波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

鉛空の名古屋城

2024-06-29 01:30:53 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

6月21日に、私のいる東海地方でも梅雨入り宣言がありました。 そうなってしまったら雨の日の過ごし方を考えつつ、湿気に耐える日々を送っていかなければならないのですけど……… 今年の梅雨は曇っていても、とにかく暑い いや、厳密に言えば蒸し暑いです。 いきなり苛酷な状況となってしまいましたけど、皆さまは熱中症などにはならないように、体調にはお気をつけくださいませ。
今回の波狛日記は、6月最初の日曜日となる6月2日の話であります。 私はその日の午後から、名古屋市の屋根のない球場でプロ野球の試合観戦をする予定だったのですけど、天気予報では曇り時々雨で、降水確率は70パーセントにもなっていました。 客観的に見ても、思いっきり雨ですよ その試合のチケットはまだ買っていないのですけど、どうする茶々さん

その日の朝、私は名古屋市に降り立っていました。しばらく来ないうちに、市営地下鉄市役所駅名古屋城駅と名前を変えていました。 はい、その名称の通りで、こちらは名古屋城の最寄り駅となります。 さらに、お城の高麗門のような外観をしていますし。 実はこの日の午前中は、もともとそのお城を見学する予定になっていたのですよ
気になる天気のほうは……… 名古屋に向かっている間に車窓の外で雨が降ったりしていたのですけど、この時点では小雨より弱い霧雨となっていました。 この程度なら、傘を差さなくても外を歩けますね。

とかなんとか言っているうちに、私は名古屋城の北側まで来ていました。 お堀を隔てて、大天守が見えますね。 お城はまだ開門前なのですけど、久しぶりにこちらから眺めたかったので、今回は早めに到着できるようにしました。

向こうに見えるのは、深井丸西北隅櫓にございます。 名古屋城に現存する3つの櫓の1つで、国の重要文化財。 清洲城の小天守を移築したと云われています。 さらにお堀の外側をぐるっと回って………

正門に至りました。 このあたりにはかつては榎多聞という違う建物があったのですけど、明治時代に名古屋城が離宮として利用された際に、江戸城の蓮池門を移築。 しかし、昭和20年(1945年)5月14日の名古屋大空襲で焼失してしまいました。 今日見られるものは、昭和34年(1959年)に旧蓮池門の姿のものをRC構造で復元しました。 そうしたら、入場料の500円を払って、いざ城内へ

入ってすぐに、私の視界に本丸に現存する西南隅櫓が飛び込んできました。 さらにその向こうには、大天守の姿が

本丸の南側には、東南隅櫓も現存しています。 西南隅櫓と同じ慶長17年(1612年)に建てられ、国指定の重要文化財。 この建物を仰ぎ見たら、本丸に突入しますよ

その本丸には、本丸御殿がありました この建物は、尾張藩主の住居兼政庁として慶長20年(1615年)に造営されました。 かつての建物は、江戸時代中期に防火対策などのために屋根は桟瓦に改められ、格子は漆喰で塗り込まれたおかげで、質素な外観となりました。 昭和20年の戦災で焼失してしまったのですけど………

平成21年(2009年)から復元の工事が始まり、9年の年月と180億円の総工費をかけて、創建当初の姿で甦りました 屋根は薄い木の板を重ねた杮葺(こけらぶき)、格子は黒漆塗りを金の金具で飾って、豪華そのもの もちろん、内部も見学できますよ ただし、建物を傷つけないために、ボールペンを使ったりリュックを背負ったりするのは禁止されています。 それでも、ストロボを使わなければ、自由に写真を撮ることができるのですよ そうしたら、中ノ口部屋を経て玄関(の棟)へ

玄関一之間の左側の襖には、有名な竹林豹虎図が描かれていますね。 空襲に遭う直前に、これらの襖絵は取り外されて城内の乃木倉庫などに疎開しておいたおかげで焼失を免れ、現存しています。 そのような貴重な絵を模写したのが、コレなのですよ それと、戦前に撮られた写真から再現された障壁画もあります。

こちらは、表書院三之間ですね。 奥行きがあって、かなり広い空間となっております。 奥のほうに描かれているのは、ジャコウネコでしょうか?

やがて、対面所次之間(の外側)に行き着きました。 襖絵のテーマが変わり、頭上は黒漆塗りの格天井となっています。 さらに私は本丸御殿の最深部へ

こちらの上洛殿は、尾張の初代藩主の徳川義直が、上洛する3代将軍家光を宿泊させる目的のためだけに建てました。 見栄を張って、尾張徳川家の威厳を見せつけたかったということもあって、豪華そのもの 特に欄間の彫刻は「よく再現できたな」というぐらい凝っています。

引き返すコースでは、下御膳所も通っていきます。 いわゆる昔の台所と配膳をするところで、部屋の中央には囲炉裏が設けられています。 私は一旦本丸御殿から出て………

別ルートからの見学コースとなっている、湯殿書院に入っていきました。 こちらも本丸御殿の一部なのですけど、藩主の生活空間で、通路などがやや狭めとなっているので、案内人による少人数での見学ツアーという形を取っています。 そうしているうちに私の番になったので、いざその内部へ

湯殿は昔のお風呂のことで、蒸し風呂なので今のサウナに相当します。 向こうの屋形の中に入って、汗を流したのですよね。

さらにそのゾーンには、黒木書院もあります。 こちらは清洲城から移築された建物を復元したものです。 本丸御殿の部材は檜なのですけど、黒木書院は松が使われています。 質素な内装と襖絵も、いいですね。

私が三たび屋外に出た頃には雲が切れて、時おり日も差してきていました。 大天守の屋根に乗っている金シャチも、輝きを増していますね。 昭和34年(1959年)にRC構造で復元された大天守小天守は、老朽化と耐震性に問題があることから、平成30年(2018年)5月から立入禁止となっています。 それから5年ほどかけて木造で建て直す計画があったのですけど………

土台の天守台の石垣の保存方法や、建物のバリアフリー化などの意見が衝突していることもあって、木造復元はおろか手付かずのままとなっています。 しかし人の出入りがないからなのか、所どころ傷んできているのですよね。

名古屋城の悶々はこっちに置いておいて、石垣に目を向けてみると……… あちこちで刻印を見つけることができます。 名古屋城は全国の大名が手分けをした天下普請で築かれ、各自に割り振られた現場の石垣には、目印となる刻印が刻まれました。 これはお団子みたいですね。お腹が空いていたのでしょうか?

名古屋城の近くには、階段体験館(ステップなごや)なる施設があります。 見学ルートから少し外れたところにあるからなのか、閑散としていて私が入っていったらスタッフの方たちに歓迎されました。

入場無料で、建物内には戦災で焼失した木造だった頃の大天守の模型があります。 さらに………

その1階から2階に至る階段が実物大で再現されているのですよ ほんの一部ではあるのですけど、名古屋城の木造大天守を見て触れて昇ることもできるなんて……… さっそく体験してみます

大天守の中では最も高低差の少ない部分なのですけど、建物自体が大規模過ぎるので、けっこう昇った感がありました。 現在の名古屋城は、現存する櫓の特別公開でもない限り、昇れるところはほとんどない、フラットなお城となっています。

大天守と小天守の木造復元はいろんな意味で難航しそうですけど、私は実現してもらいたいです。 とはいっても、バリアフリーのためのエレベーターの設置には、基本的には反対です。 大坂城の復興天守の外側や、金沢城の五十間長屋の内部に設けられているエレベーターは、コンクリートやガラスがむき出しになっていて、お城の景観を損ねています。 それらを木目調の板などで囲ってくれれば、私は賛成に回ります。 本丸御殿だけでも魅力充分なのですけど、大天守と小天守の木造復元の着地点が見つかることを願っています。


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