波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

2017年の主役・井伊直虎(後編)

2016-11-30 00:58:23 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、今回も来年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公こと井伊直虎について、地元目線からお伝えします。 それから、今回も人物名のところに、大河ドラマの配役も付け加えておきます。


こういう井伊直虎と徳川家康もアリか 

前回の終盤に、井伊家当主の直親(三浦春馬)が殺害されてしまったのですけど、それだけでは終わりませんでした。さらに今川氏真(尾上松也)は家臣に、彼の息子の虎松(配役は未発表)も殺すように命じたのです。 虎松の命運も、もはやこれまでなのか
そこに、新野左馬助(にいのさまのすけ、苅谷俊介)が立ちはだかり、命を懸けて虎松を守ったのです。 左馬助は今川氏の家臣で、井伊家の目付家老として井伊谷に住み込んだのですけど、次郎法師(柴咲コウ)の母千賀(財前直見)の兄ということもあって、今川氏との間を取り持ち、井伊家を支えました。そして、虎松と母のしの(貫地谷しほり)は、彼の屋敷に匿われることに。

しかし、一難去ってまた一難となってしまいました。 永禄6年(1563年)に次郎法師の曾祖父の井伊直平(『なおへい』ではありません『なおひら』です、前田吟)が今川氏真の命令で武田方の天野氏を攻めにいく途中で落馬し、急死してしまったのです。その前に飯尾連竜の引馬城に立ち寄った際に、彼の妻のお田鶴の方によって出されたお茶に、毒が盛られていたという説もあるのですけど、ドラマではそのあたりはどのように描かれるのでしょうか?
 いずれにしても、直平の死によって井伊家の男子は2歳の虎松だけとなってしまいました。

その翌年、飯尾氏は今川氏から離反したので、井伊谷城代の左馬助と中野直由は、引馬城を攻撃しました。しかし、その戦いで彼らは討ち死にしてしまいました。これによって、井伊家は大事な支えも失うことに。



そのまた翌年の永禄8年(1565年)、次郎法師は幼い虎松を守るために、南渓和尚(小林薫)と相談し、彼の後見人として「井伊直虎」と名乗り、地頭職にも就いて井伊谷の領主となりました。 ということで、今から彼女が入った井伊谷城をご案内します。 こちらは小高い丘の上に築かれた山城なのですけど、今回の大河ドラマ化をきっかけに、麓から続くそのすべての登山道には手すりが取り付けられました。



その坂道は延々と続いていて大変そうですけど、その途中の視界が開けたところには、ベンチなどがある休憩スポットが設けられています。 さらに、もう少し頑張って登っていったら………



城址碑のある、山頂にたどり着くことができましたよ。 女城主のお城は中世の山城なので、石垣や天守などはまだ採り入れられていなくて、土塁や簡素な建物などで構成される砦でした。



標高のほうも114mなのですけど、そこに登れば井伊谷周辺はもちろんのこと、三方原台地の地形や、そのまた向こうに浜松駅前にそびえ立っているアクトタワーも眺めることができます。



直虎は虎松らとともに井伊谷城に入ったのですけど、普段はその麓にある井伊氏居館に住んでいたと思われます。外敵に攻められたら井伊谷城に籠るのですけど、さらに追い詰められた場合は、その背後にある標高467mの三岳城を詰めの城として利用するという三段階の算段だったのですよ。
しかし、領主となった直虎に最初の試練が訪れました。今川氏から徳政令(借金帳消し令)が出されたのです。これを受けてしまうと、井伊領が大混乱となるだけではなく、直虎らが領主の座から追われる恐れもあったのです。ようやく新たな体制が整ったというのに………



それでも、直虎は知恵と勇気で今川氏の再三に渡る要求を退け、井伊家と領民を守りました。 そのガマン比べ(?)は2年ほど続いたのですけど、それもやがて限界に。永禄11年(1568年)直虎は、寺社や商人の土地が守られるところまで持っていったところで、徳政令を受け入れることにしたのでした。その結果………
彼女は地頭職を解かれ、井伊領だったところは家老の小野政次(高橋一生)に乗っ取っられたのですけど、彼は敵でしょうか?それとも、味方なのしょうか? とにかく、これによってチーム直虎は解散するとに。
直虎は再び南渓和尚に相談し、井伊家を存続させるための最善の策を探り出しました。 それは………



虎松はとりあえず、隣国三河(愛知県)の鳳来寺に身を隠し、彼の母のしのは頭陀寺の松下屋敷の松下一族と再婚。直虎は、龍譚寺の山門の南側にあった松岳院に身を寄せました。 いつか復活できることを信じて忍耐の日々を送るしかないのですけど、この試練はいつまで続くのでしょうか?


リアル徳川家康

いや、そんなに長くはありませんでした。その1ヶ月後に、三河から徳川家康(阿部サダヲ)が遠江(静岡県西部)に侵攻し、その翌年の永禄12年(1569年)5月には、井伊谷も含めた遠江を支配下におさめました。そうしたら、小野政次は井伊領から逃亡 そのまた翌年に家康は浜松城を築き、そこを本拠にして東に勢力を拡大していくことに。 しかし、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いでは、武田信玄軍に完膚なきまでに叩きのめされてしまいました。

その頃、直虎は井伊家復活の道を探っていて、まずは15歳となった虎松(このあたりから菅田将暉か?)をしのの嫁ぎ先の松下氏の養子に入れました。さらに彼女は、虎松を鷹狩り中の家康に引き合わせたのです。家康は彼のことをいたく気に入り、井伊の姓を復活させ、さらに「万千代」の名前を与え、小姓としてそばに置くことにしたのです。これはもう、運命的な出逢いといってもいいでしょう
「真田丸」では、家康は主人公の真田幸村にとっては敵将ということもあって、クセのある憎っくき悪役として描かれていたのですけど、「おんな城主 直虎」のほうでは、頼れる救世主的な存在という位置付けとなっています。

家康のもとで万千代は頭角を表し、数々の戦などで手柄を挙げ、家康にとっても頼もしい存在となっていました。 そのような中で、天正10年(1582年)6月に本能寺の変が勃発。織田信長が臣下の明智光秀に討たれたとき、万千代が付き従っていた家康一行は、大坂の堺を漫遊中でした。このままでは明智軍に襲われ、家康の命も狙われてしまう しかし、領国に帰るのにも、すべての街道は明智軍に占拠されていますし。
………ということで、家康一行は道なき道を掻き分けていく決死行の伊賀越えをすることに。 それは「家康の三(四?)大危機」と云われるほど大変なもので、一行は命をかけてなんとか無事に岡崎城にたどり着くことができました。その際にも、万千代は大活躍したそうです。



井伊谷の西側の神宮寺川沿いには、渭伊(いい)神社があります。井伊家にもゆかりのあるこちらの神社は、かつては龍譚寺の境内にあったもので、この地域の守り神となっています。



その裏側の小高い丘の上には、古墳時代から祈りの場となっていた、天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡があります。このインパクトありありの巨岩は「おんな城主直虎」の、どんなシーンかわからないのですけど、とにかくロケで誰かが隠れるのに使われたのですよ。



さらに、渭伊神社や天白磐座遺跡からほど近いところに、自耕庵(妙雲寺)があります。こちらは直虎の菩提寺であり、彼女が晩年を過ごしたところでもあります。



つい最近まで無住のお寺だったのですけど、大河ドラマの舞台になったのをきっかけにして開放し、地元のお年寄りの方たちが土日のみですけど交代で番を務め、さらに親切に説明もしていただけるようになっています。


※許可を得て撮影しました。

こちらでは今年に入ってから、南渓和尚と直虎の位牌が発見されました。ちなみにケースに収められているうちの小さいほうが直虎のもので、黒ずんで読み取れないのですけど、戒名は「妙雲院殿月舩祐圓大姉」となっています。妙雲寺の名は、ここからきているのですよ。 さらにその位牌には、彼女の命日も刻まれています。
万千代の成長を見届けた直虎は安心し、天正10年(1582年)8月26日に亡くなりました。47歳ぐらいだったと思われます。

その後、万千代は名を「井伊直政」と改め、家康のもとで活躍し、武田の流れをくむ赤備えを調え、敵方に「井伊の赤鬼」と恐れられるほどになりました。また、本多忠勝、酒井忠次、榊原康政らとともに徳川四天王に数えられ、やがて一国一城の主となって彦根藩の礎を築きました。



龍譚寺の一角には、井伊家代々の墓所があります。後方(右端)の大きくて四角いのが直盛のもので、その隣の奥から千賀(直盛夫人)、直虎、直親、しの(直親夫人)、直政となっております。しのの立ち位置が微妙ですけど、直虎と直政は亡くなった後にようやく隣同士に並ぶことができました。  「そういえば、前回の日記にも直親のお墓が出てきたのだけど、本物はどっち?」という、そこのアナタ。正解は、どちらも本物です。 お墓は祈りの場でもあるので、何ヵ所もあってもいいのですよ。

「おんな城主 直虎」の放送開始を前にして、なかには「女大河は失敗するのでは?」とか、「知名度の低い主人公で大丈夫だろうか?」という意見も聞こえてきました。 そういえば女性が主人公のものは、失礼ながら失敗が続いていますね。また、井伊直虎はネームバリュー的にも弱いかも知れません。 それでも、そのドラマの脚本はNHK朝ドラの「ごちそうさん」「天皇の料理番」などをヒットさせた森下佳子さんが担当しているので、よっぽどのことがない限り、コケることはないと思います。 ネームバリューのほうも、先入観がないほうが頭の中にイメージが固定されていなくて、かえって受け入れやすいかも知れません。それに、直虎のことは知れば知るほど興味が湧きますし。来年1月8日からの放送を、今から私も楽しみにしています。



井伊直虎を追い求めて、これから井の国を訪れようとされている方に、美味しい情報があります。 その地方では、みそまんじゅう(略して、みそまん)が名物となっています。 これはその名前が示す通り、生地に味噌が練り込まれていて、甘さ控えめの餡と相まって、その独特の味わいは一度口にするとクセになります。ちなみにみそまんは、浜松市北区引佐町や北区細江町のほとんどの和菓子屋で取り扱っているので、ぜひ一度お試しくださいませ。


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2017年の主役・井伊直虎(前編)

2016-11-26 00:56:49 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
前回は、来年のNHK大河ドラマの主人公となる井伊直虎の話を始めようとした、まさにそのときに終わってしまって、申し訳ございませんでした。 今回はなるべく逃げも隠れもしないようにするので、お許しくださいませ。


※波虎と虎箔

皆様は、井伊直虎のことをご存知でしょうか?実は私も地元民でありながらも、3年前の小和田哲男氏の講演を聞くまで、その人物の存在自体も知りませんでした。 しかも、直虎は全国を渡り回ったりすることもなく、かなりローカルでしたし。それでも直虎のことを調べたり、ゆかりの地を巡っていったりしていくうちに、その人の魅力が増してきました。 なので、来年の大河ドラマの放送が始まる前に私のつたないレポートを読んで、皆様も少しでも直虎に興味を持っていただけたら、幸いです。



………といいつつも、直虎を語る前に、まずは井伊家の成り立ちから入らせていただきます。 浜松市北区引佐町井伊谷(いなさちょういいのや)地区の龍譚寺からほど近い田んぼのど真ん中には、ドラゴンクエストの池に浮かぶ神殿のような聖地のようなものがあります。 そこには何があるのかというと………



古井戸があるのですよ。共保(ともやす)公出生の井戸といわれるこの場所で、平安中期の寛弘7年(1010年)に井伊家初代の共保が生まれたと伝えられています。 いや、さすがに井戸から人が出てきたなんて、さすがに神話的過ぎますよね。 なので、共保はこの場所に捨てられていたとしたほうが、現実的なような。とにかく、ここが井伊家発祥の地で、井伊谷というだけあって、その地には井戸が残されているのですよ。 共保は志津城の藤原氏に仕官したあとに独立し、再びこの井伊谷の地に戻って井伊の姓を名乗りました。



彼は井伊谷城を本拠とし、井伊家はこの地方の国人領主として栄えました。

時代を経て室町後期の戦国時代になると、全国に戦国大名が割拠し、領地をめぐって戦に明け暮れ、激しい生存競争を繰り広げていました。 それに加えて、下剋上も頻繁に起きて、たとえ臣下の者だとしても裏切って命を狙うことがあり、心休まらない日々が続いていました。 そのような状況の中で、遠江の小さな国人領主の井伊家は、駿河の駿府(今の静岡市)を中心に勢力を拡大しつつある今川氏の支配下にいました。
※大河ドラマの流れがわかりやすくなるように、ここから先に登場する人物には、役者名も付け加えておきます。



まずは、こちらの家系図と見比べながら追っていけば、より人間関係がわかると思います。



顔に大きな傷があるのですけど、豪傑で頼りがいのある井伊直平(前田吟)の孫の直盛(杉本哲太)と、妻・新野左馬助親矩妹………って、名前が不明なので、家系図ではそのように呼んでいますけど、ドラマでは千賀(財前直見)という素敵な名前がつけられています。とにかく、その夫婦の間に娘が誕生しました。 その生年は不明なのですけど、天文5年(1536年)頃だと思われます。彼女の幼名もわかっていないのですけど、ドラマではおとわ(幼少期・新井美羽)という、こちらにも可愛らしい名前が。

直盛は井伊家の直系なのですけど、子供はおとわ1人だけだったので、彼のいとこに当たる亀之丞(幼少期・藤本哉汰)をおとわの許嫁として、後継ぎにすることにしました。 おとわは亀之丞の妻となり、井伊家を支えていく決意をしたのですけど………

天文13年(1544年)、亀之丞の父の井伊直満(宇梶剛士)が今川氏に謀反の疑いをかけられ、殺害されてしまったのです。 それは、家老の小野政直(吹越満)の讒言(あることないことを密告し、人を陥れる行為)によるものでした。さらに当時9歳だった亀之丞も命を狙われ、その騒動で生死不明に。
おとわは亀之丞が無事であることを信じ、ひたすら待ち続けたのですけど、まったく帰ってくる気配はありませんでした。 そしてついに、おとわはある決意をしたのです。それは………



井伊谷にある龍譚寺は奈良時代から続く古刹で、平安時代からは井伊家の菩提寺となっていました。 こちらの境内は、マナーをしっかり守れば、ワンコと一緒に歩くことができるのですよ。 風格のある山門をくぐり、石段を上がっていくと………



木々の緑に覆われた参道に続いています。



本堂の正面には、仁王門も構えられていますね。



お寺の中心となる本堂と………



有料ゾーン(500円)の入口となる庫裡………



さらに開山堂の、合わせて3棟の建物は、静岡県の指定文化財となっております。



その頃の龍譚寺の住職は、直平の次男の南渓和尚(小林薫)が務めていました。おとわは彼のもとを訪れ、若くして出家することにしたのです 彼女は、亀之丞はすでに死んだものと割り切ったのでしょうか?その決意はとても固いものでした。

箔と波には駐車場の車の中に待機してもらって、私は龍譚寺の有料ゾーンに入っていくことにします。 その本堂に入っていくと………



鶯張りの廊下が続いています。二条城の二の丸御殿のものが有名ですけど、同じような仕掛けがこちらの龍譚寺にもあるのですよ その珍妙な音に、歩くのがつい楽しくなってしまいますよね。



その鶯張りに夢中になってつい見逃してしまうのですけど、本堂に入ってすぐのところには、高さ3,2mにもなる大仏が鎮座しているのですよ。 その本堂の裏側には………



江戸時代初期に小堀遠州が手掛けたと云われている、池泉鑑賞式庭園が広がっています。 こちらの庭は国指定名勝で、龍譚寺のなかでは一番の見どころでもあります。足の踏み場もないほど混んでいなかったら、縁側に腰掛けてその風景をゆっくりと眺めていたいですね。
その庭園を見かなら、おとわの話の続きをさせていただきます。出家した彼女に、南渓和尚は「次郎法師」という名前を授けました。 それには、井伊家の跡継ぎと僧侶の名が兼ね備えられていたのです。



先ほどの庭は有名なのですけど、反対側の本堂の正面にある枯山水の庭も、趣がありますよ。
それから10年以上も経った弘治元年(1555年)に、成長した次郎法師(柴咲コウ)のもとに思いがけない知らせが舞い込んできました。なんと、亀之丞(三浦春馬)が生き延びていて、立派な青年となって井伊谷に帰ってくるというのです 彼は襲撃された際に、家来が背負ったかますという藁の袋の中に身を隠し、渋川の東光院に避難し、さらに信濃(長野県)へと亡命していたのでした。
運命的な再会を果たした二人は、ようやく結ばれる……… となってもらいたいところなのですけど、次郎法師はすでに出家の身。その当時の女性は一度出家してしまったら、生涯結婚できないことになっていたのです。

亀之丞は井伊家を継ぐために直盛の養子となり、名を直親と改めました。さらに、奥山因幡守朝利女……… って、名前が不明なのでそのように表記するしかないのですけど、あんまりです。 それでも、ご安心ください。ドラマではしの(貫地谷しほり)という名前となっているので。とにかく、直親はしのと結婚したのです。 ということで、次郎法師と直親は夫婦ではなく、兄妹という関係になりました。



今川氏の当主は今川義元(春風亭昇太)だったのですけど、主に彼の母の寿桂尼(浅丘ルリ子)が執り仕切っていました。永禄3年(1560年)、義元は西に勢力を拡大するために大軍で尾張に侵攻し、桶狭間に陣取っていました。 その軍には井伊直盛も付き従っていたのですけど、そこに兵力では劣るハズの織田信長軍が、奇襲をかけてきたのです 世にいう、桶狭間の戦いであります。この合戦で、義元は討ち死に。それだけではなく、直盛も大勢の家臣とともに命を落としてしまい、井伊家にとっては大打撃となりました。

直盛亡きあと、井伊家の当主の座は直親が受け継ぎました。そしてその翌年の永禄4年(1561年)直親としののもとに、待望の男子・虎松(幼少期の配役は未発表、それでも思わず守ってあげたくなる、母性本能をくすぐるようなカワイイ子役を期待していますよ NHKさん)が誕生しました。
しかし、平穏な生活はそんなに長くは続きませんでした。

そのまた翌年の永禄5年(1562年)になってから、直親は今川氏のもとから離れ、松平元康(のちの徳川家康、阿部サダヲ)と手を結ぶことを密かに決めました。 元康は、桶狭間の戦いの後に隣国の三河(愛知県)の岡崎城主に返り咲き、勢いを増しつつあった人物であります。 そのことを察した井伊家老の小野政次(高橋一生)は、そのことを今川氏真(義元の後継、尾上松也)に密告。直親は駿府の氏真に呼び出され、潔白を証明するためにそちらに向かいました。 それはいいのですけど、くれぐれも気を付けて無事に帰ってきてくださいよ。
直親は、その途中の掛川に差し掛かりました。



その当時の掛川は、今川氏の配下の朝比奈氏が治めていました。掛川のシンボルにもなっている掛川城の復元天守に上り、最上階から北東方面を眺めると、小高い丘の上に小さなお堂みたいなものが見えます。その建物は徳川三代将軍の家光を祀った天王山龍華院・大猷院霊廟で、県指定文化財となっています。この建物がある天王山は、かつては朝比奈氏時代の掛川城(掛川古城)だったところで、現在でも土塁や空堀などの遺構が残っています。
その掛川城下で、直親は朝比奈の手の者に襲われ、殺されてしまいました。彼も、讒言→疑心暗鬼→謀殺のパターンに嵌められたのです。 井伊家の大黒柱に、なんてことをしてくれたんだ もうそういうの、いい加減にやめてくれない? ………なんか、私までも怒れてきてしまいました。
夫婦にはなれなかったのですけど、次郎法師にとって直親は大切な存在だったに違いありません。そのときの彼女の悲しみは、想像することもできません。

浜松市北区細江町の、まわりに目印のようなものはなく、お寺の境内でもないところなので、ちょっとわかりにくいと思います。 そういうときは、国道257号線から都田川の北岸の堤防に沿って西に向かっていくと………



「井伊直虎ゆかりの地」という赤いのぼりが立っている、小さな塚が見えてきます。



ひっそりとしたこの場所にあるその塚が、直親のお墓なのですよ。彼は27歳の若さで不慮の死を遂げ、亡骸はこの地に埋葬されました。後生になって、徳川幕府の大老となった井伊直弼は、井伊家ゆかりのこの場所に石灯籠を寄進しました。
それよりも、一家の大黒柱を失った井伊家はどうなるのでしょうか?最長老の直平は健在ですけど、直虎と虎松の運命は?このあたりで後半に続けさせていただきますけど、私も彼女らの物語がハッピーエンドになることを願っています。


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直虎ゆかりの地、井の国へのいざない

2016-11-23 00:24:55 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
今年も早いもので、残すところ1ヶ月ちょっととなってしまいました。 それにともなって、今年の1月から放送が始まったNHK大河ドラマの「真田丸」も終盤のクライマックスを迎えようとしています。なかには真田ロス症候群に陥る恐れのある方もいるかも知れませんけど、そのような事情をよそに、年明け早々から次回作が始まります。そのタイトルは「おんな城主 直虎」 柴崎コウさん演じる井伊直虎が主人公で、私の地元の浜松市を舞台にして物語が展開していきます。そうしたら、これから直虎に想いを寄せて遠方からこちらを訪れてくる方たちのためにも、ドラマが始まる前に彼女のゆかりの地を巡って、地元から盛り上げなければ
………ということで、私は箔と波を案内犬にして、行動を始めました。

井伊直虎関連の名所旧跡が集中している浜松市北区引佐町井伊谷(いいのや)地区は、車では東名高速道路の三ヶ日ICか、新東名高速道路のいなさICからなら行きやすいのですけど、私の自宅からは浜名湖を北上していく形となります。
そのような地理の中で、私たちが最初に立ち寄ったのは………



浜名湖北西部の湖西市利木にある、はまなこみんなのカフェさんでした。 看板の前にサイクルスタンドがあることからもわかるように、こちらのお店は浜名湖をサイクリングする際には寄りやすく、そのような人たちにも人気となっております。



それと同時にワンコにも優しく、テラス席ならワンコと一緒に利用することができるのですよ。 ちなみに私はその情報を、「Wonderful Style」から入手しました。



こちらのモーニングは評判がよく、9時~11時の間なら、500円からのお好みのドリンクに、モーニングサービスが付いてくるのですよ もちろん、今回私はそれを目当てにやって来ました。 さらに、もう少しガッツリ食べておきたいサイクリング客のために、それらのメニューに100円プラスすれば、トーストが2枚、サラダが少し多めになるという、アスリートセットというのも用意されているのですよ



またこのお店の屋内には、看板犬の柴犬のこころちゃんがいます。しかし彼女は少し怖がりで、お客が近付こうとすると逃げてしまいます。 むしろそれぐらいのほうが、事故が起こりにくくていいのですけど、やはり犬好きの身としては、彼女と触れ逢っておきたいです。
箔や波ともご対面させてみたかったのですけど、彼らは珍しいワンコにはグイグイと迫るので、余計に怖がらせてしまう恐れがあるのですよ。 それでも、私の体に染み付いた彼らのニオイの力を借りたら、こころちゃんは少しずつ近付いてきてくれて、なんとか触ることができました。



そうしているうちに、朝の朝食モーニングセットが運ばれてきました。 オリジナルブレンドコーヒーに、先述のミニサラダとモーニングの定番のゆで玉子が付いていました。それから、厚切りジェイソン……… ではなく、厚切りトーストにはあらかじめバターが塗られているのですけど、お好みによってハチミツを、量のほうもお好みのぶんだけ掛けることができるのですよ



その朝食モーニングを、目の前に広がる浜名湖の風景を眺めながら食べると、さらに美味しさが増します。 なので、できることならすぐ目の前の駐車スペースに、車が止まらないことを願っています。
サイクリング客にもワンコ連れにも優しい「はまなこみんなのカフェ」さんは、東名高速道路の三ヶ日ICからは車で15分ぐらいでたどり着くことができます。もちろん、地元の方にもオススメなのですけど、遠方から早い時間に来られた方は、ぜひお立ち寄りくださいませ。

美味しいモーニングで、朝の活力を養った私は、目的地の井伊谷方面に向かって走っていきました。 しかし、せっかくそちら方面に行くのだったら、その手前の北区細江町気賀のあたりも寄っていきたいですね。



………ということで、私たちはまずその地域の氏神様の細江神社に立ち寄りました。 こちらの神社は、過去に2度の津波による災害に見舞われながらも、御神体が無事だったことから、地震厄除の神として信仰されています。 私はさらに、その境内に車を止めさせてもらうこともお願いしてから………



箔や波とともに、その周辺を歩きました。 神社の裏側に回ったら、このような木の枝を使った可愛らしい案内板がありましたよ。 しかも「犬くぐり」とありますね。



そこには、犬くぐり道というのが再現されているのですよ 気賀はかつては姫街道の宿場町でした。姫街道とは、東海道の見附宿(静岡県磐田市)から浜名湖の北側の本坂峠を経由して、御油宿(愛知県豊川市)に至る脇往還のことで、海路の浜名湖の今切を避けたい人が通るルートとなっていました。さらにその宿場町には関所も設けられていたのですけど、それとともにその地域は柵などで分断されることに。そうなると、その境界線を経て住居と田畑を行き来する地元の民百姓は困ってしまいます。そんな彼らに便宜を図るように、「犬が通るような道なら、通っても構わない」ということで、このような抜け道をこっそりと用意してくれたのです。
時が移ろい21世紀となった現代に、私はその犬くぐり道に犬をくぐらせようというのです。



実は、9年ほど前に箔はそのミッションを遂行したことがあるのですけど、波にとっては初めてとなります。皆さまもこちらに立ち寄る機会がありましたらこちらの犬くぐり道で、愛犬と一緒に境界線を越える気分を味わってみてくださいませ。
先ほど少し触れたのですけど、浜名湖北部のこちらの気賀にも、かつては関所があったのですよ。 その気賀関所は、現在はどうなっているのかというと………



気賀の町の中心部を抜けていく国道362号線沿いに、その関所の跡地を示す石碑と説明板があります。 関所は明治時代に入ってから廃止され、その敷地には宅地化の波が押し寄せました。 その裏側に続いている、細い路地に入っていったら………



なんか、関所の建物っぽい屋根がありましたよ。 そうなんですよ 実は、これは気賀関所の面番所の一部なのですよ。明治以降も、その建物だけは残っていたのですけど、その後家主が3分の2ほどを取り壊し、新たな家屋を増築したので、今日見られる建物に埋まるような姿となりました。 そんな気賀の町に、時を経た平成初期になって「ふるさと創成事業」なる政府の施策で、1億円が支給されました。そのお金を原資として………



旧細江町は、旧役場(現在の北区役所)や細江警察署の近くの新たな場所に、気賀関所を復元しました。 その敷地内には史料館も設けられ、新たな観光名所となって、今に至ります。それに加えて、旅人や大名といった時代衣装の試着もおこなわれるようになり、エンターテイメント性はさらに高まりました。またいつか時間があるときに、私もそれらを試してみようと思います。



その新気賀関所の近くには、みおつくし文化センターなる施設があります。 こちらでは現在、改修工事がおこなわれています。今から3年前の1月に、私とたつぴは、戦国時代の歴史を専門分野にされている静岡大学名誉教授の小和田哲男氏の講演を、こちらのホールで聞きました。ちなみにそのときの内容は、井伊直虎と直政に関する話でした。来年にはその直虎が大河ドラマの主人公となり、そのドラマの時代考証を小和田氏が担当し、さらにはみおつくし文化センターがその大河ドラマ館として活用されるなんて、誰が想像したでしょうか?先述の改修は、大河ドラマ館として使うための準備だったのです。



あ、それから余談になりますけど、そのみをつくし文化センターの近くには、以前私たちが訪れたことのある魔女の館を手掛けた、ぬくもり工房による商業施設もあります。

前置きが長くなりましたけど、私のほうも井伊直虎の本題に入らなければ ………と気合いを入れたところで申し訳ないのですけど、ここに至るまであまりに長くなってしまったので、今回は前フリだけで終わらせていただきます。次回こそは直虎ゆかりの「井の国」こと井伊谷方面を廻りながら彼女の生涯を追っていくので、そちらのほうにも懲りずにお付き合いくださいませ。


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文化祭~あのとき君は若かった

2016-11-19 00:43:43 | その他
こんばんは、白黒茶々です。
今月に入ってからというものの、暑かったり寒かったりハッキリしないのですけど、皆さんは体調を崩したりされていないでしょうか?そのような気候でも、とにかく今は秋なのですよ。 秋といえば、文化祭の時季でもありますよね。



とはいっても、運動会と同じように、学校によってはその開催時季は初夏の頃だったり、秋が深まった今の時季だったりしています。 ちなみに、たつぴが通っている浜松大平台高校は、秋派であります。 しかも、大半の文化祭は金・土曜日にやっているので、私は観に行くことができないのですけど、たつぴの学校は今年も土・日曜日にしてくれたのですよ。 文化祭といえば、修学旅行、体育大会とともに高校の思い出に残る3大行事の1つに数えられていて、特にたつぴの2年生が中心となっておこなわれるので、彼の人生にとっても重要な要素となるハズです。それならば、私と箔母さんはぜひともその様子を見届けに行かなければ



そして、浜松大平台高校の文化祭こと、猿投祭の当日となりました。 その校門前には、開催時間になる前から、私たちのような在校生の保護者はもちろんのこと、市内の中学・高校生や近隣のおじちゃん、おばちゃんなどが長蛇の列を作っていました。地域密着とか開かれた学校ということもあって、こちらの期待も高まりますよ。 そうしているうちに、開始時間の10時となりました。



一斉になだれ込んでから、私たちは校舎内の出し物のほうはスルーして………



真っ先に、温室や田畑に囲まれた農業棟のほうに駆け込みました。



こちらの軒先では、大平台高校と提携している農家が野菜などの農産物をお得な値段で販売していて、物によってはすぐに売り切れてしまうのもあるのですよ。 いろいろと吟味していった末、箔母さんは近くの教室で売られていた、その学校ブランドの大平台ジャムを買っていきました。 こちらも人気商品なので、ご希望の方はお早めにお求めくださいませ。



………と、一安心したところで、校舎内の展示を見ていくことにしましょう。 いろいろとあって迷ってしまいますけど、まずはたつぴのクラスに入っていくことにしました。



こちらは修学旅行で行ってきた沖縄をテーマにしていて、その教室内には南国ムードが漂っていました。 それから、生徒が出題する沖縄に関するクイズに正解したら、メダルがもらえました。



出し物は隣の教室にも続いていたのですけど、そちらは黒いシートで囲まれた、お化け屋敷のようなドッキリコーナーとなっていました。



それから集めたメダルは、妖怪ウォッチを使って召喚……… ではなく、お菓子と引き換えられました。 その中には、沖縄土産のちんすこうもあったのですけど、先日凜パさんたちに教えていただいた、名前の頭に「新垣」が付くほうではありませんでした。



その近くの、もう1つの2年生の合同チームのほうも、沖縄を題材にしていたのですけど、こちらのほうは先程とは趣向が違っていて、暗闇迷路となっていました。 そちらにもチェックポイントが設けられていて、「ゴールできたら豪華景品がまっています 」と謳っていたのですけど、私たちに与えられたのは、こちらもお菓子でした。



さらに私たちは、人文科学系列が出展している「世界の果てまで行ってこい!」なるところにも、足を踏み入れることにしました。 こちらでは、韓国、中国、インドなどの民族衣装を来た高校生がお出迎えしてくれました。



入場待ちスペースには、このようなクイズが貼り出されていたのですけど、答えがわかった方はいらっしゃるでしょうか?この難問に頭を抱えていたところで、私たちの順番が来てしまいました。

こちらもまた、入り組んだ薄暗い空間となっていました。 いちおう世界をテーマにしているハズなのですけど………


※許可をもらって撮影しております。

なぜか順路の途中に、回転寿司屋風のカウンターが設けられていました。こちらでは、プラレールの電車に乗せられてきたグミを、箸で掴み取らされました。 しかも、そのチャレンジに失敗したら、ピコピコハンマーで叩かれるという罰ゲームも。
その最終コーナーには、ドラえもんとアンパンマンの福笑いが。簡単そうに思えたのですけど、それらの題材は目や鼻の大きさや形が似ているので、紛らわしいかったです。その結果、私が手掛けたものは人間に置き換えたら、恐ろしい顔となってしまいました。



その隣の福祉健康系列の教室では、「つぼトーク」なるものをやっているみたいですね。つぼトークとはいったい……… 人が集まったところで教室を締め切り、壺の説明を始めるとか。いや、それでは怪しい悪徳商法になってしまう。 それならば、笑いのツボにハマるような、面白い話を聞かせてくれるとか。そちらのほうだったら、外部との連絡を遮断されても構いませんよ。
しかし実際の「つぼトーク」の会場は、「足つぼ天国」なる看板がかかっていたり、中から奇声が聞こえてきたりと、違う意味で怪しかったです。とはいっても、逆に気になって仕方がありません。こうなったら、実際に見て試して確認しなければ



その教室の内部は、こうなっていました。ほら、健康センターなどによくあるじゃないですか。 小石が固められて凸凹しているところを、素足で歩いて、いてっいてって言って、健康にいいっていうヤツが。 こちらでは、スタッフの掛け声とともに、まずはそのイタイタ石の上でジャンプ。 次に、壁を飛び越えてイタイタ石の上に着地し、その勢いのままゴールキックをキメるというのです。その度に男子生徒たちが盛り立ててくれるのですけど、このノリは長野県飯田市の貧乏神神社(→リンク)に似ているような………
やはりこちらの参加賞も、お菓子でした。



午前中にあともう1ヶ所、いや、2ヶ所ほど寄っていきたいです。ということで、私たちは茶華道部のほうでお茶を点ててもらいました。



今回は早めに来たこともあって、茶菓子も一緒にいただくことができました。その和菓子はなんと 形が大平台高校の校章となっているではありませんか。なんか、食べてしまうのが惜しいですね。惜しいのですけど、結局は美味しくいただきました。



やはり、その近くでやっている缶バッチの製造コーナーも、外せませんよ。 こちらでは、いろんな分野の図柄の中から気に入ったものを選び、そいつをスタッフに渡して缶バッチに加工してもらうというシステムになっていました。ちなみに今回私は、大河ドラマ化が決まったことを記念して作られたゆるキャラの、出世法師直虎ちゃんで作ってもらいました。



そろそろ小腹が空いてきたので、お昼にしましょうか。ということで、私たちは外からの光が差し込んでいて開放感のある、カフェテリアに向かいました。



そちらでは、一部の定番メニューが用意されていたので、私は学食の基本ともいうべきカレーライス(320円)を選びました。 量のほうは学生サイズ(やや多め)で、辛さもそれに則っている(甘口と中辛の中間ぐらい)という感じでした。



腹ごしらえが済んだら、グラウンドでおこなわれている野球部の招待試合の様子を見ておきましょう。 大平台高校は昨年に引き続いて、静岡県西部の強豪校の掛川西高校と対戦していました。



ちょっと点差が開いてしまいましたけど、冬を迎える前に課題が見付かれば、有益になるハズ。ガンバレ 大平台高校野球部。結局、この試合は16対2で掛川西高校が勝ったそうです。



正午からは、学校のシンボルツリーの桑の木の前の中庭で、たつぴのいる吹奏楽部による演奏がありました。 その第1曲目は、定期演奏会などでもお馴染みとなった、きゃりーぱみゅぱみゅの「女の子は誰でも」でした。ノッてきたら、読者の皆さんも手拍子をしながらお聴き、いや、お読みくださいませ



その中で、たつぴはドラムを叩いていましたよ。 この日に備えて、毎日遅くまで練習していて、帰りが20時や21時にもなったのに、文句も言わずよく頑張ってきました。 そのあと、曲目はスキマスイッチの「全力少年」、星野源の「SUN」、フィンガー5の「学園天国」と続いて、一旦終了。なかにはこの日初めて披露する曲もあり、部員のみんなが努力してきた成果が表れていました。 いいタイミングで観衆から「アンコール 」の声が聞こえてきたので、まず「いま青春の(大平台高校の校歌)」が演奏されました。さらに、ゆずの「OLA!!」へと続いたのですけど………



そこでドラマーたつぴが、頭だけしんちゃんに早変わりしたのです この曲は、クレヨンしんちゃんの映画の主題歌に使われたということもあって、それにあやかったみたいですね。それにしても、ときおり頭がズレてドラムが叩きにくそうです。
以上をもって演奏会は終わったのですけど、たつぴは観衆が完全に捌けるまでは、その扮装を解こうとはしませんでした。こんなところで気配りできるなんて これは将来、ゆるキャラの中の人に有望です。

私たちは目ぼしいところはほぼ見終わったので、あとはアリーナのほうでおこなわれている出し物を観てから、帰ることにしました。 そちらでは、有志によるパフォーマンスが組まれていて………



私たちが行った頃には、ちょうど「大閃光騎士団」なるグループによる、個性的なダンスというか、いわゆるヲタ芸が披露されていました。RADWIMPS(ラッドウィンプス)の大ヒット曲の「前前前世」に合わせて、ラサイリウムという電飾の棒が色を変える必要がある度に客席にぽいぽい投げ込まれ、こちらもノリノリでした。
それはよかったのですけど、案内のPRコメントが「文字制限のある中でのPRは得意です。まず、僕たちの好きな食」と思いっきりブチ切られてますけど、「食」のあとがどう続いているのか、気になって仕方がありません。



短い時間でしたけど、私たちは凝縮された高校生ライフを見ることができました。 私の高校の文化祭の思い出といえば……… まずは、開会式でステージ上に造られた開きものから生徒会長が登場し、その人の開会宣言をもってそのイベントは始まりました。その際に、当時生徒会室によく出入りしていた私は、幕の後ろでドライアイスを炊くお手伝いをしていました。
教室のほうの展示は、迷路のようなお化け屋敷のような何かをやっていたような……… このあたりは今になっても、あまり変わっていませんね。 とはいっても、ソフト面は明らかに進化していました。 それから、今回の文化祭から私は高校時代のことも思い出し、懐かしい気分にもさせてもらいました。みんなで力を合わせて、一つのことを成し遂げた経験は、思い出に残るだけではなく、きっと将来にも生かせるハズ。そういう意味も含めて、私たちはいいものを見させてもらいました。ということで、大平台高校さん。また見に行きたいので、来年の猿投祭も日曜日に開催してくださいませ。


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結婚記念日の肉祭り

2016-11-16 00:44:49 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
先月の25日は、私と箔母さんの結婚記念日でした。ちなみに、 今年で18年になります。それから白黒茶々家では、結婚式と披露宴がおこなわれた日を、結婚記念日としています。 今から18年前の、10月25日に………



私と箔母さんは、両家の親族や友人たちを招き、浜名湖畔にある浜名湖ロイヤルホテルで人生最大(?)の宴会を執り行いました。



そして今年のその日には、実際に披露宴で使われたメインキャンドルを出してきて、1年ぶりに点灯しました。 そうしたら、ムードを盛り上げるためにも、お部屋の電気をお消しくださいませ。



そのようにしたら、こうなりました。幻想的というよりは、怪談を語るような雰囲気ですね。 とはいっても、今はそのような時季ではなく、その手のネタもないので、次に移らせていただきます。そうしたら、
 はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………
※シチュエーションは似ていますけど、これは誕生会ではありませんよ。(編集部注)



この記念すべき日には、箔と波にもご相伴に預からせて、ちょっとしたご馳走を食べさせてあげましょう。 ということで、犬缶を混ぜたご飯をご用意いたしました。………とはいっても、その日はワンワン秋祭りで大量にもらった犬缶を消化する5のつく日と、たまたま重なっただけなのですけど。

結婚記念日ということで、人間のほうもちょっと豪華な外食をすることになっていたのですけど、この日は平日ということもあって、家族の都合があまりよくありませんでした。 そういうこともあって、ここ数年は結婚記念日の直近の日曜日の夜に、ディナーを食べにいくのが定着しつつあります。そのほうが合理的ですし、みんなして納得していますし。 ということで今回のお祝いは、今月の6日の夜におこなうことになりました。そのような流れで、その日に白黒茶々家が行ったお店は………



浜松市にある、ステーキのあさくま鹿谷ガーデン店にございます。 私たちがこちらに来るのは、昨年の結婚記念日(…のお祝い)以来ですね。
あさくまは名古屋市天白区に本店を置くステーキレストランで、現在直営店は31店舗、フランチャイズ店は8店舗あります。



そのお店でメイン料理を注文すると、サラダバーが付いてきます。 サラダはもちろんのこと、カレーライスやコーンスープなどはセルフサービスなのですけど、おかわり自由となっております。それでも、いずれの料理もクオリティーは高く、カレーライスだけでも、専門店が構えられるぐらいです。 それからコーンスープは、そのようなシステムになる前から美味しさは変わっていなくて、胃袋が許す限りおかわりしたくなります。
せっかくなので、それらにはドリンクバーも付けておきたいですね。 こちらは、ホットやコールドのドリンクはもちろんのこと、濃厚なソフトクリームもおかわりし放題となっております。



前菜とドリンクが揃ったので、結婚18周年を祝って、かんぱ~い



そうしているうちに、メインディッシュが運ばれてきました。 ちなみに今回私が注文したのは、あさくまハンバーグ。中まで火が通っているのですけど、柔らかくてジューシーで、たいへん美味しうございました。



それに加えて、自分でたい焼きを焼くコーナーもあり、そいつをたつぴが体験してきました。



前回のような「記念日のお祝いに来られた方には、デザートのサービスがありますので、スタッフに申し付けくださいませ」という貼り紙はなかったのですけど、メール会員を対象としたケーキのクーポンを利用したら、このようなチョコケーキが出てきました。 ということで、今回はこれをみんなで分けあって食べました。



平成10年のあの日から18年。長いようで短かったような気がします。 それでも、今日まで家族全員が健康で過ごすことができ、さらに2頭のワンコと4匹の猫に囲まれ、賑やかで楽しい家庭となりました。
それから、結婚18年目は「石榴婚式」というみたいですけど、石榴って……… ザクロ?いや、調べてみたら、それはガーネットのことだということがわかりました。 しかも、この場合の「年目」は数え年ということなので、私たちの結婚18年は、19年目の「風信子婚式」ということになります。えっ、「かぜのぶこ」さんって誰?風大左衛門の親戚みたいな名前ですけど、これは「ジルコン婚式」といって、ジルコンは装飾品の鉱石のことだそうです。 来年はいよいよ20年目の磁器婚式。その記念すべき日を、みんなして健康で笑顔で、肉料理を囲めることを願っています。


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出陳犬、君こそスターだ!(スピッツクラブ展覧会その3)

2016-11-12 00:47:22 | ワンコイベントの類
こんばんは、波ですワン。
お父さんに連れられて、なみはスピッツクラブ展覧会がおこなわれている、横浜そごうの鐘の広場というところに来ているなの。



こちらにはたくさんの白スピ仲間が集まっているのですけど、なみはお気楽な見学組なの。 といいつつも、撮影用コーナーでポーズを取ってみました。 このあたりで、ナレーター役をお父さんに代わってもらいますなの。


こんばんは、白黒茶々です。
お昼御飯タイムを終えて、スピクラ展の会場には続々と、人やワンコが集まってきました。いよいよ午後の部が始まりますよ。



その初っぱなに、スペシャル賞の発表がありました。今年後半のイケワンは、こちらの6頭です 栗丸君レオン君王子君ラピスちゃんIVYちゃんNinaちゃん、おめでとうございます。



次は、GP賞ですね。司会者も兼ねているアクアマリンさんが連れているのは、幼犬のさくらちゃんにございます。 生後7ヶ月の幼犬とはいっても、すでにこの大きさなのですよ。 さくらちゃんはお母さん犬の胎内に7ヶ月もいたこともあって、生まれたときからかなり大きかったそうです。次に逢うときには、どこまでいっているのか楽しみです。



こちらは去勢・保護犬を対象とした、ユニコーン部門の審査ですね。緊迫した空気が、こちらにも伝わってくるようです。皆さん、自身の魅力を最大限に引き出してくださいませ。



そうしているうちに、MBS賞の発表がありました。その栄誉ある賞に輝いた男女各1名は、なんと ヴィヴィちゃんとアル君。夫婦揃っての栄冠に、司会者も驚いていました。 ともに、おめでとうございます。



スピクラ展は終盤に差しかかったあたりから、加速度的に盛り上がってきました。 そのような中で、一般部門の審査が始まったみたいですね。その結果………



金賞のEMS(オス)に栗丸君、EFS(メス)にラピスちゃんが決まりました お二方とも、おめでとうございます。
それに引き続いて、特別賞の発表がありました。こちらでは、リエルちゃん、サファイアちゃん、レオン君が呼ばれたのですけど……… なぜか、レオン君だけがなかなか来ませんでした。
「毎回必ずと言っていいほど、油断していて出遅れる方がいるのですよ」司会のアクアマリンさんの指摘は的を射ているのですけど、けっこう手厳しいです。 やよっちさんは大慌てで準備をして表彰に向かおうとしていましたけど、レオン君がリードから首抜けしたりして、さらに焦っていました。



それでも、なんとか取り直して栄えある列に加わることができたみたいです。 そこで、アクアマリンさんから「(昨年末に亡くなった)フクちゃんにも、いい報告ができますね」という暖かい言葉もありました。 レオン君ともども金賞に輝いた3スピの皆さん、おめでとうございます。



展覧会のスケジュールは以上で終わりなのですけど、私と波は帰る前に会場で行き逢ったお仲間たちと写真を撮りました。 左から、麿助君ハッピー君コタロー君リリィちゃん、ましろ君、波ちゃにございます。ちなみにこちらは、自然発生的に集まりました。



さらにヴィヴィアル家にお願いして、王子君も一緒になって総勢9頭の写真も撮りました。 ヴィヴィちゃん、アル君、ラピちゃん、瑠璃君、風ちゃん、爽ちゃん、小夏ちゃん、王子君、ご協力ありがとうございました。

そのあと、私は家へのお土産と晩に食べるお弁当を買って、帰路に就きました。 さすがの波も疲れたみたいで、その道中はキャリーの中で爆睡していました。 そして私たちは、最初の乗り換え地点となる沼津駅に行き着きました。
列車から降りたら、私はなんとなく身軽になったような気がしました。 これは、帰りの段階を1つクリアしたからでしょうか?………いや、先ほど乗ってきた列車の網棚に、お土産とお弁当を忘れてきたからでした。 と、とにかく、大急ぎでそちらに戻らなければ。頼むから、まだ駅にいてくれ~



その列車は、私たちが降りたホームに留まっていたのですけど、全部のドアは閉まっていました。すかさず私は、近くにいた清掃員のおいちゃんに、忘れ物をしたことを伝えました。 「弁当と土産を車内に置いてきてしまいましたぁ 」「清掃と点検をやってきたんだけど、そのようなものはあったかな?」「ほら、あそこの網棚の上に見えるでしょ?」「おお、あれか。この電車は折り返し運転することになっていて、準備ができたらドアが開くから、それまで待ってて」「ありがとうございます」このようにして、2つの大事なアイテムは無事に、私の手元に戻ってきました。



沼津駅では40分近くも乗り換え時間があったので、多少手間がかかっても大丈夫でした。 ここからはちょっと贅沢して、私たちは有料の快速列車のホームライナー浜松号に乗っていきました。



その車内で落ち着いたところで、晩御飯にしました。 ちなみに今回私が買ってきたのは、崎陽軒シウマイ弁当にございます。看板商品のシューマイをメインとして、唐揚げや甘辛く煮た竹の子、玉子焼きなどが入っていて、箸が進みます。
そして私たちは、浜松駅に到着しました。あとはその近くの駐車場から、ウチの車に乗っていくだけなのですけど………



その駅前は、仮装した人であふれていました。 そういえば、この日はハロウィン(※正確にはその前日)でしたね。規模は東京の渋谷には敵わないのですけど、その波はこの地方も含めた全国に及んでいるみたいです。 それにしても、マリオの発生率が高いような………

そういえば、家に帰る前に箔母さんに、家に置いてきた箔の様子を聞いたら、「かなりいじけているよ」と言っていました。彼は感情表現が大きいほうなのですけど、私たちがいない間は目を開けたまま寝ていて、箔母さんが近くで掃除機をかけても、ピクリとも動かなかったそうです。 なんて、わかりやすいヤツなのでしょうか とにかく、もうじきそちらに着くので、どうか機嫌を直してくれ~

そして、私たちはようやく再び顔を合わせることができました。その直後に、箔のことが大好きな波のほうが感情を爆発させ、激しく鳴き続けたのです 彼女も寂しかったのをガマンして、ずっといいコでいたのかと思ったら、私までうるっときてしまいました。 やっぱりみんな一緒に行きたかったんだよね。



そうそう、先ほどのアレで、箔は笑顔を取り戻してくれました。 今回のスピッツクラブ展覧会は、あっという間の1日でしたけど、そのぶんお仲間たちと楽しく充実した時間を過ごすことができました。それに、今まで以上に静岡県勢の活躍が目立ちましたし。来春の開催を、今から楽しみにしています。 あ、それから今回私が家に持ち帰ったお土産は、Mrozoff(モロゾフ)のプリンとMR.waffle(ミスターワッフル)ルミネ横浜店のワッフルでした。


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横浜そごうに集まったお仲間たち(スピッツクラブ展覧会その2)

2016-11-09 00:28:59 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
前回私と波は、スピッツクラブ展覧会がおこなわれている横浜そごう鐘の広場に向かっているところで終わってしまったので、今回はその続きから入らせていただきます。そうしたら、皆様はパスワードを入力して、次にお進みくださいませ。
※………なんて、ウソです。パスワードも許可証も必要ありませんよ。 (編集部注)



とにかく、私たちが行き着いた会場では、全部の出陳犬を対象とした個体審査がおこなわれていました。その中に、なんとレオン君がいたではありませんか こちらに来ることは、やよっちさんから聞いていたのですけど、今回初めて見られる側に回ったのですね。どのような結果が出るのか、楽しみにしています。



そんな出陳犬を見守る観衆の中に、ファイターズのユニフォームを着たSKIP君がいました。 皆さんもご存じのように、我らが北海道日本ハムファイターズは、その前日に日本シリーズで広島東洋カープから4勝目を得て、日本一となりました。 SKIP♪さんは北海道出身でファイターズを応援しているので、こちら側の人間なのですよ。 彼女らと喜びを分かち合ったあと………



SKIP君の衣装を借りて、波をファイターズ女子にさせていただきました。 私は、人間用のレプリカユニフォームを彼女に無理矢理着せたりしていたのですけど、やはりワンコ用として専用設計されたもののほうがしっくりきますよ。嗚呼、このまま彼女を波山(栗山)監督に見立てて、胴上げしたい。



その会場には、見学組も集まりつつありました。こちらは私たちにとっては初めましての、白スピのしらす君(右側、4歳)と黒スピのすずりちゃん(左側、4ヶ月)です。 「黒スピ」と言ってみたのですけど、すずりちゃんは正確にはスキッパーキという犬種であります。黒ポメとの組み合わせもいいのですけど、スピッツとスキッパーキの白黒コンビは、相性抜群です



また、テリアさん家のシロ君(カートに乗っているほう)と、シロダヌキさん家の麿助君たちとも行き逢うことができました。 シロ君は3年ぶりぐらいでしょうか?10歳を過ぎても、肌や毛がツヤツヤとしていました。 一方の麿助君は若さ全開で、元気な声を上げるのに加えて、私にスリスリしてきました。



こちらは、花鈴ちゃんと瑠璃花ちゃん親子です。瑠璃花ちゃんの誕生日は、波とは1日違いの3月13日。一緒に生まれた、彼女のきょうだい犬の栗丸君は、展覧会の舞台に挑んでいます。



こちらの親子は、蘭ちゃんと百合愛ちゃんですね。 私が彼女らと逢うのは、7月にハマ&ワンさんで集まった時以来です。



それから、みらい君&Leaちゃん親子とも逢うことができました。みらい君はシロクマのようにふわふわなクヌート犬であります。



スピクラ展ではすっかりお馴染みの顔となった王子君は、今回初めて弟の泰翼(たいすけ)君とのご対面が叶ったみたいです。 そういえば、数年前にが弟犬のレオ君と初めて逢えたのも、このスピクラ展の会場でしたね。 ちなみに、王子君は静岡県の沼津市、たいすけ君は神奈川県に住んでいます。



私の地元でもある静岡県の袋井市からは、ネロ君も来ていました。 今回、彼には重要な役割があるのですよ。それは………



長寿犬の表彰を受けることでした。ネロ君は15歳にもなるのですけど、目がキラキラ、毛がツヤツヤしていて、若々しいです。 それに、品もありますし。箔も、彼のように年を取っていってもらいたいです。



そのあと、波(湖西市)、ましろ君、リリィさん(ともに富士市)、コタロー君(静岡市)、もじろう君ハッピー君(三島市)による、静岡県勢の大集合もありました。 もじろう君は都内在住ですけど、この波に飲まれてくださいませ 沼津市の王子君も含めて、彼らのほとんどがDOG!フェスタの会場で知り合ったのですけど、こちらのほうでもご一緒できるなんて、嬉しいことです。 そういうこともあって、今回のスピクラ展は静岡県民の比率が高かったです。



その一方で、展覧会のほうは順調に進んでいき、気付いたらスペシャル賞の審査に入っていました。 これは全出陳犬を対象としたもので、私たち見学組が、イケてる と思ったワンコを男女それぞれ3頭ずつ投票していきます。その結果は、午後の部の最初に発表されるので、皆さんもお楽しみに



ということで、午前の部は出陳者も見学組もみんな引っくるめた全員写真撮影でもって、締めることになりました。 とはいっても、今回私は単独で来たので、被写体と撮影の役割分担をすることはできません。それでも、大丈夫です こういう時のために、三脚を持ってきたので。その三脚にカメラを固定し、さらにタイマーをセットしたら、波を抱えたまま猛ダッシュで、お仲間たちの輪の中に飛び込んでくださいませ。



これを3回ほど繰り返したら、あとはそのまま写されることに専念しましょう。 そのおかげで、今回は自分たちが写っている集合写真を持ち帰ることができました。スピード勝負も含めて、苦労したカイがありましたよ。
「あははは……… 大変でしたねぇ、お疲れ様」
そんな私たちに、影虎さんが労いのお言葉をかけてくださいました。いや、よく考えてみたら、影虎さんは手ぶらだったので、彼にカメラを託しておけばよかったです。



スピクラ展はこのあと、1時間ちょっとのインターバルを経て、午後の部へと突入していきます。それまでの間に、私は横浜そごうの対岸にある横浜ベイクォーターのマクドナルドで、お昼をいただきました。 ちなみにその時のメニューは、エグチ(江口さん……… ではなく、エッグチーズバーガー)のセットにございます。ということで、次回は結果発表をメインとした午後の部の内容や、私たちの帰路の様子などについて、お伝えします。


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小田原城の災害史(スピッツクラブ展覧会その1)

2016-11-05 00:59:23 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
秋といえば、ワンコイベントの時季でもありますよね。 そのような状況の中で、先月の30日に横浜のそごう2階の鐘の広場で、日本スピッツクラブによる展覧会がおこなわれました。



その当日の朝というか未明に、私は起き出してゴソゴソと支度を始めました。 まだ日が出ないうちに、箔と波を散歩に連れ出したのですけど、彼らは私のこの一連の動きから「遠出フラグ」を敏感に感じ取ったみたいで、興奮しまくっていました。 せっかく盛り上がっているところで言いにくいのですけど、今回は私1人だけが列車に乗っていくので、どちらか1頭しか連れていけないのですよ。 とはいっても、すでに決めてあるのですけど。



………ということで、浜松発の始発列車に乗るために、浜松駅前にやって来ました。 「横浜日帰りスピクラ展への旅(オマケつき)」に当選したワンコは、もうおわかりですよね。そうです 波ちゃであります。家を出る直前まで、箔もすっかり行く気マンマンでテンションも高かったのですけど、置いていかれるということがわかった途端に、沈みこんでしまいました。
すまん箔ちゃ、春のスピクラ展と夏のDOG!フェスタには連れていったので、今回は涙を飲んでおくれ。



私のほうも気持ちを切り替えて、波と一緒に列車に乗り込みますよ。 ワンコを列車に乗せるには、キャリーに入れ、改札で手回り品の切符(280円)を購入します。



このような横長でベンチ式の車両の場合は、すぐ脇にワンコ in キャリーを置けると助かるので、角っちょの席が取れたら、御の字です。 私たちが乗った列車は、東に向かって走っていきました。そういえば、数日前に富士山に今期初冠雪があったみたいですね。 そうしたら、富士川を渡りながらその様子を………



………って、雨雲に覆われていて、まったく見えませんよ。 本来なら、あのあたりに大きな富士山がばば~んと聳えていて………
そのあと私たちは、いつもだったら必ずと言っていいほど降り立っている熱海駅を素通りし………



一気に小田原まで行きました。すでに後方にお城が見えていますけど、今回私たちが寄り道する場所は、もうおわかりでしょう。



そうです 小田原といったら、やっぱり小田原城ですよ。 そういえば、今回の日記のタイトルにも出ていたような。とにかく、今からそちらに向かいますよ
小田原城は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めによって開城するまでは、北条氏5代の居城でした。それ以降は、江戸に通じる重要な拠点ということで、石垣や天守の構築が認められ、近世の城に改築されました。
小田原駅からは、お城の裏側に繋がっているルートを利用すれば、徒歩10分ほどで本丸跡にたどり着けるのですけど、今回はちょっと遠回りして、あえてお城の正面に回るようにします。



こちらには、徒歩で15分ほどかかりました。ちなみに、波の後方に見えるのは二の丸の正門となる、馬出門(うまだしもん)にございます。こちらの門は、内冠木門と土塀で周囲を囲む枡形門を形作っていて、馬屋曲輪へ通じていることから、その名が付いたとされています。いずれのものも、平成21年(2009年)に復元されました。

今から約半年前に熊本で大地震があって、熊本城にも大きな被害がありました。 30ヵ所以上の石垣が崩れ、現存・復元された建物は、ほぼすべて損傷してしまいました。それらの復旧には、概算で600億円以上もかかるそうです。
その一方で、関東の入口にある小田原は地震多発地帯ということもあって、今日に至るまで多数の被害を受けてきました。ということで、今回は少し視点を変えて、災害の面から小田原城を見ていこうと思います。



馬出門の、お堀を隔てた北側には、かつては立派な石垣の上に単層の二の丸隅櫓がありました。しかしそれらは、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊。 その後石垣は積み直され、櫓も復興されたのですけど………



技術的な理由なのか、それとも資材不足からなのか、石垣は以前より1,5mほど低く、やや迫力を欠いています。



そうしたら、次に向かいますよ こちらの銅門(あかがねもん)は、平成9年(1997年)にかつてのものを忠実に復元したこともあって見応えがあるのですけど、このあたりの石垣やお堀は明治に入ってから破壊され、大正天皇が皇太子時代に長く住まわれた御用邸の敷地となっていました。 その御用邸も、関東大震災で倒壊し、以降は閉鎖となってしまいました。
さらに本丸方面に向かうのですけど、その正面に続く道からそれて、報徳二宮神社のほうに入っていくと………



関東大震災で崩れたままの、本丸南側の石垣を見ることができます。 小田原城のほとんどの石垣は、不完全なものも含めて震災のあとに積み直されたのですけど、この部分だけは手付かずとなっております。



震災の威力と恐ろしさを伝えるために、あえて残してあるのでしょうか?こちらを確認したら………



本丸の正面にある常盤木門から入っていきますよ こちらの建物は、昭和46年(1971年)に台湾産の檜を使って、復元されました。その内部には、甲冑やお姫様衣装の試着コーナーがあるので、お時間に余裕のある方は是非一度ご利用くださいませ。 その常盤木門をくぐっていくと………



正面にばば~んと、巨大な天守が現れるのですよ 現在の建物は、昭和35年(1960年)に鉄筋コンクリートで外観のみ復元されたものであります。最近になって老朽化が目立ってきたことから、耐震補強も含めた改修工事に着手。今年の5月にリニューアルオープンと相成りました。



それと同時に、壁を塗り直して瓦を一新したこともあって、白さが際立っていますね。 その珍しさも相まって、入場者数は増えているみたいです。



小田原城にかつてあった天守も、大地震のたびに甚大な被害を受けてきました。寛永10年(1633年)の震災では倒壊し、元禄16年(1702年)には焼失しました。 さらに天明2年(1780年)のときには、東北に30度傾きました。こうなってしまったら、建て替えるしかないのですけど、当時藩主だった大久保家は財政難で、手を付けることもできませんでした。 そのような状況の中で、御抱大工の棟梁の川辺匠大夫という者が手を挙げ、「天守を引き起こしましょう」と申し出ました。その匠が取った行動は………
お城から200mも離れている高台の上に巨大な鯱巻3台を据え、そこから天守に大綱をかけて多数の鳶職人を使い、毎日えいえいと勇ましい掛け声とともにその鯱巻を回転させていき、2ヶ月で巨大な建物を完全に引き起こしたのです。 気になる予算は……… 130両と、建て替えるよりは圧倒的に少ない費用で済んだのでした。



匠の機転で維持された天守だったのですけど、関東大震災より53年も前の明治3年(1870年)に、廃城後のお城には無用の長物という理由で、取り壊されてしまいました。 唯一残された写真は、その解体作業中のものです。それでも、江戸時代に作られた旧天守の雛型が残っていたので、それを参考にして現在の天守を建てることができました。



小田原でのミッションを終えた私たちは列車に乗り込み、さらに東を目指しました。 そして1時間ほどで、横浜駅に到着。ここまで来れたら、もうこっちのものです



今回のスピッツクラブ展覧会の会場となる横浜そごうは、横浜駅の目と鼻の先にあります。ちなみにこちらは、水路を隔てた対岸のベイクォーターから見た、全体像であります。



あとは、展覧会がおこなわれている「鐘の広場」に直通している、駅前にある歩道橋を伝っていくだけです。 そちらでは、どのような出逢いや触れ合いがあるのでしょうか?その様子については、次回触れさせていただきます。


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ファイターズの日本一とハロウィン狂騒曲をアナタにも♪

2016-11-02 00:50:44 | 年間行事
ハッピーハロウィン!波ですワン。
世間では今のこの時季は、ハロウィンで賑わっているのですけど………



白黒茶々家でも先日、ちょっとした騒ぎがあったのなの。 その夜はなみの頭の上に、お父さん、お母さん、たつぴ君によって鳴らされたクラッカーの紙テープが飛んできたのですけど、こちらはハロウィンとは違うみたいなの。テレビには、球場で大勢の人によって胴上げされている様子が映し出されていて、お父さんたちのテンションも上がりまくりなのですけど、これはいったい何なのなのでしょうか?


こんばんは、白黒茶々です。
10月29日の夜に、私たちが応援しているプロ野球の北海道日本ハムファイターズが日本シリーズで対戦していた広島東洋カープを4勝2敗で振り切り、日本一となりました。 10年ぶりの快挙なのですけど、それまでに日本シリーズで3度敗れ、悔しい思いをしてきたこともあって、喜びはひとしおでした。 しかもリーグ戦だけではなく、日本シリーズのほうでも劇的な逆転勝利があって、うぅっ……… いろんな意味で、今年のファイターズの戦いは楽しむことができ、忘れられないものとなりました。 本当はファイターズに関して書きたいことはまだたくさんあるのですけど、このあたりで終わらせておきます。ということで、ここからは違う話題に入らせていただきます。

クリスマスの前にあって、カボチャまみれになって、思い思いの奇抜な仮装をして、どんちゃん騒ぎをする行事といえば……… そうです ハロウィンのことです。いや、このイベントに関しては、日本ではまだ模索している段階かも知れませんけど、今のところは仮装が重視されているように思えます。白黒茶々家でも、いちおうハロウィンらしいことをやったので、今回はその様子をお伝えします。



玄関を入ってすぐのところにある下駄箱の上には、今年も箔母さんによるハロウィンをモチーフにした飾り付けがなされていました。 昨年まではぬいぐるみの類いはニャンまげだけだったのですけど、しっぺいひこにゃんも新たに仲間入りしていました。 しかも、3者ともハロウィンの波に巻き込まれていますし。
これだけでも充分なのですけど、せっかくなのでウチにいる黒いヤツにも加わってもらって、よりカンペキにしたいですね。ということで○○ちゃ、いらっしゃ~い



ウチにいる黒いヤツといえば、もうおわかりですよね?そうです、晃ちゃにございます。 黒猫は、特にこういう時やお届け物があった時にいてくれると、助かります。ただし、これでお役目がお仕舞いだと思ってはいけませんよ。



………ということで、第2段階で晃ちゃには、ハロウィンっぽい帽子をかぶってもらいました。おおっ こちらもいい感じじゃないですか。



晃ちゃにだけ恥ずかしい思い(?)をさせるワケにはいかないので、他のニャンズにもやってもらいますよ 次のターゲットは銀ちゃ、アナタですよ。猫は基本的に頭に何かがかぶさるのを嫌うみたいで、かなりジタバタしていました。 それでも1回でキマれば、すぐに終わるから、ねっねっ



銀ちゃの次といえば、やはり京ちゃですよね。 しかし、あまり顔は笑っていないようにも見えます。色に限っては、かぼちゃに最も近いというのに。
※それはあまり関係ないのでは……… (編集部注)



残るは、緑ちゃだけですね。なんと、彼だけはどっしりと構えていて、難なく撮影を済ませることができました。 小さい頃は怖がりで、威嚇しながらすぐに隠れちゃったのに、こんなに立派になって。ううっ………

ニャンズを制覇したら、もちろん私の魔の手はワンズにも及びますよ



まずは、波ちゃです。魔女というか魔法使いというか、なんとなくサマになっていますね。 このままドラゴンクエストの仲間に加えれば、きっとここぞというときに大活躍することでしょう。



その装いを、もちろん箔ちゃにもやってもらいますよ こちらは魔法使いというよりは、むしろ魔導師とか魔封波とか、麻婆豆腐とかいったような風貌ですね。いちおう、褒めているつもりです。

今回のハロウィンでは、ウチのワンニャンたちに身代わり……… いや、仮装っぽいことをしてもらいましたけど、来年私のテンションが高かったら、何かアッと言わせることをやってみたいです。 それよりも、それらの道具はどこで揃えるのでしょうか?ドンキホーテあたりでしょうか?
私の街の100円ショップでは、ハロウィンが終わる前にはクリスマスグッズがメインとなっていました。季節の移ろいは早いですね。ということで、今度は箔波ちゃにはサンタになってもらいます。


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