波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

お城と金魚の里・大和郡山(近畿四城訪問その2)

2023-08-30 00:34:32 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私はお盆休みにお城を目指して電車旅をしています。 最初の目的地の二条城をあとにして、京都駅で奈良線に乗り換え、次に向かったところは………

大和郡山市にある、郡山城跡でした。 近鉄線の線路のすぐ向こうに、昭和62年(1987年)に復元された追手東隅櫓が見えるのですけど、行き方を誤るとなかなか近付けません。 はい、ン十年ぶりに訪れた私は勝手をすっかり忘れていて、かなり遠回りしてしまいました。

なんとかして追手門追手向櫓のある一角にたどり着きましたよ このあたりは、郡山城を代表する景観でもあります。

追手向櫓は昭和59年(1984年)に復元されました。 黒い下見板張りの建物は無骨で、見栄えがいいのですけど……… せっかくの景観が台無しになるので、そんなところに車を止めちゃダメ

追手門は、追手向櫓の前年に復元されました。 そうしたら、このあたりでこのお城について説明させていただきます。
郡山城は、天正8年(1580年)にこの地に移った筒井順慶が、大和国のお城を集約して築きました。 さらに天正13年(1583年)に入った豊臣秀長豊臣秀吉の弟で、長きにわたり秀吉を補佐。のちに大納言にまで出世)によって大改築がおこなわれ、その後増田長盛が城下町を整えました。

追手門の向こうにある印象的な建物は、城址会館にございます。 明治41年(1908年)に奈良県立図書館として奈良市に建てられ、昭和45年(1970年)に現在地に移築。県の有形文化財に指定され、土日に一部が開放されています。

毘沙門曲輪跡には、柳沢文庫があります。 こちらでは、のちに城主となった柳沢氏に関する史料や蔵書を見ることができるのですけど、この日からお盆休みに入っていました。

気を取り直して、2年前に復元されたばかりの極楽橋を渡って、本丸跡に入りますよ こちらの橋は、本丸登城のための正式な入口に架けられていて、復元されるまでは迂回しなければ本丸跡に入れませんでした。

天守台は崩落の恐れがあったので、平成25年(2013年)から4年かけて修復されました。 さらに「郡山城天守台展望施設」として開放されています。

この上には5層の天守が建てられたのですけど、徳川家康が築いた二条城に移築され、さらに淀城に移されたと云われています。 また、この石垣には平城京の羅城門の礎石と伝わる転用石などが使われているのですけど、そのあたりはチェックするのを忘れていました。 それでも、石垣に組み込まれた逆さ地蔵は見てきましたよ その天守台に上れば………

大和郡山市街の向こうに奈良市の街並みを臨むことができて、さらにそいつをズームアップしたら………

興福寺五重塔を確認することができましたよ

あと、緑曲輪麒麟曲輪の間にある松蔭堀も見てきました。 このあたりには数年前まで城内高校があって、その跡は公園として整備が進められていました。ところが、令和7年の春にオープンするまでは、立ち入り禁止となっていました。
郡山城をあとにした私は、大和路線などを使って………

和歌山市に入りました。 そうしたら、ホテルに入る前に晩ご飯を食べるのですけど、実は私にはすでに狙っているお店があるのですよ それは、和歌山駅から歩いていけなくもないところにある………

井出商店さんであります こちらは和歌山ラーメンの名店で………

すでに長蛇の列ができていました。 このあとはホテルでお風呂に入って寝るだけなので時間の心配をする必要はなく、気長に待つことができます。 それに、真夏とはいっても夕方から夜にかけての時間帯なので、熱中症になる心配もありませんし。 それから1時間近く経ったら………

ようやくお店に入ることができました。 注文は並んでいる間に聞かれたこともあって、ここから先の回転は早かったです。

ちなみに私は、特製中華そば(900円)に煮玉子(100円)をチョイスしました スープは豚骨醤油味で、麺とうまく絡み合っていました。 気になるそのお味は……… ずずず………
何これ あまりに美味し過ぎて箸が止まらない このような感覚は、滅多に味わったことはありません。 長時間並んだのに、10分もかけずに平らげてしまいました。 それでも、また和歌山に来たら食べておきたいです。

お腹も心も満たされた私は、今回の宿に向かいました。 昨年も1度予約し、紆余曲折の末に行き着いたところは………

CITY INN WAKAYAMA(シティ イン 和歌山)というホテルにございます。 画像は翌朝に撮ったもので、建物はちょっと古いのですけど、1泊朝食付きで男性専用の浴場も備えていて4810円と、かなりリーズナブルでした。

シングルの部屋はコンパクトなのですけど、これだけあれば充分でしょう。 キリがいい(?)ので、今回の日記は消灯とともに締めさせていただきます。 では皆さま、おやすみなさいませ。



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今年こそは電車旅に!(近畿四城訪問その1)

2023-08-26 02:23:13 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

お盆休みといえば、故郷に帰省したり旅行に行きたくなりますよね。 といいつつも、それらは季節とはあまり関係はなく、まとまった休みにするしかないという事情もありますけど。 さらに、今年はコロナのことをあまり気にしなくても良いようになったので、私はその連休の間には久しぶりに電車旅をすることにしました。

最後にその電車旅に行ったのは4年前のことで、その時はたつぴと一緒に丹波・丹後方面のお城を巡りました。 ところが、その際には台風の影響で、帰りに乗る予定だった列車が運休するというアクシデントに遭ってしまいました。 その翌年の2020年はコロナが猛威を振るい、旅行はおろか外を歩くことまでも憚られました。

その翌年もコロナの恐れはあったのですけど、私は感染のリスクが少ない車での旅を9月にズラして実行しました。 その際には、を連れて信州のお城を訪れたのでしたよね。

さらに昨年の2022年には「さすがにもういいでしょう」ということで、久しぶりに電車旅をすることに 近畿地方の名だたる4つのお城を巡る計画を立て、ホテルも予約しました。 ところがお盆休みを前にして、コロナが大流行!さすがの私も慎重になり、近畿四城は諦めてホテルもキャンセルしました。 代わりに、この時はなるべく混まない岐阜県の4つの山城を車で巡りました。 やはり、波と狛も道連れにして。

そして今年のお盆休み。私は昨年取りやめた計画を、多少手を加えながらもほぼそのまま実行することにしました。 しかも、同じホテルを予約して。 度重なる困難を乗り越え、ようやく自由度の高いお城旅に出られるようになったので、私はスゴく楽しみにしていました。 ところがここで台風7号が発生し、お盆休みに本州を直撃するというではありませんか その期間に旅行するのは、危険極まりないことに。 ようやくここまで行き着いたのに、またしても中止するしかないのでしょうか?どうする?白黒茶々さん。

私は今回は、ギリギリまで情況を見守ることにしました。 ホテルはキャンセル料を払う覚悟で、旅行の前日まで待ってみたところ、初日の13日はまだ台風の影響は及ばないという予報が出されました。 旅行の計画は1泊2日なのですけど、翌14日は臨機応変に行動すれば、電車旅に行けないこともない 私は前日の午後にようやく実行する決心をしました。

そしていよいよ近畿四城訪問の当日となりました。 その日は朝から晴れ……… というか、まだ夜が明けてない時間帯から私は活動を始め、まずは波と狛を散歩に連れ出しました。 彼女らと一緒にいられるのはここまでで………

豊橋駅から出ている始発列車に乗るために、そこまで箔母さんに車で送ってもらいました。

それから間もなくして、私にとっては記念すべき電車旅の第一歩となる、始発列車がやって来ましたよ その列車に揺られながら車窓から見える景色を眺め、乗り換えを経て最初に向かったところは………

京都市にある国指定史跡で世界文化遺産の、二条城であります 山陰本線(嵯峨野線)の二条駅から歩いてすぐ(7分ぐらい)のところに、西南隅櫓が現存しています。 そうしたら、せっかくなので………

その櫓から北のほうに歩いていくと、埋門形式の西門が見えてきます。 こちらも現存しているのですけど、ご覧の通り門が閉まっているだけでなく、そこに渡る橋も架けられてないので、こちらから入ることはできません。 さらに、現在二条城で唯一の出入口となっている東大手門は、西門の反対側にあるときたもんだ 遠回りとなることを覚悟で来たものの、距離にして1km。歩いて13分程かけて………

ハアハア……… ようやく東南隅櫓と東大手門が見えてきましたよ このあたりは、二条城では有名な景観でもあります。

そうしたら、お城では史上最高値の入場料の1300円(二の丸御殿を含む)を払って、入りますよ
二条城は慶長8年(1603年)に初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍が上洛する際の宿泊所とするために築きました。 当初は現在の二の丸の部分だけの単郭のお城だったのですけど、寛永3年(1626年)に3代将軍徳川家光後水尾天皇の行幸のために大改築 新たに本丸部分が増築され、伏見城から5層の天守が移されました。

やがて、唐門が見えてきました 修復工事がおこなわれてから10年経ったのですけど、金具や装飾は今でもまばゆいです。 さらにこの門をくぐっていくと………

二の丸御殿が姿を現しました ………というよりは、私のほうがやって来たのですけど。 その内部は撮影禁止で、皆さまにはお見せできないのですけど、徳川将軍家の城郭御殿というだけあって、障壁画や彫刻などが豪華絢爛 さらに延床面積が広いうえに天井も高く、そのスケールの大きさに、私は圧倒されました。

御殿に沿って造られた二の丸庭園は、国の特別名勝。 小堀遠州が手がけ、天守が借景になるように配置されていました。

今度は本丸に向かいますよ その正面入口に現存している本丸櫓門をくぐっていくと………

本丸御殿があります。 本来の本丸御殿は1788年の天明の大火で失われ、その跡には明治26年(1893年)に京都御所内にあった旧桂宮家の御殿が移築されました。 完全な姿で残る江戸時代の宮家の御殿建築は全国唯一で、国の重要文化財に指定されています。

以前は特別公開されている期間のみ見学できたのですけど、現在は保存修理中。 それでも工事が終わったら、自由に見られるようになるそうです。 そうそう、先程から何回か話題に出てきた天守は………

寛延3年(1750年)に落雷で焼失してしまい、以後は再建されていません。 現在はその土台となる天守台には上れるようになっています。

あとは、現存する北中仕切門をくぐっていき………

こちらも現存しているのですけど、通行止めとなっている北大手門を仰ぎ見つつ、城内の順路を1周しました。 二条城の見学は以上で終わりです。皆さまも暑い中、私に付いてきてくださり、ありがとうございました。 えっ、涼しいところで読んでいたのですって? せめて夏の京都の雰囲気だけでも………

それはさておき、次の予定までまだ時間があるので、お昼を食べていきましょう 二条駅の前にはチェーン店ながらも、定食屋のやよい軒があるのですよ 以前にも利用したことがあるこのお店で、今回私が注文したメニューは………

味噌かつ煮定食(850円)にございます。 せっかくなので、御飯はもち麦ごはん(+30円)にしました やよい軒は白米の御飯はおかわり自由なので、私はもう2杯食べて次のお城巡りに備えました。 (続く)


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朝活と豊橋魚市場

2023-08-23 02:44:10 | お出かけ

残暑お見舞い申し上げます、白黒茶々です。

8月に入ってから、暑い日が続いていますね。 このような時に「『暑い』と言ったら罰金」とかいうルールを作って、かえって重苦しくする輩がいたりしました。 「それならば、朝なら涼しいのでは?」と思うのですけど、夏の最盛期は寒暖差がほとんどないのですよね。 つまり「朝から暑い 」のです。 そのような8月11日の山の日に………

私は朝活をするために、早朝というか未明に起き、まずはの散歩に出ました。 熱帯夜ではなかったこともあって、その頃はそこそこ涼しかったです。 私はその日は仕事があったのですけど、朝活をするのなら平日より祝日のほうが道が空いていたりするので、あえて8月11日にしました。 そのあと、波と狛を連れて向かったところは………

県境を隔てた隣町の豊橋市にある、瓜郷遺跡でした。

こちらは弥生時代中期から古墳時代前期にかけての集落の跡で、国の史跡に指定されています。

さらに、竪穴式住居が1棟だけ復元されているのですよ。 朝早くから私に付き合わされて、狛は眠そう……… というワケではなく、油断しまくっています。 それはさておき、せっかくなので復元住居の内部に………

侵入することはさすがにできないので、外から覗いてみました。 天井が高くて、けっこう広そうですね。

あの~編集長さん、松ぼっくりを見つけたら必ずコレをやらなければいけないのでしょうか? いつかキャンプで、コレを使って焚き火をやってみようとは思ってはいるのですけど。

その瓜郷遺跡には、竪穴式住居の他には高床式の倉庫がミニチュアサイズで再現されています。 説明の通りで、その中には「ご自由にお取りください」状態のパンフレットが収められています。 さらに私たちは、こちらから近いといえなくもないところにある………

豊橋魚市場に向かいました。 こちらは日曜日や祝日は休みなのですけど、この日は特別に営業していました。 しかも、市場ということもあって、朝の5時からやっているのですよ 私は以前から気になっていて、ずっと行く機会をうかがっていました。

その魚市場のおさかなセンターは一般の人も入ることができて………

獲れたてや揚げたての魚介類が並べられています。 お値打ちな尾頭付きの魚もあったのですけど、私にはそいつを捌く道具も技術もありません。 それでも、新鮮な川や海の幸を見て回るだけでも心が踊りました。 そのあと、私は………

魚市場の構内にある、直営のカフェというか食堂に入っていきました。

このお店は市場に合わせて、朝の5時から営業しているのですよ こちらでの目的は説明するまでもないと思うのですけど、もちろんモーニングです

私にとっての豊橋モーニングのお店の中では、最も早く開店しているCafe おひさまさん その店内も食堂っぽいと感じるのは、私だけでしょうか?

やはりこちらも、ドリンク類を注文するとレギュラーモーニングが付いてくるシステムとなっていました。 それでも、私には予め心に決めてきたメニューがあるのですよ それからしばらくして………

私の席に朝の朝食モーニングが運ばれてきました ご覧の通り、おにぎりセット(550円)にございます。 この日は朝早くから行動したこともあって、がっつり食べておきたかったので。ちなみにおにぎりの具は、昆布と鮭でした。 赤だしの味噌汁も、おにぎりとよく合いますよ 少々ボリューミーながらも、美味しくいただくことができました。

あとは自宅に戻って、出勤するまで時間調整をする運びとなります。 今回の話はさらっと終わってしまい、まだ私には余力があるので、ここからはオマケというか、こぼれ話をさせていただきます。

今年の干支は卯で、「どうする家康」うさぎがモチーフとなっていますよね。 ということで、こちらでもうさぎを採り挙げます。 うさぎは穏やかでもふもふしていて、カワイイですよね。 さらに数年前には、ワンコ友達がうさぎを飼ったこともあって、私はその動物について調べたことがありました。
私は以前、何かで「うさぎは寂しいと死んじゃうんだよ」というのを聞いたことがありました。 まずはその発生元を辿っていったら、「ひとつ屋根の下」というドラマで、酒井法子さんが言っていました。 それだけではなく、彼女が歌った「碧いうさぎ」の歌詞にも「淋しすぎて死んでしまうわ」とあります。 実際のうさぎは、そんなにか弱いのでしょうか? 気になって調べてみたら………

野生のうさぎは群れではなく単独で行動するので、仲間がいなくても問題はないそうです。 その流れで、ペットのうさぎも。 酒井法子さんには罪はないのですけど、あのドラマと歌が大ブレイクしたおかげで、「うさぎは寂しいと………」が一人歩きしてしまったみたいです。 そういえば、私が実家で1羽だけで飼っていたうさぎは長生きしましたし。
あと、ついでに慣用句にもなっている「何をおっしゃるうさぎさん」も調べてみたら、こちらは童謡の「うさぎとかめ」の歌詞がもとになっていました。



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どうする家康浜松大河ドラマ館再び

2023-08-19 02:34:03 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

8月6日の午前は、地元の湖西市内の私が気になっているところを見て廻り、かなりハードなスケジュールとなりました。 そうしたら、午後はゆっくりと休むと思いきや……… には家でゆっくり過ごしてもらい、私にはまだ余力があったので、以前から行く機会を探していた「どうする家康」浜松の大河ドラマ館を訪れることにしました。 この日は天気が不安定で再び雨が降る恐れがあったのですけど、屋内施設の大河ドラマ館なら心配要りません それに、お出かけ日和でないほうが空いていそうですし。

………という思惑で、やって来ましたよ どうする家康浜松大河ドラマ館……… ではなく、その隣接地にある浜松城 いや、正確には大河ドラマ館がある場所も、かつては浜松城の敷地だったところなのですけど。

こちらに波と狛を連れてきたのは、今年の1月15日のこと。 画像は昨年の末の際のものですけど、あの時は「どうする家康」の予習も兼ねて、浜松市内の徳川家康関連の名所旧跡を巡りました。 しかし、その終盤で愛車のMPVが再起不能になって……… ううっ

それはさておき、久しぶりにこちらに来たので、まずは浜松城を散策しましょう 天守門に続く石段を上っていくところに、作業中のオジちゃんのケツが。

築65年にもなる模擬天守は、今回は外から眺めるだけとさせていただきます。 浜松城の最頂部となるこの天守曲輪跡からは………

今夏甲子園初出場を決めた、浜松開誠館高校の校舎がよく見えます。 「ユニフォームがカッコいい 」とか「校歌がポップ」とか何かと話題になり、多くの方にその名前を覚えてもらえたと思います。

さらに、市役所には浜松開誠館高校の垂れ幕が 浜松市内の高校が甲子園に行くのは21年ぶりということもあって、地元はかなりテンションが高かったです。 それと、ヤマハの都市対抗野球大会の準優勝もおめでとうございます。

それらを仰ぎ見ながら、私は本来の目的地のどうする家康浜松大河ドラマ館に入っていきました。 こちらにはプレオープンしていた2月に来て以来で、ずっと再訪する機会を探していました。 果たして、グランドオープンしてからどのように変わったのでしょうか?

入ってすぐのところでは、巨大な松潤家康がお出迎え。 これは以前と一緒ですね。

しかし、そこから先は一変していました。 プロローグの部分には、三方ヶ原の戦いの際に浜松城の出入り口となった出丸のあたりが再現されていました。 跳ね上げ式の門の両脇には、葵の紋ののぼりが立てられ、さらにその先には掘っ建ての見張り小屋 戦場の雰囲気ありありのところを通っていったら………

板垣李光人さん演じる虎松(のちの井伊直政)が初登場した時に着ていた衣装が飾ってありました。 彼は女装して踊っていたのですけど、いきなりアクロバッティングな動きで、徳川家康松本潤)に襲いかかったのですよね。

そんな浜松に侵攻してきた家康に対して、戦う覚悟を決めたお田鶴関口渚)。 彼女が籠城していた引間城から瀬名有村架純)に宛てた手紙も、見ることができました。

さらに、瀬名が自刃する時に使った懐剣もありましたよ 「どうする家康」では、徳川家を守るために瀬名は自らの身を犠牲にしました。 あの時は松潤家康だけではなく、私までも「どうか死なないで 」と叫びたくなりました。

次は、そのシーンで家康と瀬名が着ていた衣装が並べられていました。 瀬名はカニがデザインされている着物だったのですけど、それを選んだのにはしっかりとした理由があったみたいで。 ドラマではそこまでは語られなかったのですけど、奥が深くて衣装係さんの力の入れようも感じました。

三方ヶ原の戦いで、家康を窮地に追い詰めた武田信玄阿部寛)の普段着と戦場での勝負服もありましたよ それらは、信玄が出家したことを表すために、袈裟っぽいデザインにしたそうです。
あとは、三方ヶ原の戦いのダイジェスト映像などがあったのですけど、こちらも改めて観ると奥が深い それと同時に、作り手が真剣に取り組んだことも知ることができました。

こちらの大河ドラマ館も、出口の近くで俳優さんのパネルと一緒に記念撮影をして締めるようになっていました。 阿部寛さん武田信玄は近付きがたい迫力ですけど、並んで撮っておきたいですね。

その隣には、松潤家康と有村瀬名と板垣直政の3人(のパネル)が!今回も私は単独で来たので、彼らの間に割って入ることはできませんでした。 だからといって、知らない方が入り込んでいるのを撮るのはどうかと。 なので、そんな彼らが退散したスキを狙って撮りました。

大河ドラマ館の外には、第25回「はるかに遠い夢」でともに非業の死を遂げた瀬名徳川信康細田佳央太)に対して、多数の感動や感謝、労いなどの言葉が寄せられていました。 そのような中には………

信康さんに自害を思いとどまらせるメッセージがあるのが、なんとも。 信康さん、私も久しぶりにお逢いしとうござります。

とかなんとか言っていたら、信康さん……… ではなく、浜松徳川武将隊本多忠勝井伊直政に行き逢いました。 彼らは、私からの写真のお願いに快く応じてくれました。 大河ドラマ館をざっと見たので、あとは帰るだけ……… と思いきや、実は私にはもう1ヶ所行っておきたいところがあるのですよ ここまで来たら、皆さまもどうか私にお付き合いくださいませ ということで、大河ドラマ館からは歩いて12分程のところにある………

遠江分器稲荷神社にやって来ました こちらの神社は徳川家康が浜松に入った永禄11年(1568年)に創建され、さらに慶長9年(1604年)には、家康の命によって本殿が修築されました。 以後、歴代徳川家将軍や諸大名、浜松城主から崇敬されてきたそうです。

また、徳川四天王の1人の本多忠勝の屋敷が、この神社のあたりにあったとされています。

深みのある拝殿は昭和34年(1959年)に、本殿は昭和31年(1956年)に、それぞれ再建されました。

お稲荷様ということもあって、狛犬ならぬ狛狐に守られているのですけど、金色なのがたまりませんね ところで、キツネは何て鳴くんだい?ご存知の方はいらっしゃるでしょうか? 一般的には「コンコン」と言うことになっていますけど、それを実際に聞いた方はいるのでしょうか?
不安定な天候の中で、私にとっては欲張りで充実した1日となりましたけど、黄金の狐でもって締めさせていただきます。 疑心暗鬼になりながら(?)も、皆さまは最後までお付き合いしてくださり、ありがとうございました。


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湖西メモリアルヒルズと女河浦海水浴場跡

2023-08-16 01:06:28 | 探求シリーズ

こんばんは、白黒茶々です。

8月最初の日曜日となる6日は、雨が降る中で新居弁天の現状の調査を強行したのですけど、そのあとはいい感じで晴れてきました。 「まだいけるじゃん 」ということで、次に私は以前から気になっていた場所にも行くことにしました。 もちろん、も道連れにして。

………という流れで、やって来ましたよ こちらは湖西市の大森地区に造成された住宅地の一角にある、大森一号公園にございます。 失礼ながら、見た目は何の変哲もない一般的な公園なのですけど………

実は昨年の5月に放送された「ナニコレ珍百景」で、同じ湖西市内にある表鷲津南公園が採り挙げられたのですよ 湖西市では遊具の有無によって名称が公園か空地に分かれるので、その規定を満たすためにそちらの公園にはパンダの遊具が1つだけ設置されました。

一方、今回私たちが訪れた大森一号公園はベンチや鉄棒、時計の他には………

あった、ありました パンダと同じような遊具が しかも、2つも設けられていますね。 これは、お子様が一緒に遊びに来た友達やきょうだいと並んでゆっさゆっさするものなのでしょうけど、この距離感は何なんでしょうか?

それよりも、この遊具のモデルは何なのか、誰か説明できる方はいらっしゃるでしょうか? 私は蝶か蛾の幼虫のイモムシと思うのですけど、もしそうだとしたら掴まる取手のところは角ということに。 イモムシは敵を威嚇する際にはオレンジ色の角を出すのですけど、その状態の時に手などで触ると、臭いニオイがつくのですよ。 なので、これが造形物とわかっていても、触れるのを躊躇してしまいます。

いやそれ以前に体重制限があるので、大人の私が乗ることはできないのですけど。 ………と、大森一号公園ですっかり盛り上がってしまいましたけど、実はこちらは本来の目的地ではなく、その近くにあったので寄ったのでした。 それは、岡崎中学校への通学路からちょっと入ったところに新たに造られた………

湖西メモリアルヒルズであります いわゆる墓園なのですけど、こちらでは一般的な墓地だけでなく、樹木葬や花壇葬も選ぶことができます。 たまに新聞のチラシとして入ってくるのですけど………

その案内図は管理棟の壁にも掲げられています。 墓園とはいっても、明るくて開放的ですね。 さらにその中には………

東屋やドッグランがあるのですよ ドッグランは無料で使うことができるのでしょうか?また、埋葬者の家族や親戚といった条件があるのでしょうか? 施設の規模や様子だけでなく、それらのことも確かめたくて、今回こちらに初めて来たのですよ。 果たして、気になるそのドッグランは………

う~む……… まだ造成中でおられる。 ようやく山林を切り拓いた段階なので、まだ当分かかりそうですね。 ということは、先ほど見た絵は完成予想図ということになります。 Google Mapなどには細かい情報はまだなくて、直接見に来てしまったのですけど、完成するのを楽しみにしています。 そして、使用する際に厳しい条件がなかったとしても、波と狛をその中で遊ばせつつ、墓園で眠っている方たちの癒しになることを望んでいます。
そうしたら、あともう1ヶ所調査に行ってもいいでしょうか? ………と、伺いを立てつつも、もう私を止めることはできないのですけど。

その勢いのまま私たちがやって来たのは、こちらもまた湖西市内にある女河浦(めがうら)海水浴場 ………の専用駐車場でした。

この日の最終目的地となるそのスポットは、そのまた先にあります。 同じ市内に住んでいながらも、私がそこを訪れるのは今回が初めてでした。 それから間もなくして………

小ぢんまりとした更衣室っぽい建物が見えてきました。 しかも、スゴく寂れている様子です。 そして、私たちが初めて目にした女河浦海水浴場は………

こうなっていました。 そこに立ち入ることはできず、完全に封鎖されています。

湖西市はブラジル人の比率が大きいこともあって、ポルトガル語の注意看板も掲げられていました。

浜名湖に面した、風光明媚な浜辺に設けられていた女河浦海水浴場。 大河ドラマ「いだてん ~東京オリムピック噺~ 」のロケ地にもなり、そこでは阿部サダヲさんになる前の田畑政治さんが泳ぐシーンが撮られました。 その後、コロナ禍によって封鎖され、いずれ再開されると思われていたのですけど………

人の手が入らなかったこともあって、荒れ放題となってしまいました。 海水浴場が開設されていた頃は周辺に路上駐車が多くて、さらに海水浴場で夜遅くまで騒ぐ人もいて、地元の方たちにとってはとても迷惑でした。 そしてコロナの呪縛から解放された今年に、海水浴場を再開していいかアンケートを取ってみたら……… 6割が反対でした。 ということで、利用者のマナー悪化によって、湖西市が廃止を決定したのでした。

私は女河浦海水浴場が閉鎖されたことは知っていたのですけど、今はどうなっているのか見たくて、今回訪れたのでした。 廃墟好きを自負しているものの、かつては賑わっていたと思われる海水浴場の跡を目の当たりにしたら、心が痛みました。 それでも、その近くから見る浜名湖の風景はいい感じでした。 しかし……… 撮ってきた画像をあとになってから見て気付いたのですけど、女河浦海水浴場専用の駐車場までもが、来年の春に閉鎖されることになっていました。 それ以降は、こちらには容易に近付けないということに。 浜辺の綺麗な景色は捨てがたいので、新居弁天みたいに新たな活用法が見つかることを願っています。

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新居弁天の賑わい

2023-08-12 02:44:07 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

私が住んでいる湖西市は海と湖に囲まれ、緑にも恵まれて(田舎)います。 さらにその一角には、夏になると賑わう新居(あらい)弁天という保養地があります。 しかし、私は長年同じ市内にいながらも、かなり長いことそちらの方面には行っていませんでした。 そうしている間に、海水浴場はまだあるものの、公営のレジャープールは閉鎖してしまいましたし。 それならば、最も活気付いているであろう今の時季に、を連れて十ン年ぶりにそこを訪れてみましょう

そして、その計画を実行する8月6日になりました。 しかしその日は朝から雨で、保養地の賑わいがどうとか言っている場合ではないように思われそうですけど、まず私たちは新居関所の近くにまで来ました。 ただし、今回は関所が目的ではなく……… というよりは、まだ開館時間にはなっていないのですけど。

そう、この日最初に行きたかったところは、関所の向かいにある味楽酒房豊千さんという居酒屋でした。 こちらでの目的は……… モーニングというか、朝食だったのですよ 激しい雨が降る中ではあるのですけど、さっそくそのお店に突入しましょう

夜がメインの居酒屋ながらも、こちらのお店は朝の7時から営業しています。 私が以前に行った豊橋のたこべえ茶屋さんと同じシステムで、朝・昼・夜の3部構成となっているのですね。 そうしたら、いよいよ入りますよ ウィ~~~ン(自動ドアの音) 「いらっしゃいませ

朝食は、朝定食とうどんモーニングの2種類。 ともに500円のワンコインの、お得な価格となっております。 両方とも魅力的なのですけど、豊千さん初心者の私にはすでに心に決めてきたメニューがあるのですよ それからしばらくして………

私の席に朝食が運ばれてきました おかずは来る度に変わるみたいですけど、どれも御飯のお供になるようなものです。 さらに、揚げたての野菜の天ぷらまで付いてきて、まさに至れり尽くせりです

御飯は1杯までおかわりできるというので、私はTKGができるように生卵(50円)もチョイスしました おかずは御飯が進むようなものばかりなので、もう1杯おかわりしたくなりましたけど、内容的に充実していて美味しかったので、お腹も心も満たされました。
朝の活力を注入したら、いよいよ波&狛とともに新居弁天に向かうのですけど、雨はすぐにはやみそうにありません。 こうなったらお花見の時と同じように、雨の中でも強行して写真を撮るしかないのでしょうか?

………とかなんとか言っているうちに、雨足が弱まってきたので「今がチャンス 」と外に飛び出しました。

新居弁天には突堤状の海釣り公園があって、釣り人にも人気のスポットとなっています。 その向こうには、弁天島が見えますね。

さらに、今切体験の里・海湖館という体験施設もあります。 冬場にはこちらに牡蠣小屋が設けられて、浜名湖産の牡蠣の「プリ丸」をその場で焼いて食べたりできます。 また、夏場の今の時季には………

生け簀に放たれた魚をつかみ取りすることができるのですよ 怪しい天候の中でも、子供や若者が楽しそうにやっていました。 さらに追加料金を払えば、獲った魚をその場で調理してもらえます。

そんな美味しそうな(?)光景をやり過ごして、私たちは駐車場から続いているボードウォークを歩いていきました。

それから間もなくして、湖西市内では唯一となってしまった新居弁天海水浴場に行き着きました。 とはいっても湖側にあるので、正確には湖水浴場というべきでしょうか?

それはさておき、せっかくここまで来たのだから、海水浴客が集まっていないところで写真を撮っておきました。

その海水浴場の前には、なぜか南国情緒を感じさせるトーテムポールが立っているのですよ。

この新居弁天には、わんぱくランドというレジャープールがありました。 私が通っていた小学校では、夏休みの前にそのプールのフリーパスが配られ、親に送り迎えしてもらってよく利用していました。 大人になってからも、たつぴを連れて訪れたものです。

腰ぐらいの深さの流水プールは、浮き輪などでプカプカ浮かびながら流されていったら、快適そのもの。 さらに、地下から汲み上げられた新居浜温泉(※にいはまではありません。 紛らわしいのですけど、あらいはまと読みます)の塩化物泉の温泉水が使われていて、美肌や疲労回復の効果もありました。

さらに、大人も喜ぶスリル満点のウォータースライダーも設置されていたのですよ しかし、塩分を含んだ温泉水はプールの設備を蝕み、老朽化もあって一昨年の夏をもって閉鎖してしまいました。 その後、私にとっても思い出深いわんぱくランドは解体され………

津波の避難タワーを残して更地となってしまいました。

またその隣接地には、望洋荘という古くからの旅館がありました。 私はこちらには宿泊したことはないのですけど、毎年夏休みになると予約が殺到して、新居弁天の活気づけに一役買っていたと思われます。 しかし、こちらの旅館も今春に閉業してしまい………

建物は解体され、こちらも更地となっています。 それでも、ご心配には及びません。

それらの跡地には、新居弁天の新たな観光拠点となる「浜名湖パークビレッジ」 が新たに造られることになったのですよ わんぱくランドがあったところは、ドッグランやカフェ、足湯などの施設が。 さらに望洋荘跡のあたりは、キャンプ場になるというのですよ 浜名バイパスからのアクセスもよくて、私にとってはまさに至れり尽くせりです。 あとは使いやすさですね。 それは初期のお客のマナーに左右されることもあるので、なるべく粗相のないように努めます。ということで、それらがオープンする予定の来春を楽しみにしています。


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大佛次郎の世界へのいざないと幻日のヌマヅ

2023-08-09 00:52:19 | 人物伝

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私は夏真っ盛りの7月下旬の日曜日に、横浜駅を降りていきました。 さらにみなとみらい線に乗り換え、元町・中華街駅まで行って向かった先は………

中華街などの飲食関係ではなく、港の見える丘公園でした。 こちらは有名な散策スポットで、横浜が開港した安政6年(1859年)には外国人位留置となりました。

公園の名前は、戦後間もない頃にヒットした「港が見える丘」という曲にあやかっているのですけど、港側の展望台からは………

まさにその名前の通りで、ベイブリッジ横浜港を臨むことができました。 さらにこちらからは、GUNDAM--DOCKの実物大ガンダムも見えましたよ!それらを確認したあとは、せっかくこちらまで来たので………

まずは、公園内にある横浜市イギリス館に寄っていくことにしました。 こちらの建物は横浜山手西洋館のうちの1つで、昭和12年(1937年)に英国総領事公邸として建てられました。 無料で開放されていて、1階のホールは閉め切ってコンサートをやっていたのですけど………

2階の寝室やゲストルームは見学することができました。 そうしたら………

イギリス館の近くにある山手111番館も見ていきましょう こちらのスパニッシュスタイルの洋館は、大正15年(1926年)にアメリカ人のラフィン氏の邸宅として建てられました。 敷地の段差を生かした地階部分は喫茶室となっているのですけど………

1階部分は無料で公開されていて、吹き抜け構造となっているホールなどを見ることができます。 前置きが長くなってしまいましたけど、これからいよいよこの日の本命となる場所に向かいます

………ということで、こちらも港の見える丘公園内にある、大佛(おさらぎ)次郎記念館にやって来ました 大佛次郎さん(本名・野尻清彦)は、明治30年(1897年)に横浜市英町(現在の中区英町)に生まれました。

大正から昭和にかけて活躍した作家で、鎌倉市長谷の大仏の裏に住居を構えた際に「ほんものの大仏が太郎だから、謙遜して自らは次郎とした。 おさらぎと読むのは、北条氏の一族でこの地に住むのを大仏と書いて、こう読んだから」と、自ら書いています。 鎌倉に住みながらも故郷の横浜を愛し、横浜のホテル・ニューグランドの一室を仕事場としていた時期もありました。
大正12年(1923年)の関東大震災によって、翻訳や執筆の場となっていた雑誌が廃刊となり、収入の道が閉ざされてしまいました。 その後、知り合いの編集者の言葉を頼りに講談調でまげもの(時代小説)を書いたら、大ヒット このようにして、代表作となる「鞍馬天狗」の第1作の「鬼面の老女」が生まれました。昭和48年(1973年)4月30日に亡くなったので、今年は没後50年となります。

この記念館の至るところには、ブロンズ像などの猫のアートを見ることができます。

こちらの「お手」猫も、いいですね しかも、本物の真珠のネックレスを首にかけておられる。

大佛次郎さんは、生涯に500匹以上の猫と暮らした愛猫家でした。 もちろん、妻の吾妻光酉子)さんのことも大切にしていましたけど。 彼にとっては「猫は生涯の伴侶」と語るほどの存在で、常に十数匹の猫に囲まれて生活していました。 そのような中で「猫のいる日々」というエッセイや、童話の「スイッチョねこ」を著したりしました。そして令和に入ってから、「猫のいる日々」に感銘を受けたへげかもこさんが、マンガ雑誌の「ねこぱんち」「ぼくの伴侶 猫と大佛次郎物語」という作品を連載し、それは単行本にもなりました。

へげ妻さんへげ先生)は猫の京ちゃの親元となったことがきっかけで、今でも一応ウチとの交流は続いています。 その「ぼくの伴侶………」とコラボした企画展が………

8月20日まで、大佛次郎記念館でおこなわれているのですよ 実は私はこの「おさらぎじろう展」 が見たくて、小田原城も組み込んだ今回の電車旅を計画したのでした。 どのような展示となっているのか、楽しみですね そうしたら、200円の入場料(安っ )を払って、いざ館内へ

入ってすぐのところにあるホールには、「ぼくの伴侶………」 が試し読みできるように、その第7話の全ページが掲げられていました。

私がこの作品に触れるのはこの時が初めてだったのですけど、確かにへげ妻さんのタッチで描かれていますね。

読みやすくて、一気に最後までいってしまいましたよ。 1話ぶんだけでしたけど、大佛次郎さんと酉子夫人との関係、さらには夫婦が飼っている猫との絡みがうまく描かれていました。

企画展の冒頭には、「ぼくの伴侶………」が紹介されていました。確かに、優しいタッチで描かれています。

カラーのイラストも、いい感じですね。

次郎さんと酉子さんは、結婚後まもなくして鎌倉に移り住みました。 さらにそこでは猫との生活も始まるのですけど、当初酉子さんは猫ギライだったなんて驚きですね。 その理由や猫好きに転じるまでのいきさつは、漫画にも描かれています。

その鎌倉市の雪ノ下には、次郎さんが新たに建てた野尻邸旧大佛次郎茶亭)があるのですけど、現在は非公開となっているみたいです。 その様子は「ぼくの伴侶………」にも描かれて、記念館では映像で紹介されていました。

さらに、次郎さんの代表作でもある「霧笛」に関する展示も、漫画と合わせてなされていました。

あと、次郎さんの仕事場となる書斎も再現されていました。 たくさんの書類はもちろんのこと、猫グッズも散りばめられていますね。 それに加えて、あちこちに生身の猫もいたと思われます。
これまで私は、大佛次郎さんのことは名前はなんとなく聞いたことがある程度で、どのような人物なのかは知りませんでした。 それがへげ先生が漫画化してくださったおかげで、その世界に入り込むことができました。 今回の企画展も、充実していましたし。私は記念館の思惑通りに、「ぼくの伴侶………」のうちの1巻をお土産に買って帰りました。 しかし、入り込みやすさと読みやすさが手伝って、帰りの列車の中で一気読みしてしまいました。 そんな私が三島駅を通りかかった際に………

伊豆箱根鉄道のラッピング電車が見えたので、乗っていた列車を降りて写真を撮りました。 これは、現在放送中&配信中のアニメ「幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-」にあやかったものです。
沼津を舞台にしたスクールアイドルの物語の「ラブライブ! サンシャイン!!」のスピンオフで、こちらは異世界のようなヌマヅが活躍の拠点となります。 また「歌と魔法と絆の物語」を謳っています。主要メンバーは「ラブライブ! ………」に則っているのですけど、ルビィは妖精、ダイヤは執務長官、マリは魔王の末裔となっています。

こちらの車両には、老舗旅館の看板娘のチカ、メッセンジャー(配達員)のヨウ、メカニックのカナンの姿が

さらに真ん中の車両には、動物学者のリコ、主人公の津島善子ならぬヨハネ、お菓子屋のハナマルが描かれています。

ちなみにヨハネの隣にいる大型の狼獣は、ライラプスといいます。 ヨハネと一緒に暮らす相棒なのですけど、この大きなもふもふにはつい惹き付けられてしまいます。 しかしそれと同時に、あそこまで大きいとトリミングが大変そうとか、散歩中に排泄したら処理しきれるのか、………とか考えてしまいました。 そのことを後で箔母さんに相談したら「マンガの世界では、排泄という行為はない」と言っていて、妙に納得しました。 そうしたら、シャンプーやブラッシングをしなくても、毛はキレイに保たれているという理屈も成り立ちます。 とかなんとか言っているうちに「幻日のヨハネ」電車が出発していってしまったので、この日の最終目的地に向かうことにしましょう。

………ということで、三島の1つ先となる沼津駅にやって来ました

ちなみに「幻日のヨハネ」のヌマヅは、このような表記となっています。 ローマ字や漢字の一部がなんとなく読めるところがいいですね

沼津は「ラブライブ! 」の聖地ということもあって、駅の構内の段階からそのキャラクターが散りばめられています。

北口を出てすぐのところでは、車掌に扮した国木田花丸津島善子高海千歌が出迎えてくれますし。

さらにその駅からは、「ラブライブ! 」のラッピングバスが出発するところでした。 私が朝のまだ体力がある段階だったら、追いかけていました。

駅前のラブライブカフェには、「幻日のヨハネ」の広告が大々的に掲げられていました。

そのまま私は仲見世商店街へ。 こちらにも「幻日のヨハネ」があって、地元のテンションの高さがうかがえます。

その足元には、カラーで描かれた「ラブライブ! 」のキャラクターのマンホールがありました。 こちらは時期によって変わるみたいで、この日は3年生の黒澤ダイヤ松浦果南小原鞠莉となっていました。

やはりスピッツクラブの展覧会に行くついでがなくなってから、沼津に来る機会も激減しました。 それでも、たまにはこちらで「ラブライブ! 」の風を感じておきたいので、ついでではなくても訪れるようにしたいです。 それから、「幻日のヨハネ」がこれからどのように展開していくのかも、楽しみにしています。



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久しぶりの電車旅(小田原編)

2023-08-05 01:05:00 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

個人的な意見かも知れませんけど、夏になったら列車に乗ってふらりと出かけたくなりますよね。 今夏、JRの在来線が乗り放題となる青春18きっぷを手に入れた私は……… というと、行き先のない旅に出るような感じになってしまいますけど、実際には目的地に行くまでの行程を、時刻表などで綿密に調べました。それだけではなく、青春18きっぷも必要に迫られたので買ったのでした。 それはさておき、いよいよその計画を実行する7月23日になりました。

その日は始発列車に乗るために、日の出前から活動を始めました。 を朝ではなく、未明の散歩に連れ出し、手荷物をまとめて………

波たちには申し訳ないのですけど、今回は炎天下の中でワンコが入れないところにも行くので、家で留守番をしていてください。 朝……… いや、未明の散歩は、同行の可否に関わらずやることになっているので、期待していたら謝ります。 そんな彼女らを泣く泣く(?)振り切り………

最寄りの駅から、予定していた始発列車に乗っていきました。 横に長い静岡県内を各駅停車で、さらに向い合わせのロングシートに座るのは苦痛というか、苦行だったのですけど……… 今回は、最近導入された新型の車両の、長旅でも快適な横並びのクロスシートの座席に座ることができました。 それから約2時間後には………

富士川の向こうに富士山が……… 見えない。 ここ数年、私がこのあたりを通る際には必ずといっていいほどその美しい姿を見ることができて、勝率は10割だったのに……… 今日はもうダメだ、ここで帰ることにします。

………なんてことも少し考えたのですけど、その後も列車を乗り継いで、巨大な提灯が出迎える、最初の目的地となる小田原に降り立ちました。 小田原といえば………

やっぱり小田原城ですよ こちらのお城には、横浜でスピッツクラブの展覧会がおこなわれていた頃は、その途中でよく立ち寄っていたのですけど、そのイベントが5年前に途絶えてからはなかなか来る機会がありませんでした。 駅からも復興天守が見えるのですけど、今回は最短距離で行けるお城の裏側からではなく、正面に回るようにします。 それでも歩いて10分程で………

かつて小田原城の正門だった、大手門の跡に行き着きました。 現在は街中に門の石垣の一部が残っていて、その上には鐘楼が建てられています。 さらにその向こうには………

お堀を隔てて、小田原城の二の丸隅櫓が聳えています。 明治以降はこちらには唯一の建物が残されていたのですけど、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊。 その後、土台も建物も規模を縮小して建てられたのが、今日見られるものです。とはいっても、戦前の昭和9年(1934年)に完成したので、かなり風格があります。 そのさらに向こうには、昭和35年(1960年)に建てられた復興天守が見えますね。

そうしたら、いよいよ馬出門から城内に入ります。 平成21年(2009年)に復元されたこちらの門は桝形を形成していて、防御的にも景観的にもお城のアプローチとしても優れています。 さらにその先には………

平成9年(1997年)に復元された銅(あかがね)門が構えられています。 この建物ができてから、私は何回かこちらを訪れたのですけど、内部を見たことはありませんでした。 それが、この日は特別に公開されていたのですよ もちろん、入りますよ

太い梁の表面は手斧で削られていて、かつての工法に則っていました。 それに、床がピカピカになっておられる 皆さまのなかには、向こうに見える人影が気になられる方もいらっしゃるみたいなので、迫ってみます。

そうしたら、なんと小田原評定の様子を人形で再現していました 天正18年(1590年)、豊臣秀吉は15万の大群で小田原を包囲しました。 それに対して、北条氏政氏直親子は合議政治に則り、重臣たちも含めた評定衆によって今後の出方を決めようとしたのですけど、意見が分かれてなかなかまとまりませんでした。 それは3ヶ月にも及んだそうです。
それよりも、この画像をよく見てみたら「小田原評定に参加して写真を撮りましょう 」と薦めているではありませんか そのような意図で、敢えて空席も設けていたのですね。私はそのことを、後になってから知りました。 その時の私に「説明をよく読みなさい 」と言ってやりたいです。

そのあと、私は門の格子戸から外を覗きました。 「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」に出てくるお城博士ちゃんの勧めに従って、お城を守る側の城兵の立場で見てみたら、外を歩いている観光客はスキだらけでした。 こちらから鉄砲で撃たれたら、ひとたまりもありませんね。 いや、これはあくまでも妄想で、実際には撃ちませんけど。

さらに本丸の正面には、昭和46年(1969年)に復元された常盤木門が聳えています。 立派な構えで、存在感がありありですね。 こちらは有料で入れるのですけど、今回はスルーしました。 この門を潜った先には………

本丸跡の広場を隔てて、3層天守としては最大級の復興天守を仰ぎ見ることができます。 そうしたら、せっかくなので………

撮影用のカメラスタンドを使って、自撮りしておきました。 そういえば私が中学生の時に、初めて小田原城を訪れた際には、通りかかったお爺さんにカメラのシャッターを押してもらいました。 「よくわからないけど、撮れたかな?」と言われつつ手渡されたカメラのフィルムを現像してみたら……… お城をバックにした私ではなく、青空が写っていました。

それはさておき、かつての本丸跡は動物園となっていて、ゾウ舎もありました。 そこには、天守が復興される前からインドゾウのウメ子ちゃんがいました。

そこに先代犬のを連れてきたら興味津々で、身を乗り出してウメ子ちゃんに迫っていました。 しかし彼女は14年前に亡くなり、動物の保護の問題などもあって新たなゾウを飼うことができないまま、今日に至ります。

ウメ子ちゃんのことを偲んだら、いよいよ復興天守に入りますよ 小田原城の天守は建物の高さが27.2mもあり、5層の福山城広島城を追い抜き、現在存在している天守のなかでは全国7位の規模を誇っています。

平成28年(2016年)に耐震補強工事と大規模な展示のリニューアルがおこなわれ、見やすくてわかりやすく、興味を引きやすい展示となっていました。 私がこの新生小田原城天守に入るのは、今回が初めてでした。

江戸時代に作られた天守の雛形は、ガラスケースに入れられていました。 これは天守を復興する際には、貴重な史料となったのですよね。

現在の天守は外観は3層ですけど、内部は5階。 その最上階には摩利支天が、これまで納められていたお城型の厨子と一緒に飾られていました。 さらにその外側を廻る回廊からは………

小田原城址公園はもちろんのこと、城下の町並みや相模湾を臨むことができます。 また、その反対側からは………

小田原征伐の際に豊臣秀吉が築いた、石垣山城の跡が見えます。 秀吉は3~4万人を動員して、わずか80日で小田原城を見下ろす標高261.9mの笠懸山に総石垣の城を構築。 その工事は密かにおこなわれ、完成してからまわりの木を伐採したら、小田原城の北条側からは一夜で城が出現したように見えたそうです。 これによって、北条軍は戦意喪失。 やがて降伏することになりました。 あともう1ヶ所、復興天守にはフォトスポットがあったので………

空いているところを狙って、体験してきました 常盤木門のほうでも甲冑の試着体験ができるのですけど、こちらは顔を出すだけで、手軽に記念撮影ができるのですよ お城に来た記念に、皆さまもぜひご体験くださいませ
ついでに寄ったつもりの小田原城で、ついテンションが上がってしまいましたけど、実はこの日の本命はさらにその先にあったのですよ ということで、小田原から再び電車に乗っていき、1時間程で………

私は横浜駅に到着しました。 次の目的地は横浜市内にあるのですけど、何が出てくるのかは次回のお楽しみ(?)とさせていただきます。


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今年の夏に見た高校野球の風景

2023-08-02 02:40:53 | 野球ネタ

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記でも触れたのですけど、私の母校の新居高校の野球部は3人しかいなくて、部員不足のために今春までは他の学校と合同で公式戦に出ていました。 その後、監督の尽力もあって………

7人の新入部員が入部し、さらに2人の助っ人も加わって合わせて12人に おかげで今年の夏の大会には、単独で参加できるようになりました。 そうしたら、今年から球場への入場制限などはなくなり、声出し応援ができるようになったので……… そんな彼らに、私はスタンドから直接声援を送りたいです。 ところが、私の都合がつかない日程のクジを引いてしまったので、私はその試合の行方をネットで追うしかありませんでした。

そして、新居高校の試合がおこなわれる7月8日になりました。 その決戦の舞台は、静岡市の山側に造られた清水庵原球場 対戦相手は沼津商業高校。そちらの学校の部員数はベンチ入りできる20人を越え、スタンドにまであぶれるほどいました。 選手の層の厚さと経験の差は明らかで、こちらにとってはかなり厳しい戦いとなりそうです。 それでも、そのような状況の中でどこまでやれるか見守らせてもらいます。 とかなんとか言っているうちに、試合が始まる時間となりました。 それからしばらくして………

1回の攻守が終わったのですけど、いきなり5点先制されました。 まだ試合の波に乗れなかったのかも知れないので、次のイニングに期待しましょう。

さらに5点取られてしまいました。 かなり苦しい展開ですけど、選手のみんなは試合に集中してください。

ぐ……… 3回を終わって0対17。 1イニングだけでも無得点に抑えて、1点だけでもいいから、相手から取ってください。

4回の失点は4ですか。 得点の情報だけでは、球場で何が起きているのかわかりません。 ピッチャーは代わったのでしょうか?1本でもヒットは打てたのでしょうか?選手たちは仲間と声をかけ合っているのでしょうか?

ついに試合は終わってしまいました。 0対23の5回コールド。 5回は2点に抑えたので、頑張ったと思います。 力の差は歴然なのですけど、どんな相手でも全力で戦ってくれた沼津商業には感謝しています。 それから、新居の選手のみんなはお疲れ様でした。 3年生はこの試合をもって引退するのですけど、彼らのおかげで野球部は休部や廃部の危機を乗り越え、新たな部員に受け継ぐことができました。 その1年生は今回の試合で、野球の難しさや面白さを見つけたと思います。 そんな彼らの行方を、遠いOBの私はこれからも見守らせていただきます。

新居高校の試合はスケジュールの都合で観られず、代わりに観ようとした浜松大平台高校のほうは雨で中止に。 今夏は高校野球の観戦運が悪いと思われた私ですけど、そのまた1週間後となる7月16には、浜松球場に来ていました。

この日こちらの球場では、沼津商業高校の次の試合となる2回戦がおこなわれることになっていました。 ちなみに、対戦するチームは浜松開誠館高校 その第4シードの強豪校相手にどこまでやれるのか? 実力を観させてもらいますよ

初回は沼津商業のエラーなどがあって、開誠館がいきなり2点を取ったのですけど、以降は膠着状態が続きました。 終盤に沼津商業は1点を返したものの………

2対1で開誠館が勝ちました。 こちらは初戦の固さがあったのかも知れないのですけど、沼津商業はほぼ互角に戦い、改めてその強さを示してくれました。

続く第2試合では、熱海高校浜松湖北高校佐久間分校の出番がありました。 ともに部員不足で、静岡県内では唯一合同チームで出場することになりました。 多少組み合わせが変わったりしたのですけど、実はそれらの学校は、今春までは私の母校の新居高校と一緒にチームを結成していたのですよ しかも、日程的にも私は都合がついたので、私は母校の同志として応援することにしました。

その応援スタンドには、両校ののぼりが交互に立てられていました。 対する相手は、1回戦を勝ち抜いてきた磐田南高校 伝統のある進学校で、やはり野球部員はベンチ入りの定数からあぶれてスタンドにまで及ぶほどいました。

一方のこちらの合同チームは、佐久間分校は7人。 熱海高校も7人なのですけど、そのうちの1人は女子球児の緑姫(ろびん)ちゃんでした。 彼女は試合には出られないのですけど、その前におこなわれるノックでは補助員としてグラウンドに立っていました。 このような形でも、彼女が頑張っている姿を見た私は、ついウルっときてしまいました。 そのあとは先発メンバーの発表を経て………

いよいよ試合開始へと相成りました 熱海・佐久間分校は人数的には圧倒的に不利なのですけど、頑張ってください。

ともに静岡県の端っこにあって、100km以上も離れている熱海高校と佐久間分校ですけど、チームワークはバッチリでした。

そんな彼らを、私はスタンドからメガホンを借りて応援しました。

緑姫ちゃんも、ベンチから選手たちを盛り立てていました。 しかし、力の差もあって………

「熱・佐」は0対10の6回コールドで敗れてしまいました。

その試合の後、私は両校のラストミーティングを見ていくことにしました。 部員不足や距離のハンデを抱えながらも戦い抜いた選手たちに、監督が伝えた言葉は……… 「試合は終わってしまったけど、合同チームで培ってきた努力と経験は、今後の長い人生の糧になるハズ」と。 そのメッセージは、私の心にも響きました。

翌日の新聞の記事では、選手のみんなは「持てる力をすべて出しきったので、悔いはない」と言っていました。 そのことを反映しているかのように、彼らはずっと笑顔でした。 非公式に背番号14を与えられた緑姫ちゃんも、同じでした。 この試合をもって引退する3年生は、合同チームだけではなく地元からも離れることになるのかも知れませんけど、これからも心はずっと繋がり続けると思います。
とにかく、勝敗を越えた素晴らしい戦いを観せてくださり、ありがとうございました。

話は変わって、今回の日記に出てきた浜松開誠館高校の野球部はその後も快進撃を続け、決勝戦では東海大学静岡翔洋高校を12対8で破り、春夏通して初の甲子園出場を決めました。 その学校の校舎は浜松城からも見えるところにあり、浜松市の高校が甲子園に行くのは、21年ぶりとなります。 それよりも、たまたまでも私が見たチームが甲子園の舞台に立つのが嬉しいです ちなみにその学校の校歌は、浜松にゆかりのある小椋佳さんが作詞作曲したものです。 ポップな曲調ですけど、その校歌が1つでも多く甲子園で歌われることを願っています。



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