤクザの話ということもあって乱闘シーンが多く、終盤の麻薬取引現場となる埠頭での大殺陣まわりは大迫力なのですけど、その場面で死者が出ないところがなんとも。
それからラストは、この映画のウケがよかったら、続編が出ることを思わせるような終わりかたとなっております。それから、生田君が歌う「土竜音頭」(高橋のぼる氏作詞)も、お聴き逃しなく

昨年末から「永遠の0(ゼロ)」が映画の観客動員数1位を8週連続で維持してきたのですけど、こちらの「土竜の唄」がとって変わって初登場でその位置に躍り出ました。 「極道とか任侠ものとか、その手のものはどうも苦手 」という人がいるかも知れませんけど、大丈夫です。 なぜなら、この作品はひとことで言うと、「やわらかヤクザ」なので。 「土竜の唄・潜入捜査官REIJI」まだ好評上映中なので、気になる方がいましたら、お近くの映画館にお駆け込みくださいませ。


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横須賀城の梅はもういいかい?

2014-03-01 00:01:23 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
今月の11日の建国記念の日は、私はお休みでした。 しかしその日は箔母さんは仕事で、たつぴは部活ということもあって、私だけ取り残されることに。 そういえば、昨年のその日も同じ情況で、私は白いタヌキを求めて、隣町ののんほいパークという動植物園に行ったような。ならば今回は、箔を連れてこの時季ならではの見所に行くことにしましょう そのような流れで、向かった先は………



掛川市横須賀にある、寄越す過剰……… あれ、パソコン変換がとんでもないことになっているぞ。 それでも、面白いというか強烈なので、そのまま載せておくことにしましょう。 とにかく、正しくは横須賀城跡です。
私たちは以前にもこちらを訪れたことがあるのですけど、初めて見る人のためにも、改めて直近の様子をレポートさせていただきます。



このお城は、遠江の地理的にも戦略的にも重要な位置にある高天神城(掛川市)を攻略するために、天正6年(1578年)に徳川家康が大須賀康高に命じて築きました。その後も横須賀城は拡張・整備され、今日見られる規模となりました。 本丸や西の丸などの主要部は石垣で固められていて、とても壮観です。



実はこの石垣は、天竜川から運んできた玉石を積んで築いたもので、お城ではたいへん珍しいのです。 しかし、明治以降にごっそりと抜き取られ、磐田市の旧見付学校の土台などに転用されてしまいました。そして近年になって修復され、築城当時の姿がよみがえりました。



そうしたら、まずはこのお城のなかではもっとも高いところとなる本丸跡を目指すことにしましょう。 そこに至る道を上っていくと………



その本丸跡に行き着くのですけど、さらにその奥には天守台跡もあるのですよ。 昔の絵図には、その位置に四層の天守が描かれているので、横須賀城には天守が実在したということに。



せっかくなので、お城の頂上部となるその天守台の上にも登っておきましょう。そこからは、横須賀の町並みや、遠方には遠州灘の海岸……… に沿っているであろう防風林が見えました。宝永年間に起きた大地震で湊が隆起するまで、お城のすぐそばまで海だったみたいですよ。



さらにお城の中を散策していきますよ 先ほど話に出た横須賀城の絵図。その右上に当たるところに行ってみると………



そこは松尾山というところでした。本丸や西の丸とは別の峰となっているこちらの山も取り込む形で、横須賀は築かれました。ちなみに、箔が覗き込んでいるすぐ下は、断崖絶壁となっております。そこから見える広間は北の丸という曲輪で、かつてそこには倉などの建物があったそうです。それから、そのまた向こうに見える高台は、先ほど私たちが登ってきた天守台であります。



そうそう、今回は梅園を目当てに、このお城に来たのでしたね。 北の丸の西側に、数十本の梅の木が植えられた梅園があって、この地域では有数の梅の名所となっております。かなり前フリが長くなってしまいましたけど、いよいよ横須賀城の梅の登場です



花がちらほらと咲いてはいるのですけど………



全体的にまだ満開には遠い状態でした。 その翌週には、こちらで梅まつりがおこなわれるそうなのですけど、果たして間に合うのでしょうか?



それでも、一番よく咲いている梅の木をバックにして、箔を撮っておきましょう。 その一方で………



梅園のすぐ近くでは、水仙がいい具合に咲いていました。 せっかくなので、こちらのほうでも写真を撮っておきましょう。

久しぶりのお城レポート、いかがだったでしょうか?今回は全面に出すほど梅の花は咲いていませんでしたけど、桜の時季になったら、今度はそちらのほうは見逃さないようにしたいです。


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